入院して
中学1年、13歳の12月、私は家の近くの病院で盲腸の手術をしました。
学校帰りにお腹がすごく痛くなって、病院に行ったらそのまますぐ手術でした。
まあ、盲腸なら1週間くらいで退院できるだろうと思っていたのですが、手術後も熱がずっと38度近くあってさがらないし、元気も出ない。それでも傷はふさがって抜糸もすんだからと、私は熱のある状態のまま家に帰されました。
家でもずっと寝ていて、そのままお正月になり、それでも熱はさがりませんでした。違う病院にかかっても「風邪でしょう」と風邪薬をもらってくるだけ。そんな状態のまま1カ月が過ぎました。
さすがにこれはおかしいと、大学病院に行くことになりました。
15歳までは小児科なので、私は小児科病棟に入院することになりました。
思えば10月ごろから、足の膝の関節がすごく痛くて、足を曲げて座れないほどでした。その時病院にかかったら「成長期の骨の痛みでしょう」と言われたのですが、なんだかおかしい。
微熱がずっと続いて、関節が痛くなって、といういろいろな症状と、いろいろな検査を受け、ようやく診断がつきました。
私は膠原病という病気の中の全身性エリテマトーデスという病気を発病したのです。
それは国の特定疾患に指定されている難病で、今のところ原因や治療法がよくわかっていない病気でした。
主治医は医学部を卒業して、2年間の研修を終えたばかりの若いI先生。
その頃その病気に関してまだよくわかっていなかったからか、私が13歳という年齢だったからかはわかりませんが、両親からも誰からも私に病名は告げられませんでした。
ただI先生から、「長ーくかかる病気なんよ」と言われました。その先生の口調と雰囲気から、
「ああ、もう治らない病気なんだ」
と思いました。
のちに私は高校の図書館で調べて、自分の病気のことを知りました。その時は、たとえ13歳で説明してもまだよくわからないだろうと思われたのだとしても、13歳の子どもにわかるような説明をしてほしかったなと思いましたが、私が先生にも両親にも自分から聞けなかったのは、やっぱり聞くのが怖かったからだと思います。
けれど、とりあえずそうして、私の入院生活はようやく病気を抑えることに向けて進み始めました。
「治らない」といっても体のどこが悪いというわけではなく、その病気に合ったプレドニンという薬を飲めば、いちおう熱もさがり病気の症状は抑えられて、日常生活は普通にできるようになります。
もともとの楽天的な性格に加え、プレドニンという薬が私にはよく合い、「多幸感(とても幸せに感じる)」というプラスの副作用が出ていたようで、「ふふーん」となんだか楽しく入院生活を送っていました。
大学病院の小児科なので、病棟には難しい病気の子がたくさんいました。
重症筋無力症のかずみちゃん。
ハンチントン舞踏病のかねひらさん。
突発性血小板減少性紫斑病のすずきさん。
川崎病のしんやくん。
ネフローゼのひろわたりくん。
そして白血病のみちえちゃん。
他にも放射線治療で髪の毛がない子がいたりして、みんな大変な病気を抱えてがんばっていました。
その中で私は特に辛い治療もなく、ただプレドニンの量が多いと免疫力が落ちているので、風邪などの他の病気に感染しやすくなるため、プレドニンが減るのを待っているという状態でした。
私は周りをただ見ていました。
私よりも小さい子が、私よりも重い病気でがんばっている。
私が弱音を吐くのは、申し訳ない気持ちでした。
退院してからも小児科病棟の子どもたちの姿は、ずっと私の中にありました。
無事に退院して、高校に進んで、私は小児科のお医者さんになろうと医学部を3度受けましたが、だめでした。
結局お医者さんにはなれなかったけれど、何か医療に関わる仕事がしたいと、20代30代とがんばってきました。
小児科病棟に入院してもう27年が過ぎましたが、あの子たちの姿は今でも私の中にあります。
あの子たちは私の生き方を今でも支えてくれている。
私はあの子たちに誓って、いいかげんに生きてはいけない。
一生懸命生きなくてはいけないと、そう思っています。