第1話 「はじまりはいつも糞」
俺は、とある用事のために、自宅からヒッチハイクをしながら、徒歩で目的地を目指していたのだが、途中うんこが出そうになったのでトイレを探し始めた。
ここでもし、トルーマン大統領のようなトルーマン大統領に、
「おい、言いたいことがあるのなら言ってみたまえ」
と言われたのであれば、俺は、
「"うんこが出そうになったので" という文面は、敢えて "うんこがしたくなったので" と言いたくなかったために使用しました。というのも、うんこというものは、自分がこうしたい・ああしたいという構図を思い描いた上で実行する行為であるとは必ずしも思っておりません。
うんこは自動処理ですねん、と私は思っております。
自動処理の代表的なものに自動車がありますが、あれは私から言わせてもらいますと、自動車ではありません。というのも、あれは人間が乗らないと動かないからです。
同じく自動販売機も自動であるとは言いがたく、人間がボタンを押して初めて動いてくれうる文明の利器です。
しかし、うんこは違います。
人間が発射ボタンを永遠に押さないとしても、放っておいたら自動で発射されます。心無い人はこれを ”漏らす” というような差別的表現で蔑視されておいででしょうが、これは自動車や自動販売機よりも優れた自動性がある故なのであります。
むしろ、うんここそが ”自動射” であり ”自動飯黴菌” なのであります。
なので結論から申しますと、結論から申してませんが、”うんこがしたくなったので” という表現はうんこに踊らされていると言っても過言ではなく、私は絶対にそういうのは嫌であります。そんなこんなで、”うんこがしたくなったので” ではなく、 ”うんこが出そうになったので” とさせて頂きました。大統領、私の言いたいことは以上ですが、何か質問がある人は手を挙げて下さい」
トイレを見つけ出した時にはもう遅く、俺は普通にうんこを漏らしていた。今思えるのは俺が日本人であり、アメリカ人ではなくて良かったということぐらいだろうか。何故ならこんな時アメリカ人は「オーマイゴッド」というつまらん駄洒落を吐くからだ。
とりあえず、俺はうんこを出すためではなく、漏らしたうんこを処理するためにトイレに寄ることにした。
トイレの外観はいかにも臭そうな風貌をしていたのだが、今の俺の方が臭いという事実からか、瞬間的臭さでは誰にも負けないという自信があったので、力強い足踏みとトルコ行進曲の口笛と共に忍び足で入ったり出たりを繰り返したのち、やがて入っていった。
トイレの中に入ると小便器と大便器が一個ずつある。入口が1つしかないことを考えると、どうやら男女兼用のようだ。田舎の奴らは何て卑猥なんだと思いながら、ふと便所の壁に目をやった。
薄黒く汚くなった壁には「ちんちん」やら「きんたま」やら、ファックポーズをとる美少年の漫画に「俺は包茎」の吹き出しが付いたものやら、挙句の果てには携帯電話の番号入りで「田中友之すぐやらせる」という文言の落書きが書かれていなかった。
俺は、うんことうんこが付いてしまったパンツやTシャツやグラサンを便器に捨て、紙でけつを拭こうとしたが不幸にも紙がなかったので、「オーマイゴッド」と駄洒落をわざとらしく言ってみせ、壁にけつをなすりつけてからトイレを出たが、ふつふつと湧き上がる怒りはおさまらず、「くそー!!」と叫びながら全速力で走り出した。