第46話 「十八の昼前」
自宅から十数メートル程行ったばかりの所に自転車置場がある。この自転車置場はそのすぐ隣にそびえ建つマンションのものである。俺は自転車を持っていないので、この自転車置き場からどれに乗ろうかと、スーパーの野菜売り場で奥さんが顎に手を添えて考えるがごとく悩んでいた。とりえあず、カギがかかっていないのが好ましい。カギがかかっていないのはどれかなと品定めをしていると一台見つかった。それは黄色い小学生用のバイスクールだった。三輪車ほど小さいものではないが、小型自転車の後輪にもう二つ小さな車輪がにょきっと付いている。この自転車はいったい何輪車と言えばよいのだろうか?
「これはちょっと使えなさそうだな」
俺は、その似非四輪車を選択肢から外し、他に使えそうな自転車がないか探してみた。すると、もう一台見つかった。しかも一般的な大人用自転車だ。
「探せばあるもんだな。よし、これに決めた!」
俺はそう言ってその自転車にまたがり、悠々と目的地を目指して進みだした。進みだしたのだが……。
とりあえずその時、何が起こったかは割愛させてもらうが、俺は今、黄色い子ども用自転車に乗って目的地を目指している。当初乗っていた大人用自転車は、前輪後輪ともズタズタの姿になって道の片隅に倒れている。何故こういう事態になったのかは俺の今までの行動や性格を知っているのなら察しはつくであろう。
徒歩より全然ましだということで、俺は一生懸命に子ども用自転車をこいで学校を目指した。もう昼前ということもあり、学生運動がないことには大変助かった。しかし、油断はならない。この間の学生運動の時、奴らは皆手に水泳用のバッグを持っていた。バッグを開けると水着やゴーグルが入っていたので、水泳用のバッグであったことには間違いない。
「そうか、今はあいつら夏休みだから水泳の授業のため登校していたんだな」
俺はなるほどと頷いたが、それだと奴らが下校する時間もだいたい昼前ではないかと予測した。
「これはまずいぞ。もしかすると、これでは学生運動にまた鉢合わせするかもしれん」
俺は背筋に冷たい汗をかいていたが、
「いや、今回は全裸ではないし体が黒いわけでもない。おかしいのはこの子ども用自転車だけだ」
と、自分に言い聞かせた。よくよく考えてみると、学生運動を引き起こしている奴らは子どもなのだ。子どもは子ども用の自転車に乗る。だから、俺が子ども用の自転車に乗っていたとしても何も不信に思うまい。一時の迷いから立ち直った俺は、全速力で自転車を走らせ、前回学校を訪問した時とは明らかに違うタイムの差を見せつけていた。
「早いぞ、早いぞ、早いぞ!ハッハッハッハッ!!!」
俺は大笑いしながら先を急いだ。しかし、その笑いも次第に消えていった。不良高校生グループの台頭である。彼らは原付のバイクに乗りながら俺の横を走り出したのだ。数にして五、六人か。これはまずいことになったなと、俺は恐怖で心臓が爆発した時のことを考えて、また新しい心臓を作り出そうと試みたりしていた。
「おい、兄ちゃん」
不良高校生の中でも一番前を走るレッドカラーの髪の男が話しかけてきた。
「は、はい?」
俺は走ることは止めないまま、レッドカラーの方を向きながら応対した。
「兄ちゃん、カッコいいのに乗ってるじゃねえか。まあ、そこで話でもしようぜ」
レッドカラーはそう言うと、俺の行く先を阻むようにバイクを横付けにした。
くそが、俺、今絡まれてるのか……。
俺は顔面蒼白なるままに自転車を降りた。俺はいったいどうなってしまうのだろうか。とりあえず俺は助かりたい一心であった。
「あ、あの、その髪型イカしてますね。トリートメントもいい感じだと思います」
と、レッドカラーを持ち上げてみたのだが、レッドカラーは、
「何軽い口聞いてんだ、こら。で、ちみ何歳なの?」
と聞いてきた。
「え、年齢っすか?」
「あったりめえだろ。何歳って聞いて年齢以外に何答えんだよ。バカかちみは」
「あ、はい、すみません……、え、えっと、えっと…」
不思議なもので、緊張が限界に達すると自分の年齢も忘れてしまうようだ。
「早く答えろよ!しばくぞ!」
レッドカラーの後ろでうんこ座りを決めているブルーカラーが怒鳴り散らした。
「さ…さんじゅう…はっさいです…」
俺は、年齢を高く言えば助かるだろうという意味不明な推測をし、嘘をついてしまった。こんなバカみたいな奴に嘘を付くなんて。自分が情けなくて仕方なくてこの世から消えてしまいたい瞬間であった。
「三十八歳!?そんなわけねえだろ、どう見てもまだ十代だろうが!」
ブルーカラーはうんこ座りから、いつ殴ってもいいような体勢になっている。
「いや、本当です。三十八です。もうおっさんです。だから見逃してください!」
俺は土下座をして涙を流しながら必死に訴えた。
これを見た不良グループの頭と思われるモヒカン頭でサングラス姿の男が奥から出てきた。
「おい、もうその辺にしてやれ」
モヒカングラスは、そう言うとレッドカラーやブルーカラーをたしなめながら俺の前へ座った。俺は、「助かった……」と思わずにはいられなかった。恐怖心から流れ出た涙が、いつしか安堵感の涙へと変わっていった。
「なあ、兄ちゃん。三十八歳ていう証拠出せや」
「へ?」
このモヒカングラスはいったい何を言ってるのだろうか。モヒカングラスは俺を助けたわけではなかったのか。俺は気が動転していた。
「しょ、証拠ですか」
「そうだ、証拠を見せろ。運転免許ぐらいあるだろ」
俺には免許がない。しかも、俺は三十八歳ではない。まだピチピチの十八歳だ。しかも、この不良高校生らは絶対そのことに気付いている。こんな見え透いた嘘に気付かない方がおかしい。いくら馬鹿でも気付くに決まっている。そして何よりも、俺より後に生まれてきたこんな馬鹿者に頭を下げた俺は、いったい何者なのだろうかと考えざるをえなかった。
「免許は…持ってません」
俺は力なくポツリと呟いた。
「免許がないだと。三十八にもなって免許持ってないわけないだろ!」
「ほ、本当なんです!信じてください!そして…、そして許してください!」
自分が何をしたわけでもないのに許しを乞うというのは本当に惨めだ。
「お前、嘘だろ?三十八歳って。俺は納得できんぞ!お前みたいな奴が生きていることにも納得いかねえけどな!」
モヒカングラスがこう俺に向かって怒鳴り散らした。俺はそれを聞き、頭が真っ白になった。こんな奴らに生きていることを否定されてしまったのだ。心が震え、体の筋肉が震えだした。俺は体の底からわなわなと溢れる力を抑えきることができなくなっていた。怒りが限界を超えていた。
「貴様ら、見るがいい。獅子舞の叫びを!」




