Episode1-1 boy met girl
目の前を舞う桃色の花弁。といっても桜吹雪と言えるほどまではあらず、単身で風の流れに乗って何処かへと向かう。
その行き先は何処なのか。
水溜りの上? 道路の上? 土の上?
その答えを知る術はない。
それは人の同じ。
人がその未来など、予測できるはずもないのだ。できていたらこの世から事故というものが消えていくだろう。予測ができる=事故が消滅するではないが、その数は激減するはずだ。
風に揉まれて視界から消え去った花弁。それを認識するのにそう時間は掛からなかった。
それはかつての自分によく似ていたから。
無垢なる自分。あのころの自分はもう既に記憶の彼方で埋もれ、そして消えた。自分にとって既に捨てた記憶であったことだからどうでもいいというわけではないが、気に留める程度のことではない。
桜並木に囲まれた大きな河川。多少強い風が吹いたところで、漫画やアニメなどでよく見かけられる桜吹雪のような描写は視界に映らない。視界に映るのは何枚かが河川の表面に見事な着地を見せる姿である。
多少肌寒い中で咲き乱れる桜は、その下で川を眺める少年に何を訴えているかは分からない。少年はそれを読み取ろうともしない。先人はそのような光景をよく短歌や俳諧にして詠っていたが、現代の発達した科学に侵されきった少年の脳では理解し難いものであった。
桜の下で川を眺める少年は何物にも染まらぬ色をした黒、その瞳は何か遠くのものを見ている、深海のような黒い青。そして制服に包まれたその体は整った形をしている。
今日は桜吹雪が舞いそうで笑ってしまいそうな天気の下で、その少年、逆位蓮架が通う私立若川学園の入学式が行われようとしている。
私立若川学園は魔法使者育成機関としては国内でも有数の実力校であり、毎年強力な魔者を輩出している。そのためこの学園には普通科はなく、『魔法使者専攻科』しか設けられていない。
そんなところへいきなり放り込まれても気分が沈むだけである。
「……くっそぉ……憂鬱だ……」
若川学園への突然の入学通告に蓮架は様々な準備に追われる。ということもなく、すべてグレースに用意されていた。どうやらかなり以前から学園に入学させる気であったらしく、用意は周到であった。学園近くのアパートは既に契約済みで、管理人に問い合わせるとなんと一年も前から契約が結んであったそうだ。その部屋には彼が身に包んでいる制服も含め、各二着ずつ。加えて教科書類もすべて揃っているという有様であった。
(あの女……12年間も一緒にいるが、行動パターンがイマイチ読めない……)
蓮架は憂鬱からくる溜息を再び吐き、視界から河川を消す。
「まぁ折角だし、学園ライフでも楽しみますか」
蓮架は気休めの言葉を吐き捨て、時間が迫る若川学園の入学式へ向かうのだった。
――――
校門を抜けると、そこには蓮架と同じような服に身を包んだ新入生がひしめき合っていた。だが、そのひしめき合いようは蓮伽がテレビなどで見たことがあるような静かなもの(通常でもかなり騒がれているが)ではなく、もうお祭り騒ぎと言ってもいい。
何でも今年は『嵐』の特化一族『颯崎家』の長女が入学することになっているらしく、玄関で新入生を迎える教師陣の顔は少々緊張しているように見える。
特化一族とは、魔法の属性における『特化属性魔法』、颯崎家の場合は『嵐』のみしか発現しない一族のことである。そしてその特化属性魔法とは基本属性魔法の進化版のようなものだ。
そもそも基本属性は炎、水、雷、風、土、光、闇、無という6つの属性が存在するもので、その威力は様々。強力な物から弱力なものまであるが、これは努力さえすれば魔者ならば誰でも習得が可能な魔法。この基本属性が使えない状態での特化属性魔法の行使は魔法学的にあり合えないとされ、すべての魔法教育機関では、まずこの基本属性を意のままに使えるようにする。若川学園の入学試験には魔法実技試験もあるため、入学してくる者はある程度は使えるのだろう。でなければこの学園には入学できない。結論から言えば、基本属性魔法はすべての魔法の基盤。勉強でいえば小学校、中学校の内容といったところか。
そして特化属性魔法は、烈火、水流、氷、迅雷、嵐、裂空、塊土、極光、漆黒から構成される属性魔法であり、基本属性魔法の強化版。強力な魔法が多く、その中には惑星級魔法も存在する。これは勉強でいえば高校レベル以上。
魔法はそれを発動する際に空気中に存在するある粒子を介して発動する。そしてその粒子は『paseps』と呼ばれる。しかしこれだけでは魔法は発動しない。発動するためにはそのプロッセプスに術式が絡むことで初めて魔法として具現化される。
そしてその魔法の発動に必要なプロッセプスの質量別に分類がなされ、その最上位に位置するものが惑星級魔法である。
その下は最重量級、その下は重量級、中量級、軽量級なっている。
惑星級魔法はそれ自体が希少な存在で、現在はその数が9つ確認されている。その9人の魔法使者を持つ国が世界情勢の舵を取る存在となっている。今日、日本では1人のみ確認されている。
そして基本属性魔法と特化属性魔法の最大の違いは、『数』か『質』か。
基本属性魔法はお互いが衝突するとその効力を殺し合い、どれだけ強力な魔法を撃とうとも弱い魔法を大量に放たれれば消える。
対して特化属性魔法はその多くが中量級以上であり、それが一つ放たれれば数では敵わない。同じ威力またはそれを上回る威力を持つ魔法をぶつけない限り消えることはない。たとえ同じ威力の特化属性魔法をぶつけたとしてもその魔法の効力が短ければ破られる。それに対抗する手段は対魔法術式、俗に言われる『魔法障壁』か、その魔法を避けるしかない。
今年度は嵐の特化一族、颯崎家の長女が入学するということでただならぬ緊張が漂っていた。
「特化一族がそこまで珍しいもんかねぇ……」
不意に零れた台詞。その台詞は視線を吸い寄せる。もちろん、違う意味で。
(なんだ? 俺が悪いのか?)
蓮架はその視線を苦々しく思いながら溜息を漏らす。これではまるでアイドルのクラブハウスに間違って入ってしまったような気分だ。蓮架はその視線から逃げるように玄関へ参列する。
「……ったく、何なんだ……」
蓮架は腐ったように文句を吐きながら長々しい列を見遣る。その長さに苦笑するとともに肩を落とす。肩に提げているカバンが異常に重く感じ、一刻の時が長く感じた。
そんな彼の鼓膜は不意に震える。
「……どうかしたの?」
高めの女子生徒の声。誰もが聞けばすぐにわかるほどにまで特徴的な声色。そしてその声からはやんちゃと感じられずにはいられない。
蓮架はその声が下方向へ視線を曲げる。
そこには、彼が見てきた中では1、2を争う美貌を持った女子生徒。
可愛い、と言う表現でも合っていないわけではないが、どちらかといえば綺麗、凛々しいという言葉の方が良く似合う。
朝の太陽の光を反射して黒く映える長髪。その腰にまで伸びた髪は良いシャンプーでも使っているのか、多くの人を魅了するような雰囲気を放つ。
そして美しく整った顔。日本中を探してもこれほど美しい人はいないんじゃないかと思わせるほどの顔。大きく、透き通るような白をした目にツンと上がった鼻。
加えていい具合に膨らんだ胸。それに答えるように引き締まった体。蓮より少し小さめの身長。
まぎれもない美人であった。
その美人な女子生徒の質問に蓮架は回答する。
「いや、何もない。ただ」
「ただ?」
「『特化一族』が入学するだけでこんな騒ぎになるのかってな」
「そうよね、ほんっと馬鹿らしい」
そうだよな、と蓮架は付け加える。どうやら彼女も蓮架と同じ考えであるらしい。蓮架は自分と同じ考えを持った人物がいたことに安堵の息を漏らす。
今の蓮架とその女子生徒は校舎の玄関前に並んでおり、蓮架が彼女の後ろに並ぶと言う構図になっている。あれから彼女と他愛のない話を交わしている間に数分ほどの時間が経過し、その間にも長々しい列は消化されつつある。
「あんたはなんでこの学園に?」
「ああ。強制的に……」
「は?」
「いやいやいや、普通に試験を受けてだな……」
蓮架はばつが悪そうに答える。その証拠として彼女から視線を逸らしている。
だが彼女はそれに気付いている様子はない。どうやら彼女は鈍い性格であるようだ。
「そう……なの?」
やはり違和感があったらしい。語尾が疑問形になっている。
「そういえば自己紹介がまだよね」
「そういや……そうだったな」
蓮架は今頃か、と彼女の行動に訝しい思いを抱きながら隙間の空いた列を埋める。
「私は颯崎友香」
「俺は逆位蓮架だ」
彼女は首を傾けつつ、微笑みながら話す。しかし蓮架は胸に残る違和感を拭いきれずにいた。その違和感を自覚した時、彼は背中に冷たい物が流れた気がした。
「……ちょっと待て」
「なによ?」
「颯崎ってまさか……」
「は?」
「今年入学の『特化一族』って……!」
蓮架は顔から血の気が引いていく感覚にとらわれながら苦笑いを浮かべるしかなかった。
この後、蓮架が彼女に謝罪をしたことは言うまでもない。
――――
蓮架にとって不意打ちを言うべき友香の自己紹介に少々気分を乱しながら(原因が彼女にあるわけではない)、蓮伽は体育館兼講堂に向かった。講堂は校舎前の玄関から然程遠くない……と言えば嘘になる。彼からしてみればかなりというのも大げさだが、遠い。そのような場所まで移動となったら休憩時間中に行けるのか、と疑いたくなるほどだ。少なくともその半分は移動で消化されてしまうだろう。その人の意欲にもよるが。
という校内の地図を見上げ、彼は重々しい足取りを向ける。
「まさか、愚痴を零した内容の当事者と出くわすとは……」
憂鬱だぁ、と唸りつつも彼は傍にあった時計を見上げた。移動している最中にこれで時間を確認しろということか、と思いつつ時刻を確認。
多くの学校にデジタル式の時計が普及している中、この学校は未だにアナログ式。1秒ごとにリズムを刻む秒針の硬い音が非常に趣深い。
そう感じた午前8時48分。
入学式は午前9時30分から。
距離的には、その時計の根本にあるベンチに座っていても、9時から動けばお釣りが出るほど時間が余る。
蓮架はそのベンチに腰掛けて携帯端末を取り出す。30年ほど前から普及し始めたスマートフォンはその形を変えつつも、そのシステム、使い方は左程変わっていない。
蓮架は画面をスクロールさせ、書籍アプリを起動させる。本来ならばインターネットの書籍サイトで面白い小説、ついでに漫画を掘り出すのだが、このような公共の場では職員室などの一部の教室を除いてインターネットが使用できないようになっている。オフラインのゲームをすればいいのだが、彼には生憎その趣味がない。故に彼は小説を読み漁る(漫画はあくまでもついで、である)。
彼はその書籍アプリから読みつくした小説を引っ張り出し、画面に表示させる。大量に出現したその文字列は吸い寄せられるように彼の眼球から脳味噌に送られていく。まぁ、読みつくしているのだから次に来る文章は大よそは見当がつくのだが。
そのようなことで暇を潰し、視線が再び時計へ。
時刻は午前8時55分。然程時間を潰せたわけではなかった。
彼はそんな落胆じみた気持ちを抱きながら溜息をつく。
向かう先は講堂か。入学式をサボって家か。
前者しかないな、と早い結論に至る。後者を選べば確実にグレースに殺されると分かった上での判断だ。
そんな中で彼の耳は音を認識する。
「そんなところで何してんだい?」
友香の声よりも半音ほど低い音階。だがその声も女性独特の声色を持ち、 それが鼓膜をくすぶり、視線を携帯端末から逸らさせる。
そこで彼の目に入った女子生徒は友香にも引けを取らないと思える美人。やや茶色掛かった髪は後頭部で纏められてポニーテールとなっている。その長さから解いた時の長さはセミロングくらいかと無駄な思考に脳の一部を使いつつ、何気なく周囲を見渡す。そして今日はやたら女子とのエンカウント率が高いなと思いながら携帯端末をポケットの中へ放る。
「いやこのままじゃ、あっちに着いてもかなりの時間が暇だと思ったからな。ここで暇つぶしだよ」
「ふーん……そうなんだ」
その女子生徒は何もない空に目を向けながら何かを考え込んだような表情を蓮伽に見せる。
「じゃあ、体育館までご一緒しないかい? ここで会ったのも何かの縁だし」
「俺は別にいいけど」
「決まりだね」
その女子生徒はえらく上機嫌そうな口調で言った。彼女は間違いなくここで会ったのが最初のはずだ。上機嫌にある理由が分からずにいた蓮架は、いつの間にか視線を地面に落としていた。
「どかしたの?」
「あ、いや、特に何もないよ」
蓮架は視線を戻し、女子生徒にさきほどまでの表情を見せる。女子生徒は口元を緩め、ゆっくりと踵を返す。つまり今から行くよ、だろう。これくらいは普通に生活していても分かる。魔法などは関係ない。
「そういや、自己紹介まだだったよね?」
不意にその身を戻した彼女は、そんな質問を彼に投げかける。そういえば、と思いながら彼は自然と瞬きの回数が増える。彼女が話の主導権を握っていた所為で訊くタイミングが見つからなかった。彼にとってはどうでもいい情報ではあるが。
「その台詞、前にも聞いた気がするぞ?」
「私は霧島真那。あなたは?」
口から出た台詞が軽く流された気がしたのは彼だけなのだろうか。そこらはあまり深く詮索しない方がいいなと判断しつつ、彼は彼女の言葉に返す。
「俺は逆位蓮架。よろしく」
「蓮君ね。よろしく!」
いきなり名前の一部が剥奪されたが、グレースも時々このように呼ぶので特に腹が立ったりはしない。そうはいっても、その時は彼女の気が緩んでいるときであるが。
「あ、ああ。よろしく」
蓮架が半ば彼女のペースに乗せられて行かれることを自覚しながら、彼はそれについて考えようとはしなかった。いや、できなかったと言い替える方が適切だ。
なぜなら、彼はそんなことよりも耳をくすぐった言葉をキャッチした故だからだ。
『聞いた? 今年の新入生総代の話』
『聞いた、聞いた。『特化一族』が成績一番だったくせに総代をしないんでしょ?』
『面倒くさいからやりませぇん……ってやつ?』
『まじ生意気よね』
『仕方ないんじゃない? 権力と力はあるんだし』
蓮架はその会話が、どこか心に引っかかるものを残していきながら通過していくのを自覚する。
それはその会話の内容そのままの意味ゆえか。
違う、と否定する自分がどこかにいることが分かりながらも、それを肯定せずに、
「……俺には関係ないか」
講堂へ向かった。
そんな彼の呟きを、似合いそうもない訝しい表情で聞いた真那であった。
――――
まさに退屈の一言。
大戦以前から変わらぬパイプ椅子は長時間座っている尻の筋肉に負荷をかけ、鈍い痛みを覚えさせる。
蓮架は終わりを告げた入学式を名残惜しいとも思わず講堂から出た。
入学式の時、確かに総代は嵐の『特化一族』の者ではなかった。というか、日本人ですらなかった。
第二次東西冷戦の真っ最中である今。そのため、他国の教育機関で卒業することは非常に困難なことであり、国としては一つでも多くの戦力がほしい、というところが各国の正直な思いだ。戦争が起これば、他国にいるその国の人は人質をされることもあるし、果ては徴兵されることだってあり得る。
故に今年の新入生総代の生徒は事実的には日本人だろうが、精神的には外国人、といったところだろう。まぁ、見るからに同盟国、アメリカの人なので、そのような行為は為されないだろうが。
蓮架は眩しい日差しの洗礼を受けながら講堂から出る。
今年の新入生の読み上げを聞く限り、『特化一族』は『颯崎家』、つまり友香しか確認できなかった。
すると、あの時の生徒が言っていたことが正しければ、彼女が入学テストの首席ということになる。然るに、彼女が総代を務めることとなる。
彼女が断ったとなれば話は別だが、何故だろうか。
蓮架は考えれば考えるほど意味のない疑問ばかりが溢れ出てくる感覚に胸苦しい感じを覚えて思考を停止させた。
「なんか面倒なことでもあんのかねぇ……」
蓮架は思わず溜息をつき、玄関へ向かった。そうしなければ無限に湧き上がってくる胸苦しい感覚に押しつぶされると直感的に思ったからだった。
――――
玄関には既に所属するクラスが貼り付けてあった。恐らく入学式に出ていなかった生徒会役員などが貼り付けていたのだろう。その手際の良さは恐らく日本でしか見られないだろう。アメリカはともかく、発展途上国では見られない、と自分の経験に探りを入れる。
蓮架は他人にあげたいほどにまで余った時間の中で、呆けたようにクラス発表の紙を見上げる。そのクラス発表では例の颯崎友香は1年D組。入学試験の結果によってクラス分けがなされるなどのようなことはないようであった。因みに蓮架も彼女と同じD組。
「……面倒なことさえなければ何組でもいいんだけどなぁ」
「全くだ。早く十分な魔法を使えるようになりたいぜ」
「そうか、そうか……って」
蓮架は一息置き、いつの間にか出現していた隣人に視線を伸ばす。
「あんた、誰だ?」
「あ? ああ、俺か」
その隣人は蓮架へ笑みを浮かべながら、元気そうな声で名のる。その声は蓮伽よりもやや高めだが、声色は太い。
「俺は長澤和人だ。お前は?」
「俺は逆位蓮架。1年D組」
「おお! 俺と同じだな!」
そこらへんはどうでもいいが、と内心で加えながら蓮架は和人のパワフルさに苦笑いを浮かべる。和人は見るからに体育会系らしき体つきをしている。それに伴って声も元気そうなものになったのかとどうでもいい疑問が湧き出る。
「これから3年間、よろしくな!」
「ああ。同じクラスになるわけだしな」
知り合いがいるに越したことはない、と脳内で納得させて差し出された手を握り返す。やはり体育会系かと再認識させるほど彼の手の握力は強く、鈍い痛みが掌に走る。この程度の痛みに慣れきっている蓮架にとってはそれほど脳に残るものでもなかったが。
「……驚いたな。初めて握手した奴の大抵が悲鳴を上げるんだけどよ」
「そうなのか?」
蓮架は口中に苦い唾が流れ出た感覚に捉われ、顔からにじみ出た汗を隠そうと表情を平常なものに保つ。
――アレを知られるわけにはいかない――
蓮架は握っていた手の力を抜き、和人に促す。彼はそれに気付いたのか、握手していた手をゆっくりと放す。
「……なぁ」
「なんだ……?」
和人は妙に真剣な眼差しを蓮に向ける。その眼差しはまるで獲物を見つめる獅子の如く、鋭かった。蓮架はそのピリピリした感触を肌で直接感じながら眉間に皺を寄せる。
「お前ってさ……」
蓮架は思わす息を呑む。
来るのは果たして『秘密』にまつわることか否か。
蓮架は脳をフル回転させてどのような質疑が来ても応答できるように様々な回答を準備する。
その様子は敵に捕まった捕虜の如く。
その視線は歴戦の戦士の如し。
そして和人は頬に皺を作り、まるで獅子の咆哮のように言い放った。
「好きな子とかいるのかぁぁああ!!?」
「はぁぁぁぁああああ!!?」
蓮架の努力は虚しく空に舞った。
その後、彼が和人を一発殴ったことは当事者たち以外知らないことだ。
――――
蓮架は腹を押さえながらついてくる和人を横目に、D組の教室に足を踏み入れた。まだほとんどの生徒は講堂かその周囲にいるようで教室にいた生徒は数えられるほどしかいない。朝の日光が差し込む教室はややひんやりとし、新たな生活を祝福しているかのようであった。
「シリアスな空気で訊いてすまんって。でもそれくらい重要なことだろ?」
「……くそどうでもいいことだった……」
「ええ!? お前はそっち系の趣味がおありごぶふぁ!!」
「すまん、よく聞こえなかったが」
とりあえず蓮架は和人の腹部に追撃を加え、黙らせておく。新学期早々から悪いイメージが定着など最悪以外の何物でもない。これから3年間そのような目で見られるなど彼には耐えがたいものであった。それはもう退学届を出してしまいそうなこと。
蓮架は呻きを上げる和人を横目に、黒板に提示してある座席表に目を遣った。その座席表によると、男女混合であり、1クラス30名。彼は6列あるうちの廊下側から3番目の席であり、その後ろから2番目であった。
「どうせなら1番後ろが良かったな……いまさら言っても仕方ないか」
蓮架はそのままその席へ向かう。さっさと座って本でも読もうか、と思考を探らせ椅子に手をかける。椅子を引くと大戦前から変わらぬ曇った材木が掠れあう音が響く。その音に後ろの席に座る人物が反応したようだったが、彼の視界にその様子は映らない。
「あれ? 逆位もこのクラスだったの?」
玄関前で聞いた声が再び鼓膜を振動させる。その振動の具合は前と同様で、特徴的な女子の高い声。
「ああ。そういや、おま……颯崎さんも同じか」
「そのようね」
その声の所有者、友香は今時珍しい紙の本をゆっくり閉じる。その本はどこかの図書館にしか置いてなさそうなほど分厚く、入学式の日に読むようなものではない。その本を無駄のない動作で机の脇の手提げに入れる。
蓮架はその本が相当の年季が入っていると見えた。何度も読み返しているだけだと割り切れず、暫し見入っていた。だが、彼女が怪訝そうな顔で自分を見ていることに気付き、慌てて視線を元に戻す。
「あんたの席って、そこ?」
「……ああ。というか、黒板見りゃわかるだろ」
「そうだったわね」
彼女は少し笑みを漏らしつつ、口に指をあてる。その行動に何の意味も含まないことを蓮伽は感じ取る。
「何故笑う?」
「ただの戯れよ」
「? そうか」
蓮架は彼女の行動に訝しい念を抱き、内心で首を傾げた。その時は何事も感じずに流し気味だったが、彼は胸の内で何かが引っかかる感覚があることに気付く。
だが今はそれを考える時ではない。あまり深く詮索しない方がいいだろうと結論付けて再び意識を彼女へ戻す。
「ところで、あんたのFDRは何なのよ?」
蓮架はその質問に思わず冷や汗が噴き出た感覚を覚えた。
魔法の定義を定着させ、それを放出する物体(The Object which It Fixes a Definition of magic,and Releases magic)。略してFDR。
本当の名称はOFDR。だがこれだと言いずらい所為か、この名称で呼ぶのは教師か専門家ぐらいしかいないほど廃れている。
歴史を探って言えば、魔女が使ったとされる箒が今で言うFDR。これは各々が持つ魔法の定義(超霊的現象)を現象として具現化するさいに使用するものであり、これなしでは体が放出する反動に耐えきれずに、最悪の場合は死に至る。
これは各々で種類が違い、魔法使者になるためにはまずこれを探すところから始まる。言ってしまえば『運』。これを発見するという賭けに勝たなければ魔法使者には決してなれない。
だがその多くはその者の性格を形成することに深く関わった物。だからそれを片っ端から探っていけばFDR発見、晴れて『魔法使者』の仲間入りというわけだ。
だが、そこら辺の心配は特化一族には関係ない。特化一族は様々なことに特化しているためから『特化』が付いている。一族によってFDRは違うが、その家の中では皆同じFDRを所持している。
蓮架は自分のFDRをカバンから取り出し、彼女に見せる。
「……俺はオートマチック式の拳銃だな。なんでこれなのかは知らんが」
蓮架は彼女の家がどのようなFDRを使っているか知っている。公にはされないが、『特化一族』に関することは風の噂によって全国に広まっているのは周知のことだ。
だが彼女の回答は、確信を持った彼の回答とは違った。
「私と同じね。私も拳銃よ」
蓮架を思わず息を呑む。
颯崎家と言えば『扇』のFDRを使いことで全国に知れ渡っている。それも何十年も前から。いくらそれが間違っていたからと言ってそれほどの月日の間に是正されるはず。それも通信技術が異常なほど発達した現代。是正されるのにそれほどの時間がかかるとも思えない。
蓮架は彼女を怪訝な眼差しを向けた。だが、彼女はそれに気付かずに話を続ける。
「何故か、家の中で私だけなのよね……」
彼女が寂しそうに放ったその言葉は、彼が脳内に浮かばせていた疑問を確信へと変えた。
刹那、蓮架は彼女が自分と似ているかもしれないと思ってしまった。
読んでいただき、ありがとうございます。
誤字、脱字などがありましたら指摘していただけるととても嬉しいです。