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砂浜に打ち上げられた瓶を拾う。おそらく中には僕の知らない母親からの手紙が入っている。手紙は小綺麗な便箋に小さな字でびっしりと僕に対する呪詛が書き込まれている。僕には母親はいないが、きっと僕の母親ならばそうするだろうという確信があった。
ノルドライン海岸には大小無数の琥珀が散らばっており、空を漂う濃密な雲が時折急降下してそれを咥え、再び空に舞い上がっていく。見慣れた光景だが案外こういった当たり前を特別に感じることこそが幸福を理解する第一歩なのかもしれない。
「上級拷問官。そろそろお時間が…」
幸福への第一歩は僕の背後に侍る下級拷問官の男に遮られる。こいつは最近入庁したばかりの新人の癖にやけにズケズケとものを言う。僕とは正反対のそういう姿勢が気に入って従者にしているのだが、僕と正反対ということはつまるところ馬は合わないって事だ。僕は腰の鉄鞭を引き抜くと力任せに下級拷問官の肩口を打ち据えた。
鋭い悲鳴が上がり、上腕の付け根、肩関節をちょうど狙った一撃は上手に下級拷問官の肩関節を外した。
「たかだかゴミクズの世界干渉規約違反程度に何で僕が駆り出されなきゃいけないんだ? お前は、何の、ために、いるんだ?」
教師が出来の悪い生徒に言って聞かせるような口調を意識し、口に出しながら一言ごとに鉄鞭を振るった。やめてとかご勘弁をとか言ってたがもう関係ない。このガラクタは処分だ。適当な位相に飛ばしてやろう。そこで下級観測者としての生を全うすればいい。やはり部下は寡黙な方がいい。僕はどうにも口やかましい人間と相性が悪いのだ。自分で選んだのだから処分も自分で責任を持ってしなければ。僕は鉄鞭を振いながら考える。
幻想4次空間に最近蔓延り始めた瞋。その陰鬱なムードに世界は覆われ始めている。3次空間の消滅が連続しているそうだがその影響なのだろうか? 父に聞けばわかるのかもしれないが…。
いけない。加減を忘れていた。
気がつけば目の前の男だったものは血まみれの肉塊に変わっていた。これでは3次空間に飛ばした所でせいぜいが植物か良くても昆虫といったところだろう。僕は昔からこうだ。考え事を始めるとどうも加減を忘れてしまう。ひとまずエスカリーナ姉さんに報告して、この死体を適当な位相に飛ばしてもらおう。
悪臭漂う肉塊に雲が群がり始めた。このまま1時間もすれば跡形も残らず食べてくれるだろう。僕はその場にそっと座り込み、姉の事を想いながらマスターベーションした。彼女の唇を想い、彼女の指を想い、彼女の乳房を想った。彼女の膣を思い描こうとしたところで僕は射精した。遠くまで飛んだ精子の一滴が大きく膨らみ、一対の鳥になって空高く飛び上がっていった。
エスカリーナ姉さんは最近3次空間の事にかかりっきりでもう3週間も一緒に夕食をとっていなかった。
3次空間では人と人は自由に性的な欲をぶつけ合い、契約を交わし一緒に過ごすらしい。瞋の蓄積を想像するととてもではないが合理的とは言えないやり方だが、彼ら(或いは彼女ら)はそういった擬似コロニー的小環境に身を置くことで安心したり幸せを感じるらしい。
僕は姉と自分をそうった場所において見ることを想像しようとしたが、うまくいかなかった。マスターベーションの時はあんなにも鮮明に思い出せる像がなんだかぼやけてしまい、霧消してしまうのだ。こうした現象はこれまでにも何度かあったのだが、ここ最近は特にひどい。
「まあ、いずれにせよ18位相の刮目を確認してからだな」
僕はそう独りごちると歩き出した。執務室に戻り、姉の所在を確認しよう。