第55話 死にかけの工藤太郎
緊張でつばを飲み込んでいるのかと思われた工藤太郎だったが、実は飲み込んでいたのはつばではなく自分の血液だった。
イザーに抱きしめられた時に左腕と肋骨が数本折れ、同時に内臓も傷付いてしまった。肩の位置が微妙に左右非対称になっているのも内臓や骨に重度の損傷が見られるためだろう。
それでも、工藤太郎は懸命に生き、何かを伝えようとしていた。
だが、工藤太郎は言葉を発することは出来ず、溢れてくる血液を飲み込むことだけで精一杯になっていたのであった。
「ちょっと、誰か太郎ちゃんの傷を治せる人はいないの?」
「自分たちの魔力ではレベルが違い過ぎて効果が無いんですよ。イザーちゃんだったら太郎ちゃんと同じくらい強いんだから、何とかなるんじゃないの?」
「何とか出来るんだったらやってるよ。でも、私は回復させることなんて出来ない。今から覚えるにしても遅いよね」
工藤太郎は両手で自分の喉を押さえながら顔を真上に向けていた。
その姿は天に向かって許しを請うようにも見えるのだが、彼には一切非が無いという事だけは皆わかっていた。
それでも、その工藤太郎の姿は美しい彫刻のように見えていたのだ。
「そうだ。誰か処置室まで行ってポンピーノちゃんを連れてきてよ。ポンピーノちゃんだったら何とか出来るんじゃないかな」
「たぶん無理だと思うよ。ポンピーノ先生は生きている人は治せないって言ってたし。レジスタンスの教会にいる人たちも無理なのかな?」
「あの人たちに出来るのは治療じゃなくて苦痛を取り除くことだと思う。だから、今連れてきたところで太郎ちゃんの苦痛を取り除いてポンピーノ先生に元に戻してもらう事しか出来ないかも」
完全に手立てが無くなったと思われたその時、意外な人物が工藤太郎に近付いて何やら様子を見ていた。
あまりにも自信満々な様子で行動をしていることもあって誰も止めはしなかったのだが、慌てたクリームパイが引き離そうとしていた。
「ちょっと何やってるのよ。今はあんたのおふざけに付き合ってる暇はないのよ。太郎ちゃんがこれ以上苦しい思いをしないためにもあんたは離れなさいよ」
「何も出来ないお主らは黙って見ていろ。我がこの者を元のように健康な体にしてみせようぞ」
「そんなことできるわけないでしょ。ってより、なんであんたは生きてんのよ?」
「ふっ、そんな事を聞くのは野暮だぞ。我はこの者を治すために冥府より参上したのだ」
零楼館高校に来てから一度も生きて午後を迎えたことが無いクリーキーが現れたことで騒然としていたのだが、工藤太郎に対して何かやろうとしている事にも批判の声が上がっていた。
何も出来ない迷惑な男としか思われていないクリーキーが何かをやろうとしているのだが、確実に良くない結果に終わってしまうという想像しか出来ないのだ。
誰も治せるものがいない現状を考えると、何か自信のありそうなクリーキーに任せてみるのも一つの手になるのかもしれないが、クリーキーの行動によってドクターポンピーノでも治せないような状態にされてしまうという事も考えられているのだ。
だが、いつもとは違う自信に満ち溢れているクリーキーの姿に栗宮院うまなは賭けてみても良いのではないかと思い始めていた。
それが愚かな判断だったとしても、何もしないよりはマシなのではないかと思っていたのだ。
「今の状況だと太郎ちゃんを治せる人なんて現れないと思うんだ。クリーキーが信用出来ないダメな男だって言うのはわかってるんだけど、今のこの自信に満ち溢れた姿を見ていると信じてもいいんじゃないかなって思うよ。他に何も手が無いんだったら、任せてみてもいいんじゃないかな」
「うまなちゃんがそう言うんだったらクリーキーに任せるのもいいと思うよ。でも、その結果最悪の失敗をしてしまったら、うまなちゃんは責任をとれるのかな?」
急に現れた野城君がいつもとは違う強い目力で真っすぐに栗宮院うまなを見つめていた。
あまりの目力に一瞬たじろいだ栗宮院うまなではあったが、すぐに心を強く持って真っすぐに見つめ返していた。
「野城君が想定している失敗ってのが何かわからないけど、太郎ちゃんがどうにかなってしまったら私が全責任を負うわ。このままだと太郎ちゃんに苦しい思いをさせてしまうだけだし、少しでもその苦痛を取り除いてあげたいのよ。今のクリーキーはそれが出来ると思わせるようなくらいに自信に満ち溢れていると思うわ」
「さすがだよ。うまなちゃんがそこまで責任を持ってくれるんだったら俺は何も言わないことにするしかないな。例え、クリーキーの術が失敗して太郎ちゃんの存在も記憶もこの世界から抹消されたとしても大丈夫だ」
「え、ちょっと待って。存在も記憶も抹消されるってどういう事?」
「そのまんまの意味さ。失敗しなければなんていう事は無いからね」
栗宮院うまなの覚悟を見届けた野城君は颯爽と去っていったのだが、工藤太郎の存在と記憶が抹消されるという言葉のインパクトが強すぎて野城君の事を追いかけようとするものは誰一人として現れなかった。
失敗してしまうと、工藤太郎が完全にいなくなるという事なのだろうか。
誰もがその事を言えずにいたのだ。
「あの者が言っていたことなど心配する必要もない。確かに、我の術が失敗すればこの者の存在は未来永劫消失してしまう事になるだろう。例え、過去に戻って連れてきたとしても、この時間になれば同じことよ。だが心配する事は無い。漆黒の騎士であり蒼炎の魔術師でもある我は黄金の流星と呼ばれ真紅の餓狼と畏怖されていた孤高の天才なのだ」
先ほどと変わらぬ自信に満ち溢れているクリーキーではあったが、今の時点で賭けに失敗したと感じたのは栗宮院うまなだけではなかっただろう。




