極道の娘
いえ、私のことじゃありません。
私の家の前は公園で、公園にはいろんな子が遊びに来ました。
小学校にあがる前の私に“人見知り”という文字はなく、公園に来た子は誰でも友達で、よく家に連れてきて遊んでいました。母の話によると、私が連れてきた子のことを「あの子だぁれ?」と聞くと、私はにっこり笑って「おともだち」と答えていたそうです。
その公園に来た友達の中に、2人の姉妹がいました。
お姉ちゃんのともみちゃんは小学校2年生くらい。妹のみよちゃんは私と同じ5歳くらいでした。
この姉妹、顔が全く似ていません。
ともみちゃんは眉毛が下がってて、笑ってもいつも泣いているような、ちょっと最近の女優の木村多江さんのような“薄幸”という言葉が似合いそうな感じの優しいお姉ちゃん。
一方みよちゃんは、四角い顔に太い眉、目つきは鋭く、“女西郷さん”という感じです。
そう、この2人が極道、それもうちの近所をまとめている組長の娘でした。2人の顔が似ていないのは、お母さんが違うから。
うちの近くには神社があり、私の小さいころは春祭りや夏祭り、秋祭り、そしてお正月とにぎやかにお祭りがあって、神社の下の通りにはたくさんの屋台が出ていました。そのいわゆるテキ屋さんたちが集まって屋台の場所を決めているのをよく見たことがあります。
また、うちの近くには“有楽町”という飲み屋街もあって、夜になるとにぎやかでした。
そんなテキ屋や有楽町をまとめているのがともみちゃんたちのお父さん、組長なのでした。
家によく友達を連れて来る私は、友達の家にもどこでもよく遊びに行っていて、ともみちゃんたちの家にもよく遊びに行きました。
家に行くと、一部屋暗い部屋があって、いつもお母さんが寝ています。みよちゃんが「そこは近寄ったらだめ」と怖い顔で言うので、私は「お母さんいつも寝てるけど、病気なのかな。かわいそうだな」と思っていましたが、ずっと後になって母に聞いたところによると、そのお母さんは夜のお仕事なので、昼間は睡眠時間だったのです。
遊んでいると、私が時間を忘れてあんまり帰って来ないので、母がいつも迎えに来てくれました。
母と私がその家を出て門まで行く時には、両側に組の若い衆がずらりと並び、その間をまだ30くらいの母は「すいません、すいません」と小さくなりながら歩いたそうです。一方の私は母に手をひかれて、組のお兄さんたちに「ばいば~い」と無邪気に手を振っていました。実際、子どもの私にはお兄さんたちはとても優しかった記憶があります。そんな体験があるからか、いわゆる“ヤクザ”と呼ばれる人を見ても、今でもなんだか「優しい」という気がします。いや、実際は任侠ドラマで見るような極道さんなんてそういないのはわかっていますが。
ともみちゃんは本当にとても優しいお姉ちゃんでした。みよちゃんはとっても怖くてわずか5歳ながらどこか凄味のある子どもでした。私が小学校にあがる頃にはもう公園に来なくなって、組長さんの家もなくなってしまいました。
今頃どうしているんだろうと時々思い出します。
みよちゃんはおそらく立派な“姐さん”になっているんだろうと想像できますが、ともみちゃんは…。それでもその世界で育って、その世界で生きているのかなあ、と。
うちの近くの有楽町も最近はあの頃のようなにぎわいはなく、神社のお祭りも屋台がぽつぽつ出るくらいと寂しいものになりました。テキ屋さんたちがにぎやかに場所取りをしていた頃をなんだかとても懐かしく思います。