休息
俺の顔は寝不足で酷いことになっているが、一方で頭ははっきりとしていた。これからやることに後悔しないとわかっているからだ。
俺は執務室に入り、昨日、そのままにしておいたミミズ文字が書かれている書類を書き直す。そのうち、ダニエルも部屋に入ってきた。
「ランド、寝てないのか?大丈夫か?」
「大丈夫だ。むしろ、調子は良いくらいだよ」
俺は笑って返事をしたが、ダニエルはむしろ気味悪いと離れてしまった。非常に失礼だと思ったが、ちょうどその時、リクシアが執務室に訪ねてきた。
「リクシア様。どうなさいました?」
「俺が呼んだんだ。入ってくれ。ダンも話を聞いてほしい」
「失礼します」
俺はそう言ってリクシアをソファに座らせる。後ろには護衛兼侍女のマリアナが立っている。ダニエルが手早くお茶を淹れてくれる。
お茶を一口啜ったのち、俺はリクシアに頭を下げた。
「どうか、仕事を手伝ってほしい」
一同が驚いているのがわかるが、俺はそのまま続ける。
「本当はリアが仕事ができる女性だとはわかっていたが、俺のちっぽけなプライドが邪魔をしてしまった。今更だが、どうか手伝ってほしい」
「もちろん。私は構いません。むしろ、ぜひお手伝いさせてください」
リクシアの声に俺は頭を上げると、リクシアは慈愛に満ちた笑顔で俺を見ていた。『大丈夫』と俺が言ったときに、俺が欲しかった笑顔だ。
「ランド様がお疲れであることはわかっていましたが、表立って支えることができないのを歯痒く感じておりました。これからは私もランド様を支えていきますので、一緒に頑張りましょう」
俺はリクシアの言葉に涙が出そうになり、今までの自分のプライドを粉々に砕きたくなった。さらに、こんな良い令嬢をパートナーに選ばないケビンの考えもわからなかった。
「早速で悪いが、現状を把握してもらいたいんだが」
「それなんだが・・・」
「ランド様。それには及びません」
ダニエルが申し訳なさそうに言うとともに、リクシアがきっぱりと俺の提案を断った。
「すでにダン様から伺っておりますし、差し出がましいと思いつつも少しお手伝いさせていただいております」
「そうなのか?」
俺は驚いてダニエルを見る。ダニエルは相変わらず申し訳なさそうに俺に言った。
「リクシア様を怒らないでほしい。この話を持っていったのは俺なんだ。ランドは根を詰めすぎてると思ってたんだが、俺が聞いても『大丈夫』としか答えなかったからな。かといって、正直俺も手伝える余裕はない。そこで、リクシア様に少しだけ、仕事を持っていったんだ」
「いや、リアにもダンにも怒ってないさ。ただ、意地になっていた自分が滑稽なだけだよ」
ふぅと力を抜き、気合いを入れ直す。これ以上、リクシアに情けない姿を見せることはできない。
「さて、リアにやってもらう仕事は・・・」
「お待ちください」
俺が何かいうより前に、リクシアが立ち上がった。
「ランド様は今日はおやすみください」
「は?いやいや。婚約式まで時間がない。俺がやる仕事もあるし、リアとダンに丸投げするなんてできない」
そういった直後、後頭部に衝撃を感じ、気づいたら俺は自室のベッドに横になっていた。陽がやや傾きはじめている。どうやら、昼食を逃したようだ。
俺はベッドから起きて身体を確認する。朝よりも身体は軽い。
「お目覚めになられましたか」
身体の状態を確認していると、女性の声が聞こえた。そこに目を向けると、サマンサの姿があった。
「少々お待ちくださいませ」
サマンサは頭を下げ、一旦部屋を出る。
サマンサは騎士としてしか教育を受けてなかったはずだが、わずか2週間でぎこちないながらも侍女としてサマになってきている。リクシアとマリアナの教育の成果だろう。
しばらくののち、サマンサがリクシアとともに帰ってきた。
「ランド様、ご気分はいかがですか?」
「あぁ。悪くない」
「先ほどは手荒な真似をして申し訳ありませんでした」
リクシアが頭を下げる。その意図を図りかねていると、サマンサが説明してくれた。
「今のままだと頑なに仕事をしてしまうと案じたリクシア様が、マリアナに命じてラトランド様を眠らせたのです」
なるほど。マリアナの攻撃を簡単に許してしまうあたり、確かに疲れていたのだろう。マリアナに以前言ったことが、そのまま己に帰ってきた。
「普通なら1時間程度でお目覚めになるのですが、お疲れだったようですね」
「いや、休みすぎて申し訳ない。仕事に戻ろう」
「いえ、その必要はありません」
俺が腰を上げようとすると、リクシアに止められた。
「ダンは優秀な執事ですし、その他の方もしっかりと仕事をこなしてくれています。なので、ランド様は今日はおやすみください」
「しかし、部下に負担をかけてまで俺が休むわけには・・・」
「その結果、倒れられたのですから、どっちが迷惑か、わかりませんね」
イタズラっぽく笑うリクシアに、俺は顔を顰めた。真実を述べることはできるものの、それだとリクシアの立場が危うくなる。
「みなさん、心配しておられました。それだけで私はランド様を誇りに思います。心配しなくても、明日は働いて貰いますから、一緒に頑張りましょうね」
リクシアは笑顔で部屋を出る。入れ替わりにテレサが入ってきた。
「ランド、倒れたのは本当ですか?」
どうやら、テレサも俺が過労で倒れたと思っているらしい。だが、今更否定をするのも面倒だ。
「母上。ご心配をおかけしました。申し訳ありません」
俺は頭を下げる。リクシアが来てからの母の態度は違和感を感じるものの、心配をかけさせてしまったことは心の底から申し訳ないと思う。
「少し休んだので、今はスッキリしています。リアは仕事を休めと言うのですが、もう大丈夫だと、母上からも進言してくれませんか?」
「いえ、彼女の言うとおり、貴方はいま、休むべきです」
テレサからの言葉なら、リクシアも聞いてくれるだろうと思ったが、それは拒否された。
「領地に戻ってからわずか1年。ランドの努力と成長は目を見張るものがあります。ただ、それを喜んでばかりで、貴方の心労に気づいてやれなかったこと。お父様も貴方に全てを任せすぎたと反省しています」
テレサからそんな言葉をもらうとは、俺は露ともおもっていなかったので驚いた。
「いえ、それくらいせねば、この地を守れなかった。ただそれだけです」
「それでも、です。これからは文官含め、部下の力と、リクシアを頼りなさい。いいですね?」
俺に有無を言わさずに立ち去ろうとするテレサに、俺は声をかけた。
「母上はなぜ、リアに社交を求めたのですか?」
リクシアがここに来た経緯をテレサはよく知っている。それこそ、俺よりも知っているはずだ。
そんな母が「格好の的」となるリクシアに社交を求めた。リクシアが俺の婚約者になることに難色を示していたから、てっきり「嫌がらせだ」と決めつけてしまっていたが、その真意は別のところにあるのではないか。
わずかな会話の中でそれを感じ取り、俺は母に聞いた。そして、その感覚は正しかった。
「彼女を取り巻く環境は私がよく知っています。ただいたずらに時間を経たところで、彼女の『噂』はなくなるどころか悪くなるでしょう。それならば、さっさと社交に出て、『噂』が偽物であったと知らしめるべきです」
「しかし、母上はリアにいい感情はなかったはずです」
「確かに、ランドから聞いたリクシア嬢の態度と噂に乖離がありすぎて、自分の息子ながらどちらを信じていいかわかりませんでした。実際に彼女は婚約破棄という憂き目にあっている一方、数年前の貴方の印象と、身内贔屓の入った証言しかありませんでしたから」
俺は物語の中身を知っており、彼女を救いたいと願っていたが、側から見れば彼女のいい評価は俺や彼女の父であるハーツ公爵の証言しかない。リクシア自身は社交デビューしておらず、なおかつ密閉性の高い学園内での出来事、さらに第一王子という立場も彼女との距離も近かった第三者からの証言と、婚約破棄という実際の処分を下されている事実。どちらを信じるかは、特に辺境の地であるバルサバ領では判断が難しい。
「ですから、私は身近な人々を誘い、わざとリクシアを貶めるような空気のお茶会を開いたのです」
俺は目を見開き、胸の奥が熱くなったが、言葉を挟む前にテレサは目線を下げた。
「今から考えたら彼女には申し訳ないことをしたと思っているわ。でも、社交に出ればいずれ訪れること。おそらく婚約披露宴では、もっと露骨な視線を向けられるでしょう」
「確かに、その可能性は考えていました」
俺がリクシアとの婚約を領地運営会議で伝えた際、近しい貴族からも反対の意見が出た。俺は珍しく領主権限も使って黙らせたが、俺をよく思っていない貴族からすれば、格好の攻撃材料だろう。
「だから、俺が守らねば、と思っていました」
「ランドのその気持ちは大切です。ですが、もしかしたら、守られるのは貴方の方かもしれません」
俺がきょとんとすると、テレサはいたずらっぽく微笑んだ。
「それに、私もランドに救われてるのです」
「僕に、ですか?」
「ええ。アルジーを亡くして、ランドが帰ってきたあの日。私は自暴自棄になってしまいました。最愛の夫を亡くし、息子はまだ独立していない。私が領地を潰すんだって。でも、ランドは言ってくれた。社交界での役割があるって」
そういえばそんなことを言った気がする。あの時はとにかく必死だった。母に役割を与え、安易な選択をさせないように。それが、本当に母を救っていたとは思わなかった。
「彼女を見た時、あの時の私とは違って生き生きとしてました。それでも、私が彼女にできることは、社交に出て、バルサバ領を知ってもらうこと。彼女は強い。伊達に王妃候補として教育を受けてないわ。ランドも、負けずに頑張りなさい。でも、今は休みなさい」
そう言い残して、テレサは部屋を出ていった。
俺はソファに座り、母の言葉を考えていた。俺の何気ない一言が母を救ったのであれば、それは本当に良かったと思う。もし、母がいなければリクシアを俺が閉じ込め、間違った道に進んでいたかもしれない。そうならなくて、本当に良かった。
しばらくお茶を飲みながらテレサとリクシアに言われた通り体を休めていたが、1時間もすれば飽きてきた。
仕事の進捗を確認するためにと部屋を出ようとするが、サマンサが通してくれない。
「仕事をするわけじゃないんだ。ただ、進捗を確認するだけで」
「いけません。リクシア様にランド様を部屋から出さないようにと仰せつかっております」
出会ってわずか2週間ほどだが、すでに俺よりもリクシアとの信頼関係を重要視してるらしい。羨ましいような、腹立たしいような、複雑な気持ちになる。
「なら、図書室に行かせてくれないか?流石に何もせずに部屋にいるのは苦痛だ」
俺がそういうと、サマンサは渋々了承してくれた。
執務室に行かないようにか、サマンサが俺の後ろをついてくる。
俺は数冊の本を手に取り、部屋に持ち帰る。
バルサバ領をよくするためにやりたいことはたくさんある。そのあたり、リクシアが上手く立ち回ったりしてくれるのだろうか。しかし、辺境伯の妻として社交をしてもらわないといけない。その上で実務を任せるのは些か強欲ではないか。
俺は本を読みながら物思いに耽る。こうやってゆったりと時間を過ごすのは、学園でダニエルと昼食をとったとき以来ではないだろうか。
若干の罪悪感と身体を休める充実感に挟まれ、時折夢の世界に旅立ちながら、俺は時を過ごす。
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