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父のこと

 機嫌の良い時と悪い時の差が激しい父にはよく怒られました。

 3つ下の妹は、私を見ているからか、用心深くて要領がよくて、父に怒られたことはありません。

 私はというと無鉄砲で要領が悪く、甘えるのも下手で、父の私に対する態度と妹に対する態度は全く違ったものでした。妹にはとても甘く、私にはとても厳しい父でした。

 例えば小学校のころ、門限は5時と決まっていて、少しでも遅れると家に入れてもらえませんでした。

 1つのことに夢中になると他をすっかり忘れてしまう私は、気がついたらいつも5時を過ぎていて、慌てて自転車で帰る、という感じでした。家には鍵がかかっていて、「開けてよ開けてよ」と言いながらドアをたたきます。しばらく途方に暮れて待っていると、いつも母がこっそり開けてくれました。

 そんな感じだったので、「どうしよう。またお父さんに怒られる」という思いが常に心にありました。

 それくらい私にとって父は恐くて、「私はお父さんに嫌われているんだ」とずっと思っていました。


 中学1年の6月、私は登校途中に交通事故にあいました。いつも渡らない信号のない横断歩道を、なぜかその日は渡ってしまいました。遠くに車が見えていたけど、渡れるだろうと道の真ん中まで行った時、その車がもう真横まで来ていました。あっと思った時には私ははねられて、横断歩道から2、3メートルほど遠くまで飛ばされていました。事故を見ていた人によると、その車はものすごいスピードを出していたそうです。運転していたその人も、「ああ、殺してしまった」と思ったと後から聞きました。

 でも私は気がつくと道に寝ていて、「あれ?どうしたんだろう」と思いました。

 次に思ったのは、「そうだ、学校行かなきゃ」

 そう思ってむくっと立ち上がったので、はねた人はびっくりしたそうです。

 でも結局ふらふらして歩けなくて(当たり前ですね)、救急車で脳外科に運ばれました。

 病院に着いてベッドで寝ていて、次に思ったのが「どうしよう。またお父さんに怒られる」でした。

 あんな所を渡ってしまって、なんで私はこんなに要領が悪いんだろう。

 そんなことを考えていると、父がやってきました。

 布団からちょっと顔を出して、「どうしよう」と思っていたら、父は着くやいなや、そこにいた私をはねた人をものすごい勢いで怒鳴りつけたのです。

 お父さん―――。

 驚きました。私のために、あんなに怒ってくれてる。

 そして父は私に振り向いて一言、「大丈夫か」と言いました。

 私はやっと小さな声で、「ごめんなさい」と言いました。

 すごいスピードではねられた私には大したケガもなく、検査してもどこも異常なしということで、3日ほどで退院しました。


 その後私は、国の特定疾患に指定されている難病を発病するのですが、それから父は変わりました。

 日常生活には不自由しないものの、体力の落ちた私を、中学・高校と毎日車で送り迎えしてくれました。優しい言葉をかけられたことはないけれど、父なりに私を気遣ってくれたのです。

 

 20代のころから毎日日記をつけている父。

 その日記にはどんなことが書かれてあるんだろう、と思いますが、父が生きている間はおそらく私が読むことはないでしょう。

 日記を読んだ時には、父と話がしたいと思うと思うけれど、それはできないことかもしれません。

 親子というのは、一番近い存在でいて、お互いがわかり合うのはなかなか難しいのかもしれません。

 


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