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0.5

 出産とは地獄の釜の蓋を開くことと同義である。これは父の言葉だ。

 私の父は脳科学研究者だったが、新宿のラブホテルの一室で発狂し、全身を自分で滅多刺しにして自殺を遂げた。

 ちょうどその頃私は⚪︎⚪︎市にあるキチガイ病院に入院しており、日に一本のバナナを口にする以外は何も食べない日々を送っていた。私はありとあらゆる事に無反応で、触圧刺激はもちろん、痛み刺激、声かけ、ありとあらゆる外的刺激に反応しない、まるで人形だったそうだ。

 独房のような個室で日がな一日天井を眺めて過ごしており、時折トイレに行く以外は本当に何の反応も見せなかったという。

 父が死んだと面会に来た母が泣きながら私に言った。その時だった。私が6年ぶりに声を出したのは。

「あっ」

 そう一言だけ発した直後、私は失禁してその場で気絶した。次に目が覚めた時は自室のベッドの上だった。 

 私は起き上がり、部屋に置いてある姿見で自分の姿を確認してみた。ひどく痩せて顔色が悪かった。胸の下近くまで長く伸びた髪はろくなケアをしていないせいでバサバサ。死病患者のような自分の姿に愕然となった。すぐに部屋に備え付けてあったナースコールで看護師を呼ぶと「すいません、お腹空いたんで何か食べ物もらえません?」と言った。

 看護師は驚いて慌てて部屋を飛び出して行ったかと思うと、今度は白衣姿の中年男性を連れて戻ってきた。

「は、話せるのかね」

 どうやら彼は私の担当医らしい。

「どうもお手間をおかけしたみたいで、もう平気なんでご飯食べたら退院したいんですけど…お母さんに連絡してもらえます?」

 もちろんそう簡単にはいかなかった。

 それから私はいくつもいくつも下らない検査や問診を受け、母と何度か面談をした。母は私が話し始めると泣いて喜んだ。

 私はとにかくよく食べた。この6年で損なわれたものを取り返すかのように次から次に口に入れた。

 私の肌は日に日にハリと血色を取り戻し、骨と皮だった体にも次第に脂肪と筋肉が戻ってきた。結局退院が許されたのはそれから2週間後のことだった。

 晴れて自由の身になった私が最初にしたことは髪を切る事だった。そもそも私はロングヘアが好きじゃなかった。

 高円寺の適当なヘアサロンに予約をいれ、カタログでとりあえず今流行ってるらしいセミロングくらいの長さの髪型をいくつかピックアップして似合いそうなの、とオーダーするといい感じに緩めのパーマがかかったレイヤーカットに仕上げてくれた。ライトブラウンのカラーもいい感じであれ? 私結構可愛くない? まだちょっと痩せすぎだけどもう少し体重が増えたらまあまあいい線いってると我ながら嬉しくなる。

 私はジムに通い始める。毎日10km走り、筋トレをして、沢山食べた。

 肉体が生きる力を取り戻したらしく、私の体はみるみるうちに20歳らしい若々しさと瑞々しさを取り戻していく。

 痩けた頬は程よくふっくらと赤みを取り戻し、ガサガサだった唇は艶やかな張りと潤いを取り戻した。

 36kgだった体重が47kgになるのには半年ほどかかった。

 すっかりどこにでもいる20歳の仲間入りを果たした私に彼氏が出来る。ジムで知り合った彼は製薬会社の営業をしているらしい。

 これからの生活に希望みたいなものを抱き始めたそんな時に母が投身自殺を図る。私の実家は16階建てのマンションの14階で、母は14階のベランダから飛び降りた。

 最悪なのはその日が丁度彼を母に紹介する日で、母が飛び降りたまさにその時、母の落下地点に我が家を訪ねて来た彼が居たのだった。私が下の騒ぎに気がついて飛んでいくと漫画みたいに頭と頭がゴッツンコしたらしい2人は折り重なるように倒れていた。血がたくさん出ていてよくわからない肉みたいなのも飛び散ってる。多分脳みそと思われるものが混ざり合うようにそこら中に散らばっている。

 その辺りで私の記憶は途切れる。

 後で聞いた話では、私はおかしくなって地面に頭を何度も打ちつけ始め、止めようとしてくれた人をぶん殴り、母と彼の死体を齧っていたらしい。

 一応近親者の衝撃的な光景を目の当たりにした上での錯乱って事で片付きそうになるけれど、私はキチガイ病院に逆戻りかなと少し心配になる。あそこはもう嫌だ。私はキチガイじゃないしキチガイは病院で治ったりしない。キチガイはキチガイという自分を抱えたまま死ぬまでキチガイをやるしかないのだ。

 彼の家族からは2度と関わりたくないと言われ、葬式にも行けなかった。母親の葬式だのなんだのは全て面倒だったのでうっちゃっていたらいつの間にか全部叔父が済ませてくれていた。私は部屋に閉じ籠り、寝て起きてを繰り返していた。1週間くらい水しか飲まないで寝て起きてを繰り返していると酷い貧血でトイレに立ち上がるのも辛くなった。もういっそこのまま私もベランダから飛び降りようかなと思ったが、とにかく貧血が酷くて何か食べなきゃ死ぬこともままならないんだなと私は知る。

 仕方がないから台所を物色していると期限切れのホットケーキミックスが出てくる。 牛乳も卵もなかったけど水と溶かしバターをよく混ぜた所にホットケーキミックスを入れてざっくり混ぜる。マヨネーズも少し入れる。熱したフライパンを一度濡れ布巾で冷まし、中火にかけた所に生地を落としていく。

 マヨネーズのおかげでそこそこふっくらと焼き上がったホットケーキを2枚食べる。

 食べ終わると食器を洗い、髪を梳かして出かける時のように化粧をした。

 さて死のうかとベランダに出るとそこに小学生くらいの男の子が立っていた。

「やれやれ。お父さんを探しに来たはずなのにこんな訳のわからない所に来ちゃったぞ。お姉さんここってどこ?」

「ここは東京都調布市だけど…あんた誰? どうやって入ったの」

「僕は犬吠埼地獄。犬吠埼が苗字で地獄が名前。ママの頭がおかしくてこんな名前なんだけどそもそも3次空間に適応するために産道を借りただけの雌固体だから別にそれを恨んでもないんだけどね。僕を識別するこの空間上での記号なんてなんでも良いんだから」

「あんたも病院が必要みたいだね。出てってくんない? 私ちょっと今から死のうと思ってるからさ」

 私はもう電波なたわ言とか面倒な話は一切聞きたくないのだ。お腹いっぱいのまんまさっさと死んで消えてしまいたいのだ。

「調布じゃ全く違うんだよなあ。お姉さん死ぬ程暇だったら手伝ってくれない?」

 ハイ話通じない系〜。もういい。無視してさっさと飛び降りよう。

 私がベランダの柵に片足をかけようとすると犬吠埼地獄は私を殴り飛ばした。すごい力で私は部屋の中まで吹っ飛ばされる。背中からリビングに着地した私はその場でしばらく息ができない。

「ちょっと動かないでね」

 そういうと犬吠埼地獄は私のスウェットパンツを脱がし、下着を剥ぎ取った。

 露出された性器が外気に触れ、ひやっとする。

 犯されるとは思わなかった。

 もっと酷い事をされると解っていた。

「ごめんね」

 大きく私の股を開いたままそう言うと、犬吠埼地獄が私の膣に頭を突っ込んだ。

 みるみるうちに少年の頭が私の膣に吸い込まれるように消えていく。

 どうなってるんだ? なんで入んの? 絶対無理でしょ。

「ちょちょちょ、何これ何これどうなってんの? え?」

 と私がパニくってる間に犬吠埼地獄はすっかり私の中に入ってしまった。

 私は自分のお腹をさすってみる。全然膨らんでない。

『中野までお願いします〜』

 私の頭の中から声が聞こえる。体が意識と切り離された様に勝手に立ち上がる。

 私は私の意識とは別に、手早く下着とスウェットを身につけると玄関に向かう。

 途中父の部屋のドアが開いており、中で血まみれの父と母が一心不乱に交わっている。2人とも獣みたいな声をあげて無我夢中でお互いを貪りあっていた。

 私の足はそんな事に構う事なく動く。

 玄関扉のドアノブに、何かがぶら下がっている。

 私の首だ。

 失禁するのを感じながら、私は意識を手放した。

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