第61話 「先人の想い」
早起きとは良いものである。縁側で朝日を浴びながら、今日という日の活路を見出し己の生き様をゆっくりと考える。そう言えば二日ぐらい前に、ふと百鳥屋のみたらし団子が食べたくなったことを思い出した。思い出したが吉日であり、今日こそ食べに行かねばならない。ちょうど文麿も阿南もいるから団子代は俺がまとめ払いをして、後から余分に額を請求すれば良い。儲けた銭は次回の団子代に取っておいて、そのやり取りを繰り返していけば、俺は団子に苦のない人生を送ることが出来るわけである。
そんな余裕の気分に浸っているところへ阿南がやってきた。
「おはよう。なんだ君にしては朝が早いじゃないか。でも、実は俺の方が早く起きていたからな」
そう言うと、俺の隣へ座った。
「こんなに良い天気なんだ。早起きしないでは勿体無い。早起きと言えば文麿はまだ寝ているのか」
いつも起こし役に徹している文麿の姿が見当たらないので変に思ったのだが、文麿はまだすやすやと熟睡しているようだ。
そこへ続いて寝巻き姿の学長がやってくる。
「いやいや諸君、良い朝だな。結局、君の親父さんが見当たらないものだから、折角だし一泊させてもらったよ。で、阿南君だっけ。君はいつまで全裸なんだ。見苦しいから服を着なさい」
阿南はとことん学長に嫌われていると思われる。阿南は大変悔しそうな顔をしながら陰毛を掻きむしり、抜けた太い一本を天にかざすと、ふうっと息を吹きかけた。それはまるでたんぽぽの白い綿毛のように優しい風に乗って、大きな弧を描きながら澄み渡った空の中へと吸い込まれていった。俺たちは、その光景をただただ、ぼんやりと眺めていた。
「これからが大変な時代となる。がむしゃらに頑張れば目標を達せられるという甘い世界ではない。ただ、夢はいつも心の中に持っていてもらいたい」
学長が老婆心ながら、そう声をかけてくれた。俺と阿南は顔を見合わせてから、もう一度空を見上げた。それはまるで己の心の中を見ているような不思議な気分であった。
「そろそろ文麿君を起こそうか」
学長はそう言うと部屋の中へ入っていった。
「おい、阿南。学長の言うとおり服を着ろ。それから部屋では靴を脱げ。なんべんも同じことを言わせるな」
俺がそう言い放つと、阿南は今までの良い感じの雰囲気が台無しだと言わんばかりに俺を睨みつけた。
「君は気楽で良いじゃないか。俺の運命はもう決まったも同然だ」
「まだ何も決まっていないだろ。それに小田かおりへのアプローチもまだ始まっていないのだから」
俺が阿南をなだめていると、部屋の奥で文麿と学長が何やら盛り上がっている。俺と阿南は、なんだなんだ何事だダンツィヒか戦争かと二人して詰めかけた。
「ほら、一番後ろの頁にみゆき君の名前が書いてあるでしょう」
文麿が学長に何やら教えている。
「なるほど…。まさか、東條君の娘さんがこんなものを…」
学長がそう言いながら手に持っているのは、例のプロ野球カードのノートであった。俺は思い出したかのように、
「あの東條とかいう金髪の女。学長が僕に仕向けた罠だってことぐらい、もうお見通しですよ」
と、自信満々な具合で詰め寄った。
「罠?君は何を言っとるんだね。そう言えば君が何の用事かは知らんが、悪臭を放ちながら学校へ来た日に東條みゆき君の面接をしたよ。勿論合格だ。あの子は志が強くて良い子だな。おっと、このノートは君がもらったんだろう。大切に仕舞っておきなさい」
学長はそういうと、東條ノートを俺に押し付けた。
「このノートは一体なんなんですか。僕には何が何だかよく分かりません。それから、あの東條とかいう金髪女からは危険なにおいがぷんぷんしましたよ。何が良い子ですか。あんな奴が人畜無害なはずがない!」
そう怒鳴りながら学長に反論していると、、
「君、人畜無害なんて言葉を知っているのかね」
と、文麿が驚いたような顔で俺を見てきた。
「なんだ文麿。またマインカンプの続きをやろうっていうのか」
俺のことを卑下するかのような文麿の態度に俺は更に不機嫌になった。
「いやいや、そう激昂するもんじゃないよ。確かに君はそんなに学力も知恵も無いとは思っていたが、人畜無害なんて言葉がすんなりと口から出てくることに驚いたよ」
文麿の回りくどい言い方には少々腹が立つが、どうやら俺のことを本当に褒めているようだ。
「おまえが俺を褒めるなんて気持ちが悪いな。俺だってそのくらいの事は知っているよ」
「なるほど。君の頭は思ったよりも芳しいようだ。では、人畜無害とはいったいどういう意味なのかね」
文麿は俺が知ったかぶりをかましているとでも思ったのだろう。俺は真の力が試されていると感じ、ここで文麿をぎゃふんと言わせてやろうと考えた。
「そりゃ、人間と動物に害が無い奴って意味だろ。そのぐらい幼稚園児でも知っているさ」
それを聞くと、文麿は少々笑いならが、それはとんでもない勘違いだと言ってくる。
「勘違いだと?なら何なのかおまえは答えられるのか。人畜無害とは何なんだ。普通に考えて人畜に無害という意味しか無いだろ」
「いや、違う。君は一方的に物事を考え過ぎなのだよ。文学というものは一方通行ではない。色々な角度から見ることが必要なのだよ。良いかい?人畜無害というのはだね、人間や動物やこの世に存在すらしないもの、すなわち”無”という存在にさえも害を及ぼすという意味なのだよ。要するに、それぐらい危険なものってことだね、人畜無害ってやつは。だから、君はみゆき君のことを人畜無害なはずがないと言ってるわけだから、そうなると、みゆき君は危険人物ではないと言ってることと同等なわけだよ。わかるかい?」
俺は呆気に取られた。今まで何も考えずに使っていた言葉は実は違う意味であったのだと思い知らされる瞬間であった。
「なるほど、四字熟語とは奥が深いものだな」
「そうだよ。だから今度みゆき君に会った時には、この人畜無害な奴めと言って罵ってやると良い」
文麿の心優しき助言に、俺はこれを実行しなければいけないと心に強く刻み込んだ。
そんなことにはお構いなしに、学長は一人もくもくと準備体操をしていたのだが、
「私は君の親父さんを探すついでに散歩に出かけるよ」
と言って、部屋を出ようとした。
「どうでも良いんですが、業務の方は大丈夫なんですか」
俺が学長に聞くと、
「学校に居るとストレスが溜まって仕方がない。家に帰っても肩たたきをしてくれる者もいない。たまには私も気楽に街をぶらぶらしたいものだよ」
と笑いながら出て行ってしまった。
肩たたきと言えば月浦君を思い出す。
月浦君は俺の小学時代のクラスメイトだ。特に仲が良かったわけではないが、休み時間なんかに教室の後ろの方で何人かで集まって談笑する中に、月浦君はたまに居た。月浦君は親が趣味で音楽をやっていることもあり、色々な音楽事情に精通していた。俺らが鬼ごっこだ、かくれんぼだと言っていた頃に、月浦君は既にエディ・コクランやフランキー・レインなどの洋楽を聴いていた。特にハードロックやヘビーメタルなどの激しいものが好きだと木津信太郎君から聞いたことがあるが、それついて俺はまったく信用していない。そういうわけで、月浦君は音というものに貪欲であり、両手で己のけつをパンッと叩いては喜んでいた。そのうち、月浦君はけつたたきを毎日するようになり、放課後の体育倉庫でけつをたたく月浦君の姿を見かけることも多くなった。数ヵ月後には、とうとう五歩進むとけつを叩くという動作を繰り返すようになり、そのまま帰らぬ人となってしまった。




