いじめ 〈前編〉
私がようやく退院したのは、3月の中ごろ、中1の三学期も終わるころでした。
ずっと学校に行けなくて、友達に会いたい会いたいと両親やI先生に繰り返し言っていたので、少し時期を早めて退院できることになりました。
学校に行ける。みんなに会える。
自分で言うのも何ですが、私は小学校のころから友達の中心になって遊ぶ、天真爛漫な子でした。
嫌いな人なんていない。みんなが好きだし、みんなも自分を好きでいてくれると信じているような子でした。中学に上がってもそれは変わらず、入院中はクラスのみんなから励ましの手紙をもらったりしました。
私は自分が以前とは変わっていることに、まだ気がついていませんでした。
退院して初めて学校へ行った日。
久しぶりなので、ちょっとドキドキしながら自分の席に座っていました。そこへ、入院する前けっこうよく話していたHくんがやってきました。
あっ、Hくんだ。
私が「Hくん」と声をかけようとした瞬間、Hくんは私を指さして、私の隣の席の子に真顔でこう言ったのです。
「この人、誰?」
そう、私はプレドニンを飲んでいると顔が異常に丸く腫れる“ムーンフェイス”という副作用が出ていて、すっかり別人のようになっていたのです。それは、ただでさえ自分の容姿が一番気になる年代にとって、とても大きなことでした。
私はもうHくんに声をかけられずに、黙るしかありませんでした。
私の入院している間に、クラスの友達は変わっていました。みんなそれぞれに学校生活を送り、少しずつ大人になっているようでした。
私はといえば、入院中話す会話は決まっていて、熱はないかとか、食事は全部食べたかとか、そんな日常を送っていて、そんな私が急に学校に戻っても、みんなの会話について行けるわけがないのです。
友達との関係も大きく変わりました。それまで私が仲が良いと思っていた友達が離れていったり、また、それほど仲が良いとは思っていなかった友達が変わらずに仲良くいてくれたりして、私の周りを見る目も大きく変わりました。
入院中は先生や看護婦さんに守られていて、周りの友達もみんな病気でがんばっている同じ境遇だったのが、退院してからは私だけが特別な存在となるのです。
病気になって本当に辛い日々は、ここからでした。
中学2年になって、クラス替えがありました。
私はまた新しいクラスで、新しい友人関係を作ろうと期待していました。
新しいクラスは、いわゆる“ヤンキー”の多いクラスで、担任の先生は若い女のY先生でした。
顔は風船のように大きく丸いのに体はやせてガリガリで、異様な風貌の私。以前のように明るく活発なところもなくなって、真面目で先生の言うことをよくきく“いい子”の私は、最初からちょっと浮いていたのかもしれません。
きっかけは、ようやくできた私のグループ5人のうちの1人の子が、帰り際に廊下でクラスの男の子にちょっと泣かされたことでした。
先生に言うほどのこともない、ささいなことだったと思います。それが、ちょうどその子が泣いている時に、担任のY先生が通りかかったのです。
「どうしたの?」と聞かれ、バカ正直な私はTくんが泣かしたと答えてしまいました。
すると先生は深刻な顔をして、その場にいた私たち5人を職員室に連れて行きました。
私たちは職員室の奥にある、狭い放送室に入りました。どこからそんな話になったのかは覚えていませんが、私たちはTくんの話から、日ごろクラスの中心的存在のMさんのことを話していました。Mさんもヤンキーで、クラスのみんながMさんの機嫌を気にしているようなところがありました。Tくんが私のグループの子を泣かしたのも、Mさんのご機嫌を気にしての行動のような感じがありました。
そんなことを話していると、先生がこんなことを話し始めました。
Mさんのおうちは、今お父さんとお母さんが離婚しそうなのよ、と。
だから彼女は今とても辛いだろうから、わかってあげてね、と。
今考えたら、クラスの生徒のそんな個人的な事情を同じクラスの子たちに話すなんて、担任として信じられない行為です。
それでもそのころの私たちは、それを聞いて「Mさんかわいそう」と言って泣きました。
そうしてみんなで泣いている時、放送室のドアがガチャッと開きました。開けたのは同じクラスで放送部だったTさん。
Tさんは私たちとY先生を見て何かを悟ったように「あっ」と言ってドアを閉めました。
そして次の日。朝教室に私が入って行くと、クラス全員が窓際にいて、みんな冷ややかにこっちを見ていました。
Tさんが私たちのことをみんなにどう伝えたのかはわかりませんが、そこから、私たちグループへのいじめが始まりました。