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好きな作家

 南木佳士なぎけいしさんという作家が大好きです。

 『ダイヤモンドダスト』という作品で第100回の芥川賞を受賞した作家さんで、現在長野県の佐久総合病院に勤務する内科のお医者さんでもあります。

 私が『ダイヤモンドダスト』を読んだのは19歳の時でした。

 前章「書いたことが本当になる?」で、高校時代文芸部で書いた作品を顧問ともう一人、国語の先生に見てもらっていたと書きました。 その国語の先生はとても厳しい、辛口の批評をされる先生で(というより私の作品がそうさせたんだと思いますが)、その先生にこんなことを言われたことがありました。

 「小説というものは、そこに書かれているすべての文章が必要で、無駄な文章はひとつもない、すべてがラストに向かって網の目のように関わっていないといけない、そういうものだ」と。

 言われた私はその時は意味がよくわかりませんでした。

 でも『ダイヤモンドダスト』を読んだ時、その言葉の意味がとてもよくわかりました。

 なるほど、先生はこういうことを言いたかったんだと納得し、それ以来『ダイヤモンドダスト』は10回くらい読んでいて、その文章のリズムをなんとか真似できないかと原稿用紙に全部書きうつしたりしました。

 

 その南木さんは、芥川賞受賞後間もなくパニック障害からうつ病を発病されました。

 医師としての仕事が肺がん治療の最前線で、何人も何人も亡くなる方を見すぎて、心がそれについていけなかったのでしょう。

 その後は、自分の精神のバランスをとるために書かずにはいられなかった、というようなことをエッセイで書かれていますが、その作品は決して自分のことだけではなく、読み手のこともとても細やかに考えられた文章で、読んでいると、きっとものすごく優しい人なんだなあとわかります。

 文章の間から優しさがあふれていて、何が書かれているかよりも、私はこの人自体が好きなんだなあという気持ちになります。さらに加えて私自身が医者になりたかったということもあり、「医師であり作家である」という南木さんは私にとってまさに憧れの存在なのです。

 

 そんなふうにもはやアイドル並みに南木さんのファンになり、その後の作品もエッセイもほとんど読み、まるで南木さんのことを知っている人のように身近に感じた私は、ある時南木さんに手紙を書こうと思いました。でも文芸誌の編集社に送ったって、他のファンレターと一緒にされて本人には読んでもらえないんじゃないか。 どうしたら南木さんにちゃんと読んでもらえるんだろう。

 考えた私は、「そうだ、病院に送ろう」と思いつきました。

 その頃私は熊本の赤十字病院の総務課で働いていました。

 病院に届いた郵便物の仕分けをして、各病棟や検査部に届けたりするのも私の仕事の一つでした。

 南木さんが勤務する長野県の佐久総合病院に手紙を送れば、きっと総務課の人が届けてくれるだろう。 そう考えた私は、当時まだネット検索などという便利なものはなかったので、事務部にあった『全国病院一覧』という分厚い冊子で佐久総合病院の住所を調べ、手紙を書きました。

 もしかしたら返事も書いてくれるかもしれないという思いで一緒に返信用のハガキを入れていたら、ちゃんとお返事を頂いて、もう嬉しくて、それが届いた時には一人暮らしのアパートの玄関でしばらくピョンピョン飛んで喜びました。


 そんなこともあり、ますますファンになった私は、今度は南木さんに会いに行く計画を立てました(なんか、だんだんストーカーみたいですね。でもそんなアブない人じゃありません、念のため)。

 持病があった私は、高校の修学旅行に行けませんでした。

 長野県は、その修学旅行の場所でもあり、私にとっていつか行きたい場所でもありました。

 そこで、長野一人旅を計画。33歳の夏でした。

 松本城に上高地、善光寺に小諸市にある島崎藤村の詩碑のある懐古園など、行きたい所を全部自分でガイドブックで調べて計画を立て、最終日に佐久総合病院に行くことにしました。

 長野に行く前に、南木さんに「長野に行くので会ってください」とまた手紙を書きました。 また返信用のハガキも入れて。 するとまた、お返事を頂きました。

 ちょうどその夏に、南木さんが書かれた『阿弥陀堂だより』という作品が映画化されていました(寺尾聡さんが主演で、小西真奈美さんがしゃべれない女の子の役で出演されていたと思います)。

 その返信用のハガキには、そういった映画関係者とも会っていないし、自分は作家としては誰とも会うつもりはないと書かれていました。

 それでも、私が長野に来る日には晴れて浅間山がきれいに見えるようにと祈ってあり、こんなわけのわからないファンにも本当に優しい方だなあと感激し、会えなくてもいいから南木さんのいる病院に行ってみよう、と思って計画は変えませんでした。

 そうして最終日に病院へ行き、内科の辺りをうろうろして外来の先生の名前を見て、南木さんはどの人だろう?と思って(実はこんなにファンなのに本名を知らないのです)、なんとなくそれで満足して帰って来ました。

 南木さんに会いたいために立てた長野旅行計画でしたが、ずっと気にかかっていた修学旅行の思いも吹っ切れて、とても思い出深い旅行となりました。


 今も私の南木さん好きは継続中です。この前またお手紙を書きました。聞かれてもいないのに自分が結婚したことなどを書いて、このサイトで文章を書いていることも書きました。ちゃんとURLも。

 もしかしたら南木さんが読んでくれてるかもーと思いつつ、書いている私です。 



久しぶりの更新です。

年末は年賀状や大掃除など、何かと忙しいですね。

読んでくださった方々、ありがとうございました。

来年もよろしくお願いします。

それでは、良いお年を。


薫ようこ


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