十二話目:白蓮様の納涼大作戦
「あちゅい」
命蓮寺、未の刻(午後2時くらい)。
さんさんと照りつける夏の日差しを受け、外は高温多湿の過ごしにくい空気が流れていた。
おまけに風は一向に吹く気配もなく、せっかく軒下に吊るした風鈴もチンともリンとも鳴きやしない。
こんな暑い日は、流石の響子もやる気半減。
いつもなら自分から進んで掃除に向かうところも、今日はすっかり居間でダウンである。
そして、その隣には
「あちゅい」
もうほとんどその台詞しか言わなくなった小傘が微動だにせず畳に突っ伏していた。
「あちゅい」
オウム返しは山彦の癖の1つであるが、こうも同じことばかり言われてはどちらが山彦か少々あやふやになってしまう。
「ねえ、小傘?」
「……なに?」
「そろそろ、その"あちゅい"は辞めにしない? なんか、言われる度に暑くなってくる気がするわ」
「だって暑いんだもの」
「そりゃあ、私だって暑いよ」
「じゃあいいじゃん……それにしても……あちゅい」
暖簾に腕押し、ぬかに釘。
まるで態度を改める気配の無い小傘に、響子は早々に説得を諦めた。
何をするにも頑張れないほど暑いのだ、仕方ない。
そんな具合で響子がため息をついた時、小傘はようやく立ち上がり、そして生気の感じられない足取りで縁側まで出ていった。
はたして何のつもりだろう、と響子が見ていると、小傘は大きく息を吸い込み
「暑いって言ってるじゃない、太陽の馬鹿ーッ」
と、声高々に叫んだ。
これには響子も反射的に反応してしまう。
いくらやる気がでなくても、山彦としての血が、本能が、声をあげろと言っているのだ。考えるより先に体が動いてしまう。
響子は縁側まで駆け出ると、小傘の隣に立って大きく息を吸い込み
『暑いって言ってるじゃない、太陽の馬鹿ーッ』
勿論声色もきちんと真似て、しっかり山彦としての使命を遂行したのであった。
だが声の爆心地とでも言うべき地点のすぐ隣に立っていて、しかも大音量に耐性のない小傘からすればたまったものではない。
あまりにも大きな音に驚いてひっくり返り、そのまま沈黙した。
その場にはただ、妙な達成感に包まれた響子が幸せそうな笑みを浮かべて立っていたのであった。
そして、その声を聞きつけて
「貴方は相変わらず元気ねぇ」
一輪がやってきた。
今、響子が大声をあげた割に一輪が平然としているのは、もうすっかり慣れてしまったからである。
もう響子が来てから日が経った命蓮寺で、今更この山彦絶叫で驚く者など誰もいなくなっていた。
襖一枚隔てていれば『あー、響子がまたやってるよ』と流すこともできるようになっていたのであった。
さて、そんな風にしてこの場に足を運んだ一輪を待ち受けていたのは
「……尼さん、水、お水ください……」
今にも死にそうな小傘であった。
もちろん妖怪ともなれば、今にも死にそうだからと言って、放っておいて死ぬわけでもないのだが。
そういった理由も含めて危機感など全くない一輪は、そんな小傘を見て悩ましげに額に手をやるとため息をつき
「それに比べ、近頃の若い野良妖怪と来たら、いやはや、たるんでおると言うか何と言うか……」
「だって私、元は雨傘だもん。日傘と違って暑いのは嫌なんだよ……だからお水、できれば雨水がいいけどもうこの際井戸の水でも海の水でも何でもいいや、お水ください」
「"だって"じゃない。そんな心構えだから『最近の妖怪は士気が低下している』なんて言われるのよ。そもそも貴方の場合──」
「あうぅ、お説教はいらないのに……」
こうなると一輪は長い。
説法を生業としているからなのか、元からそういう性格なのか、はたまた歳のせいなのか、兎も角一輪の説教というのはやたら長い。
増して相手が小傘のようにもの覚えがいまいちな妖怪な場合、説教が終わる頃には『なんで私怒られてるんだろう』と当初の原因を忘れる事もザラである。
そんなわけで、ただでさえ蒸し暑いこんな日に説教という名の耐久レースが待ち受けているとは誰が予想できただろうか。
どうしてこんな面倒な事になってしまったのだろう、と小傘がほぞを噛んだその時
「一輪、あまり暑いのにそうかっかしたのでは余計暑くなるわよ」
ちょうど良いタイミングで白蓮が、水の入ったコップを持ってやってきた。
「いや、姐さん。しかしですね……」
「それにこまめな水分補給は大事よ。熱中症って怖いんだから」
そう答えながら白蓮は小傘に水を渡した。
病気にも強い妖怪が熱中症などかかる機会もなく、その意識も希薄なはずなのだが、そこは元人間の白蓮、人間の病気には滅法詳しい。
「わあ、ありがとうございます!」
言うが早いか、小傘はコップを半ばひったくるように受け取ると一気に飲み干した。
一方、ものの見事に話の腰を折られた一輪は少々やりきれない様子である。
だが、一番どうして良いのか分からないのは、そんな一輪と小傘の様子を見て、どちらも大好きなだけにどちらについて良いか分からず傍観しているしかない響子である。
「ぷはあ、生き返った! 元気と勇気と驚き百倍、いつでも人間脅しに行けるわ!」
たったコップ一杯の水にしては少しばかりオーバーではあるが、その言葉通り小傘は先ほどの死に体状態とは比べ物にならないほど漲っていた。
「それにしても今日は暑いわね。夏は暑い物だけど、あまり暑過ぎても過ごしにくいし、何とかしようかしら」
そう言いつつ白蓮は鳴らない風鈴と、その先に広がる晴天を眺めた。
「ならば、打ち水でもしましょうか」
一輪は首筋の汗をぬぐいながらそう答えた。
暑いのは誰だって同じであり、一輪とて例外ではない。
ただ、暑い日に暑いと言ったのではだらけた妖怪の前で示しがつかないということで態度に出していなかったにすぎない。
すると、白蓮は感心したように
「なるほど、それは名案ね。なら、早速今からやりましょう。響子、小傘、貴方達も手伝ってちょうだい」
と提案し、
「はい、分かりましたっ」
「合点承知の助でございます!」
響子も小傘も二つ返事でこれを受け入れた。
働けば働くだけ涼しくなる仕事とあれば、響子の労働意欲に火がつかないはずがない。
小傘としてもたった今もらった恩があり、その熱は流石に未だ冷めていない。
「あ、水仕事なら村紗を呼んだ方が手っ取り早いわね」
それに気づいて、一輪はぽんと手を打った。
船幽霊ともなれば河童と肩を並べられるくらいには水の扱いに長けている。
その上、いちいち井戸から水を補給しなくても延々と水をまき続けられるという点でも打ち水作業と相性が良い。
そうと決まれば。
「村紗ー、ちょっと来てー。打ち水するから力貸してほしいの」
一輪がそう建物内部の方に呼び掛けると
「分かった、今行くー」
とすぐに水蜜の返事が返ってきた。
だが、"今行く"と言った割には来る気配がない。
「村紗ー!」
一輪が叱咤をかけると、ようやく奥の方から水蜜が現れたが、
「ごめんごめん、遅れて。ちょっとこいつが離れてくれなくて」
そう言った水蜜の右足にはべったりとぬえがしがみついていた。
「と言うかあんたもしつこいわよ、いい加減にしなさい」
「だって仕方ないじゃん、暑いんだもん。村紗1人だけ涼しい思いをしてるなんて罪よ、罪」
いくら水蜜が振り払おうとしても、ぬえは離れようとはしなかった。
「……と言った具合なんです」
とうとう水蜜も困り顔で白蓮の方を見た。
「確かに、村紗は体温低いから、気持ちは分からないでもないけど」
流石の白蓮もこれには困ってしまった。
一方この言葉を真に受けたのが小傘である。
どれ、と言わんばかりに水蜜の手を触ってみると、
「あ、ほんとだ。冷たい」
こうしていらないオプションが2つに増えてしまった水蜜。
一般的な恒温動物の平均体温が30台後半をキープしているのに対し、彼女の平均体温はおおよそ20℃前後を維持している。
まるで死人のような体温だが、実際死人なのだから仕方がない。
生前はきちんと36.7℃ありました、とは本人談。
「ええい、2人そろって離れなさいよ! 特にぬえ、あんたに至っては冬は寄ろうともしないくせに!」
「だって冬の村紗は身も心も経済的にも冷えきった女だし」
「こんちくしょう、余計なお世話よ! 大体、あんたが奢って奢って言わなければ私の財布だってもう少しあったかいわ!」
水蜜は徐々にヒートアップしていくが、残念ながら体温がヒートアップする気配はなく、ぬえも小傘も貼りついたかのように離れようとしなかった。
そんな光景を端から眺めていた響子だが、なんだかんだ言って和んでいる小傘やぬえを見ると何だか自分も触ってみたくなってきた。
そうしたうずうずを押さえきれなくなって、響子はこっそり、恐る恐る水蜜に手を伸ばそうとすると
「響子、後でいくらでも確かめさせてあげるから今はパス!」
「は、はい、ごめんなさい!」
もう振り払うのに必死な水蜜に叱られ、手をひっこめた。
そして、水蜜の苛立ちもとうとう頂点に達しようとしていた。
「ええい、こうなれば奥の手よ!」
そう叫んだ瞬間、水蜜はその場から一瞬にして霧のように消え去った。
唐突な水蜜の消失により、小傘は体勢を崩し、同じくよろけたぬえにゴツンとぶつかった。
霊体化による瞬間移動、スペルカード『シンカーゴースト』の元ともなった水蜜の特技の1つである。
完全に物理的干渉から解き放たれる上に短距離とは言え瞬間移動まで可能という大技だが、この状態を保持しすぎると肩がこる、とは本人談。
「まったく、そんなに涼みたかったらお墓の幽霊で代用してなさい、と」
そう言って倒れた2人の真上に現れた水蜜は、最後に実体化して
「さてと、お待たせしました。打ち水なら私の本領発揮ですよ、早く行きましょう」
と、白蓮の手を引いて玄関へ早足で歩きだした。
冷房代わりにされるのは御免こうむるが、自分の力が白蓮の役に立てるというのは水蜜からすれば至上の幸福である。
もう一刻でも速く役立ちたいという思いが彼女を急がせるのであった。
「あらあら、頼もしいわね。それじゃあ、よろしく頼むわよ」
「お任せください! 私の柄杓でこの命蓮寺をこの夏幻想郷一涼しい地としてみせますよ!」
すっかり張り切って廊下を行く水蜜と、連れられて進む白蓮。
一歩置いていかれた一輪は、すぐさま響子の手を握ると歩き出した。
「響子、行くわよ。調子に乗った村紗ほど危険な物はないわ、しっかり見張ってないと」
「え?」
「さあほら早く。寺が水没してからじゃ遅いんだから」
「え?」
この時、響子はまだ一輪が何を言っているか分からなかった。
これから行われる打ち水が、ごく普通の打ち水であることに何ら疑いを抱いていなかったのだ。
だがこの後、一輪が何を危惧していたのか、響子は身を持って体験することとなるのである。
続く。
※船長さんの本人談は高確率で当てにならない。
※↑船長さんの本人談
はい、どうも。打ち水も大好き、作者の兎です。
打ち水と称して庭中を水浸しにしていた幼少の思い出。
そろそろ初秋の時期だというのにこんな暑い話を書いてみました。
まだ残暑が厳しいということで容赦していただければ幸いです。
最近は打ち水やっているところなどあまり見かけなくなってしまいました。
おそらく冷房なんてない幻想郷ですもの、幻想郷では打ち水はまだまだ現役ですよ。
幻想入りと見ることもできるかな、いやでもまだ外界でも打ち水は現役だと信じたいです。
そんなわけで(どんなわけだ)、もう少し続きます。
言わばこの話は前編みたいなものです、後編は次話で。