二十一話目:一輪さんの接客業務MKⅡ
※前回のあらすじ
死体回収業"地獄猫又本舗"を名乗る燐が寺に来襲。
猫の本能全開でナズーリンに襲いかかった燐だが、これは星が阻止。
そんなところに、一輪と水蜜が帰って来た。
(全部二十話目参照)
「お茶、どうする? 猫舌って言葉があるけど、やっぱりぬるくした方がいいかしら」
「お気づかいなく。怨霊喰らいのあたいにとっちゃ、お茶はみんな冷茶みたいなもんですよ」
場は応接室に戻り、おおよそ全てがリセットされた。
細かい違いを列挙すると、まずお燐曰く"虎の旦那"こと星がいることが1つ。
その星の後ろに隠れるようにナズーリンがいることがもう1つといったところだろうか。
「しーかしさー、不思議だよねー」
暑い夏だというのに額に汗を浮かべてまで熱めのお茶を注ぐ響子の横で、燐は頬杖をつきながら呟いた。
「あたいも今まで何匹の鼠を見たかなんて忘れちゃったけどさ、猫はNGで虎はOKって子は生まれてこの方初めてだよ」
「気高く聡明たるご主人様を君みたいな野蛮で獰猛で気まぐれで愛敬の欠片もない飢えた下等生物と一緒にするな」
「いやいや愛敬はいつでもマックスのつもりなんだけどな」
そう言いながら燐はナズーリンを悪戯に睨んでみせると、途端にナズーリンは怖気づいて星の後ろに隠れてしまった。
最近は鼠も虎の威を借る時代らしい。
「ナズーリン、無理せず部屋に戻っても良いですよ?」
小声で星がそう呼びかけるが、ナズーリンは首を横に振った。
「部屋の押し入れなんかよりご主人様の目の届く範囲の方が断然安全なのでここにいさせてもらいます」
普段とは打って変わって気弱な態度が目立つナズーリンだが、長年一緒にいる星からすれば特段驚くことでもなかった。
所謂『ああ、またか』程度のことである。ナズーリンの前に猫(例え子猫であろうとも)が現れた際の反応は決まってこれだ。
むしろ他人に弱みを見せない彼女の性格から、白蓮復活に伴い共同生活メンバーが増え、さらに響子という後輩ができたことで何か変わったかと思ったが、ご覧の有様である。
本人が『生理的に無理』と言い張るものを今更どうしようとも思わないが。
一方で、そんな風に自分を見て怖気づく鼠の姿を見て満足げの燐。星に多少勢いをそがれた分も取り戻し、
「で、まあそんなことは後に置いておくとしてですね。そろそろビジネスライクな話に進みたいわけなんですよ」
と、白蓮にむかって切り出した。
「お仕事っていうと、死体のこと?」
「そう! 私が愛してやまない死体のお話! で、で、で、ですね、是非とも1つ2つ頂戴したいわけなんですよ」
燐の言葉を受けると、白蓮は腕を組み、天井を見上げながら困ってしまった。
無下に断るような真似はしたくないが、だからと言って裏の墓地にある死体を譲渡するのも好ましくない。
そもそも命蓮寺が建つ前から墓地だった場所で、埋葬されている死体その全てが『命蓮寺で葬儀を行ったわけではない者の亡骸』なのである。
それに、仮に命蓮寺で葬儀を行った者だとしても、本人の許可なしに墓暴きの許可を出すということには強い抵抗がある。
『私の死体は好きな時に掘り起こして良いです』という意思表示が欲しいくらいだ。
「申し訳ないけど、頂戴したいと言われても、ちょっと難しいわねぇ」
「えー、そんなぁ」
燐は酷く落胆し、それを示すかのようにトレードマークの猫耳がへにょりと垂れた。
「まったくもう、尼さんはみんなガードが固くて困ります」
「あら、貴方、うち以外のお寺もまわってるの?」
白蓮に尋ねられると、燐は手を振って否定しながら、
「いやいや、お寺に来たのはこれが初めてなんですが、ちょっと前まで尼さんに知り合いがいましてね」
と、暗記が苦手な猫頭をフル稼働させて何とか記憶を手繰り寄せようと頑張った。
「"地獄で仏に会ったよう"とはよく言いますが、地獄跡地でああも熱心に仏道を信仰しているのはあの人くらいじゃないんでしょうかね。まあ、それも今年の春先に"昔の恩人を助けるんだ"と言って、空飛ぶ船で出てっちゃったんですけどね。今はどこで何をしているのやら」
その話を聞いて、今まで黙って話を聞いていた響子は『あれ? もしかして……』と思った。
『聞いたことがあるぞ』程度の話ではない。
"尼さん"、"空飛ぶ船"、"今年の春先"、"昔の恩人を助けに行く"というワードを並べられたら導かれる答えは1つ。
すなわち『白蓮復活を目的とした宝船異変』であり、今の燐の話に出てきた"尼さん"というのは間違いなく一輪のことであろう。
何故燐が一輪達の事を知っているのかと言われれば首をかしげる次第だが、その一点さえ除けば概ね筋が通る。
そう考えると、いてもたってもいられなくなった響子。
「あのー、お燐さん。それってもしかして──」
と、聞いてみようとしたちょうどその時、
「ただいま帰りましたー」
玄関から聞こえた、おそらく話の中心にいるであろう一輪と水蜜の声。
普段なら元気よく『おかえりなさい』と返す響子も、今日はこの雰囲気に呑まれてなにも言えず。
一方、それが聞こえた燐は、響子から声をかけられていることも忘れて
「あー、そうそう、こんな感じの声だった気がするわ。もしかしたら本人だったりして、なんちゃってね」
と冗談交じりに笑った。明らかに本人だということに気づいていない。
そんなうちに、あろうことか本人達がこの部屋に来てしまった。
そして燐は、何気なく廊下の方に視線をやった時にようやく、ここまでやってきた一輪達2人の姿を視認したのであった。
途端に、軽い感じにけらけら笑っていた燐がピタッと止まった。
目を丸くしながら一輪と水蜜の顔を交互に見つめるだけの一時を経た後、ようやく
「……なんでここにいるの?」
と尋ねたのであった。
「それはこっちの台詞よ」
一輪にそう言い返された燐は、今度は反射的に反論に出た。
「いやいやあたいの台詞だよ! 春先に『恩人を助けに行くんだ』って言って地底から出てった癖に、 あの日の2人は情熱的でかっこよかったのに、なんでこんな所で道草食ってるのさ! 呆れた! 見損なった! 幻滅した! あの日の感動を返せ!」
「道草も何も、その"恩人"ってのはそこにいる聖のことなんだけどな」
燐の激しい口撃に、水蜜は苦笑しながら白蓮の方を指し示した。
「ほぇ?」
その事実に、燐は実に間の抜けた声を洩らしながら、白蓮の方を凝視した。
「そういうわけなのよ、本当に皆には感謝しているわ」
「ほへぇぇ、なんというか……、本当に偶然ってあるものなんですねぇ」
燐は腕を組んでしみじみ頷いた。
「ところで、村紗と一輪が長年地底に住んでいたことは聞いているのだけれど、ひょっとして貴方達3人は知り合いなのかしら」
白蓮が尋ねたことは、他の誰も聞かなかったこととは言え、その場の(当人達以外)全員が気になっていることであった。
何せ客人だと思っていた者が、実は身内と旧知の仲とあれば、それは気になるというものだ。
「そうですね、ちょっとややこしい話になりますが」
それには水蜜が答えた。
「お燐の主、正しくは飼い主って言った方が良いんでしょうが、その人が古明地さんと言いましてね。昔から何かとお世話になった、それこそ恩人みたいなものです」
「恩人だなんてとんでもない!」
相変わらず人に最後まで話させない燐、今回も割り込んだ。
「そんな"恩人"なんて堅苦しい言葉は誰も求めていませんよ。"友だち"くらいでちょうど良いんです、さとり様は"慢性的おともだち欠乏症"なんですから」
とんでもない持病があったものだ。
半ば話の腰を折られかけた水蜜だが、ここで止めるわけにもいかず、
「……えーと、まあ、そういうわけで"恩人"兼"友だち"を通じて、昔はわいわいやっていたもので。なのでもう顔なじみです」
と、とりあえずの結びを置いた。
それにしても、旧知の仲であう者を意図させずに会合させてしまうとは、偶然とは恐ろしい物である。
「あ、そうだ、良いこと閃いた」
燐はポンと手を打つと、一輪達の方に向き直った。
「実はお願いが──」
「却下」
一輪は即答した。
もっとも、まだ話の中身に触れていない以上"即答"という言葉では語弊があるかもしれないが。
「まだ何も言ってない!」
「言わなくても分かるわよ、どうせ死体欲しさに地上を駆け回り、うちの墓地を見つけたんでしょ。で、早速直談判に来たは良いが当然姐さんがそれを許すはずもなく、困っていたところで私達が帰ってきた。これはチャンスと、"旧知の仲であることに付け込んで"死体を持って帰るのを許してもらおうって寸法だったんでしょ。残念、許しません」
しれっとした態度で答えた一輪。
そして燐は開いた口がふさがらなかった、寸分たがわずその通りであったのだ。
「……なんで知ってるの? まさか尼さん、変装したさとり様だったりしないよね?」
「古明地さんじゃなくても、貴方の行動は短絡的だから三年くらいあれば行動パターンは全て掌握できるわ。このくらい予測できないとうちの連中を纏めるのはきついわよ」
「やだ、尼さん怖い、仏教怖い」
この時、燐の中で"寺"のイメージが『死体の集う餌場』から『猛者の集う魔窟』へと変貌した。
死体もあれば鼠もいる、だが虎もいるし尼がやたらハイレベル。勝てる気がしない。
「ちぇっ、分かりました。帰りますよ、今日は退散しますよ。"地獄で仏に会ったよう"とはよく言うけど、まさかお寺で地獄を見るとは思わなかったわ」
そうぶつぶつ呟きながら、燐は立ち上がった。
「ごめんなさいね、死体はあげられないけどお茶はいつでも出せるから、今度はぜひ貴方と主と一緒に来るといいわ」
白蓮ができる限りのアフターケアに尽力する一方で
「二度と来るな」
誰にも聞こえぬよう、ナズーリンがぼそっと吐き捨てた。
そして、肩を落としながら燐が部屋を出ようとしたとき、
「ちょっと待ったぁ!」
まさに正真正銘の不意打ち、燐の進路を塞いだのは、まさかの小傘であった。
今までどこにいたの、と聞きたくなるくらい立派なタイミングに、燐も思わずびっくり。
密かに"誰かを驚かす"という生き甲斐を達成した小傘だが、本当の狙いはそこではなく、燐に向かって謎の白い塊を勢いよく差し出した。
「お土産にどうぞ」
「何これ」
「洗顔用石鹸」
受け取ってみれば、どう見ても普通の石鹸だった。
「え、でもこの石鹸、どう見ても使いかけなんだけど」
「かまいません」
「いや『かまいません』って、あんたが気にしなくても、あたいにだって気にするかどうか選ぶ権利が──」
「かまいません」
「だからかまいませんって、いや、いいや。どうせかまわないし、せっかくだからお寺土産にこの石鹸もらっていくよ」
「石鹸じゃなくて洗顔用石鹸だからね」
「顔限定!?」
どうにかしてただの石鹸を押しつけたがる小傘を遠目に、
「あれ、うちの石鹸じゃないか。なんであんな奴にうちの物をやらなければならないんだ」
ナズーリンが口をとがらせて文句を言うと、
「まあまあ、手ぶらで帰すくらいなら、何か代わりのお土産を渡してあげても良いじゃないですか」
星がそんなナズーリンをなだめにかかった。
「そうよね。小傘の考えはとても良いと思うし、石鹸は予備もあるからあげても困らないけど、それにしてももっと良い物をあげた方が良かったかしら」
最終的に燐に無理やり石鹸を押しつけ(投げつけ)、逃走した小傘を眺めながら白蓮がそう述べると、
「いえ、私にはあの子が何を考えているのか分かりました。しかし、本人には申し訳ありませんが、ちょっと実りそうにありませんね」
そう言って星は軒下の向こうに見える雲1つない青空を眺めた。
※ ※ ※ ※ ※
命蓮寺参道。
響子は燐を見送るべく外まで出ていた。
「また来てくださいね、私も頑張ってみます」
「え、ああ、うん、また来るよ。『貴方のおそばに地獄猫又本舗』がキャッチコピーだから、何かあったら、例えば誰か死にそうになったら気軽に、医者を呼ぶ前に呼んでね」
「呼ぶとしても平和な時に呼ぶと思います」
そして、燐は猫車を押して足早かつ一直線に参道を駆けていった。
気を落としていた割には、帰るその足は軽快なものであった。
「……もう行っちゃった。速いなぁ」
あっというまに見えなくなった燐の行き先を眺めながら、響子はそう呟いた。
一方、人里手前まで駆けてきた燐。
里に入る手前で緩々と減速し、そして止まった。
「……ここまで来れば良いよね、うん」
そう言いながら猫車を押して180度旋回、再び命蓮寺の方を向く。
「ここまで来て、手ぶらで帰れるかっての」
正確には石鹸という手土産があるが、そんなの収穫のうちに入らない。
死体テイクアウトのお許しが出ないなら、盗むまでである。
いくら手の住人が墓を管理しているとは言え、いちいち墓を暴いて中に死体があるかどうか確かめる真似はしないだろう。
つまりうまく盗み出せれば、その犯行は永久にばれないのである。
ならば進むべき道は1つ、無断テイクアウト。
「問題ない、尼さんも船長さんも虎の旦那も大将さんも、みんなあたいが帰ったと思いこんでるはずだしね」
いったん寺と距離を置いたのもそのためである。
まさか帰ると断言した者が直後に引き返してきたとは誰も思うまい。
「ふっふっふ、我ながら完璧な作戦よ。よーし、待ってろ、あたいの死体ちゃん!」
そう叫ぶと猛アクセルで寺に向かって駆けだした。
今度は参道を通らない、回り込んで墓地へ一直線。
こうして寺の誰にも会う事もなく、燐は墓地に到着した。
見渡してみたが、誰かが見張っているという気配はない。
(よーし、来た! ノーマーク! これは勝った、あたいの勝ちだ!)
喜びの声をあげたいところだが、犯行中に大声を出す泥棒なんていない。
念には念をいれて、心中のみで叫びをあげると、早速死体の気配がないか辺りを探りだした。
(狙うは土葬死体。遺灰には用は無い。少しくらいの腐敗は多めに見るとしようっと)
幻想郷も日本の一部、火葬が主流なのは間違いない。だが、土葬がまったくないわけではない。
妖怪に襲われて死んだ者が、気の利かない者に亡骸を発見された場合、『面倒なので土葬』といった末路を辿るのである。
だが土葬死体は燐にとって格好の獲物。1つ見つけただけでも1ヶ月は満足感に浸っていられる。
(さーて、どこだどこだ? どこに……うん? この匂い、まさか……?)
だが、敏感な嗅覚が捕らえたのは死体特有のにおいではなく、もっと猫心を本能からくすぐるような甘い匂いであった。
風上の方から流れてくるその匂いに、燐は死体のことも放りだして駆けていく。
するとどうだ、桜の木のすぐ下に位置する墓石、その上にある小さな布袋。匂いはそこから漏れだしているようだ。
もうここまで来ると、燐は溢れ出る欲求を抑えることができなかった。
その布袋から漏れ出る匂い、すなわち
「またたびだー!」
またたびの匂いに誘われ、またたびがたくさん詰まった布袋に飛びかかった。
猫は皆またたびが好きだと言うが、燐もその例に漏れず大好きだった。
だが、手が届きそうになったその瞬間、袋がひょいと飛びあがり、
「ふごっ」
燐は墓石に激突した。
どうしたことかと見上げてみると、布袋はふわふわと宙を舞っている。
いや、よく見ればその布袋の口には細い釣り糸がついており、その釣り糸の先には
「現れたわね、この泥棒猫」
釣り竿を持った水蜜が木の幹に腰かけながらせせら笑っていた。
「げっ、船長さん!? 何故ここに!?」
おおいに驚く燐であったが、さらに驚くべきことに
「残念だったわね。一度帰ったと見せかけてこっそり死体盗掘に来たんでしょ?」
木の裏から一輪が姿を現した。
「げげっ、尼さんまで!? い、いや、誤解してもらっちゃ困りますがね、あたいはまたたびの匂いに誘われたのであって、別に死体探しに来たわけじゃ──」
「またそんな御冗談を。ほれほれ」
と、水蜜は燐の手が届きそうで届かない範囲にまたたび袋をちらつかせた。
「ふにゃぁ!? にゃっ、にゃうっ」
反射的に燐は手を伸ばすが、あとわずかというところで水蜜は竿を上げてしまう。
その無駄の無い竿さばき、千年かけて培った漁師魂は伊達ではない。
「にゃーん、もう! あたいがまたたびに弱いってこと知ってるくせに! 意地悪!」
「あ、これ面白いわ。癖になりそう」
「うぐぐぐ……、はっ、そうだ、飛べばいいんだ」
常日頃から飛ぶより走る方が多い燐は、その考えに至るまで時間がかかった。
だが気づけばこっちのものである。今度は布袋ではなく、水蜜めがけて飛びあがった。
しかし水蜜は、慌てず騒がず落ち着いて、
(一輪、パス!)
(了解っ)
阿吽の呼吸で、一輪に竿ごと全部投げ渡した。
「にゃにゃっ!? ならば尼さんから奪うまでよ!」
と、今度は一輪に飛びかかろうとした燐だったが、
「しかしここで停船命令って作戦でね」
そんな彼女を水蜜がしっかり羽交い締めにして動きを封じた。
「なにゃっ、は、離してッ、離してよッ、またたびがあるのに近づけないとか、もううずうずして、苛々して、うにゃぁぁぁぁッ」
「まあまあ、長い付き合いなんだしこれくらい良いじゃない」
「にゃぁぁん、こんなの猫の生殺しだぁぁぁッ」
じたばた暴れる燐だが、水蜜に動じる気配はまったくない。
こうして焦らすこと数分。暴れに暴れて、だんだん疲れの色が濃厚になってきた燐に、
「まあ、こんなところで良いか」
一輪は歩み寄ると、1枚の文面を燐の目の前で広げて見せた。
「えーとなになに? 『誓文書、わたくしは命蓮寺裏の墓地から死体を盗み出さないことをここに誓い、もしこの誓いを破った場合は猫の生殺しを含む如何なる罰も受け入れます』……? なにこれ?」
「ここにサインするのと、このまま延々と焦らされるの、どっちが良い?」
一輪の言葉に、燐の顔から血の気が引いた。
「おー、流石は一輪、やることがえげつないわー」
水蜜も妙な方向に感心しているが、燐からすればひとたまりもない。
言わば猫の本能を人質に取られたようなものである。
「にゃにゃぁぁぁッ、卑怯だっ、こんなやり方があってたまるかっ!」
「先に非道を働いたのはあんたでしょ。あんたがあのまま約束を破らず帰っていればこんな事にはならなかったんだから」
「動物虐待はんたーい!」
こうして燐と一輪達の押し問答はしばらく続いた。
そして、この時3人は気づいていなかったが
(はわわ、お燐さんのアドバイスに基づいて、さっそく芳香に会おうと思って来たものの、まさかこんなことになっているとは……)
遠巻きに一部始終を響子にばっちり見られていた。
一輪や水蜜に対する、響子の見方がほんの少し変わった瞬間であった。
※ ※ ※ ※ ※
『誓文書、わたくしは命蓮寺裏の墓地から死体を盗み出さないことをここに誓い、もしこの誓いを破った場合は猫の生殺しを含む如何なる罰も受け入れます。火焔猫 燐』
「はにゃぁ、ふにゃぁ」
またたび袋と戯れる燐を傍目に、
「これで、しばらくは安心できるわね」
一輪は署名が書かれた誓文書をくるくるとまるめ、スカートのポケットにしまいこんだ。
「しかし、今回の一件でよく分かったけど、一輪を敵に回すだなんて私には恐ろしくてできそうにないわ」
ここまでの一輪の策略を物理的な面からサポートした水蜜であったが、今更ながら相棒のその手腕を目の当たりにして、今の自分の立場に感謝した。
「あら、どういう意味?」
「いや別に。ああ、この調子だといつか私もぬえやナズーリンみたいに、一輪に飼いならされてしまうのだろうか」
すまして言う一輪に、おどけた調子で返す水蜜。
第三者視点から見ると、最も一輪に飼いならされている人物のように思えるのだが、どうやらそう思っていないのは本人くらいのようだ。
「別にね、私だってこんなこすいやり方は好きじゃないのよ。ただね、こうでもしないとあんた達を纏めあげられないの。本意じゃないことくらい理解してほしいわ」
「たまに思うんだ、一輪は僧侶より高利貸しか何かの方がむいてるんじゃないかって」
高利貸しの素質がある僧侶というのも変な話である。
「まあ、あたいにとっちゃどうでもいいんですけどねー。またたびがあると全部どうでもよく思えちゃうんですよねー。ふにゃぁん」
ただ1人、燐だけが恍惚とした笑みを浮かべ、実に幸せそうであった。
「どうでもよくなったなら、今日のところはお引き取り願えないかしら」
「えーい、今日はまたたびに免じて許してやろう」
そして燐は左手で猫車を押し、右手でまたたび袋を頬に押しつけながら、にへらにへらとにやつきつつ帰路についた。
「あ、そうそう。たまにはまたうちに遊びに来てくださいね。さとり様もきっと喜ぶと思うし」
と、言い残して。
※ ※ ※ ※ ※
「ただいま帰りましたー」
その日の夜、ようやく地霊殿に帰った燐。
おそらく主はリビングにいるだろうと思ってそこに行くと、案の定、彼女の主、古明地さとりが紅茶を嗜んでいた。
案の定、今日も1人ぼっちで。
「ああ、おかえりさい」
「さとり様、実はですね、今日はとんでもない人に会ったんですよ! 誰だと思います?」
「一輪と村紗に会ったのですね」
「あーんもう、先を読まれちゃ面白くなーい!」
その覚としての読心能力を駆使すれば、燐が言おうとしていることなどさとりには手に取るように分かる。
「まだ出ていって数ヵ月しか経っていませんが、なつかしい名前に聞こえます。で、どうでした? あの人たちは巧くやってましたか?」
「そりゃぁもう、相変わらずでしたよ! 船長さんも相変わらず死霊でしたし、尼さんに至っては死ねば良いのにってくらい元気でした!」
「……そうですか」
さとりはそれを聞くと、まるで天井の向こうの遥か遠方を眺めるような目で紅茶を口にした。
その安堵と落胆が入り混じった複雑そうな表情に、燐ははてとも思ったが、さとりが垂れ目なのはいつものことなので、別段気に留めることはなかった。
※翌日、文句なしの晴天
※小傘「あん畜生、裏切ったな」
はい、どうも。作者の兎です。
何気にぬえ以外の命蓮寺ファミリーが総登場するという久々に登場人物が多いパートとなりました。
(ぬえ挟めたかった)
と同時に、終わりの方のみでしたがさとり様登場。
どんどん登場人物が増えますね。
やたら喋る燐に対し、主は物静かなイメージでお送りしました。
(まあ、少しだけでしたが)
いずれはもっとロングパートで登場してくれたら嬉しいです。ボクが。
とりあえず今回は『命蓮寺中間管理職舐めんじゃねえ』的な話になりましたね。
(ドウシテコウナッタ
個人的なことですが、"一輪さん"と"一休さん"って語呂似てますよね。どちらも仏僧だし。
なので、雰囲気も近づけたいなぁと思っている節があります。
しかし蓋を開ければなんちゃって高利貸し。
(ドウシテコウナッタ
ここまでドタバタしながらお送りしたわけですが、次あたり弾幕パート行けたらいいなと思っています。
まあ、予定ですがね。
たぶん。