十六話目:響子ちゃんの素敵なお部屋
「ふーしょーふーめつ、ふーくーふーじょー」
「ところがぎっちょん、うらめしやー」
今日の参道掃除は響子と小傘の2人がかり。
響子が真面目なのはいつものことだが、小傘が不真面目なのもいつものこと。
いつものお務めということで響子は汗を流しているが、小傘としては他にやることもないので友人と一緒にいながら同じことをしているだけである。
「ふーぞーふーげーん、ぜーこーくーちゅー」
「おとといきやがれ、べらぼうめー」
掃除しているのは2人だが、効率が倍ではない。
小傘は響子が掃除したところしか箒で掃かないので、実質的な効率はいつもと大体同じである。
「……ふぅ、こんなところかな」
「およ、もう終わり? 思ったより早く終わったね」
「小傘が手伝ってくれたらもうちょっと早く終わったんだけど」
「手伝ったじゃん。相の手を入れるのとかさ」
そんなの"手伝った"のうち入るはずもない。
だが当の小傘は偉く充実感で満たされているようだったので、響子はこれ以上何も言わないことにした。
そこへ
「響子」
名前を呼ばれた響子が振り返ると、
「あ、星様」
珍しくお堂の入口まで星が来ていた。
普段から写経や瞑想といった修行に加えて布教のための外出と忙しい星と、こうして何でもない昼間の時間に会うこと自体が響子にとっては珍しく思えた。
「掃除御苦労さまです。ところで、大切な話があるのですが、今、少々時間をいただいてよろしいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
特に用事はない。掃除もたった今終わったところである。
響子がそう答えると、
「よかった。では、そう焦らなくても良いので、あとで聖の部屋の方に来てください」
星はにこやかに返事をし、寺の中に戻っていった。
珍しいこともあるものだと思いながら、響子は小傘の方を振り返り、
「一緒に来る?」
と、何気なく聞いた。
だが、響子にとっては意外なことに、小傘はその問いに対して口を真一文字に結ぶと黙って首を横に振った。
「えっ?」
「……私を殺す気かぁ!?」
「ええぇっ!?」
唐突に小傘につかみかかられ、響子もびっくり。
「ど、どうしたっていうのよ、いきなり」
「だって、あの旦那怖いじゃない」
変わった二人称である。
「旦那って、星様のこと?」
「まあ、うん」
その答えは、響子にとっては理解できるものではなかった。
確かに他の人と比べて、その忙しさ故に会う機会のない星だが、怖いと思ったことは1度もない。
誰に対しても謙虚で物腰丁寧な対応をとるその姿勢のためか、実質的下っ端の響子にとっても話しやすい相手である。
(その姿勢は、ほぼ万事高圧的態度を取り続ける部下のナズーリンに見習ってほしいくらいだ)
むしろ、事あるごとに尊大で高圧的な態度で無茶を押しつけてくるぬえの方がよほど怖い。
そう考えると響子には、ぬえにはなついている小傘がぬえやナズーリンといった尊大系女子(!?)になついているのが全くもって妙な話であるように思えたのであった。
「ナズーリンやぬえさんは?」
「うーん……、でもまあ、ぬえちゃんもナズっちも、そこまで怖くはないかなぁ。ナズっちは、ほら、あれはあれで可愛いし、ぬえちゃんは──」
そこまで言うと、小傘は照れ笑いを隠しきれない様子で続きを答えた。
「──なんだかんだ言っていい人だしさ」
「ほう、いいことを聞いた」
何の前触れもなく響いた、この場にいないはずのぬえの声。
小傘と響子はそろって度肝を抜かれたように驚いたが、さらにワンテンポ遅れてぬえ本人が空から急着陸で舞い降りてきた。
「ぬえちゃん、聞いてたの!?」
「まあね、途中から。それにしても、いやぁ、良い後輩を持ったものよね。先輩冥利に尽きるわ」
そう言って、ぬえは、とても良い笑顔で小傘の肩に手を置くと
「ついでだ。わらびもち買ってこい」
「ええっ!?」
小傘の顔がサッと青ざめた。
「あんたねぇ、そりゃ褒められりゃ嬉しいわよ。でも嬉しいだけじゃ腹は膨れないのよ。言葉で示せたんなら態度でも示してみなさいよ、ほらほら」
「でも今、私、お金ないんだよ」
「金なんて神社の賽銭箱にいくらでも入ってるでしょ。巫女を締めあげて奪ってくればいいだけの話じゃない」
「そんなことしたら巫女さんに締めあげられちゃうよ!」
「ええい、妖怪様が人間を恐れてどうすんのよ、この根性なし! さあ、行った行った!」
そうまくし立てられては、小傘も行くしかない。
しかし、行くも地獄、帰るも地獄。
とぼとぼと、途方に暮れた様子で1人静かに小傘は寺の門をくぐって守矢神社の方へ歩き出したのであった。
その様子をずっと見ていたぬえであったが、小傘が完全に行ってしまったのを見届けると、響子の方に向きなおった。
「何ぼやぼやしてるのよ。あんたもさっさと行きなさいよ」
「私も!?」
「当然じゃない、このスカポンタン。最近自覚が薄いようだからもう1度言ってあげるけど、あんたも私の下僕ってことになってるのよ。だから、私が行けと言ったら速やかに行けっての。
て言うか、行けって言われなくても気をきかせて『おかえりなさい、ぬえさん。お疲れでしょう、居間のほうにわらびもちを用意しておきました』くらいやってみなさいよ、まったく」
いつも通りの暴言である。
「で、でも、私、星様に呼ばれてるし……」
響子がそう言うと、ぬえの表情がぴくっと動いた。
「ちっ……ま、まあ、そういうことなら仕方ないわね。じゃ、小傘が逃げ出さないよう見てくるとするかしら」
言動こそ軽薄なものであったが、それを言ったぬえ本人はというと、あからさまに苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
この反応に、逆に響子が戸惑ってしまった。まさかぬえが思いとどまってくれるとは思ってもいなかったのだ。
もしさっきのところで『掃除がある』とか『お使いを頼まれた』とか言っていたら、恐らくぬえは『そんなの後回しだ』と言ってきたであろうことは想像に難くない。
すると、その分岐点になった点は何かと考えれば、思い当たる節は1つしかない。
「……そんなに星様って怖いのかなぁ」
小傘の後を追うように寺を飛びだして行ったぬえの背中を眺めながら、響子はぽつりと呟いた。
※ ※ ※ ※ ※
それから響子はすぐに箒を片づけると、真っ先に白蓮の部屋へと向かった。
「失礼します」
と、響子が障子を開けると、部屋には既に白蓮と星が座して響子の到着を待っていた。
「お務めの最中、ごめんなさいね。ちょっとばかり長い話になるかもしれないから、まあ、まずは座ってもらえないかしら」
白蓮にそう促され、響子は言う通り2人の前に座った。
その時響子は、いつになく、どことなく緊迫した空気が場に流れていた事に気づく。
それに加え、こうして星と白蓮"だけ"しかいない場面に遭遇するのも初めてであったので、何が始まるのか内心ドキドキしていた。
「実はね、響子。貴方に聞きたい事があるのだけれど──」
とうとう白蓮が話を切り出してきた。
響子も固唾を飲んで、その話に聞き入る。
「──やっぱり新しい部屋の方が良いわよね?」
「はい?」
全く脈絡の読めない問いに、思わず声がひっくり返ってしまった響子。
とりあえず、題意がさっぱり分からない響子には、これ以外の返答はできなかった。
「聖、響子は今来たばかりです。その質問では恐らく意味が伝わらないでしょう」
響子にはとてもありがたいことに、横から星が助け舟を出してきた。
その通り、今の響子にはまず今何の話題が話されているのか分からないのだ。
「部屋、欲しいですか?」
だが、星が出してきた助け舟もまた、乗りにくいものであった。
まるで焼け石に水。相変わらず響子にとっては『なんのことですか?』としか思えない。
だが事態は、好転どころか悪化の一途を見せ始めた。
「星、それは誰だって欲しいわよ。さっきもそう言うことで話をしてたじゃない」
「しかし聖、それはあくまで仮定の話。やはり響子を呼んだ以上、本人に前提部分から聞き直すのが筋というものではないでしょうか」
全くもってよろしくないことに、星と白蓮の間"だけ"で会話が成立しはじめたのだ。
響子にとってはひとたまりもない。何故自分が呼ばれたのか、これでは何も分からない。
混乱の末に、とうとう響子も意を決し、
「すみません、最初からお願いします!」
と声を張り上げたのであった。
この反撃に、白蓮も星もいっぺんに話すのを止めた。そして
「……そうよね、流石に意味が伝わらなかったかしら」
「私達2人そろって、少しばかり先走り過ぎたようですね」
白蓮と星は互いにそう言うと、軽く咳払いをして再度響子の方に向き直った。
「実はね、貴方がこの寺に来てから結構な日が経ったじゃない? なのに、まだ"貴方の部屋"という物がないでしょ?」
「あ、そういうことだったんですね」
ようやく響子は理解した。
確かに、今こうして3人がいる"白蓮の個室"もそうだが、基本的に寺の住人は皆個室を持っている。
聖輦船を命蓮寺に改築する際に、それぞれ個室を割り振った結果だ。
だがその時、響子はその場にいるはずもなく、当然その時は未だ誰からも認知されていなかった。
よって住民の中では唯一、響子だけが未だ個室を持っていないのだ。
寝る場所などは応接室を使っているが、これも所謂暫定措置状態である。
「そうなの。流石にそろそろ何とかしなくちゃとは思っていたんだけど、やっぱり貴方も個室欲しいわよね?」
「え、えーと、うーん……」
今まで当たり前であった環境が急に改善されると聞いても、まず普通は誰でも喜ぶというよりは驚く。
それが特に、当人にとって別に不満のない処遇であったとしたら尚更だ。
その上、響子には別段思う所があった。
「でも私、あの、自分の家、持ってるんですよね……」
そう、もう何日帰ってないかは兎も角、妖怪の山の奥地にある山彦の集落に、"響子の家"がきちんとあるのだ。
実は個室は無いが家持ちである響子。こうして住み込みで働く前はその家と寺を往復していたものだ。
なので、他の人にとって"個室"にあたるものが、多少離れた所とは言え自分には既にある、と響子は考えていた。
「ああ、そうだったわね。でもやっぱり、こっちにいる事も大分多いように思えるし、あった方が良いんじゃないかしら」
そう言われてみると、確かにそうも思える。
なんにせよ、先述の通り"旧自宅"へは何日帰っていないかも分からない。
今のところ特に帰る予定もないため、もしかしたら個室があった方が便利かもしれない。
いやむしろ、今まで何かと応接室を暫定自室として使わせてもらってきたが、本来は応接室である。
今まで特に困った事態は起きた事は無いが、いざという時に使えるようにするためには自分がいつまでも占領し続けるのも聊か問題な気もする。
そう考えると『今のままでいいです』と言ってしまうのは白蓮達にとっても良い選択ではないように響子には思えた。
もし空室があるのなら、そこに転がりこんでしまった方が、きっと双方に都合の良い結果を招くはずである。
「もしもらえるとしたらどんな所なんですか?」
響子が聞くと、白蓮は困ったように腕を組んで答えた。
「それなのよ。今ね、増築するかどこかの部屋を片付けるか迷っているの」
事態は明らかに響子の予想を大幅に越えていた。
先ほどは"空室があるなら転がりこむ"と思ったが、どうもそれどころの話ではなさそうだ。
未だ新入りの身なのにそこまでしてもらうのは、流石に恐縮である。
「だから貴方に始めに聞いたのはそういうことなの。新しく建てた部屋が欲しいか、それともどこかを片づけて開けた部屋が欲しいかって、ね。私はせっかくだから増築した方が良いんじゃないかと思うのだけれど」
すると、ここまで全部の説明を白蓮に任せてきた星が、
「しかし使える部屋を整理して使った方が、効率面で考えて良いように思えるのです。勿論、最終的にその部屋を使うのは響子なので、できるだけ貴方の希望には沿いたいと思っているのですが」
と言った具合に、ようやくここで2人の意見が割れた。
「それについてさっきまで星と2人で話をしていてね。結局『本人の話を聞いてみないことには解決しない』ってことで貴方を呼んだのよ」
増築派の白蓮と整理派の星。恐らく響子が最初に感じた妙に張りつめた空気は、この2人の対立によるものであったのだろう。
響子の本音はと言えば『別にそこまでしてくれなくてもいいのに』であるが、選択肢がそれしかないというのなら仕方ない。
それならせめてスケールの小さい方を。それが響子の弾き出した答えであった。
「じゃあ、あの、そんな大掛かりなことをしてもらうのも恐縮なので、今ある部屋の方でいいです」
その答えを聞いて、
「あら、そう? まあ、貴方が良いと言うのならそれでも良いんだけど」
すっかり増築する気でいた白蓮は少々残念そうだった。
「でも、片づけて何とかなる部屋なんてあったかしら」
「兎も角、まずは寺中を検証してみましょう」
こうして結局、響子の意図に反するようにマイルーム計画はスケールアップしていくのであった。
※ ※ ※ ※ ※
寺の図面の写しを3人で眺めながら、相談すること一時間。
相談と言っても実質的権力が大きい白蓮と星がメインの会話をするだけで、響子はあまり嘴を挟めなかったが。
「よし、おおよそ選択肢は決まりましたね」
星はそう言いながら、朱墨で図面の写しに丸をつけはじめた。
勿論、響子の部屋としての選択肢になる部屋である。
「まずお堂すぐ横の宝物庫。宝物庫と言えば聞こえは良いですが、実際はただの物置ですので片づければ何とかなるでしょう。
次の選択肢が西端に位置する物置。こちらは完全に物置ですし、大したものは入っていません。使えるのなら使いたいです。
最終手段としては、応接室の改築ですね。そこまで頻繁に使うこともないので、繋ぎには良いかもしれません」
これが紆余曲折の末に残った選択肢達である。
もしこの場に一輪や水蜜がいたら『そんな面倒なことをするならぬえの部屋を与えれば良い話だ』と言っただろうが、今回はそんな非平和的意見は出ることもなく会議は終わった。
「では、早速見てみることにしましょうか」
「そうですね。さあ、響子、行きましょう」
「はい」
こうして図面を片手に、白蓮と星と響子は早速空き室巡りへと出かけたのであった。
1つ目、宝物庫。
「これは……」
「ちょっと低すぎます」
「……ですね」
所謂2次元の図面では分からなかった問題、天井の高さがここで3人の前に立ちはだかった。
元から物置として作られたここは、物置以外として使われることを想定しなかった結果、高さ1mの部屋となっていたのだ。
いくら小柄な響子でも高さ1mの部屋はきつい。
「すみませんが、ここはパスでお願いします」
「でしょうね。じゃあ次に行きましょうか」
2つ目、西端の物置。
「こ、これは……」
「いくらなんでも、幅が」
「……ですよね」
今度は明らかな図面ミス。どう見ても6畳くらいあるように描かれていた部屋が、扉を開ければ幅およそ60cmの縦長ルーム。
畳の短い辺にすら満たないほど幅が狭いこの部屋は、いくら小柄な響子でもちょっと狭い。おまけに風通しも最悪ときたものだ。
物置に住もうと言う考えが間違っていたのかもしれない。
「すみませんが、ここもパスでお願いします」
「そうでしょうね。しかし、困りました」
こうして1時間の議論の末に選抜された部屋は次々と破れ去っていった。
こうなると増築案の方が現実味を増してくる。
「やっぱり新しく建てた方が良いんじゃないかしら」
「うーん、そうかもしれません……」
一応最終手段の応接室は残っているが、やっぱり暫定措置である。
ゆくゆくは増築という選択肢に収束していくのだろうか、と響子は事の成り行きを見守っていた。
その時、
「いや、待てよ」
星が突如立ち止まった。
「まともに使われておらず、そして響子が住むのに十分な部屋、もしかしたらあるかもしれません」
「あら、でもそれはさっき検証したじゃない」
「先ほどは考えるのを忘れていました。何せ"皆の個室"を真っ先に度外視しましたからね」
そう言って星は早足で歩きだした。白蓮と響子もその後についていく。
そうして着いたのは、星の部屋の真向かいに配置されたナズーリンの部屋。
「ここ、ナズーリンの部屋よね」
「はい、そうです。ナズーリンは私の部下として、何かあった時にはすぐに対処できるようできるだけ近い場所が良いということで、ここを自室としたそうです」
それは星がナズーリンから直に聞いた話であった。
そんな話をしながら、星はナズーリンの部屋の襖に手をかけた。
「しかし、実際ナズーリンは結構私の部屋にいる頻度が多いんです。寝る時ですら、何故か私の部屋の押し入れを利用する有様です。
彼女の私物も大体は私の部屋に置かれています。まあ、私としては不便に思ったことはないので別に良いんですが。
それは兎も角、彼女がこの自室に入っていくところも、この自室から出てきたところも、私は未だかつて見たことがありません。
よってこの部屋は、居住スペースとして有効活用されていないということに他なりません。つまり、今この部屋はガラ空きのはず──」
言うより早く、星は襖を開けた。
その途端、中から金細工や銀細工、壺や皿と言った財宝が雪崩の如く、襖の間から崩れ落ちてきたではないか。
その数の多い事多い事。『ガラ空きのはず』という言葉もむなしく、星は不意打ちに討たれる形でその雪崩れに巻き込まれて消えていった。
あまりに突然のことであったので、響子も白蓮も反応がワンテンポ遅れてしまったが、
「星!?」
「星様!」
呼んだところで財宝が転がる音がするばかり。
部屋の中を覗けば、天井すれすれまでうず高く積まれた財宝の山。
星の予測は半分当たっていた。確かにここは、居住スペースとは呼べない部屋となっていた。
そして
「ご主人様!」
と、財宝の持ち主であるナズーリンも雪崩れの轟音を聞きつけて、"星の部屋から"飛びだしてきた。
それと同時に、財宝の山から右腕が突きだし、次に左腕が、そしてようやく星が這い出てきた。
「……ナズーリン、何ですか、この部屋は」
「いや、あの、ご主人様、これは……」
「貴方、私によくこう言いますよね、『身なりの乱れは心の乱れ、常に身だしなみに注意するように』と。
確かにその心構えは間違っていません、間違っていませんがそれを言う貴方がこれでは紺屋の白袴というもの」
「違うんです、それはですね──」
「言い逃れは許しません。まあ、最近たるんできたと思っていたので良い機会です。たまには2人で少し話をしましょうか」
そう言うと星は響子達の方に向き直り
「というわけで、聖、響子、すみませんが少しばかり時間をください。ナズーリンと話をしてきます」
と言った。
一応笑ってはいたが、なんとなく重い笑みであった。
星が怒った(怒ったと言って良いのかは確かではないが)のを見たのは響子は初めてであったが、これならいっそ怒ってくれた方が良いかもしれないと思った。
頬笑みに苦笑に照れ笑いと色々な笑みを使い分ける星だが、まさか怒った時まで重々しい頬笑みでいなくても、と。
「星、お手柔らかにね」
「分かってます、では失礼。さあ、ナズーリン、来なさい。続きがあります」
そうして星はナズーリンを連れて自室に戻っていった。
「響子、これはちょっと長くなるわよ」
「えっ?」
「星のお説教はね、半日で終われば短い方なの。元から説法を生業としているだけに話の引き出しがやたら多いのよ」
「ええっ!?」
白蓮にそう教えられ、響子は襖の奥で行われているであろう説教を想像していた。
一輪からの拳骨一発で終わってもらえる村紗は幸せ者なのである。
※ ※ ※ ※ ※
星の離脱から早くも4時間。
午前中から行われたはずの響子のマイルーム計画は一時停止を見せていた。
そもそも、もう午後である。
(星様、まだ話をしてるのかな)
そう思った響子はこっそり星の部屋の前まで来てみた。
ナズーリンが集めたガラクタが放置されているが、恐らくこの後掃除されるだろう。
少なくとも全部ナズーリンの私物である以上、響子が勝手に掃除することはできない。
それよりも様子見である。響子はこっそり星の部屋の襖を開けてみた。
中では相変わらず"説法"が続いていた。
星は響子に対して背中を向ける位置にいたのでよく分からなかったが、ナズーリンの方はよく見えた。
相当きつそうだった。何せもう4時間である。
「そもそもナズーリン、貴方だって子鼠を先導する身でしょう。群衆の前に立つという意味では貴方にだってリーダーシップが求められるのです──」
ところが、そこで立て板に水と言った具合に続いていた星の説法が突然止まった。
そして
「──響子、もう少し時間良いですか?」
ばれた。
そんなに大きく襖を開けたわけでもないし、物音だって立てないよう気をつけていた。
その上星は響子に対して背をむけているのである。それでずっと喋っていたのである。それでばれた。
「は、はい! すみません!」
響子は襖を閉めると一目散に逃げ出した。
少しだけ、小傘やぬえがなぜあんな態度に出たのか、響子は今なら分かるような気がした。
"良い人というのと怖い人というのは両立しないと思っていたけど、実際はする"、響子はまた1つ大切な事を学んだ。
※ ※ ※ ※ ※
結局、夕飯の時間になっても話が終わる気配は無かった。
そして響子がお風呂に入って、そしてあがってみると、
「……やっと来たか」
なんと、ナズーリンが待っていた。
「あ、お話終わったんだ」
「ああ、終わったよ。相変わらず話の引き出しの多さには驚かされるが、それにしても2時間話したら小休憩とかしてくれないとこっちの身が持たないよ」
そう言ったナズーリンは、どことなくやつれているようにも見えた。
「それはそうと、あれからあの部屋を掃除したんだ。物欲って奴は不思議でね、それまでどうしても手放したくなかった物でも、いざ片づけるとどうでも良くなるものなんだね。
で、本題はここからなんだが、ついでにあの部屋も君に譲るよ」
「え? いいの?」
「ま、私だって使ってなかったしね。それに今までは黙認状態だったが、ようやくご主人様の部屋に長居する許可が下りたんだ。これでやりやすくなるよ」
「本当? ありがとう」
響子がそう言うと、ナズーリンは決まり悪そうに、
「何にせよ、今回の一件はご主人様の計らいだ。その言葉は私にじゃなくてご主人様に届けてあげるんだな」
と言い残して去っていった。
(……相変わらず素直じゃないわね)
響子はそう思ったが、部屋ももらったことだし口にはしないことにした。
※ ※ ※ ※ ※
こうして得た自室。
「おー、いざ自分の部屋をもらってみると、なんだかお寺全体が広く見えるわー」
新生活を迎えて、寝間着姿でウキウキ響子。
必要な物をそろえるのは明日やるということらしい。
「じゃあ、ここに箪笥とか来るのかなぁ」
本当にナズーリンは家具の1つも置かなかったようで、部屋はガランとしていた。
「あ、もしかしてもしかすると、ここに布団とかがあったり──」
そう言って響子が押し入れを開けると、
「……やぁ」
あろうことか、ナズーリンが中でせっせとロッドを磨いていた。
「……なんでいるの?」
「物欲って奴は不思議でね。それまでどうしても手放したくなかった物でも、いざ片づけるとどうでも良くなるものなんだが、それまでどうでも良かったものでも、いざ手放してみると遅れて愛着が湧いてくるものらしい。
君だってこの部屋以外に、山に住居を持っているんだろう? だったら私も、ご主人様の部屋に長居する権利の他に、元の部屋に居候する権利くらいあっても良いはずだ。
君と深くかかわる気はないし、布団は下の段に入っているから、それで寝るといいさ。じゃあおやすみ」
ナズーリンは響子のことを一瞥だにすることなく、せっせとロッドを磨き続けていた。
※早苗「どうしてこんなことしたのかな? かつ丼あげるから正直に言ってごらん?」
※小傘「わらびもちが、買いたかったんです」
はい、どうも。自分の部屋なんて持った事がなかった、作者の兎です。
今回は命蓮寺内部について色々と進展した話にしたつもりです。
まず我らが響子がお部屋をゲットできたという進展。
続いて星や小傘やナズーリンなどの人間関係についてメスをいれられたという進展。
個人的には有意義な回にできたはず。はい。
神霊廟方面への進展は無かったのですが、まあ近いうちに書きたいです。
たぶん。
最近忙しいので更新があいてしまいましたが、無理しない範囲で次の話を書きたいです。
まあ、気長に待っていただければ幸いです。