第二話 夜と魔獣
俺が暮らすルドレイジェ大陸は、統一国家であるエルゼイア帝国だけが存在し敵国などは皆無――とはいえ森や山には人間に襲い掛かる『魔獣』がいて、脅威となっている。だからこそ騎士が存在するし、国家の中における戦力の要になっている。
俺の小説は同じくルドレイジェ大陸を舞台にしているのだけれど、大きく違うのは女神と邪神が実在していることと、『幻魔』の存在。この世界で神話として語り継がれる女神と邪神の戦い……それを下敷きにして、女神により封じられていた邪神を復活させようとする勢力と、それを阻止する人間との戦いだ。
その世界で俺は独自の種族を作った。それこそ幻魔――魔獣の力を取り込んだ人間であり、常人とは比べものにならない力を持っている。そうした幻魔の中にも邪神を復活させようとする一派がいて、主人公はそうした勢力と戦っていく。
主人公の名は、セレス=ファルジア。彼は女神と幻魔の王――その幻魔も勇者と呼ばれた人間の血を引いている――世界で唯一無二の素質を持った存在。それにふさわしい人を惹きつける雰囲気を持ち、容姿もそれに準じ俺とは違う輝く金髪が特徴的。
こんな主人公を設定してしまうのは不甲斐ない自分に対する反動だろうか? ともかく、そうした彼が俺と同じように騎士訓練学校に入り、素質を開花させ強くなっていく。
そして邪神を復活させようとする一派は、まず邪神が残した眷属を復活させようとする。肝心の本体は大陸南部にある砂漠の中に存在する遺跡にある。ただしその遺跡に踏み込むのは、他ならぬセレス。
その場所に女神が操っていた『神域魔法』を習得する手がかりがあり、それを得るため遺跡へ辿り着き……そこで邪神をその身に宿し封印されていた少女と出会う。
名はリュハ。セレスは邪神を封じられていると知らず彼女と交流し……やがて邪神一派の手によって復活してしまう――リュハの中に存在していた邪神が、封じられていながら外界と交信し、復活させるよう仕向けていた……全ての原因は、彼女の中にある邪神だ。
今は彼女とセレスの対決を書いているところ。町は崩壊し、セレスは民衆を避難させ決戦に赴こうとしている。
その結末をどうするべきか……没頭していた時、ふと我に返る。気付けば時刻は夜。シャルトは既にベッドに入り、俺は机の上にある魔法の明かりを使って執筆している。
「根詰めすぎたかな……」
夕食を食べ、眠る準備だけ先に済ませひたすら書いていたからな。眠るか休憩するか迷い、俺はふと自分で記した文面を目でなぞった。
「……こうした力を持てたらな」
まさしく世界を変える力。これだけの力を背負うことによって相当な業を背負うことになるにしても、何も持っていない俺からすれば羨むばかりだ。
「さて、続きはどうするか……」
この物語の終わりについてはほとんど決まっていない。とはいえ投げっぱなしにするわけではない。読者がいる以上は――
その時、突如鐘の音が外から聞こえてきた。夜の静寂を破るそれは、規則的に鳴り響き――緊急招集の合図だとわかった。
「……なんだよ、寝たばっかだぞ」
もぞりとシャルトがベッドから起き上がる。その間に俺は慌てて準備を始めた。
「ケイン、先に行っててくれ」
「わかった」
弾かれたように外に出る。廊下には既に幾人かの訓練生がおり、一様に寮の入口へ向かっている。俺は彼らに追随して外に出ると、騎士が一人立っていた。
「静粛に。これから説明をする」
まだ寮生が全員集まっているわけじゃないんだが……よほど切迫しているのか?
「つい先ほど王宮より連絡が入った。町の中に魔獣が出現したとのこと」
その言葉に周囲の訓練生がざわつき始める。それを騎士は再度「静粛に」と告げ、なだめる。
「ついては訓練生の君達にも捜索を行うよう通達が入った。他の寮にも既に連絡がいっているはずだ。数人で行動し、発見次第最寄りの詰め所に連絡をすること」
そうして騎士は魔獣について語る……夜と同化する黒色かつ二足歩行の魔獣らしい。ただそれほど気性は荒くないらしく、こちらから干渉しなければ襲われることはないとのこと。
「現時点で魔獣による被害は報告されていない。住民を見つけたら避難するよう呼び掛け、捜索を続けること」
騎士はそう告げると解散を言い渡し、立ち去った。
「お、待たせたな」
シャルトの声。振り返ると準備を済ませた彼が手を振っている姿が。
「で、招集理由は?」
「魔獣が町中に現れたって」
「現れた? どこから?」
「知らないよ。こっちから斬りかからなければ襲われることはないらしいけど、数人で行動しろってさ」
「了解。それじゃあ行きますか」
彼と共に歩き始める――試験が通っていれば、騎士としてこうした任務に……ため息をつきたくなる衝動を抑えながら、夜の町中を歩く。
魔法の明かりによる街灯が道を照らしているので、視界にはそれほど困らない。ただこうして通りを歩いているだけでは見つからないだろう。路地とかにいるだろうか……?
「さっさと終わらせて寝ようぜ」
シャルトの言葉に「そうだな」と同意……その時だった。
「ん?」
ふいにシャルトが目を細めた。視線の先は一本の路地。
「どうした?」
「……今、黒い影が見えたような」
「行ってみるか」
俺の提案にシャルトは「ああ」と相づちを打ち、共に進む。そこでうめき声――のような音が耳に入った。一瞬犬か猫かと思ったが、それにしてはずいぶんと重い。
「これはもしかして――」
「大当たり、かもな。ケイン、進むぞ」
俺は小さく頷きやがて路地を抜け別の通りへ。
そこに――騎士が語っていた通りの姿を持った、二足歩行の魔獣がいた。
頭部は牛か山羊か……黒い角が生えているのがわかる。ただ目は見えない。存在していないのか、それとも皮膚と同じ黒色で視認できないだけか……?
また一際目立つのが両腕に存在する鋭利な赤い爪。これが街灯に照らされ一際輝きを放っていた。犠牲者は出ていないはずだが、その爪の色が今まさに獲物を屠ったように見え、恐ろしい印象を与えている。
「よし、報告に行くか」
シャルトが呟く。俺は頷こうとして――その時、魔獣の首が動いた。
どちらが前なのかいまいちわからなかったけど、俺達のいる場所へ体を向けた瞬間動きが止まったため、間違いなく見つかった。
「おお、これはまずいな。さっさと戻ろうぜ」
彼が提案したその瞬間、
咆哮が響き渡った。夜の静寂を突き破るそれは、明らかに俺達を見据え威嚇しているように思えた。
「おとなしかったんじゃないのかよ……!」
シャルトの顔が引きつる。俺もここに至りまずいと悟り、下がろうとする。
周囲から声が聞こえ始める。騎士か捜索している訓練生か……どちらにせよ魔獣が包囲されるのは時間の問題だろう。
だから俺達にできることは、退避――しようとした矢先、魔獣が反応した。
その動きは、明らかに俺達を狙うもの。シャルトが喚き全力で走り始める中、俺は対応に迫られた。彼と同じように背を向け逃げるか、腰の剣を抜き放ち対抗するか。
もし尻尾をまいて逃げるにしても、魔獣の足は相当速い。硬直したほんのわずかな時間でもう間近に迫ろうとしている――今振り向いて逃げようとしても爪を背に突き立てられるのは明白。
だから、俺は――命の危機が差し迫っている中で、剣を抜いた。
魔獣の爪が迫る。上から下への振り下ろしで、俺は防御の構えをとった。まず最初の攻撃を受け流して、動きを鈍らせるために反撃――そこまでやるのは難しいだろうか。
そして――爪が剣に触れた瞬間、途轍もない重さが剣にのしかかり、反撃なんてできないと確信する。
「え――」
気付けば全てが終わっていた。爪により剣が弾き飛ばされ、無防備だった俺に爪が突き立てられた。その狙いは正確で、胸に刺突が入る。
「ケイン!」
シャルトの声が聞こえたが、声は出せなかった。痛みが全身を駆け抜けた直後、今度はなぎ払いをまともに食らった。衝撃で何もできず倒れ伏し、俺はただ魔獣を見上げるだけ。
暗闇の中で鮮血が舞う。死ぬのか……と、頭の中で呟く。どこか他人事なのは、目の前の情景がどこか非現実的に感じるからだろうか?
魔獣が近づく。明らかに俺を狙っている。もう動けないはずなのに、どこまでも執拗に狙いを定めてくる。
痛みで何もできない俺は、ただ相手を見据え……何一つ成し得なかった人生に、涙が出そうになる。
魔獣が爪を振り上げる。その狙いが首だとなんとなくわかった。この一撃で意識が消える……そう思った矢先、最後に思ったのは、
「せめて、話くらいは完成させたかったな」
自嘲的な笑み。そして魔獣の爪が迫り――視界が暗闇に包まれた。