ダンジョン課
マリーはダンジョン課から提出された報告書を読んでいる。
目の前にはダンジョン課の杉原課長が立っている。鬼族の男性35才2児の父親だ。
「それでこのトラップのスイッチは誰が押したのだ。お前か」
「はい、いいえ部下が押しましたが、マニュアルに従い、私の命令で押しました」
「ふむ。良くやった。大勢で押しかけてくるとどうなるか。今後のけん制になっただろう」
ふー。杉原の口から息が漏れた。叱られるとでも思ったのだろう。
「帰って、その部下も褒めてやれ。これからも規則、マニュアル通りの働きを期待している」
「ありがとうございます。帰ります」
国務部長は良い人選をしたようだ。
これからもダンジョン内にある制御室のモニターには残酷で地獄のようなシーンが映し出されるのだろう。普通の者では心に障害を持つかもしれない。ああだから鬼族なのか、リン太も焼死を見るのは平気そうだったな。やはり鬼だな。
マリーは報告を聞き終え、満足した。
杉原課長は待たせていた馬車に乗り、ゴーラ市内の自宅に向かう。ダンジョンには妻と子供をゴーラ市の自宅に置いて単身赴任している。今日は、2カ月ぶりに我が家に帰れる。
「ああ緊張した。初めて領主様と直接話をした。報告だけだったけど、怖かった」
一仕事終わった安心感から、独り言が口から洩れる。
「あっ」彼は独り言を言っている自分に気付いた。俯いていた顔を上げてみる。
御者には聞こえていないようだ。課長にもなって新人のようなビビりである。
彼は、2カ月前、平の公務員からいきなり課長職を任じられDP0と言う仕事に従事することになった。
ダンジョンなんて全く関わった事がないので、その部署の長なんて無理ですと断ったのだが、「ゴーラ公爵領で経験のある者はいない。誰がやっても初めてに変わりはない。俺の人を見る目は定評がある。気合い入れて行ってくれ」と国務部長から直接説得された。
家に帰って妻に課長になる事だけ話したら、とても喜んでもらえた。年収が倍になるからだ、僻地手当と単身赴任手当を入れると2.5倍だ。これで家のローンも前倒しで返済できる。
それで彼はこの仕事を受けた。
仕事は、面白かった。全てが初体験のドキドキの毎日、ダンジョンが解放されるまでの2カ月アッと言う間に過ぎた。
そして解放の日、事件は起きた。第3階層に大量の冒険者たちが押しかけて来たのだ。
「課長、規定範囲を超えています。次の通路のトラップ、こちらで発動させていいでしょうか」
杉原は部下からの進言を受け、脳内に保存されているマニュアルを確認する。部下の進言に間違いはない。
「発動を許可する。冒険者全員が通路に入った瞬間を狙え」
「はい」
彼はモニターを見る。
「今だ、押せ!」
部下は躊躇なくスイッチを押した。その瞬間、モニターが真っ赤になり、そして40人余りの冒険者たちが焼かれていく。まさに地獄絵だ。スイッチを押した部下は顔面蒼白となり、手が震えている。
「よくやった。これで我が領内の平和が続く事になる。亡くなった冒険者たちは気の毒だが、彼らは冒険者だ、リスクも理解しての冒険だ。冥福を祈るだけだ」
杉原自身震える手で部下の肩を掴んだ。部下は私を見上げ無言で頷いた。
本当にこれで良かったのだろうか、今回発動したトラップは軍隊を想定して作られたものだ。冒険者相手に発動させ皆殺しにしてしまった。杉原は処刑されるかもしれないと思った。
でも結果は違った。処刑されるどころか、お褒めの言葉を頂いた。
回想をしている間に馬車は杉原の自宅前に止まった。
「ありがとう。明日は10時に出発だからお願いします」
杉原は御者にお礼を言い。玄関のチャイムを鳴らす。2カ月ぶりだ。
妻はドアの外に立つ夫を見ると、涙を流し抱きついて来た。
「あなた無事だったの、心配したのよ。ダンジョンで大きな事故があって50人以上が行方不明だと」
妻はしゃくり上げながら話す。
「心配をかけてすまない。私はこの通り無事だ。私の仕事はダンジョンの管理であり、探索する事ではないので、安心してくれ」
家に上がり部屋に入ると、旅行の準備中だったのが分る。妻はダンジョンまで探しに行くつもりだったようだ。
「今考えると無茶な事をしようとしていたと思う」
妻は赤くなった顔を俯ける。
「折角、旅行準備していたのだから、この機会に家族全員でダンジョン見学に行こうか」
妻も子供たちも喜んだ。
杉原家の家族旅行は、明日の10時に出発することに決まった。
草原を走る馬車からは、遥か彼方の地平線に小さな針のような塔が薄ら見える。
「おとうさん、あれがダンジョンなの?思っていたのより小さいね」
「まだ遠いから小さく見えるだけだよ」
「ふ~ん」
馬車は草原から森の街道に入り更に東へ進んで行く。宿場町で3度、宿を取り、朝また出発する。地平線から朝日が昇ろうしている。それを遮ろうとする太い大きな柱が真っ黒な影となって視界に現れた。
「おとうさん、昨日見えていたダンジョンだよね。大きいね」
「驚くのはまだ早いよ。まだ遠いから」
「ふ~ん」
それから半日をかけ、ようやくダンジョンに到着した。
馬車から降りた妻と子供たちは、口をあんぐりと開けたまま硬直している。
初めてこれを見る者はみんな同じだ。
右も左も上も、薄茶色の壁がある。どこまで続くとも知れない壁がある。これがダンジョンだと言われても、壁にしか見えない。遠くからは塔の形を見る事ができたが、今は壁があるだけだ。
「取り敢えず荷物を官舎に置きに行こうか」
もう一度馬車に乗り込み、杉原が普段住んでいる官舎まで送ってもらった。
官舎は職場である合同庁舎のすぐ近くに建てられてある。単身用はなく、全て家族で暮らせる間取りになっている。家族が突然来ても困らない。
部屋に入りお茶を入れ、一息入れる。
「あなた、大丈夫なの?あんなに大きな建造物を管理しているなんて、大変どころの話ではないわ」
「まあ大変ではあるけど、出来ないほどではないよ」
「あなたを見直したわ。あなたは、本当は凄い人なのね」
妻の興奮が解けない。子供たちも窓から見える風景に興奮している。
「そんなことは無い。普通の課長だよ。部下も10人しかいない。今から職場を案内してあげるから見たら分るよ」
杉原一家は、歩いて合同庁舎に行き、大きな玄関から入った。ダンジョン課は1階の片隅にある。ドアを開けて入ると、直ぐにカウンターがある。その向こうで数人の職員が書類を作っているのが見える。
「あ、課長、今日はお休みではなったのですか?」
「今日は、家族をつれてこの町を見学させている。これ出張のお土産」
「妻の杉原明美です。いつも主人がお世話になっています」
妻がみんなに向けて挨拶をする。声を掛けてきた職員も慌てて挨拶をする。
その様子に気が付いた他の職員も立ち上がり、会釈している。
「それでは、仕事の邪魔をしてはいけないので出ようか」
庁舎内の廊下を歩きながら妻は話す。
「みなさん、普通の職員ですね。私はてっきりダンジョンを調査するムキムキマッチョの方々が勤務されているのかと思っていました」
「そうだね。でも、ここは役所だから、こんなものさ。少しがっかりした?」
「いいえ、安心しました」
妻は本当に安心したようだ。
「僕はがっかりした」
杉原が足元を見ると息子の良太がつまらなそうにしている。
「そうか、次は冒険者ギルドへ見学に行こうか」
冒険者ギルドも合同庁舎の近くにある。
大きな両開きのドアを押して入ると、腰に剣を下げている者、槍を担いでいる者等、多くの冒険者たちがたむろしている。杉原は良太を肩車してやり、良く見えるようにしてやった。
「どうだ。お前の見たかったものがあるだろう」
「うん。凄い」
「あなた、幸子が怖がっているわ、出ましょう」
「それは悪かった。カフェでも行こうか」
今は入ったばかりなので少し残念な気もしたが、怯える幸子を抱き上げ、冒険者ギルドを出た。
少し歩く事になるが大通りに面した場所に最近オープンしたカフェがある。
カランコロンとドアに取り付けられた小さな鐘を鳴らしながら、カフェに入ると奥の席に少年と少女がテーブルを挟んでお茶を飲んでいる。客はそれだけだ。
鐘の音に気が付いた少女が振り返り私たちを見る。
「杉原じゃないか。そちらの方は奥方か?」
「領主様、はい。妻の明美です」
妻は突然の事に驚いたが、直ぐに理解し挨拶をする。
「初めましてご領主様、杉原の妻明美です。お会いできて光栄です」
「ふむ。私も嬉しい。折角だからこの者を紹介しよう。ゴーラ&リンのリン太社長だ」
14・15才ほどの少年だ。ゴーラ城内の噂で聞いた事のある、領主様のお気に入りの鬼人だと杉原は思い出す。
「私は、ダンジョン課の杉原です。よろしくお願いします」
杉原は握手のつもりで右手を差し出す。リン太は少し戸惑ったが、心を決めた様子で握手に応じた。
「こちらこそよろしくお願いします。ダンジョンについては領主様から説明を受けています」
「杉原そういう事だ。面倒なトラブルはこのリン太に相談しろ。解決してくれるとは限らないが、アイデアは期待できる」
ああそれで彼は戸惑っていたのか。領主様は人使いが荒いのでも有名だ。お気に入りとは言え、彼もその中の一人なのだろう。
「ありがとうございます。改めてよろしくお願いします。リン太社長」
「・・・できる事は頑張るが、あまり期待しないでほしい」
噂では、容赦のない危険な少年と聞いていたが、そのような印象ではない。この少年とならいい関係を築けそうだと杉原は感じ取った。
公爵と少年が出て行き、杉原一家は最初の予定どおり、このカフェでスイーツをゆっくり堪能した。お代は公爵のつけだ。とても緊張したが、頼りになりそうな少年と知り合えて良かったと、杉原は少し前の緊張を振り返っていた。
「あなたは、とても出世したのね。領主様とあんなに親しく話して。私もあなたにふさわしい妻になるため頑張るね」
「いや、買い被りだよ。今のままの君でいてほしい」
「あなた・・・」
誰もいなくなった店内で二人が手を握り合っている。
「お父さん、お母さん、いちゃつくのは別な所でしてほしい」
息子の少し迷惑そうな視線を受け、杉原夫婦はゆっくりと手を離した。
官舎に帰ってきた。妻は夕食の準備をしている。夫の杉原は子供たちと遊んでいた。
ズボンのポケットに入れていたポケベルが鳴る。取り出して見ると赤いランプが点滅している。緊急呼び出しだ。
「職場で何かあったようだ、行ってくる。直ぐに帰ってこれるとは思うが先に食べていてくれ」
「はい、気を付けてね」
妻に見送られ、ダンジョン課の事務室に入り、奥のドアから地下に延びる長い階段を下りて行く。階段の先にあったドアを開け、中に入ると部下たちが慌ただしく動いている。
「何があった」
「課長、魔核の魔力保有量が急激に上昇しています。既定の量を10%超えています。冒険者が50人程、ダンジョンに吸収されたようです」
どこの間抜けだ。この前集団での行動は危険だとギルドから注意喚起が出ている。このままでは魔力暴走によるスタンビードが早まる。この魔力をどうにかしなければならない。
杉原は既に死亡したであろう冒険者たちに毒づきながらも、脳内に保管しているマニュアルを高速でめくる。そして閃いた。
あった。そうだった、この機会に魔剣、宝剣、魔道具等々ダンジョン内にばら撒くアイテムを作成するチャンスだ。
「余分な魔力はアイテム作成ラインに回せ」
「了解しました」
暫くすると、魔核内の魔力は規定範囲内に落ち着いた。
「それで、どこの間抜けどもが死んだか解るのか?」
「いいえ、場所は分かりますが、誰かまでは分かりません」
「分った。今回の件は日誌に詳しく記入しておけ、私は帰宅する」
「「お疲れさまでした」」
「ただいま」
「あなたお帰りなさい。もう大丈夫なの?」
「ああ、ダンジョン内にトラブルが発生したようだが、外には影響がないようだから、問題ないだろう」
「そう。ダンジョン内はとても危険そうね」
「そうだな。危険と分かっているのに、そこに喜んで飛び込んで行く冒険者の気持ちは理解できない」
「あなたは無理しないでね」
「分っている」




