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 第3位相、緑山小学校3年2組から一際大きな波動を検知した私は、満員の山手線外回りの中で下腹部の急激な弛緩による大放屁をぶちかました。

 すぐ隣に立っている白髪の目立ったサラリーマン風の男性が顔を顰めて私から距離を取ろうとモゾモゾ動いた。昨日食べた焼肉がゆっくりと腸内で発酵した強烈なニンニク臭が次第に立ち昇ってくる。

 27歳OLという設定を与えられた仮初の肉体ではあるが、周囲の反応を見るにどうも外見情報と先ほどの行動によほどギャップがあったとみえる。皆一様に知らん顔を決め込んでいる。しかしそんなことはどうでも良い。私は彼の消失を確信している。知覚したところで手も足も出ないのだからどうしようもない。

 そもそも我々のような下級観測官には別位相にジャンプしたり干渉する権限も力も与えられていない。彼の消失を悲しんだりする暇などない。文字通り、明日は我が身なのだ。

 私は彼の表層情報を思い出そうとしたが、既に彼に関する情報の削除が始まっているらしく、ぶつ切りの場面しか浮かんでこない。虫食いだらけの記憶の断片を繋ぎ合わせなんとか彼の顔を思い出す。

 彼の逞しい腕を思い出す。分厚い胸板を思い出す。私の中を掻き回した太い指を思い出す。そして⬛︎⬛︎⬛︎を思い出す。フェラチオの時歯が当たって悲鳴を上げたことを思い出す。もう少し記憶の余韻に浸りたかったが、上位存在がそれを許してはくれないらしい。思い出す側からそれらは溶けるように消えていった。

 上野駅で私は電車を降りた。人でごった返す駅構内をフラフラと歩き、なんとかトイレに辿り着く。女子トイレは行列ができているが、彼女たちを押し除けて私は個室に駆け込むなり便座を抱えてその中に盛大に反吐をぶちまけた。

 3度ほど嘔吐を繰り返し、そのままその場にへたり込んだ。

 私はなぜトイレにいるのだろう? この激しい吐き気はなんなのだろう? 位相干渉が行われたのだろうか? 自分の行動にいまいち整合性がない。なぜトイレに来る必要があった? 便意も尿意も感じていないのに。私は無駄なことはしないのだ。理由もなくトイレに来たりしないし、何より上野に用事などない。三次空間における私の役割は27歳のOLで、今から仕事終わりの恋人のアツユキに会う約束なのだ。

 アツユキとは渋谷で行われた婚活パーティーで出会意気投合し、3ヶ月前から付き合っている。製薬会社の営業をしている彼は話もうまく、いつも私を楽しませてくれる。セックスも上手で私たちは近々結婚を考えているのだ。

 彼の分厚い胸板に抱かれた事を思い出す。

 逞しい腕。

 おかしい。彼は長身ではあるが細身で、胸板も大して分厚くはない。当然腕も逞しいとは程遠い、パッと見にはマッチ棒を連想するようなタイプだ。私の記憶イメージにノイズが紛れているらしい。一体どこから来たのだろう?

 やはり私自身位相干渉を受けていると考えた方がよいのだろう。これ程の強烈な記憶混濁はかなり危険だ。

 私はいてもたってもいられなくなり、個室を飛び出した。今だに列を成して待っている女たちを突き飛ばして駅構内を全速力で走った。途中、ヒールが邪魔だったので靴は脱いで手に持った。

 タクシーを呼ばなくては。今すぐ彼に会いたかった。

 彼は私を待っているだろうか。いや、彼は既に消失した。彼? 私は誰の事を考えているのだろう。

 道路整理をしていた警察官が私の方を向いて赤色灯を振りながら激しくホイッスルを吹いた。

「警告。3次空間における現在のレゾンデートルの低下が著明です。直ぐに軌道を修正し、現存在に近づいてください。警告。これ以上レゾンデートルが低下すると空間位置を見失い、追跡が不可能になります。また観測者の消失は現宇宙の崩壊を招く恐れがあります。直ちに軌道修正してください」

 そう叫ぶと彼は腰のホルスターから拳銃を抜くと銃身をしっかりと口にくわえ、引き金を引いた。

 見慣れたペニスが私の中に入ってくる。

 私は薄暗い部屋のベッドの上で誰かに抱かれている。テレビが点いており、ブラウン管の灯りだけが煌々としている。熱く硬い⬛︎⬛︎が動くたびに私の中から歓喜の声が漏れた。私は快楽に身を委ね覆い被さっている誰かを強く抱きしめた。

 ここはどこだ? 明らかに時空が変化している。何が起こっている?

 私自身の認識が狂っているのか、それとも3次空間の崩壊が起こり始めているのか、今の段階ではハッキリと分からないがこのままでは私は私をロストし、3次空間と幻想4次空間を漂う雲の様な存在になってしまう。いわゆる幽霊というやつだ。

「君は何を頼む?」

 巨大な樽を丸々テーブルにしたタイプの立ち飲みバルだ。向かいのアツユキがメニューを私に渡してくれる。

「粉ビールに山椒を少し。そこにテキーラを注いでチリペッパーを散らしたのをちょうだい」

 僕は向かいに座る女の顔を思い切り殴りつけた。女は信じられないものを見る様な目で僕を見た。もう一度今度は鼻を力一杯殴る。鼻血が噴き出て女は仰向けにひっくり返った。僕はすかさず彼女に駆け寄ると細く白い首を両手で思い切り締めた。

 女は目を見開いて僕の手首を掴んだ。文字通り死に物狂いの力で僕の手首に爪を立ててくる。僕は女の腹に膝蹴りを何度も叩き込みながら首を締め続けた。

「死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ」

 私は私と僕と私で僕はアツユキで彼はアツユキでつまり私は私だ。

「嘘でしょう? 第三位相に続いて第五位相まで崩壊するの? 何よそのザマ。あなたもう自己と他者の境界すら保てていないじゃない」

 上級監察官の声がする。そうだ。私は観測者の中でも下位の存在だが、それでもこの仕事を任された時には嬉しかった。こんな事で仕事を奪われてたまるか。

 ボキッと嫌な音がした。女の首が折れる音だ。こんなに美しい音は久しぶりに聴いた。今朝見たウグイスの尾のように美しかった。死んだコウモリには餌を与えたし、今日も恐らく残業だろう。アラスカに忘れてきた番台はどうにも料理が下手で困っているのだ。明後日の方向から尾道まで、新幹線よりも強く儚いどんぶり飯を蹴り飛ばせ。お前だ、そこのお前だ!! どうしても嫌だというなら仕方ない、これからオフセットで13の瞳を書き下ろし、泣く泣く一昨日へと帰ってしまえ!!

 いざ鎌倉へ。苫小牧に進路を取り、フェーズジャンプするのだ。

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