隠密イナゴ作戦
一同からの感謝を受けるとマリーは、リン太たちと離れ官邸の奥に消えた。残されたリン太たちは客室に案内される。
そこはホテルで言うところのスイートルームだった。社員の慰安旅行にしては贅沢この上ない。
既に妻たちの荷物は運びこまれている。またこの荷物が非常に多い。
「何この荷物。お前たちここに住みつくつもりなの?」
「そんな訳ないでしょ!これは、今夜の晩さん会に参加するための衣装があるからよ。準備するのに大変だった」
カナコは少し前の苦労を思い出したように肩を回しながら言っている。
「それはご苦労さん。それでどの様な衣装だ」
「ふふふ、聞いて驚け、凄い値段の衣装だ。全てマリー様が買って下さった」
リン太は、お金の事を聞いたつもりはなかったが、それが凄すぎたのだろう。
「 ・・・ 晩さん会までの楽しみにしておくよ」
「そうか、そうだな。お披露目は晩さん会の楽しみにしよう」
カナコは見せたくてたまらない様だが、我慢する。
晩さん会を控え妻たちのテンションは上がって行く。
素敵なドレスをお披露目するためだけではない。彼女たちの目的は、それに出される料理である。
「みなさんに一言注意しておきます」
ヒロミが妻たちを集めて晩さん会の注意点を話す。
「以前、私と兄はマリー様のお屋敷に招かれ御馳走になりました。大変美味しい料理でした。でも兄と私はその後、二度と食事に招かれることはありませんでした。何故だかお分かりだと思います。そう食べ過ぎたのです。イナゴの様にあっという間にテーブルを砂漠に変えたのです」
「ではどうするのです。御馳走を前に我慢などできません」
一番の年少者である里美が訴える。
「我々はイナゴです。集団で掛かれば一つのテーブルに乗る料理など一瞬でしょう。次々と砂漠化するテーブルが発生しては目立ちます。それで今回は、隠密イナゴ作戦で行こうかと思います」
自分たちのことを虫けらと言い切る。それに誰も反対する者はいない。
「それはどの様な作戦なの」
「今回の晩さん会は人数も多いから立食形式よ。乾杯の後、少しの間だけ私たちのテーブルで話をした後、一人ずつリン太に連れ出してもらい、他のテーブルの人を紹介してもらうの、そこでお喋りを楽しみながらそのテーブルの料理を上品に美しく綺麗に食べつくすのよ」
「「「なるほど」」」
ヒロミの作戦に妻たちが目を輝かせる。
「それでは俺だけがあまり料理を食べられないじゃないか」
リン太はこの作戦の不備を指摘する。
しかし、間髪を入れず、立案者のヒロミに否定される。
「何を言っているの。兄さんは今日まで散々居酒屋で飲み食いしていたでしょう」
「ぐっ、すみません。協力します」
妻たちがまた怒りモードの移りそうなのを感じて、リン太は、直ぐに謝った。
晩さん会の時間が押し迫ってくる頃、妻たちは化粧と着替えをすませ部屋から出てくる。
紅梅色のカナコ、ベビーブルーのミサコ、ライムイエローのニナ、エメラルドグリーンの里美。
リン太はその美しくドレスを纏った妻たちを見て震えた。
「凄く綺麗だ。結婚してくれ」
「何バカな事を言っているの、私たちは既にリン太の嫁よ。それより、作戦上手くやってよ」
カナコたちは、色気より、食い気モードに入っていた。
リン太も気を取り直し、彼女たちの狩場に赴く。
「了解だ。隠密イナゴの嫁たち、いざ参らん」
会場に入ると、すでに多くの客がファーストドリンクを片手に談笑している。リン太とは昼間の視察で会ったことのある者たちだ。
目立たぬように、スルスルと自分たち指定のテーブルに着く。同じテーブルには長官夫妻も着いている。軽く挨拶を終える頃、主催のマリー様が登場してきた。
「本日はご苦労であった。ダンジョンがこの荒れ地に出現して、早1年が過ぎ、魔塔都市の人口は3万人を超えた。これは諸君たちの努力の賜物だ。これからもこの都市は発展して行くだろう。私もこの都市に投資を惜しまないつもりでいる。今夜はささやかであるが、楽しんでもらいたい。では魔塔都市の発展を祈念して乾杯」
「「「乾杯」」」
リン太はその場で少しの間、長官夫妻と雑談しながらタイミングを計る。傍らのカナコに腕を取らせ、そろそろ隠密イナゴ作戦に移ろうとしたその時。
「リン太様、ご挨拶します。私、ロイド商会のロイドと申します」
「えっ」
恰幅の良い壮年の男性とその妻と思われる夫人が、リン太の前に立っている。改めて周りを見ると、このテーブルに向かって人が集まってきている。正確に言えばリン太目がけて集まってきているようだ。
「リン太、私、少し席外すね」
カナコはリン太の腕を離して、離れて行く。ここで留まっていては御馳走を食い損ねると判断したようだ。素早く的確な判断だ。他の妻たちも、サーと潮が引くように、テーブルから離れていく。隠密イナゴ作戦は、プラン2に移行した。
それはリン太が他の客につかまり、身動き取れなくなった場合のプランだ。役に立たないリン太を見捨てて自分たちだけで、イナゴ作戦を遂行する。
リン太は顔を引き攣らせながらロイド商会のロイドとやらに向かい合う。
「初めましてではありませんね。昼間、視察のおりにお会いしています。メイン通りにお店を構える武具を扱う商会でしたね」
「覚えてくださいましたか。その通りでございます。リン太様は事業の他に冒険者としても凄腕とか、是非私どもの商会をご利用ください」
「いや私は、冒険者と名乗るほどの実力はありません」
「ご謙遜を、噂になっていますよ。領主パーティの双剣のリン。ミノタウルスを何匹も切り倒しギルドマスターの御子息を救出したと。おっと跡が閊えていますね。私はこれで失礼します」
領主パーティ?双剣のリン?ミノタウルスを何匹も?誰それ。噂に尾ひれが付くのは知っているが、一度のダンジョン探索、本当はダンジョン観光だけど、それで、二つ名?
あの双剣は、1本だけだと体を鍛えていないリン太は重さに負けて体が傾くので左右バランスとるために、左右に一本ずつ下げていたのだ。使ったことは勿論ない。雰囲気を出すために、装備についてはお金を掛けた。それが原因で一流の冒険者と見られたのだ。
リン太がダンジョン観光に装備していた双剣の事を思い出していると、また目の前に一組の男女が立つ。
「リン太様、ご挨拶します。私、ロック商会のトリスと申します」
いつの間にか、リン太の前には挨拶をするための列ができていた。
リン太は、自分がご馳走を食べられない運命である事を悟った。離れた各テーブルには、妻たちが一人ずつ楽しそうに会話と食事をしているのが見える。
よく見ないと解らないが、彼女たちのテーブルにあった料理は、魔法に掛けられたように消えて行く。
そして彼女たちは、何もなくなったテーブルから次のテーブルに移動する。まるで、花から花へ移り飛ぶ蝶のように、素敵なドレスを纏った少女たちは、全てを食らいつくしていく。
殆んどの客たちは、料理が無くなっている事に気づいていない。
唯一この異常事態に気付いたのは、この会場ヘッドウエイターのハウルだった。
領主様からのご挨拶があって、5分後、お客様たちが、各テーブル間を移動しだす。
そのタイミングで空になった皿やボトルをウエイターたちが新しい料理や飲み物に取り換えて行く。ハウルはその作業を厨房に面したドアの横で見つめている。
「良い滑り出しだ」
彼は独り小さく呟く。彼の仕事は料理の提供や片付けを担当する係の他に、全体の状況を把握し指示を出す役割をはたす。
中央付近のテーブルに客たちが集中している。これはよくある事だ。そのテーブルに重要人物あるいは、人気のある者がいるのだろう。一つのテーブルに人が集中しているとは言え、そこの料理や飲み物が他のテーブルと比べてなくなるのが早い事は無い。反対にその減り具合は他のテーブルと比べて遅い。
そのテーブルにおいては、食べる事より会話が優先されているからだ。
それを裏付けるように、そのテーブルを中心に周りにあるテーブルの料理がなくなっている。
「あれ、少し早くないか?」
瞬く間に料理が消えて行く。瞬く間とは、まばたくほどのごく短い間と言う意味だが、それは、揶揄であり本当の意味ではない。しかし今回の場合は言葉どおりだ。まぶたを瞬間的に閉じて開ける。その一瞬の時間にあったはずの料理が無くなる。そして、また次の瞬間、料理が乗せられていた皿がただの白い皿に変わる。
「何が起きている?いやそれよりも料理が足りなくなっている」
ハウルは厨房に駆け込み、料理長に追加の料理を大至急作るよう伝える。
「おう、任せな。今日は大食漢がいるようだな。心配するな、対応してやる」
その時から、厨房の料理人と給仕たちの地獄が始まった。
3時間が過ぎ、最後のデザートであるアイスクリームが各テーブルに配られる時まで、その地獄は終わらなかった。その凄まじさは洗い場に収まり切れなく、料理場まであふれた使用済みの白い皿が物語っていた。
「真っ白だぜ」
厨房の隅にある椅子に腰かけた料理長の言葉である。
隠密イナゴ作戦は成功したようだ。




