20160228 伝染する怪異(ゴリラやばい) ホラー 2,000字超
各章の主人公達が殺されていくだけで、何も謎が解き明かされないホラー漫画があった。
作中の主人公はある漫画を読み、理由の無い不安に襲われるようになり、落ち着かない日々を過ごす。後日、夜中に帰宅すると部屋に何か(姿形は人によってさまざまである)がいて、主人公はぐちゃぐちゃに殺されてしまうのだ。
ぼくは古本屋で手に入れたその漫画をおもしろく読んだのだが、読み終えた直後から、漫画の主人公達のように理由の無い不安を覚えてしまった。
霊感に縁のないぼくは「漫画に影響されただけのヒステリーみたいなものだ」と分析した。それでも不安は解消されず、ぼくはインターネットでその漫画の評判を調べることにした。
漫画の紹介やレビューはそれなりにあった。それぞれは平凡な内容だったのだが、どこか違和感があったため、ぼくは改めて情報を熟読した。
違和感の正体は読者のレビューであった。
レビューの内容は、物語の構成や描写技術についての評価ばかりで、読者の得た『感覚』が語られていないのだ。ホラー作品のレビューに、怖いか怖くないかすら書かれないなど、あり得るのだろうか。
まるで何者かが検閲を行っているかのように無機質なそれらは、ぼくの不安を助長するばかりであった。
ある夜、帰宅の道を歩んでいたぼくは、近くをついてくる何かに気付いた。
――コイツだ、殺される!
ぼくは直感的に、自分はあの漫画の登場人物達のようにぐちゃぐちゃにされてしまうのだと確信した。危険を感じたぼくはすぐに逃げ出した。
走って逃げているぼくを、西洋の騎士風なソイツは歩いて追いかけてくる。ソイツは悠々と歩いているのに、全力で走るぼくとの距離は縮まっていく。
逃げられない。この夢は終わりにしよう。ぼくはそう判断した。いつも夢から逃げ出すときにするような方法で目をこじ開けた。
目覚めたぼくは、夜遅く歩くのはぐちゃぐちゃへの第一歩らしいと結論した。
今回は逃げられたが、ぼくはまだ怪奇の中にいる。
ある日の夕方、ぼくはコンビニにいた。
焼肉弁当を買ったぼくのそばで、女性が「雨や、最悪、間に合わん!」と絶望顔で嘆いた。
店のガラス扉越しに外を確かめると、雨はじゃあじゃあと降り、景色は冷たく陰っていた。
ぼくは雨の影響を考えた。彼女はバスで帰るつもりでいて、予想外の雨のせいでバスが遅れて帰宅が間に合わないと言っているのだ。
彼女はあの漫画を読み、それなりの対処をして生き延びている人だと分かった。
彼女は気を取り直してコンビニのバックヤードに入っていった。時間通り自宅に戻る以外の逃げ方も心得ているようだ。
ぼくはそんな方法は心得ていないため、とにかく早く帰宅するしかない。彼女に話を聞くのは後日にするとして、ぼくは店の外へ駆け出した。
ぼくは焼肉弁当を手に、雨に打たれながら自宅へと走った。頑張れば間に合う気がした。
ある地点で、信号が赤になった。ここは赤になると長い。しかも横切る車が多くて、信号無視も難しい。青になるのを待つ気は毛頭なく、ぼくは車列が途切れるのを待った。
途切れたときに限って、パトカーが向かってくる。信号無視を咎められるのは避けたいので、このチャンスは見送ることとした。
二度目のパトカーの後ろで車列が途切れていた。もう待ちきれない。パトカーが目の前を通り過ぎた直後、しとどに濡れたぼくを憐れんでくれるよう祈りながら、赤信号を渡った。
ぼくは風情のある木造の古本屋に入った。
間に合った。店の奥の階段を上がり二階に出れば、そこに並ぶ扉の内の一つが自宅である。
階段を上る手前、あの漫画が床に落ちていた。すぐに拾って、あとがきやら奥付やらを眺めるが、ぼくにとって価値のある記述は認められなかった。
ブラウン管のテレビの画面で、コメディアンばりに表情の豊かな男性キャスターが何か言っていた。
二階へ上がり、ようやく自宅へ帰り着いた。そこで、ぼくは間に合っていなかったのだと分かった。
玄関から臨める古い六畳間に、黒い毛むくじゃらの大きな何かが三体、腰を下ろしていた。ゴリラに似た見た目のそれらは、ぼくをぐちゃぐちゃに殺す者だ。一階で無駄な時間を使ったのを後悔した。
ぼくは大急ぎで夢から醒めることにした。いつもの方法では時間がかかりすぎる。
三体もいるんだ、走って逃げて時間を稼ぐこともできないし、目覚めるまでに重い打撃を何発くらうか分からない。
ぼくは彼らを刺激しないよう後ずさりをしつつ、寝ている身体を起こそうとした。
のそのそと立ち上がるゴリラを見て焦りが湧くけれど、目覚めに近付いている手応えはあった。
眠っている身体を意思の力で動かすのは難しく、鋳型にすっぽりはまっているみたいに全身の感覚は固い。だが僅かでも身体を動かせれば、鋳型は加速度的に溶けていく。
幸運なことに、ゴリラから一発も食らわない内に、ぼくは夢の世界から逃げおおせた。
ぼくの片手はベッドの転落防止のパイプを掴んでいた。パイプの冷たさが覚醒を手助けしたのだ。
枕元のスマートフォンによると、午前の五時五十分であった。
ちなみに西洋の騎士風の敵から逃げようと目を覚ました場面については曖昧である。
夢の中で夢から醒めたつもりになっていたのか、現実で目を覚ましたけど直後にまた寝たのか。
現実に戻れたぼくは「うっひょー! いまの夢、忘れない内にメモしよー!」とはしゃぎ、メモ帳のアプリを開く前に眠気が再来し、あっさり眠ってしまった。
そのあとに見た夢では、かわいい女の子達と海の家のような避暑地のような所でたわむれて鼻の下を伸ばしていた気がするが、詳細は忘れてしまった。非常に悔しい。