薄暗い家
外から風が吹き付ける音が聞こえる。
扉が閉まり、暗闇が辺りを満たす。
隙間から漏れた一筋の光が、部屋の中を照らした。
家の中には二段ベッドがあって、上の段にだけ布団が敷かれている。
下段には茶色い毛布だけが放り投げてあった。
小さな机の上にふちの欠けた白い花瓶がある。
そこに萎れたソルヴィアの花が1輪飾られていて、薄暗いこの部屋の中でその赤い花びらが浮いて見えた。
「とりあえず座れ」
フィンがランプのつまみを捻りながら、近くにあった椅子を勧めてくれた。
思ったより低い椅子に腰掛けたフィンは窮屈そうに脚を折り曲げた。
サイズが合っていない。
自分も同じように椅子に腰掛けると、体が深く沈んで背中が丸まった。
冷たい風が足元を這っている。
付けたばかりのランプが頭の上でかすかに揺れた。
クロエが身軽な動きで膝の上に飛び乗ってくると、高い体温を感じ、自然と呼吸が深くなる。
思ったより緊張していたらしい。
金色の瞳が、私の顔を覗き込んだ。
「あー…なんとか無事にたどり着けたな」
「フィン、助けてくれてありがとう。まだ、お礼も言ってなかった」
自分の無作法に気づいて、すこし早口に感謝の言葉を述べる。
フィンははにかみながら声をあげた。
「ま、なんだな。何か飲むか?うちには茶なんて上等なものはないから、水かお湯か、あとはエールになるがな」
そう笑いながら問うてくる心遣いに声が緩む。
「ありがとう。お湯を貰ってもいい?汗が冷えたみたい」
「おう。まかせな」
そういうとフィンはかまどの前に立ち、小さな魔法石のついた懐かしの着火機を取り出した。
左手で近くにあった薪に火を付けながら、瓶の水を鍋に移す。
かまどの熱が空気を伝って部屋の中を温める。
緑のカップとふちの欠けた平皿に沸かしたお湯を注ぎ込んでいく。
私はクロエを撫でながら、視線を床に向ける。
あの男たちの言っていたことが気になっていた。
ランタンを持っているぞ。ランタンを探せ。
アルフレッドさんにとっては特別でも、周りから見たらただの古い量産品のはずだった。
なのに、なぜ。
「どうぞ」
緑のカップを受け取る。
平皿はそのまま床へ。
クロエの分だ。
ほのかに立つ湯気を見つめると、黒猫は膝から飛び降りた。
鼻先で匂いを嗅ぎながら、ペロリと舌でお湯を舐める。
尻尾が膨らんで、口を引っ込める。
少し熱かったらしい。
思わず笑い声が漏れた。
その様子を見ている内に、カップの熱が指先に移る。
私も渡されたカップに口をつけた。
「今朝シードが汲んだばかりの水なんだ」
フィンはそう言いながら自分も銀色のコップを煽る。
側面が凹んだそれを、慣れた手つきで擦った。
「どうりで。おいしいと思った」
「はは、お目が高いね」
クロエが皿の前を行ったり来たりする。
自分のカップを机において、クロエの皿を持ち上げる。
そうして息を吹きかけて、熱を冷ましていった。
クロエは私を見つめながら、前足を揃えて座り込む。
そうして満月のような瞳に映る自分が、いつもの自分に戻っているのだとようやく気付いた。
クロエがせかすように「にゃあ」と鳴く。
ぬるくなったお湯をクロエの前に置くと、今度はすぐに舐め始めた。
助けてくれたのがフィンで本当に良かった。
「それで、これからどうするか」
フィンが切り出す。
「今は受けている依頼もあるし、自分の店に戻りたいの」
「だよな」
ランタンを修理するのは絶対だが、道具がなければ何もできない。
今日はダンジョンに同行する日でもないから、身軽な装備で来てしまった。
手元にあるのは、護身用のナイフと、簡易魔法陣、それに財布だけだ。
フィンが顎に手を当てる。
若葉の瞳が天井を見上げた。
クロエの耳が扉を向く。
「しかしなぁ。一旦はここでほとぼりが冷めるのを待つとして、その後はどうする?」
「え?」
「追われてる理由に心当たり無いって言ってたよな。いつまで追われるかわからないぜ」
流石に荒事に慣れている。
この場をやり過ごしても、安全だとは限らなかった。
指先の温もりが、急に遠のいた。
「気は進まないかもしれないが…冒険者ギルドか、警備隊か。どっちかに助けを求めるべきだな。あの人数差だと、俺も逃がすので精一杯だ」
その通りだった。
だが、そうなればこのランタンの事も説明せざるを得ない。
アルフレッドさんの震えた指先を思い出す。
断る。
その言葉だけが、ひどく遠く感じられた。
フィンが、反射的に立ち上がる。
「……おい。ここ、見つかるような場所じゃないぞ」
ランプの光が、音もなく揺れた。
答える前に、扉の向こうで――
地面を、蹴り上げる音がした。




