その2
Leibstandarten DRITTZUG −こんどは 護衛連隊 第3小隊ー
HONOUR AND BLOOD
つづき
●
フェーヴォルフェンの森・・・、広大な土地を領有するグライスナー伯爵領のほぼ中央にある、静かで長閑な、小さい
簡素な森。
そして、惨劇の舞台となる森。
そこは伯爵の甥、レーク男爵の管理地域で、ブナ、樅、唐檜、楢といったありふれた樹木が、なだらかな起伏のある
丘陵地帯に広がり、山々へ続いている。
伯爵家専用の狩場なので、一般人が立ち入ることは認められておらず、レーク男爵の委託を受けた地元の農夫達の手に
より散策道等が整備され、管理が行き届いている。
その森の北の端にレーク男爵の別荘があり、森を背にして牧草地の広がる丘陵を眺めるように建っている。
別荘といっても、それは一般人の住居より遙かに大きく、白い石造りの外壁は、建物の裏側だけで窓の数から3階建て
の各階にそれぞれ10近い部屋のある事を認めさせ、貴族の邸宅たる威厳を誇らしげに見せつけている。
その窓の中を、多数のメイド達が慌ただしく行き交っているのが、少し離れた森の木立に身を潜めて様子を窺う
シャモットとレンツの目にもはっきりと見えていた。
ウサギ狩りは2日後に迫っているが、伯爵やレーク男爵をはじめ、貴族達が既に到着しているような様子はない。
明日には伯爵を始め多数の参加者が集まって来ることになるのだろう。
下働きはその準備で大わらわといったところか。
陽は既に西に傾き、夜の帳が迫っていた。
「さて・・・、他のやつ等はまだ来ていないのか・・・。
直行出来るハイケルとネルツが一番早いと思ったんだがな・・・」
キョロキョロと森の中を見渡すシャモット。
しかし、その顔からは何も不安を抱いている様子は感じられない。
「随分と、余裕がお有りなのですね・・・」
「そう見えるかい?」
レンツの問いかけにも動じる気配すらない。
さすがは護衛連隊の小隊長、どんな時でも冷静沈着だ。
そもそも、余程部下を信頼していなければ、一度別れて現地で再集結などという策は普通は取らない。
それに対して、レンツは不安でいっぱいだった。
もし、期日までに隊員が揃わなければどうなる・・・?
少なくとも実行役のミーランがいなければ話にもならない。
しかも、その肝心のミーランでさえ、暗殺を成功させられるという保証は何処にもない。
この作戦が失敗に終わったらどうなるのだろうか・・・。
ならばいっそこのまま、未遂のまま帰った方がいいのではないか。
その方が仕切り直しの機会も得られ易いかも知れない。
でもそれは何時?
それまでに情勢が変わる可能性は?
色々なことが次から次へと頭を過ぎって混乱してくる。
森の静けさと相俟って、余計に不安だけが掻き立てられていく。
シャモットはちょっと照れくさそうに言った。
「そんなことはないさ、俺でも不安は感じてるよ。
ミーランはあの通りチャラチャラしてるし、コールは今一つ頼りないし、ハイケルは何考えてるのか分からんし、
ネルツは方向音痴だし、ハイアは子供だし・・・。
放っておいて構わないのはクルツェぐらいのもんだな(笑)」
そう言うと、
「声がデカいぞ」
と、後ろの藪の中から声が聞こえた。
藪をガサガサ言わせながら出てきたのはクルツェとハイアの2人。
「おお、来てたのかクルツェ、さすがにそつがないなお前は。
だがまずは合い言葉だ、リンゴ!」
「目の前に居て合い言葉が要るかっ!」
「・・・・・ごま油・・」
「しりとりをするな、ハイア!」
そこへ、
「ら・・・、ら・・・、辣油!」
「ご、ごま油とラー油って、中華方面から攻める気っスか、なら俺は、ゆ・・ゆ・・・、雪見大福・・・・(照)」
「それ中華じゃねーよ!」
ミーランとコールが現れる。
「ちゃんと合い言葉を言え! しりとりに乗るんじゃない! って言うか酒臭いぞミーラン!」(シャモット)
「まあまあ、そう堅いこと言うなって隊長(笑)」
「そうなんスよ、副長はみんなと別れてからずっと酒呑むわナンパするわで大変だったんスから」
「いいじゃねぇかよ、それでも俺達が一番乗りだったんだぜ」
「お前等、今着いたのではないのか?」(クルツェ)
「ああ、昼過ぎには着いてたぜ。 あんまりヒマだったんで森ん中歩き回ってきたよ」
「で、どうだったんだ」(シャモット)
「まあ、鹿や狐もいたんで、自然に誤射を装うことは不可能じゃあないだろうけどな」
「うむ、鹿と間違えるなら理解も出来るが、ウサギの如き小動物を狩りに来て人間を誤射するというのは些か不自然
に過ぎるからな」(クルツェ)
「でもウサギ多いっスね、この森」
「だからそれは、狩りに合わせて小屋で飼っていたやつを森に放したんだって、さっきから言ってんだろ。
貴族はそういう事よくやるんだよ。
ただ、道が綺麗過ぎるんだよな〜、この森」
「どういう意味だ? ミーラン」(シャモット)
「伯爵が道を外れて藪の中まで入ってくんないと射撃出来んだろ」
「確かに、この森の中の道の周辺はきれいに藪が刈られて視界が広い。
そんな道に立っている人間を誤射するやつはいない」(クルツェ)
「なるほどな・・・・、だがそれはウサギ次第だな・・・」(シャモット)
レンツは驚いた。
自分達が到着してまだ間もないのに、隊員達が続々と集まって来る。
特に集合時間や位置まで詳細に打ち合わせた訳でもなかったが、まるで計ったように同じ場所に集まって来るのは、
ここが身を隠しながら男爵の別荘を監視するのに最も適した位置だという事を、ざっと周囲を見渡しただけで理解した
上でのことなのだろう。
さすがにエリート集団と言われるだけに、普段はいい加減に見えても、いざという時はその研ぎすまされた感性が発揮
されるのか。
しかも、あの頼りなさげなミーランが率先して事前調査までして来るとは予想外。
やはり只者ではない連中なんだと思わされた。
「ハイケルとネルツはまだ来てないんスか?」(コール)
「無理無理、ネルツの方向音痴は筋金入りだぜ、今頃どこにいるんだか分かりゃしねぇよ(笑)」(ミーラン)
「ハイケルを付けておけば大丈夫だと思ったんだがな・・・」(シャモット)
「あの無口なハイケルがじゃじゃ馬を乗りこなせる訳がねーよ。 どうせネルツの言いなりだぜ。
もしかしたらまだ関所の外だったりしてな(笑)」
「ならお前と組ませるべきたったかな、ミーラン」
「冗談じゃねぇ、子守はごめんだね」
「ともかく、もうすぐ陽が暮れる。 今のうちに塒を確保するか。
やつらも明日には来るだろう・・・、そして伯爵もな」
結局、その日ハイケルとネルツの2人は姿を見せなかった。
彼等が現れたのは翌日、陽が昇って暫くしてからのことであった。
シャモット等一行は、森の中に樵が昔使っていたと思われる小さな廃屋を見つけて、そこで一夜を過ごしていた。
朽ち果てたボロボロの廃屋だったが、夜露を凌ぐ役目は十分に果たしてくれる。
その一行が朝食を終えた頃、歩哨がてら表に出ていたクルツェが2人を連れて入ってきた。
「おお、やっと来たかお前等、遅かったな」(シャモット)
「あたしのせいじゃないわ、ハイケルがなんにも教えてくれないから通り過ぎちゃったんじゃないよ(汗)」
開口一番に相変わらず不機嫌そうな顔で文句を言うネルツだが、言葉とは違い、自分のせいである事を自覚している
のか、僅かに後ろめたそうな表情を見せたところに、嘘のつけない正直な十代の少女らしい可愛らしさが垣間見えた。
一方のハイケルは、いつも通り無表情で何も語らず、ミーランに投げ渡されたパンをかじりながら部屋の隅に腰を
下ろした。
「大方そんなこっちゃねーかと思ってたぜ(笑)」(ミーラン)
「まあよし、これで全員揃ったな」(シャモット)
「なんでよ、コールがいないじゃない」(ネルツ)
「コールは男爵の屋敷に斥候に出している。 ミーラン、そろそろコールの交替に行ってくれ」
「へいへい、分かりましたよ」
ミーランが部屋を出て行って、暫くして代わりに戻ってきたのがコール。
そのコールの姿を見るなり、シャモットが思わず声をかけた。
「なんだコール、その頭は」
帰ってきたコールは出て行った時とは違い、その金髪を覆い隠すように黒いバンダナを頭に巻いていた。
そのバンダナの額の部分には、小さな髑髏マークが1つ染め抜かれている。
「あ、これっスか、これはこう・・・、ここぞっていう時に気合いを入れるというか、ギュッと引き締めるというか、
そんな感じっス(笑)」
「そのために用意してたの? それじゃまるで海賊ね(笑)」(ネルツ)
「なんかいいじゃないっスか、強そうで」
「それよりどうだ、何か動きはあったか?」(シャモット)
「それがなんにもないんスよ。
使用人達の動き方を見てると出迎えの準備は出来てる様子なんスが、朝一番に食材を運んだ馬車が一台来ただけで、
それっきり馬車どころか来客もなしっス、まったく長閑なもんスよ」
「ふむ・・・、まだ早いか・・・」
男爵の別荘で動きがあったのは、午後になってからのことだった。
一台の二頭立て高級馬車が滑るように門を潜って入って行くのを、ミーランは見逃していなかった。
一気に慌ただしさを増す邸内、走り回る使用人達、まさにてんやわんやの大騒ぎ。
「お、いよいよ動き出したか」
ミーランが面白おかしく眺めていると、しかしそれはすぐに、思いの外あっさりと止んでしまった。
数十分後には先程の馬車も別荘を後にし、また静寂が戻ってきた。
使用人達の動きもゆったりとした緩慢なものになり、なにやら落ち着いた様子にも見える。
そんな光景を見ながら、幾分落胆したミーランは独り言を呟いた。
「おやおや?、こりゃ予定変更かな・・・・」
夕方になって、交替にやって来たクルツェが、藪の中で寝っ転がるミーランを見つけて、傍らにしゃがみ込んだ。
「どうだ副長、伯爵は来たか・・・、と言うかちゃんと見張ってたのか?」
「あぁクルツェか、見てなくても音聞いてりゃ分かるって、伯爵どころか誰一人来てやしねぇよ」
「なに? それはおかしいな、一体どうなってるんだ」
「知らねえよ。 昼過ぎに無人のランダウアーが一台来た時は大騒ぎだったんだが、その後さっぱりさ。
どうやら予定が変わったらしいな、今日は来ねぇんじゃねーの?」
「無人だと?」
「ああ、御者が一人で来た」
「・・・・」
クルツェは少しの間、独り言とも唸り声ともつかぬ小さな声でブツブツ何かを言っていたかと思うと、徐に立ち
上がった。
「やはりおかしい。
客はともかく、主催者が前日のこの時間になっても姿を見せんというのは理解に苦しむ」
「なぁに、貴族の世界じゃ日常茶飯事さ。
主役のいない誕生パーティーだって、平気な顔して盛り上がる連中なんだぜ。
そんな事でいちいち目くじら立ててちゃあ、貴族なんかやってらんねぇんだぞ」
「ちょっと行って様子を見てくる、副長はもう暫くそこで待機しててくれないか」
「おいおい、止めとけクルツェ、見つかったら元も子もねえぞ」
「大丈夫だ、心配には及ばん」
クルツェは藪から出て、草むらの生い茂る中を体勢を低くして、サッサッと素速く移動しながら男爵の別荘へ近付いて
行く。
その速いこと速いこと。
まるで野ネズミみたいだ、その時のクルツェを見たらミーランがそう思ったのも頷けるだろう。
クルツェは上手に死角から接近して建物に取り付くと、そのまま外壁に添って歩を進め、ミーランの視界から消えて
行った。
「あ〜あ、行っちまいやがった・・・、こうなりゃもう、待つしかねぇな」
万一、クルツェが誰かに見つかったとしたら、館でそれなりの反応、騒ぎが起こるはずだ。
いちいち目を凝らして様子を窺っていても埒が開かない。
そう思ったミーランは、再び藪の中でゴロンと横になりながら考えに耽った。
レンツがこの場にいたらどんな顔をするだろうか・・・。
恐らく真っ青になってクルツェを止めたに違いない。
そして、何故クルツェを止めないのかと、自分に向かって問い詰めてくるレンツの姿もまた容易に想像がつく。
そうなれば、それはそれである意味面白い光景が見られただろうに・・・。
上司である職権を発動して、強制的に制止することも当然可能なのだが、あえてそうしなかったのは、自分がクルツェに
全幅の信頼を置いているからに他ならない。
ただ単に面白がっているだけではないのだ。
レンツにはそこら辺の理解が足りない。
ミーランは、レンツが自分達のことを完全には信頼していない事に、薄々感付いていた。
クルツェとはそんなに長い間苦楽を共にした間柄という訳でもないが、同じ軍人同士だし、初対面の時からしてすぐに
こいつは出来る、という直感があった。
そして、それを間違いだったと思ったことは未だ嘗て一度もない。
レンツとは昨日出会ったばかりなのだから、それが理解出来ないとしても仕方のない事なのだろうが、もう少し自分達
のことを信頼してもらいたいものだ。
そうこうしているうちに、クルツェが戻って来た。
その表情は、相も変わらずのムスッとした険しいものだったが、その度合いが違っていた。
「副長!」
いつも通り落ち着いてはいるものの、その声にはいつにも増して凄味があった。
「おう、どうだった?」
「どうだったじゃない、ただ事ではないぞ、緊急事態だ!」
「なんだよ、だから何だってんだ!」
「昨日、伯爵家の息子が死んだらしい」
「何!?」
「あまり詳しい事は聞けなかったが、使用人達はグライスナー伯爵の息子・・・、確かガーニヒツとかいう男が急死
したとかって話していた。
伯爵家があるペルニツィエースの町では大騒ぎになっているらしい」
「まいったな・・・、それじゃあウサギ狩りどころじゃねぇな・・・」
「まあ、中止だろうな」
「よし、早速帰って隊長に報告だ」
森の中の廃屋でその一報を聞いた一同は驚愕した。
「何てことだ・・・・、そんな事が有り得るのか、このタイミングで・・・(汗)」(シャモット)
「どうりで、誰も来ない訳っスね・・・」(コール)
廃屋の中に動揺と沈滞した空気が漂う。
「で、これからどうする、隊長」(クルツェ)
「・・・・」(シャモット)
「こうなりゃペルニツィエースへ乗り込むっきゃねーだろ」(ミーラン)
「そうね、ここで待ってても来ないんじゃ、こっちから出向くしかないわ」(ネルツ)
「・・・・」(シャモット)
シャモットは考えていた。
この予期せぬ事態にどう対処すべきなのか。
計画にない行動を取ればどういう事が起こるのか、暗殺を成功させる方法は他にあるのか、考えなければならない事は
多数ある。
すぐに決断出来る状況ではない。
その中にあって、事態を一番深刻に捉えていたのはレンツだった。
レンツは報告を受けた瞬間から青褪め、体はガタガタと震え出していた。
そして怯えたような震えた声で、床を見つめながら言った。
「だ・・・だめです・・・(汗)」
「あん? どうした、レンツちゃん」(ミーラン)
「い、いけません・・・・、け、計画は中止します・・・、このまま撤退を・・・(汗)」
「なに? 撤退!?」(ミーラン)
「冗談じゃないわ! なんであんたが命令すんのよ、部外者に命令される憶えはないよ!」(ネルツ)
「私はあなたに言っているのではありません、少尉に言っているのです!」
レンツが初めて言葉を荒げた。
「少尉、どうかこのまま撤退を・・・、ウサギ狩りが無くなった以上計画の続行は不可能です!
もう撤退するしかありません!(汗)」
今までになく力説し、哀願するような顔でシャモットの方を向くレンツ。
蒼白の顔面と脂汗、誰が見ても動揺は明らかだ。
「確かに・・・、このままじゃ計画は一から練り直しっスね・・・」(コール)
全てはシャモットの決断に委ねられた。
ずっと俯いて考えていたシャモットが口を開こうとした時、先に言葉を発したのはクルツェだった。
しかしその言葉はレンツに向けられていた。
「何故、そこまで強く撤退を主張する」
突然、自分に向けられた質問にレンツは当惑した。
「と、当然じゃありませんか(汗)、こんな想像もしていない事態になってウサギ狩りも中止になったのですから、
この計画も中止して撤退するのが一番妥当な判断です」
「と言うことは、事態が急変して当初の計画の続行が不可能になった場合、それに替わる作戦はないのだな?」
「そ、そうです・・・(汗)」
「つまり、新しい作戦は、我々自身で立案して構わんということになる」
「そ、それは・・・!(汗)」
クルツェの以外な言葉はレンツの蒼白の顔を益々青くさせた。
なんてことを言い出すんだこの人は。
暗殺に次の一手などない。
計画に不備が生じたら潔く諦め、一度退いてから改めて、時間をかけて一から計画を練り直すのが定石ではないか。
それをこの人は即席でやろうと言うのか、しかも参謀本部に無断で。
そんなことが許されるはずがない。
なんとかして阻止しなければ。
「そんな権限はない・・・はずです、一度戻って参謀本部の決断を仰がねば・・・(汗)。
そうすれば、再戦の機会も・・・、きっとあるはずです・・・(汗)」
次第にしどろもどろになっていくレンツを見て、クルツェは冷徹に最後の一撃を加えた。
「そろそろ本当の事を言ったらどうだ」
「えっ?(汗汗汗)」 ドキッ!
「我々が受けた命令は伯爵の暗殺だ。
例えウサギ狩りが中止になったからといって、それが覆ることは決してない。
その程度で撤退が許される程、暗殺という命令は軽々しいものではないはずだ。
お前がそこまで強く撤退を主張するにはもっと他の理由があるに違いない、それを言え」
「で、でも・・・、計画が・・・(汗)」
「計画とはあくまで机上の青写真に過ぎん。
現場においては状況に応じて臨機応変に対応するのは当然だ。
相手がこっちの計画通り動いてくれるという確証もないのだからな。
その計画が一部変更を余儀なくされたからといって、即座に撤退するというのは性急に過ぎるし、第一そんな命令は
受けていない」
「・・・・・(汗)」
<はぁ〜、もうダメだ・・・・・>
遂にレンツは進退窮まった。
もうクルツェに対してはどんな言い訳も通用しない、と思ったレンツは、細々とした声でもじもじしながら、今まで
隠していた極秘情報を明らかにした。
「・・・こ、これは参謀総長閣下の独自情報なのですが・・・。
実は・・・、今回のグライスナー伯爵に関する情報をイルティス側に提供したのは・・・、ガーニヒツ・フォン・
グライスナー、グライスナー伯爵の御長子なのです(汗)」
「なんだと!?」
驚きの声を上げるシャモット。
他のメンバーも程度の差こそあれ、それぞれに同じような反応を見せた。
「そういう事か・・・・」(クルツェ)
「え? 何?、ど、どいうい事っスか?」
その中で、ひとりキョトンとして周りをキョロキョロするコールに、ミーランが説明する。
「だから、息子が父親の不正を告発したようなもんだって事だよ。 で、その息子が昨日死んだ」
「はぁ〜、そうなんスか・・・」
そして更に、いやみ混じりで付け加える。
「にしても、父親の暗殺計画に息子が絡んでいたとはな、今頃伯爵はどんな顔してるやら(苦笑)」
「ちょっと待ってよ副長、息子は情報を提供しただけなんじゃないの? 暗殺の事までは知らないかもよ」(ネルツ)
「いいや、この場合知っている・・・、いや知っていたと解釈するべきだな」(クルツェ)
「なんでよ」
「だから殺された」
「何で殺されたって断言するんだよ、クルツェ」(ミーラン)
「タイミングが絶妙過ぎるとは思わないか。
どうせ病死か事故死と公表されるんだろうが、方法はいざ知らず、殺されたと見て九分九厘間違いない」
「誰が殺したんスか? まさか父親が息子を?」(コール)
「或いはイルティスが口封じのために殺したのかもよ」(ネルツ)
「それは有り得ない」(クルツェ)
「またあんたなの! なんでいちいち否定すんのよ!」(ネルツ)
「お前が短絡過ぎるんだ。
いいか、イルティスが犯人なら、我々以外に実行犯が潜入していることになる。
自ら関与した伯爵の暗殺計画が進行中なのに、その決行直前に敢てそれを頓挫させるような危険は冒さないだろう。
だが問題なのはそこじゃない。
問題はその息子が情報発信の大本だということだ」(クルツェ)
「なんでそれが問題なのよ!」(ネルツ)
「要するに、俺達の暗殺計画は既に伯爵にバレている公算が高いということだな」(シャモット)
「そ、そうです、その可能性が否定出来ないんです。 だからここは速やかに撤退を・・・(汗)」(レンツ)
「それは出来ん」(クルツェ)
「なぜです?」
「分からんか、今すぐ撤退するのは逆に危険なのだ」(クルツェ)
「そうなんスか?」(コール)
「当たりめーだバカ、計画がバレてるってことは、俺達が既に領内に潜入してる事もバレてるってことだろうが。
となれば当然、今頃は関所の警備も厳しくなってるわな」(ミーラン)
「そんな所へのこのこ出て行ったらどうなるか。
俺は警備兵如きに負ける気はないが、全員無事に脱出出来る可能性は限りなく低い。
俺達は、そのガーニヒツの暗殺犯という身に覚えのない罪を着せられた挙句、処刑されることになる」(クルツェ)
「そういう事っスか・・・」
「・・・・(汗)」(レンツ)
「で、これからどうすんの、隊長」(ネルツ)
「そうだな、少なくともここにいるのは危険だな。
計画がバレているなら、いずれここにも領兵がやって来る。
とりあえず今は、ここから離れることを最優先にすべきだろう」
「で、何処へ?」(ミーラン)
「無論、ペルニツィエースだ!」
そう言って、すっくと立ち上がるシャモットの目は、なにやら決意のようなものに燃えているように見えた。
それは小隊の面々にも伝わっていた。
「やっぱりね、そう来ると思ってたぜ!」(ミーラン)
「まぁ、当然ね」(ネルツ)
「急がねばならんな」(クルツェ)
「そうっスね」(コール)
次々に立ち上がる隊員達。
「ま、まさか! 敵の本陣の直中に突入する気ですか!?(汗)」
それを見て唖然とするレンツを余所に、隊員達はそそくさと出発の準備を始める。
「そうさ、ここにいたって始まらねぇからな、ヨッコラショ」(ミーラン)
「心配するな、まずは状況を把握することが先決だ。 暗殺を決行するかどうかはそれからだ。
ハイケル、お前が先頭に立って馬車の隠し場所へ案内しろ、後衛はクルツェに任せる」
「ほ、本気ですか、少尉? 本気でそんな危険ことを・・・(汗)」
「危険なのは何処にいても変わらないよ。
領内に味方はいないと言ったのはあなただろ、レンツさん」
「・・・そ、そんな・・・(汗)」
もはやレンツは、何をどうしたら良いのかすらも分からない程、頭が完全にパニック状態になっていた。
馬車を出発させてすぐ、コールがレンツに尋ねた。
「しかしどうして、その息子は伯爵を裏切るようなことをしたんスかね、レンツちゃん?」
「わかりません、わかりません・・・・」
レンツはあたかも寒さに凍えるように両腕を抱えて蹲り、顔を上げずに震えながら小さな声で呟く。
冷静な思考の出来る状態ではない。
「そんなの分かりゃしねぇよ。
ボーイスカウト精神に目覚めた・・・、なぁんて気の利いた貴族がいるとも思えんしな(笑)」(ミーラン)
「正義とか、良心の呵責ってやつっスか・・・」
「正確なところは分からんが、俺達は簒奪の手伝いをさせられていたのかも知れん」(クルツェ)
「簒奪だと?」(シャモット)
「簒奪か・・・、なるほどね、お家事情か」(ミーラン)
「さんだつ・・・っスか?」
「そうだ、息子が父親である伯爵の地位を手っ取り早く引き継ぐにはどうすればいいか。
答えは簡単だ、父親を隠居させるか、死んでもらえばいい。
だが、今一番勢いがあって、調子づいている伯爵がそう易々と隠居するとは考え難い。
かといって、自分が直接手を下すと後々面倒が起こる。
信頼を失ってしまうからな。
そこで、世間に父親の不正を公表してやれば、無理なく父親を失脚させられると考えたに違いない。
ただその場合、その不正に対して制裁が科される事になり、結果として自分が受け継ぐ爵位が伯爵のままで譲られる
可能性は低くなる。
国家反逆罪が成立するのは明白だからな。
ともすると爵位剥奪となる危険性もあり得るのだ。
それでは意味がない。
不正を公にせずに父親を退場させる方法を模索する必要がある。
そんな時にイルティスの存在を知った。
政府としても、国王陛下を公然と批判したグライスナー伯爵を処分するに足る材料を求めて、イルティスを領内に
派遣して情報収集していた確率は高い。
その息子が、何時何処でどうやってイルティスの存在を知り接触したのかは不明だが、両者の思惑は一致して、
事故死を装う暗殺という方法を取ることで結託する。
簒奪者の汚名を着ることなく、自然な形で家督を継承する方法は他にない、とでも唆されたのか・・・。
そして、その計画が伯爵にばれた・・・」
「あり得る話だな・・・」(ミーラン)
「だがそれは、所詮お前の想像に過ぎんぞ、クルツェよ」(シャモット)
「それでも、そう考えれば全ての辻褄が合う。
暗殺の対象がグライスナー伯爵でなければならない理由がある事、イルティスが伯爵家の内部情報を持っている事、
それに暗殺とはいえ表面上は事故死だから伯爵家は安泰だという事。
外部に全く影響を与えずに世襲が実現出来るのだ。
息子にとってはこの上ない話だ、暗殺は政府がやってくれる」
「それはどうかな?」(ミーラン)
「なに?」
「少なくとも、そのおかげで息子は政府に弱みを握られることになる。 この上ない話とまでは言えないぜ」
「え? でもそれはお互い様じゃないんスか? 共謀してるんスから」(コール)
「秘密を共有している場合、地位の高い方が強い立場に立てるもんなんだぜ。
息子は政府に逆らえなくなっちまう」(ミーラン)
「それも計算の内なのだろう。
今までグライスナー伯爵家は政府と仲が悪かった。
今後は政府の方針に従う意志を示すことで、自分の地位と活動の自由が保証されるなら、悪い取引きではない。
政府も、伯爵家を取り込むことでナレンシュトライヒとの外交がし易くなるしな」
「恐ろしい話っスね・・・、父親の命すら取引きの材料っスか。
でもやっぱすごいっスね、クルツェは、そんな事まで考えてたんスか」(コール)
「いいや、これはあくまで俺の憶測でしかない。
当たっていようがいまいが、真実が明らかになることもないだろうがな」
感嘆するコールの横で、怯えながらも少し冷静さを取り戻し、話を聞いていたレンツもまた同じ感想を抱いていた。
やはりこのクルツェという男の洞察力、論理的思考力は侮れない。
それでいて有能な剣士だというのだから、この少年のような男の力量は計り知れない。
彼の意見には、あくまで推論の域を出ない部分もあるが、結論としては事実に近いものになっていると考えていい。
ガーニヒツがイルティス、要するに政府と何らかの取り引きの末、暗殺計画が画策されたのは間違いない。
どういう内容の取り引きなのか、誰が計画を立案したのか等々、レンツにも知らされていない事は多々あるものの、
そこまで情報を積み重ね、想像力を働かせて推理し、裏の事情まで知ろうとは自分は思わなかった。
終いには、自分よりクルツェの方が参謀本部には必要なのではないか、彼にはその方が相応しいかも知れない、とまで
思うレンツであった。
一方で、そのクルツェの話をイラついたような渋い顔で聞いていたのはネルツ。
「何時までそんな下らない話をしてんのかしら、あたしはこれから先のことを聞きたいんだけど」
投げやりな態度でそう言って、シャモットの顔を見るネルツは辟易しきっていた。
「これから先と言っても、今は何事もなくペルニツィエースへ辿り着く事しか考えておらん。
何時何処で領兵と出会うか分からんのだし、その時のための準備だけはしておけよ」
「それならいつだってOKよ。 何百人いたって、このドナーシュタールの餌食にしてやるわ」
ネルツは手にしていた例の長刀の鞘の端先で、トンと軽く床を突いて不敵に笑った。
「おめーが言うと冗談に聞こえねーから怖ぇ、野放しにすると本当に何百人でも殺しかねねぇからな」(ミーラン)
「ジョーダンで言ってんじゃないわよ。 暗殺なんてめんどくさい事やるよりなんぼかましよ」
ここでレンツは、ふとある事に気が付いた。
隊員達がやけに活き活きして見えるのは気のせいだろうか。
いや、気のせいではない、それどころか笑っている者さえもいる(一部無表情な2人を除く)。
もはや、伯爵以外には一切危害を加えてはいけないという参謀総長の訓を忘れ、完全に領兵達と一戦交える気でいる
としか思えない。
だが今の彼女に、それを思い留まらせるに十分な妙案を提示するだけの選択肢はない。
何も言えぬまま、ただ不安に戦きながらじっとしていることしか出来なかった。
これは後々になって判明することになるのだが、この時のクルツェの推測には決定的に事実と食い違う点がある。
グライスナー伯爵の長男ガーニヒツがイルティスに情報を提供した背景には、伯爵がこのまま独善的な態度と行動
で政府と対立し続ければ、いずれは孤立化し、終いには反乱という暴挙に打って出る以外の道が残されなくなって
しまう事を危惧していた、という事情があった。
そうなればグライスナー伯爵家の滅亡は必至、それを回避するには政府との対立姿勢を改めなければならない。
つまり、ガーニヒツが目指したのは伯爵家の安泰であり、単なる私利私欲のためではなかった事が、彼の残された
日記の記述から裏付けられた。
ただしこの事実は、この計画に関わる全ての事象と共に封印され、決して一般人は疎か、伯爵家の外部に出ることも
なかったという。
●
グライスナー伯爵領の中心都市、ペルニツィエース。
「ほー、結構でかいな・・・」
伯爵領のほぼ中央に位置し、周囲を山々に囲まれた盆地構造のこの巨大都市を、山の中腹の木々の合間から一望して
素朴な感想を言うのはミーラン。
「だが、街自体が城壁で囲まれている訳ではない。
入り込むのは容易いが、警備の領兵がどの程度居るかだな」
「クルツェの言う通りだな。
この、周囲を取り囲む山が防御壁の役割を果たしているようだ。
そこでだ、レンツさん、グライスナー伯爵の領兵について情報をお聞かせ願おうか」(シャモット)
「はい、グライスナー伯爵家の領兵の数は公表されていませんが、大凡2万名弱と推定されています。
ただ、グライスナー伯爵領は数ある伯爵領の中でもかなり狭小な方ですので、この面積でこの数は異常に多いと
言っていいと思います。
更に言えば、護衛連隊の選抜トーナメントに参加した伯爵領の兵士は一人もおりません。
伯爵御自身が護衛連隊には反対の立場でしたので当然のことなのですが、ですからその戦闘能力は未知数です。
ナレンシュトライヒ公国から軍人を招聘して、軍事訓練を行ったとの報告もあります」
「領内に住んでいるレーク男爵やその他の血縁貴族達は私兵を持っていないのか?」(シャモット)
「それはないようです。 恐らく権力を伯爵御自身一点に集中させたいのでしょう」
「更に武器の密輸か、こりゃ一筋縄では行かねえかな?(笑)」(ミーラン)
「でも、2万人もいるにしては、警備が薄くないっスか?
ここまで来る途中だって全く出会わなかったっスよ」(コール)
「そのためにわざわざこんな細い脇道を通ってきたんじゃねーか」(ミーラン)
「いや、ただ単に配備が間に合わなかったんだろうな・・・。
って事は、伯爵が計画を知ったのはつい最近・・・、昨日か一昨日くらいか・・・」(シャモット)
「その分、この街に大量に投入されてるのかもよ」(ネルツ)
「その可能性は高いな・・・」(シャモット)
「伯爵は何処にいる」(クルツェ)
「あそこです、向こうの山の麓・・・、クラムーリ城です」
クルツェの問いにレンツが指を指し示して答える。
それは、彼等がいる山から街を挟んだ反対側、街の北側の外れに聳え立っていた。
「ありゃ〜っ! ありゃ城って言うより要塞っスね」
コールの言葉通り、それはまさしく要塞と呼ぶに相応しいものだった。
山の頂には城壁に囲まれた灰色の尖塔が一際高く、緑の木々の中で浮いているようにも見えるが、これはただの監視塔
に過ぎない。
城本体はその山の急傾斜を背にして、麓から最大20m程の高さまで巨大な石を積み上げた石垣があり、その石垣の上
に10数本の石積みの円塔が立ち、塔を繋ぐように5〜6m程の高さの城壁がぐるりと周囲を囲っているという重厚な
外観を持っている。
そして城壁の内側に、四隅に円塔を持つ5層から成る四角い天守閣、広い前庭と小天守や兵士の居住施設の他、伯爵が
住む宮殿まである巨大施設だった。
「この人数で攻略するのは不可能です」
それは誰が見ても明らかな事だったが、レンツは淡々と、皆が諦めて素直に撤退してくれるのを期待してそう言った。
しかし、ミーランがあっさりそれを覆してしまった。
「当たり前だよ、誰も最初っから攻め落とそうなんて考えちゃいねぇよ」
クルツェがつけ加える。
「攻略する必要はない。 我々の目標は伯爵ただ一人だ」
「い、いえ、だからそれは不可能だと・・・(汗)」
「なぁに、入り込めさえすればなんとかなるって。
城ってのはたいがい、守りは堅いが中は案外緩かったりするもんさ(笑)」
そう言ってヘラヘラ笑うミーランを見てレンツは思った。
なんでこの人は平然とそんなことが言えるんだろう。
きっとこの人は余程の自信過剰か、世の中を甘く見過ぎているお坊ちゃまか、そうでなければただのバカだ。
なんでもかんでも自分の思い通りに事が運ぶなんて、都合のいいようにばかり考えて自惚れていたら、いずれ墓穴を
掘ることになるのを知らないのだろうか。
会話を制するようにシャモットが立ち上がる。
「ここで口論しても始まらん、街へ行くぞ」
一行は馬車に乗り山を下り、街の外れへ近付いて行く。
街へ続く街道は、商人や旅行者を乗せた馬車が行き交っていて、街の人の出入りの多さが分かる。
そして近付くにつれ、馬車の渋滞が始まる。
街の入り口で領兵が検問しているのは明らかだ。
シャモットはハイケルに命じて、道の脇に馬車を止めさせた。
道の両脇には、家を持たない貧民や、旅をしながら生活する吟遊詩人、旅芸人等が、テントさながらの掘っ建て小屋を
幾つも建て並べて、雨露を凌いでその日その日を生きている。
人口の多い街の郊外ではよく見うけられる光景、いわゆるスラムだ。
シャモットは隊員達にここで暫く待つように伝えると、ミーランを連れて馬車を降り、その貧民街へ消えて行った。
誰か知り合いに会いに行った訳ではない、自分達の身を隠す適当な場所を探しに行ったのだと、誰もが分かっている
ので、皆静かに2人の帰りを待っていた。
数十分後、シャモットが戻ってきた。
「丁度いい小屋を見つけたぞ、あそこに身を隠すことにする」
そして続ける。
「いいか、ここで二手に分かれる、ハイケル、ハイア、そしてレンツさんは俺と一緒に行く。
残りは各自街で情報収集をしろ。
これだけの大きな街だから宿屋も幾つもあるだろうが、領兵の査察があるかも知れんから宿を取る時は気をつけろ。
剣は俺が預かる、武装は最小限に留めておけ。
互いの連絡は密に取れ、何か分かったら必ず俺の所へ報告に来い、では解散!」
その言葉に呼応して、名を呼ばれなかった4人は静かに武器を置いて馬車を降り、街の中へ向かって歩いて行った。
それを見送った後、シャモットが連れて行ったのは一軒の木造平屋の荒ら屋だった。
見た目はひどいが、中は意外と広くガランとしていて、カビ臭いのを我慢すれば15、6人くらいは楽に雑魚寝出来
そうだし、横には小さいながらも厩舎が併設されているので、馬の心配の必要もない。
シャモットは、ハイケルに厩で馬の世話をするよう命じると、レンツとハイアを伴って荒ら屋のドアを開けた。
「勝手に使って差し支えないんでしょうか・・・」
シャモットの後に続いて中に入ったレンツが素朴な疑問を口にする。
「構わんさ、ご覧の通り誰も住んでない。
近所の人の話では、ここは旅芸一座が住んでいるそうだが、今はどこか余所の町に遠征に出ているらしいから、我々
が数日やそこら借りたところで何ら問題はない」
「き、近所の人って・・・・、いいんですか話なんかして、もし密告でもされたら・・・(汗)」
レンツは焦った。
最も気を付けて留意しなければならない事を、隊長自らが軽んじるなんて。
ところがシャモットは意外な程あっさり答えた。
「大丈夫だと思うよ。
ここいらの住人は年貢も税金も納めていない、言わば不法滞在者だ。
俺達の事を誰かに話したところで、すぐには信じてもらえないのは本人達が一番よく知っているし、中にはスネに傷
を持つ者も少なくない。
お互い深く干渉しないのが、こういう所のルールだよ」
そう言われても・・・、レンツの心に不安が募る。
そんなレンツを余所に、ハイアは部屋に入るなり無言で壁際にペタンと正座したかと思うと、そのままゴロンと横倒し
になる。
暫く様子を見ていると、今度はそのまま床をゴロゴロと行ったり来たり転がり始めた。
全くの無表情だが、どうやら本人は楽しいらしい。
時々意味不明の行動をとるのが彼女の特徴なのだが、すぐ不安に陥るレンツを嘲笑っているかのようでもある。
「数日・・・ですか・・・」
レンツの表情は意味深だった。
「そうだ、数日でカタを着ける。 決行するにしろ撤退するにしろ、それが限度だろう。
レンツさんは未だに反対かな?」
「もちろんです」
「だが、どっちにしても協力してもらわなければならん。 生きて帰るためにはな」
生きて帰るため・・・、そう言われてしまうと断る理由がなくなってしまう。
しかし、どう冷静に考えても、城に潜入して暗殺するなどということが成功するとは思えない。
どう説明すればこの愚かしい行為を諦めてくれるのか。
「何故、そんなに楽観的でいられるんですか。
自殺行為だとはお思いになりませんか。
私には分かりません・・・。
特に軍曹は、いつもまるで他人事のような表情で飄々としていると言うか・・・。
それに・・・、何故ああまで貴族を悪様に言うのでしょう・・・」
「ミーランか、あいつはいつもあんな調子だからな。
俺もあいつも、貴族然とした奴がどうにも苦手でね・・・、嫌いなんだよ」
「でも、少尉も軍曹も貴族のお家柄ではありませんか」
「貴族だから・・・、なんだろうよ、きっと。
いろいろ見て来たからな、いろいろと・・・。
グライスナー伯爵とは一面識もないが、話を聞くだけでどんな人物か大体想像がつく。
だからあいつも血が騒ぐんじゃないかな。
それにウチは貴族でもそう裕福な方ではないし、それでも苦労することなく飯にはありつける・・・。
それが納得出来なくてね、だから国防軍に入った。
国防軍は近衛連隊と違って、基本的に家柄とは無関係の厳然とした実力のみの階級社会だからな。
四男坊の俺には他にたいした選択肢がなかったというのもあるんだが、俺にとってはその方が都合が良かったな。
ミーランは・・・、あいつが何故貴族を嫌っているのか、詳しい事は俺は知らん。
奴には奴なりの事情があるんだろう。
ただそのおかげで、俺とあいつは気が合うんだよ。
レンツさんは門外漢だから不安になるのも頷ける。
無謀だと思うのも理解出来る。
だがウチのメンバーなら必ず成し遂げられると、俺は自信を持って言える。
城に潜入してその主を暗殺するだなんて、果たして歴史上何度試みられて何度成功したのか、誰にも知りようがない
が、俺達は達成するよ。
レンツさんには、ただ俺の言葉を信じてくれと言うしかないがな」
「はあ・・・」
「ついでに言うと、貴方が撤退しろと言った時、実は俺も撤退もやむなしと思った。
そこへ真っ向から反対したのはクルツェだった。
やつは、自分達が簒奪の手伝いをさせられるという不本意な任務である事に感付いた上で、それでもなお、作戦を
変更してまでも計画の続行を主張したのは、このまま都に帰ったところで俺達に待っているのは死だけだということ
を理解しているからだ」
「死!?」
「グライスナー伯爵が生きていれば、必ずこの暗殺計画の責任の所在が追求される。
その時政府はどうするか。
この計画は俺達小隊の独断によるものだとして、俺達に詰め腹を切らせることで政府に責任が及ぶ事を回避しようと
するのは自明だ」
「ま、まさか!(汗)」
「いや、まさかではない。
政府に責任追及の手が及べば、国王陛下もただでは済まされなくなってしまう。
これは、陛下の失脚を望んでいるグライスナー伯爵にとっては願ってもないチャンスになる。
それでは本末転倒だ。
伯爵に攻撃材料、陛下を糾弾する口実を与えてはいけない。
そうならない為には、実行役である俺達だけが全責任を追う必要がある。
隊員ではない貴方の場合、同行したという事実もろとも抹殺されるだろう。
政府にとっては予定の行動、そこまで想定していなければ暗殺計画など実行には移せないさ。
つまり、計画がバレる前ならいざ知らず、バレてしまった以上は、何が何でも暗殺を成功させなければならない。
俺達が生き残る道は、それ以外には残されていないんだよ。
捨て駒にされるのだけは、御免被りたいからね」
レンツは愕然とし、身震いした(汗)。
自分は甘かった。
政府がそこまで残酷な対応を予定している事など、予想もしていなかった。
元々、レンツが国防軍に籍を置いていたのは、学者を志望していたレンツにとって、無料でしかも給料を貰いながら
勉学に励むことが出来るのは、軍に在籍する者だけに限られていたからだった。
従って彼女は、軍の内部事情や、ましてや政治の事など、殆ど無関心と言っていい程知らないのが現実だった。
だから、仮に計画が中止されてヴォルストブッフに帰ったとしても、減俸等の制裁はあるにせよ、まさか死をもって
償わされることになろうとは思いも寄らなかった。
レンツの声は震えていた。
「か・・、敵わないな・・・・。
ク、クルツェさんは、そこまで考えていたんですか・・・・(汗)」
「もちろんだ。
だが、結果の如何によって死を覚悟しているのはクルツェだけではないよ。
俺も含めて隊の全員が、この命令を受けた時からその覚悟は出来ている。
最も若いネルツやハイアもな。
人一倍プライドの高いネルツなら、公衆の面前で斬首や絞首刑のような辱めを受けるくらいなら、たとえ一人ででも
暗殺を実行して玉砕する道を選ぶだろう。
もちろん俺はそんなことをさせる気はないし、たとえ暗殺を実行せずに帰ることになったとしても、隊員達や貴方に
責任の一端も負わせるつもりもないけどね」
レンツは言葉を失う。
彼女は初めて、今自分が置かれている状況がどういうものかを理解した。
それは、生まれてから一度も経験したことのないほどの窮地だったのだ。
正に死と隣り合わせ、計画を中止しても、暗殺に失敗しても、待っているのは死だけだとは何とも救われない。
それを知りつつ、彼等は死を覚悟してこの地に来ている・・・、あのハイアでさえ・・・。
そんなことにも気が付かず、己の命惜しさに撤退を主張した自分は、いかに愚かで浅はかなことか。
レンツは激しく自己嫌悪した。
自然と目から涙がこぼれ落ちていた。
そして決意を固めた。
絶望するにはまだ早い。
もう信じるしかない、ここまで来たらもうじたばたしても始まらない。
この人達は選び抜かれた精鋭中の精鋭なのだ。
自分の尺度でこの人達を量ってはいけない、というか不可能なのだ。
開き直って、暗殺を成功させるために全力を尽くそう、と。
それこそが自分、そしてみんなが生き残るための唯一の道なのだから。
夜遅くなって、辺りが暗闇に包まれると、人目を忍んでコールがやって来た。
「フェーヴォルフェンの森にいた時は、ペルニツィエースの街では大騒ぎだって聞いてたんスけど、実際はそれほど
騒ぎにはなってないって言うか、街の住人は至って普段通りって感じっスよ。
まあ、街中どこでも噂でもちきりになってるみたいっスが、伯爵の方からはまだ正式になにも発表がないってのが
実状っスね」
シャモットが尋ねる。
「ミーランはどうしてる」
「たぶん、今頃はまだ酒場で呑んでるっスよ(笑)」
「ネルツは?」
「クルツェに預けてるっス。 その方が隊長も安心するだろうからって」
「ミーランめ、厄介払いしたな。 領兵はどうだ」
「街の出入りのチェックは厳しいっスね、夜は完全に封鎖されるっス。
街の中にも所々領兵が立ってたり、巡回する一団も見たっス。
城に近い辺りは特に多いっスね」
「やっぱりそうか・・・・。
お前等も気を付けろよ、くれぐれも下手な真似はするな」
「了解っス」
報告を終えると、コールはまた辺りを気にしながらそそくさと小屋を後にした。
それを見送るシャモットにレンツが言う。
「発表までにはある程度時間がかかると思います。 祝い事ではありませんので」
「そうだな、伯爵ともなればそれなりに忙しいだろうし、スケジュールの調整も必要だろうしな。
もしかして、発表せずにそのまま密葬ということも有り得るか」
「それはないでしょう。
ガーニヒツは嫡男ですから、ある程度の規模の葬儀でないと内外に示しがつきませんし、密葬するにしろ手続き上
必ず発表されるはずです」
「長男が死んだとなると、後継ぎはどうなるんだ? 後継者争いが起こるのかな」
「それなら、伯爵にはハープギールという名の次男がいます。 今はまだ18歳ですが、問題はないと思います」
「そうか、なら安心だ」
翌日の夕方、何の前触れもなくひょっこりとミーランとコールが一緒に現れた。
「おお、どうした2人共、なにかあったのか」(シャモット)
「なんにもねぇよ、クルツェに集まれって言われたんだよ」(ミーラン)
「なに、クルツェに?」
クルツェが全員招集をかけた、これはなにかあるな・・・、シャモットは直感し一気に昂揚した。
そこへクルツェがネルツを伴って入ってきた。
「どうしたクルツェ、なにがあったんだ」
「葬儀の日取りが分かった、6日後だ。 恐らく明日か明後日には正式に発表されるだろう」
「6日後? どこで手に入れたんだおめぇ、そんな情報。 教会に行ったって教えてくんねぇぞ」(ミーラン)
「街の葬儀屋だ。 伯爵の使いの者が葬儀の依頼と打ち合わせに来た」
「葬儀屋で張ってたのか、お前らしいな」
「葬儀前は人の出入りも多くバタバタするので侵入し易くなる。
決行するにはその間隙を衝くしかないと思ってな」
「6日後か・・・、よくやったクルツェ。 で、警備の具合はどうなってる」(シャモット)
「街の北側の山の麓には川が流れていて、城の目の前を横切っている。
城の正門前には石橋があって、街側にも城門がある」
「つまり、橋の両側に門があるんだな」
「城の入り口はここ一つだけだ。
どっちの門にも常に一個中隊規模の領兵が、24時間体勢で常駐している。
近所の住人の話では、昨日からやたらと領兵や馬車の出入りが頻繁になったらしい。
城内の領兵の数は、平時より確実に増えている」
クルツェの回答を聞いて、一転シャモットの顔が曇り眉間に皺を寄せた。
「・・・他に経路はないのか、それでは侵入は覚束ないぞ」
「あります」
これに即答したのはレンツだった。
「確か、北の山を抜けて城の裏側へ通ずる道があったと思いますが」
「なに? それは本当か!」
「はい、実は今回の計画用にイルティスから提供された資料の中に、クラムーリ城内の見取り図もあったのです。
作戦はフェーヴォルフェンの森で決行すると決まりましたので、この資料は不要になりましたが、私は一応全ての
資料に一通り目を通しています。
城の裏側に、恐らくトンネルになっていると思われる通路があったように記憶しています」
「それは好都合だ。 では城の内部も分かるのか」
「はっきりは覚えておりませんが、大凡は」
「構わない。 覚えている限りこの紙に書いてくれ」
「はい、分かりました」
シャモットは、床に落ちていた一枚の紙を拾い上げてレンツに手渡した。
その紙は、旅芸一座の公演スケジュールや演目等が書かれたものだったが、受け取ったレンツは皺の寄った紙を広げ、
その裏側にスラスラと城とその周囲の平面図を描き始める。
ここへ来て、ようやく協力的になったレンツの態度を見て、ミーランが茶化す。
「お、レンツちゃんやっとやる気になったな(笑)」
ちょっと戯けたような、いつものミーランらしい口ぶりだったが、そこには好意的な感情が含まれていた。
レンツは無視してそのまま聞き流して手を進める。
「これで侵入と脱出の経路は確保出来るって訳っスね」(コール)
「あとは城内の敵だけね。 やっちゃっていいんでしょ、隊長」(ネルツ)
「勝手に暴れるんじゃないぞ、ネルツ。 俺としてはなるべく穏便に事を済ませたいんだ」(シャモット)
「今さら穏便もへったくれもないでしょ(笑)」
「おめー、2万人相手に戦争するつもりか?(笑)」(ミーラン)
「いや、穏便に済ませなければならんのだ。
実行前に大騒ぎになってしまうと、それはもう暗殺ではなくなってしまうし、後に政治問題化することになる。
なんとしてもそれだけは避けなければならない」
「要するに、いかに静かに城に潜入するかだな」(クルツェ)
「どうするんスか?」(コール)
その時突然、部屋の壁際に腰を下ろし、ひとり話の外にいたハイアが声を出した。
「私がやる・・・」
「な、なに!?」
これには全員が驚いた。
ミーランが側に寄って聞き直す。
「お前が!?」
「うん」
ハイアはいつも通り無表情で座ったまま平然と、呟くように答えた。
レンツに続いてハイアもやる気になったか。
しかし、それまで殆ど話さず、言われるがままにただ皆の後ろに付き従っているだけだったハイアが、この重大な局面
で一体何をしでかそうとしているのか、誰にも予想出来ない。
「本気か?、お前」
「大丈夫」
「お前に任せて、どうやって城内に潜入するってんだ? お前は治癒魔術専門だろ?」
「・・・・・ひみつ」
相変わらずのハイアだった。
今度はシャモットがゆっくりと近付いて、ハイアの前にしゃがんだ。
「任せていいんのか?」
「信じて」
「・・・・・・・分かった。 考えておこう」
「弔問客とかはどの位来るんスかね」(コール)
「分からんが、正式に発表されれば日を追う毎に増えていくだろう」(クルツェ)
「だろうな・・・、では明晩決行するとしよう」(シャモット)
「えっ! そ、そんなに早くですか!?(汗)」
図を描いていたレンツが驚いてペンを止めた。
「早いに越したことはない」
「で、でも・・・、下準備とか、することはないんですか(汗)」
「準備なんかいらねぇよ、行って斬るだけだろ。 なんなら今から行ったっていいんだぜ、俺は」(ミーラン)
「いや、一日時間をくれ、作戦をまとめたいから。
今から全員一緒に行動する。
クルツェとミーランは、日が暮れる前に宿をチェックアウトして来い。
その後作戦会議を開く」
遂に、暗殺計画は、実行に向けて本格的に動き出した。
つづく