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お陰様でくーぴーたん  作者: 稲村正輝
第1章 「黎明」
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第62話 「歩こう歩こう、私は元気」


最近、うわああああああ!と言いながら屁をこくことにはまっている。こういうことを言うと、周囲の人間からは確実に犯罪者を見るような目で見られるだろうと予測できるため、あまり大きな声では言わないようにしているのだが、誰でも屁をこくし、誰でも叫ぶことはあるだろう。その誰でも日常的にする行動が、たまたま重なっただけのことにすぎない。それにも関わらず、一般的な人間には到底有り得ないものとして処理される。ロックだと何でも許されるのに、俺のこの思想は絶対に許してもらえない。これが凄く悔しいのである。

俺が、うわああああああ!と言いながら屁をこくことに至ったのは、もうかなり昔のことだ。


小学生の頃、俺は屁をこいてしまう事態を恐れていたということについて、赤裸々に語ったことは記憶に新しいと思われるが、この恐れについては、屁をこく時には必ず「屁」と言ってから屁をこくことで何もかもが解消されたかのように思われた。しかし、これには大きな落とし穴があったのである。ここまで詳しく話してしまうと、もう誰でも回答を予想できると思うのだが、それは、寝ている時にこいてしまう屁には対応できないということである。俺はこの寝ている時に屁をこいてしまう現象のことをダンシングインザダークと呼んでいるのだが、この死角に気づいた時、流石の俺であっても背筋が凍る想いであった。俺は、「屁」と言ってから屁をこくことで、全てがうまくいっていたと勝手に勘違いをしていたのである。こうなったら、その晩からはおちおち寝ることなんて出来ない。中学生となっていた俺は、時代を先取りするかのように、同級生の誰よりも早く不眠症を味わうことになった。しかし、不眠症と言っても、目が冴えて眠れないというわけではない。眠いのに寝れないのである。これは眠くないから寝れないというものよりも圧倒的に地獄だ。

睡眠不足のまま学校へ行くのだが、授業が始まる前から俺の目は開けることだけで精一杯である。瞼が核シェルターのシャッターのごとく、重く俺にのしかかる。気づけば夜中まで教室で寝ていたこともあった。昼間寝ているせいで、夜にちゃんと眠れない。この悪循環で、俺は学校に行っているのにも関わらず、昼夜逆転の生活がしばらく続いた。学力は元々無い方だったため、授業中に寝てしまっていても変化はなかった。ただ、寝ている最中に屁をこいていないかどうか、これだけが気になって仕方が無かった。


ある日、いつものごとく授業中に居眠りをこいていると、国語の折野先生に半ば無理矢理に起こされた。

「おい、いつもいつも寝やがって、貴様は俺の授業が受けれないっていうのか!?」

折野先生が激しくつっかかってきたため、

「先生、誤解です。僕も寝たくて寝ているわけではないのです。訳を話せばきっと分かってくれるはずです」

と和解を申し出ようとしたのだが、折野先生はとてつもない頑固者のようで、

「駄目だ、お前の言い訳は受け入れられない。放課後に職員室へ来い!」

とまで言われてしまった。

ただ授業中に寝ていただけで職員室に呼び出されるというのは酷い仕打ちではないか。寝ているだけで職員室へ来いとは言われないはずである。まさか、授業中に俺は屁をこいてしまっていたのではないだろうか。その屁を折野先生が耳にして、あれだけ激しく怒ったのではなかろうか。きっとそうに決まっている。折野先生は俺が屁をこいたから怒っていたのだ。俺はとうとう取り返しのつかないことをしてしまった。


放課後になり、俺は職員室へ足を運んだ。職員室の前に到着するまでに、色々な思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。戻れるのであれば、国語の授業が始まる前に戻りたい。そして、授業が始まるまでに、折野先生へ俺の悩みを全て話しておきたい。そうすれば折野先生はあれほど激怒することもなかったであろう。

俺は、死刑台に上る囚人になったかのような心持ちで、震えた手でドアを開けた。すると、そこには折野先生が一人、険しい顔で立っていた。無言であるのが尚更、恐怖心を駆り立てた。

「す、すみませんでした!お許しください!もう屁はこきません!」

と俺が頭を下げた瞬間、パーンっという破裂音が部屋中に響き渡った。俺は殴られる覚悟で来たつもりだったのだが、まさか本当に殴るとは…と思って目を開けると、そこにはクラッカーを持った折野先生がいた。

「ハッピーバースデイ」

折野先生はそう呟くと、手拍子をしながら歩き始めた。それはまるで高台の上から手拍子をするスターリンのように思えた。俺はその勇姿に酔いしれ、室内を行進する折野先生を見つめるだけであったのだが、何周目かに俺も折野先生に続いてパレードの中へ飛び込んだ。

その時には屁をこいたことなどは忘れていた。ただただ、怒られると思っていた重圧感からの開放と、それに続いて誕生日を祝ってくれる喜びとが混ざり合い、屁なんてどうでもよくなった。俺は屁をこいても良いのだと悟った瞬間がこの時である。人生というのは面白いものだ。つい先ほどまでは、もう一度時間を巻き戻してやり直したいと思っていたわけであり、もしやり直していたとしたら、今この瞬間は確実に存在しない。一歩大人になった俺も、大人になっても歩き続ける折野先生も。そうだ、人生は歩き続けないといけないのだ。俺はこの日、折野先生からそのことを学んだ。歩き続ければ何とでもなる。自分が描く完璧な未来への道へ進む時、たとえ思い通りにいかないことがあったとしても、歩き続けることが大事なのだと。立ち止まっては駄目なのだ。俺はこの日から歩き続けることを決意した。だから、俺はもう屁をこくことを躊躇しない。


次の日から、俺はうわああああああ!と言いながら屁をこくことにした。俺は屁を敬い、屁の誕生を歓迎することにしたのである。折野先生が俺にしてくれたように。よくぞ出てきてくださった、俺は屁をこいた後はそう屁に伝えるのである。言葉には出さないが、心の中で想い、伝えるのである。俺と屁は心の中で通じ合っている。

しかし、うわああああああ!と言いながら屁をこくことは二週間くらいで飽きてしまったため、その時以来、普通に屁をこくようになっていたのだが、この間、思い出したようにやってみると、凄く爽快な気分になれたため、最近またやり始めたのである。一度試してみる価値はあると思うから、騙されたと思ってやってみると良い。自分は生きている、生きていて良いのだと感じることができる。特に自殺を考えている人には是非すすめたい。これをやれば絶対に自殺しない。俺は政治家なんかよりも、カウンセラーになった方が、自分の考え方を活かせるのではないかと思い始めた。政治家になったとしても所詮人を救えない。やはり、これからの時代は政治家なんかよりもカウンセラーだ。政治家は駄目だ。カウンセラーの方が横文字で格好良いし、女にモテそうだ。


俺が縁側で色々と妄想していると、

「何かしら政治家になる良い案でも浮かんだかね」

と、文麿が話しかけてきた。

「文麿、政治家になっても人は救えない。俺は大事なことを見落としていたみたいだ。俺は政治家よりもカウンセラーになるよ」

そう言うと、文麿はしばらく間、呆気に取られていたが、すぐに拍手をして、

「そうかそうか。それは実に頼もしい。君の未来に乾杯だ」

と言って、台所からオロナミンCを持ってきた。

「おい、人様の冷蔵庫から勝手に持ってくるなよ」

俺は、キンキンに冷えたオロナミンCを受け取りながら怒鳴りつつも、口元は少しほころんでいた。今日の文麿は、何だかあの時の折野先生みたいだ。

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