十一話目:小傘ちんはふかふか耳がお好き
響子がお寺に来てから数日経った。
お務めも少しずつ板についてきた響子であったが、そんな彼女は今は庭の掃除をしていた。
「ぜーむーとーどーしゅー、のーじょーいっさいくー」
お経の空読みは未だ健在である。
少しは寺の修行にも参加することができたが、写経は兎も角、座禅はまだまだ得意になれそうもない。
仏道マスターへの道は先が長いのである。
「……ふぃ。大体一通りは終わったかしら」
響子は額に浮かんだ汗をぬぐって、綺麗になった庭を見渡した。
今日も限りなく青空が広がる良い天気である。
ちりとりに集めたごみを捨て、そのちりとりも箒と一緒に片づけて、響子はお堂に戻った。
「あー、お務めを終えた後の達成感ほどすがすがしいものはないわ」
両手を挙げて伸びをした響子。
さて次は何をしようか、とぼんやり考えながら廊下を歩いていると
「しつこいって言ってるだろうッ、いい加減にしてくれよ!」
「ぎゃふん!」
と、言い争う声がしたかと思えば、居間から小傘が転がり出てきて、床に這いつくばって沈黙した。
響子にとっては前も確か人を驚かせるような登場をした"変な生き物"だが、今回はどうも確信犯ではないようである。
「ちぇっ、なんだいなんだい、ナズっちのけちんぼ。少しくらいいいじゃない、減るものじゃあるまいし」
うつぶせに倒れたまま、小傘は顔もあげずぶつぶつ呟いた。
そんな小傘に恐る恐る近づく響子。初めて会った日のトラウマがまだ残っているのである。
「あのー」
響子が語りかけると、小傘はのっそり顔をあげた。
「ん、確か貴方はこの前の……」
そう言うと、青い方の目を閉じ、両手を前に突きだして
「うらめしやー」
と低音域を効かせて唱えてみせたが、響子からすればこれは怖いというよりはリアクションに困るというものであった。
「……え、ダメ?」
「な、な、何が?」
素の態度に戻った小傘に、響子はきょとんとしながら答えた。
「怖くない?」
「いや、全然」
アドリブには滅法弱い小傘であった。
最近では事前に念入りな準備を行っても驚いてくれない人間が増えているというのに、準備なしで誰が驚いてくれようか。
そんなわけで、響子の平然とした反応を見た小傘は再び床に突っ伏した。
「な、なんてさもしい世の中なんだ。私がこんなにひもじい思いをしているというのに、よってたかってこの仕打ちはいくらなんでも酷過ぎる……」
そんな小傘を見て、悪い事しちゃったかな、と響子は内心思った。
人間に存在意義を否定され始めたという意味でも、今の世がさもしいというのは響子とてよく分かる。
「あのー」
響子は小傘の頭を突っつきながら語りかけた。
小傘は半ばべそをかきながら、やっぱりのそりと頭をあげた。
「私達山彦も最近ひもじい思いをしているのは一緒だからさ、よかったら一緒に頑張ろうよ。ね?」
響子がそう言うと、小傘は正座に居直ると響子の手をがっちりつかんだ。
「地獄で仏を見た!」
「あ、ありがとう。だから、脅かしっことかそういうのは無しの方向でお願いします」
「大丈夫、これからは全力投球で驚かせてあげるから! 期待して待ってて!」
「そういうのは無しの方向でお願いします」
そのオーバーな反応に少々響子は戸惑ったが、膝を交えて話してみれば根っからの悪人というわけでもなさそうである。
むしろ背負っている物の類似性故に、良い友だちになれそうだと思った。オーバーなところは否めないが。
「……それにしても、私も山彦って初めて見たわ。山に向かって何か叫ぶと返してくれるのは知ってたけど」
小傘が態度を改めて響子を見つめたものだから、響子は少しばかり恥ずかしかった。
「本当は山奥でひっそり住む種族だからね。私もお寺に来る前は山を降りた事もなかったし」
「ふーん。じゃあ、今度山に行ったとき『やっほー』って言ったら返してくれる?」
「あ、そういうのは24時間365日、盆も正月も関係なく、うるう年の2月29日も含めて大歓迎よ。山彦一同お待ちしてるわ」
「じゃあ、今度山に行ったとき『うらめしやー』って言ったら驚いてくれる?」
「う、うーん、要相談ということで」
結局そこに行きつくんだ、と響子は苦笑せざるを得なかった。
そこら辺は種族の違いによって生まれる価値感の違いとして割り切るべきなのかもしれない。
「ちぇっ、世の中甘くはないか……、そう言えば、貴方もなかなか珍しい耳してるのね」
小傘にそう言われ、響子は自分の耳に手をやった。
「え、これ? そうかなぁ。貴方の色違いの目の方が珍しいと思うけど」
「だってほら、私は唐傘お化けだし。それより、ね、ちょっと触ってもいい?」
「別にかまわないけど、あまり乱暴なことはしないでね」
齧られたり引っ張られたりするのは勘弁願いたいところである。
そんな響子の意思が通じたのかどうかは兎も角、小傘はそっとその手を響子の耳に伸ばした。
「あ、思ったより柔らかい。そして貴方もふかふかなのね。いいなぁ、こういう耳に憧れるわ」
「なんかくすぐったくなってきた」
「ああ、もう、食べちゃいたい」
「食べちゃ駄目だよ、いや本当に駄目だからね!」
「本当にもう、このふかふか感が……、あ、そうだった、思いだした」
そして再度小傘は居直った。
「実はさ、ほら、あれ」
小傘が指さす方を見ると、居間の端でナズーリンが昼寝をしているところであった。
向こうをむいて寝ているため表情はうかがいしれないが、たたんだ座布団を枕にして睡眠中のようである。
元から夜行性の傾向が強いナズーリンは、寝るとしたら夜より昼を選ぶ方が多いので、昼寝自体は(新入りの響子は兎も角、ある程度長くいる者からすれば)よく見られる光景である。
「ナズっちも尻尾とか耳とかいじり甲斐のあるところがたくさんあるんだけどさ、一向に弄らせてくれないのよね。減るもんじゃないのに。けちんぼ」
そう言って小傘は拗ねたような表情を見せた。
確かに、響子とてナズーリンのそうしたところに全く目がいかなかったわけではない。
何せまず、あの大きな耳であり、そして籠を吊るすほど器用な尻尾である。
(言われてみれば、ちょっと興味あるかも)
そうは思ったものの、これは中々難しい問題である。
何せあのナズーリンの性格を考えれば、まあ気易くOKがでることはないと言いきって良いだろう。
「まあ、気持ちは分かるけど……」
とは言え、この時の響子は小傘に感化された部分が強かった。
どうしてもあの丸々とした耳を突いてみたい衝動に駆られていたのであった。
そこでどうしようと迷った挙句、まずは様子を見るべく、抜き足差し足で近づいてみた。
そして、廊下側からでは見えなかった表情、つまりどのくらいナズーリンが熟睡しているのかを確かめるべく、彼女の正面に回ろうとした時、
「……何か用かい?」
ナズーリンの目が開いた。
血走ったその目は、かなりイライラが溜まっている証拠でもあった。
この時、響子は思いだした。小傘は自分が来る前に既にナズーリンに手出しをしていたのだ。
それからまだたいした時間が経っていないとすれば、まだ苛立ちが引いていないのも無理はない話である。
余計なことでナズーリンの苛立ちの的になるのは、響子としても避けたかった。
「いえ、別に」
「なら放っておいてくれないかな。君は毎晩寝ているから清々しいだろうが、私にとってこれは4日ぶりの休眠なんだよ」
「ご、ごめん」
その声色からして、ナズーリンの苛立ちは相当なものであった。
キッといつも以上にきつい目で睨まれては、響子も退散の一択以外選択肢はなかった。
足音を立てないように響子が引き返そうと後ろを振り向いたその時、信じられない光景が彼女の目に飛び込んできた。
小傘が、助走をつけるべく十分な距離をとって、軽いストレッチ体操をしているのだ。
これは、ヤバい匂いがする。響子は直感でそう察した。
(そ、それも無しの方向で!)
ジェスチャーで伝えようと身ぶり手ぶりを駆使した響子であったが、小傘はそれに気づき
(今度こそ仕留めてやんよ、任せとけって)
と親指を立てて爽やかな笑顔を浮かべた。
響子は頭を抱えた。
その直後、小傘は助走をつけたかと思うと、バッと飛びあがり
「驚き桃の木三度目の正直、青天の霹靂パラソルトルネードアタック!」
と、錐揉み回転でナズーリンに飛びかかった。
もう悪い予感しかしなかった響子は、目を瞑って耳を塞ぎ、巻き添えを喰わないように部屋の隅避に難しつつ震えていた。
ドタバタと伝わってくる振動だけでも、今何が起きているか響子が察するには十分であった。
やがて、その振動もしなくなった。
恐る恐る響子が目を開けてみると、棚は倒れ、畳はめくれ、机はひっくり返っていたという具合に酷いものであった。
その中心で、ナズーリンは先ほどと同じように座布団を枕にすやすやと寝ていた。
小傘はどこに行ったのかと響子が部屋中を眺めると、居間と面している庭の塀に小傘の形をした穴が開いていた。
「……南無阿弥陀仏」
響子は静かに冥福を祈った。
※無茶しやがって
はい、どうも。昼寝大好き、作者の兎です。
本当は昨日のうちに更新するつもりが昼寝してしまって今日にもつれこみました。
ふかふかの布団も好きですが、ふかふかの耳も好きです。
祖母の家で飼っている猫の耳や尻尾など、たまに触りたくなります。
……話がそれました、どうでも良いですね。
まあ、小傘も妖怪、頑丈にできているので案外ひょっこり帰ってくるでしょう。
問題はむしろ、ここまで荒れてしまった居間の方ですね。
これ、誰が直すのでしょうか。
喧嘩両成敗、ナズ君と小傘ちんでしょうかね。
もっとも、それまでに小傘が帰ってくればの話ですが。
なんだかんだ言ってナズになついている小傘と、たまに切実に困るナズはボクの理想形の1つです。
小傘の素の人格は人懐っこいイメージが結構強いかも。(怪談モード除く)
しばらくこんな感じでショート話を書いていけたらと思っています。
たぶん。