貴民
ユーリ視点です。
私がこの世界が、前世で読んだ小説の世界であると認識したのは、学園の門をくぐった時だった。どこか見覚えのある学舎を見た瞬間、別の記憶が流れ込んできた。
もっと早くに記憶を取り戻していれば、異様に計算のできる子どもではなく、孤児院で過ごす普通の女の子を演じ、貴族の騒動に紛れ込まれずに済んだはずだ。
だが、終わったことは仕方ない。できる限りヒーローであるケビン王子と距離をとって過ごそう。
意気揚々と学園生活を迎えたが、いくらこちらが拒否しても、ケビンの方から近づいてくる。何度か抗議の声を挙げたが、こちらは平民出身の男爵令嬢。どこまで強気で反発していいか、判断がつかない。平等を謳う学園だが、不敬罪の概念が消えたわけではない。私を見出してくれた義父母に迷惑をかけるわけにもいかない。
幸い、ケビンの婚約者であるリクシアには私が本気で嫌がっていたことは伝わったのか、小説であったような攻撃的な態度はなかった。彼女はケビンに強く物を言うこともあったが、その度にケビンは私に近づこうとしてきた。
結局、私はケビンの婚約者となり、リクシアは辺境伯と婚約した。小説では悪い噂が広まったリクシアが辺境伯に愛されることなく、自ら森の中に入って魔物に襲われることになっていた。私は差し出がましいとは思いながらリクシアに手紙で危機を知らせたが、幸い、辺境での生活は不自由してないとのことで安心した。
辛い王妃教育を耐え、バルサバ領の視察に同行したのが1年前。それからも王妃教育を受け、卒業を迎えようとしていた頃、私は一つの決意をケビンに伝えた。
「婚約を・・・解消してほしいと?」
私の言葉に、カップを落としそうになるくらい驚いたケビンの表情は初めて見るもので、私は思わず笑いそうになった。
「確かに婚約解消を申し出ました」
「いったいなぜ?」
ケビンは理解が追いつかない様子だ。
「まず、第一はケビン殿下のためです」
「俺のため?」
「ええ。ケビン殿下はバルサバ領視察後、殿下は婚約者としての私を積極的に立ててくださいました。それに、これまで平民や他の貴族を見下していた一面を改め、平等に接するようになって評判も上がってきておりました」
視察前までのケビンは人を見下し、誰かが苦言を呈すると途端に機嫌が悪くなっていた。
だが、バルサバ領の視察を経て、何かがあったのだろう。ケビンの態度は明らかに変わった。他人の意見を尊重し、議論を交わすようになった。おかげで仕事がよりスムーズになった。そして、その変化を多くの人たちは好意的に受け止めた。
私への扱いも変わった。社交界の場でも常に私の隣にいる。そして、私たちが参加するパーティでは行わなかったダンスも行うようになった。私がいかに優秀で、自分の婚約者として相応しいかをアピールした。
「私の評価も少しずつ高くなっています。これは殿下のおかげです。感謝しています。ですが、遅いのです」
「遅い・・・?」
「私は平民出身。そのことが影を落としてしまいます。社交界デビューの時のダンスすらできず、中座する平民出身の婚約者、という評価を覆すにはまだまだ時間がかかります」
「時間がかかってもいいじゃないか」
私は首を横に振る。
「そうこうしているうちにセドリック殿下が卒業し、成人します。セドリック殿下にはすでに婚約者として公爵家令嬢がおられます。あと数年で、その方よりも私の方が評価が高くなると、本気でお考えになられますか?わずか数年で王妃教育を終わらせようとしてもまだ、デビューの時の影を残している私が」
ケビンは黙ってしまう。
「それに、殿下がどれほど望まれても、決定権はありません。国王陛下、皇后陛下にはすでに私の意思を伝えてあります。そして、私の意思を尊重されました」
「なっ!今すぐ陛下に撤回を願い出る!」
ケビンは立ち上がるが、私は慌てずにケビンを止める。
「殿下は未来の国王。そのような短慮はお控えください」
私は優雅にカップを傾ける。こうやってお茶をするのも今日が最後かもしれない。
「しかし、なぜ私に相談してくれない?」
「相談したとしても結果は変わらなかったと思います」
ケビンが何か言いたげにするが、私はさらに言葉を重ねる。
「そもそも、私を殿下の婚約者として認めているなら、国王陛下、皇后陛下から私に庇護が入るはずでは?自意識過剰かもしれませんが、平民からわずか数年で王妃教育を終えようとする令嬢なんて、あまりいないと思いますよ。初めから、王家に認められるはずのない婚約でした」
ケビンの表情は絶望だ。
「父母はなんと・・・?」
「国王陛下は『大義だった』、皇后陛下は『気概ある貴女が去るのは寂しい』と」
ケビンの気持ちは察する。自分のこれまでの行いを反省し、その成果を一定数感じていたところに、これまでの所業のせいで手遅れだったことを知らされたのだ。しかも、両親は確信犯だった。
「ユーリは、平気なのか?」
「私ですか?そもそも王宮に召し上げられた時にご挨拶に伺った時から、こうなるだろうなとは思ってましたので」
一番最初に皇后陛下からかけられた言葉は、「ケビンのためによろしくね」だった。最初は言葉通りに受け取ってたが、よくよく考えると『ケビンのために』という言葉に違和感を覚えた。皇后陛下が言い間違えるわけがない。
その後、皇后陛下主催のお茶会や会話から、この人たちは私を守る気がないのだと理解した。国王も皇后も、ケビンが本気で私を認めさせるなら私を認めただろうし、そうでなくても自分の立場に気づけばよし、最後まで気づかなければセドリック殿下を王太子にするおつもりだったのだろう。
ただ、受けられる教育は受けておきたいこと、短期間で教育を終えて、見返したい一心でここまできたのだ。王妃教育を終えた今、一矢報いた印象はないが、婚約者の立場に縋るつもりはない。
「婚約を破棄して、どうするつもりだ?ベルランド伯爵の元に帰るのか?」
「冗談はおやめください」
私は少しだけ取り乱してしまった。縮こまった殿下の肩がわずかに震えた。
「失礼しました」
私は深呼吸をして落ち着きを取り戻す。
「ベルランド伯爵家ではまず、高位貴族の令嬢としての教育を受ける予定でした。しかし、教育とは名ばかりの理不尽な要求ばかり。ベルランド伯爵夫妻も王家との繋がりを持つために私を養子にしたので、別に愛情も感じませんでした。極め付けは元からいた令嬢の嫉妬で命の危険も感じたので、国王陛下に陳情し、予定よりも随分早く王宮入りしたのです。ですから、ベルランド伯爵家に戻るのはあり得ません」
「そうだったのか・・・」
ケビンは私が早く王宮に来た理由を初めて知ったらしい。国王陛下に早急に王宮に入りたいと言った時にはすでに現状を把握しておられた。一方、ケビンの側近はウィリアムに変わったばかりで情報も得られなかっただろう。
このことは口に出さないでおいた。必要以上に傷つけるつもりはない。
「ならばマクフェイル男爵家に戻るのか?」
「元々、私はマクフェイル男爵家を財政的に支えるために養子になりました。もしかしたら政略的な結婚もあったでしょう。今は王家とハーツ公爵家の婚約を潰し、さらにケビン殿下との婚約を破棄した平民出の令嬢です。マクフェイル男爵家に戻っても迷惑をかけるだけでしょう」
「・・・ならば、どうするつもりだ?」
ケビンは声を振るわせる。答えはわかっているのだろう。
「貴族籍から抜け、平民として生きていきます」
私は力強く答えた。
「父母はなんと?」
「快く了承してくださいました。マクフェイル男爵も納得していただきました。ベルランド伯爵には何も伝えておりません」
「アテはあるのか?」
「アテはあります」
「平気なのか?」
「私は元平民です。夢の世界から元の位置に戻るだけ。ただそれだけのことです」
「そうか・・・」
ケビンは小さな声で私に質問し、おそらくなんとかして引き止めようとしたのだろうが、私の意思は固く、しかも外堀も埋めている。
私は立ち上がって最後の挨拶をする。
「ケビン殿下。私を婚約者にしていただき、ありがとうございました。おかげで夢のような時間と教育を受けることができました」
渾身のカーテシーを決める。
「頭を上げよ」
ケビンが言って、私はカーテシーを解く。ケビンが成長したところだ。
「わたしこそ、申し訳なかった。身分の差を理解せず、傲慢な態度でユーリの人生を崩してしまった」
「私だけではありません。ハーツ公爵家はリクシア様と簡単に会えなくなり、マクスウェル男爵家は優秀な養子を失い、ベルランド伯爵は手に入れるはずだった王家との繋がりをなくすことになりました」
「そうだな」
殿下は素直に受け入れる。そのことも、成長した点だ。
「これから殿下はさまざまな出来事に立ち向かうことになるでしょう。しかし、直情的に対処してはいけません。時には慎重に、周りを納得させてから事に運ぶのです」
「ああ。そういう時はユーリのことを思い出すよ」
「私のことは結構ですが」
ケビンの言葉に苦笑する。
彼は本当の意味での愛情を私に持ったわけではないだろうが、彼なりに責任を持って私を王妃にしようとしたのだろう。
「では、殿下。これにて失礼致します。遠くの場所から殿下のご活躍をお祈りいたしております」
「あぁ。ユーリも元気で」
私たちは最後の会話を交わす。
私は王宮を出ると平民になる。今後、ケビンと会話を交わすことはないだろう。
私は荷物をまとめ、王宮の門を出る。侍女はいないが幸い多少の金銭を持たせてくれた。
私は深々と頭を下げたのち、馬車乗り場に向かって歩き出した。背後で、門が静かに閉まる音がした。
涙は最後まで流さなかった。
これで最後の更新です。お付き合いいただいた方、本当にありがとうございました。
では、皆様、良いお年をお迎えください。
誤字脱字などの指摘、ご意見・ご感想等あればぜひともコメント欄にコメントをお願いします。
ちょっとでも評価していただければ、筆者が喜びます。




