甘い来訪者
気づいた瞬間、全員の腰が浮き上がっていた。
フィンの手が、ナイフに伸びる。
クロエが低く唸りを上げた。
「誰だ」
鋭い声が、扉に突き刺さる。
扉の前の主が、動きを止めたのが分かった。
誰もが口を閉ざして身を固くする。
奥でかまどの薪が跳ねた。
そうして数瞬の内に声が帰ってきた。
「兄さん。僕だよ」
ゆっくりと扉が開く。
そこには両手に羊のマークの白い包み紙を抱えた明るい金髪の男の子が立っていた。
息を弾ませ、こうばしい香りがぬるい室内にふわりと広がる。
白い頬はうっすら赤く染まっていた。
「…シード」
フィンが短く息を吐く。
「あれ?ティアさんとクロエじゃないか。久しぶりだね」
金髪の男の子——シードはのんびりと口を開いた。
茶色の瞳がくるくると動き、一瞬も止まることがない。
柔らかそうな前髪が、汗で額に張り付いていた。
「それより見てよこのパン!今日は売上が良かったから、二本も分けて貰ったんだ。冷めないように走ってきちゃった」
赤い頬をさらに染める。
扉から差し込む光を受け、髪が黄金に輝いた。
シードは後ろ手で扉を閉めながら、クロエに近づくとその頭をゆっくりと撫でる。
マルタさんとの違いはここだね。
「そうか。ありがとう」
フィンが椅子に腰掛けながら、肩を落とす。
兄としては嬉しい。
でも冒険者としては複雑。
そんなところだろうか。
小さな家に三人と一匹。
少し手狭になってきた。
そんなことを考えながら首をぐるりと回す。
二段ベッドに、二脚の椅子。
そういえばこの兄弟は二人暮らしだったな。
フィンは冒険者として働き、シードは人気のパン屋で修行中の身。
冒険者には危険が付きまとう。
神殿の蘇生が間に合わなければ命を落とすかもしれない。
安全で、お腹が満たされて、将来性のある仕事。
私から見てもシードは鉄の匂いのする冒険者より、こおばしい香りを連れて返ってくるパン屋の方が似合っている気がした。
そんな事を思いながら、ランタンを撫でる。
「おかえりシード」
「ただいま、兄さん」
立ち上がったシードがパンを手渡しながら応える。
フィンは木でできたカップにお湯を注ぐとシードに手渡した。
それを一息に飲み干し、今度は自分でカップにお湯を注ぎ始める。
湯気がシードの顔を包んでいく。
そうして、そのまましばらく目を伏せると、改めてこちらに体を向けた。
「それで、またどうしてティアさん達がいるの?お店ってこっちの方面じゃないよね?」
ここがどっちの方面にあたるのかまるで分からない。
フィンに着いてくるので精一杯だった。
「ここって街のどのあたりになるの?」
「南側だ」
短く答えたフィンの声に、クロエが顔をしかめる。
思ったより遠くに来てしまった。
「安心しろ。正確に言うと南側の中でもやや東寄りだ」
安心できるかは微妙だった。
店は東側で、ここから歩くとちょうど日が暮れてしまう。
「市場で荒っぽい連中に絡まれてね。逃げてるときにフィンが声を掛けてくれたんだよ」
「背後からね」クロエが余計な一言を加える。
「悪かったって」
「兄さん。そういう事しがちだよね」
シードが笑いながらベッドの下段に腰掛ける。
そうか、私が椅子に座っているからシードが座れないんだ。
私は腰を浮かせかけ、シードがそれを手で制した。
そのまま座っていて良いみたい。
こういうところが、自然と人に好かれる所なんだろうな。
「それで、話の続きだがこれからどうする?」
部屋の中が再び静まり返る。
カップの中のお湯はすっかり冷めていた。
「それなんだけど、もう日も落ちるし、ひとまずは店に戻ろうと思うの」
「え、ティアさんもう帰っちゃうの?」
「シード」
「はいはい」
こうしてみると本当に仲の良い兄弟だ。
ズレてるけど頼りになる兄と口達者で愛嬌がある弟。
ま、わたしとクロエだって悪くないコンビだけど。
そう思ってクロエを見るとちょうど口を開いて、大きなあくびをしていた。
…やっぱり、今日は戻ろう。
店に戻らなければランタンを修理することもできない。
腰に吊ってあるランタンにそっと触れる。
あの男たちは明らかにこのランタンを狙っていた。
それも、一人や二人ではない。でもアルフレッドさんはそんな事は言っていなかった。
このランタンには私の知らない何かがある。
そうでなければ説明がつかなかった。
「わかった。店に戻るんだな?送ってくよ」
若葉の瞳が腰のナイフに落ちる。
指先で柄を確かめ、抜きかけた刃先が銀色に光った。
「ありがとう」
「だがな、明日でいいから、警備隊かギルドか、どっちかに報告しろよ」
「うん」
そう答えながら、地面に視線を落とす。
このランタンの処遇については答えが見つからない。
ここで依頼を断るのは、私としても避けたいところだった。
なにか言いたげなクロエは少し前足を上げたが、結局何も言わず前足を元に戻した。
フィンは立ち上がると、扉を少し開け外の様子を伺う。
「シード。市場は騒ぎになっていなかったか?」
「少し前は何だか騒がしかったけど、僕が帰る頃はもう収まってたよ。ランタンがどうとかって随分騒いでたよ」
シードの瞳が腰のランタンを写して、驚きで見開かれた。
「そうか」
フィンは周囲を警戒しながら、ナイフの柄を擦る。
そして、手を体側に振った。来い、の合図だ。
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