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ファンタジー小説たち

子守唄

作者: 赤城康彦

 戦火の中を、女と子供たちが逃げ惑っている。

 西方スニセンの国より幾万の軍勢が、ここエヌスクスの国に攻め込んで。エヌスクスの領土は蹂躙された。

 剣戟の音、馬蹄の音、殺意のこもった雄叫び。それらの音のもと、破壊がおこなわれた。

 戦争ほど、酷いものはない。

 子供たちはみんな泣きじゃくっている。特に小さな子供は歩くことすらおぼつかず、やや年長のようやく我を保っている子供に手を引かれながら、ようやくにして破壊の中、足を動かしていた。

 エイハメイは悲しみと涙ににあふれた目で、泣きじゃくる子供の手を引き歩いていた。

 逃げ惑う女と子供たちの行く先々にあるのは、破壊された故郷の町と、累々たる屍の山。子供たちが、どうしてそんな中を歩かなければならないのだろう。

 

 破壊も一段落ついたのか、スニセンの国の兵士たちは、新たな破壊と殺戮を求めて、どこかへといってしまった。

 その隙を突いて、身を潜めていた教会の便所から抜け出し、安全な場所を求めて歩いていた。

「みんな、元気を出して。さあ、歩きましょう」

 エイハメイはひたすら声を出して、子供たちを励ます。とにかく、歩かなければ。

 しかし、無情にも。

「まて」

 という声。

「……」

 エイハメイは動きを止め、声を失った。

 スニセンの兵、ひとり、ふたり、……五人。まだいたのか。

「女ではないか」

 エイハメイを見るなり、スニセンの兵のひとりはいやらしい目つきでそういった。

「どうか、どうか命ばかりは」

 とっさに頭を下げて、命乞いをする。だが、その命乞いに返される言葉。

「そうか、なら、わかっているだろうな」

 若く美しい金髪碧眼の娘を、スニセンの兵は求めた。五人とも、げへへ、と下卑た笑いでエイハメイをさっそくなぶっていた。

「やめろ!」

 勇敢な男の子が、スニセンの兵に飛び掛った。

「だめ!」

 という叫びも間に合わず、男の子は兵に拳で思いっきり殴られてしまった。殴られてどさっと倒れこんだ男の子の顔を、ひとりが踏みつけた。

「ちきしょう……」

 大粒の涙を流しながら、踏みつけられてもなお男の子はあがいていた。その首に、短剣が突きつけられた。

 子供たちはさらに泣きじゃくった。もう、それ以外になにができるであろうか。

「ま、まってください」

 エイハメイは、襟元のボタンに手をかけ、服を脱ごうとする。ほんとうはいやだが、子供たちの命には代えられない。

「おねえちゃん、だめだよ、だめだよ」

 勇敢にも、短剣を首に突きつけられながら男の子はそういうが、どうしようもなかった。悔し涙があふれ、頬をつたって地にしみこんでいった。

(わたしが穢れても、子供たちが助かるなら……)

 涙をこらえていたエイハメイだが、もうこらえられなかった。

 涙がひとつぶ、ぽたりとこぼれ落ちた。

 そのとき。

 ひゅっ、という風を切る音とともに、スニセンの兵に向かって矢が放たれた。

 え、と思ったときには、スニセンの兵五人はことごとく、矢に射抜かれてしまった。顔を踏む力が抜け、男の子は服を脱ごうとしていたエイハメイに飛びつき抱きついた。

 抱きついて、他の子供たちと一緒に泣きじゃくっていた。

「……」

 矢の放たれた方を見れば、ひとり若い騎士がこちらにやってきている。エヌスクスの騎士だった。

「大丈夫か!」

 騎士はそう叫びながらエイハメイたちのもとにやってきた。

 手には弓。矢は、彼が放ったのだった。

「この破壊の有様では、もう誰も生き残ってはいまいと思っていたが……」

 エイハメイと子供たちを見て、騎士は感慨深く言った。

「よくぞ生きていた。ひとり仲間たちとともに死にそびれたのも、意味があったのだな」

 もう大丈夫だ、と騎士は微笑んだ。

 その微笑に、エイハメイは安堵し気が抜けたのか、魂の抜けたように倒れこんでしまった。

 

 気がついたときには馬車の上だった。

 気を失ったエイハメイを背負って、騎士は子供たちと歩き、ようやく他の生き残りを見つけた。幸い馬車もあった。

「気がついたか」

 騎士はいった。子供たちも、嬉しそうにエイハメイの顔を覗き込んでいた。

 皆、笑顔だった。

 助かったことが嬉しいのだろう。それをぼやけた目で見て、エイハメイはまた眠った。

 助かった嬉しさより、疲労の方が深かった。


 また目覚めたときは、城の中だった。

 さいわいまだスニセンの軍勢はこの城は来ていないようで。城主フィムは敵がまだ来ぬうちに、領民や避難民を城に入れて保護していた。

 城の中庭にテントがいくつかかけられ、エイハメイはその中で目覚めた。

「みんな……」

 笑顔で顔を覗き込む子供たち。我知らず、涙があふれてくる。

 安堵や嬉しさの涙ではない。

(どうして、こんなことになったのだろう……)

 という、不条理への悔しさや悲しさの涙だった。

 戦争が起き、その中を逃げ惑い、殺されそうになって、陵辱されそうになって。自分ひとりだけでなく、子供たちまで……。

「やあ、気がついたか」

 騎士だった。鎧姿で、テントの中に入ってきた。

「私の名はビケ。以後、お見知りおきを」

「私は、エイハメイ……」

「エイハメイ……。良い名だ」

 騎士、ビケはそういって、エイハメイに丁寧に礼をし、そのそばに座る。それを囲んでいる子供たちのうちひとりふたりが、ビケに甘えるようにしがみついてきた。

「いや、ここまで来るまですっかり子供たちと仲良くなりましたよ」

 ビケは微笑みながらいった。エイハメイも、微笑み返した。

「ありがとうございます。なんとお礼をいえばよいのか」

「いいえ、騎士としての責務を果たしたまでです。礼には及びません。それに……」

「それに?」

「あの町で、仲間たちはみんな死んでしまい、私ひとりが生き残ってしまいました。わたしはそれが悲しかった、でも、それも意味があったのですね。あなたたちを助けられたのだから」

「……」

 微笑んでいたビケだが、そういうと、少し寂しさの影をのぞかせた。

「ねえねえ」

 女の子が、ビケとエイハメイを交互に見て、にっこりと笑って。

「騎士さまは、エイハメイおねえちゃんが好きになったの?」

 といった。

 なんともませたことをいうではないか。

 突然のことに、ビケとエイハメイは顔を真っ赤にして、声を詰まらせた。どうも、なにか勘違いされているようで。その様子が可笑しいのか、子供たちは一斉に「あはは」と明るく笑っていた。


 ラッパが鳴った。

 敵が攻め込んできたことを、叫ぶようにして鳴って知らせた。

 ついに、この城にもスニセンの軍勢が襲い掛かってきた。

「おねえちゃん」

 子供たちみんな、エイハメイにしがみついてきた。震えが痛いほど伝わってきた。

「大丈夫よ、城の中だもの。それに、ビケさまたちが守ってくださるわ」

 そう、子供たちにいい、自分にも言い聞かせた。

 避難民あふれる中庭の空気は、一瞬にして戦慄の空気につつまれて固まった。

 怒号が、くうに響き渡って、心まで震わせた。

 いま城の外はどうなっているのだろうか。

 ビケは、騎乗にて剣を振るい勇敢に戦っていた。

「おのれ」

 血を吐くような怒号。

 この城を守ろうと、必死になって戦っていた。

 両軍とも城外にて激突していた。

(この城を、なんとしても守り抜くのだ)

 スニセンの兵士たちの残虐さは、いままでいやというほど見てきた。

(これ以上、好きにさせてなるものか)

 と、みんなまさに命がけで戦っていた。しかし、スニセンの軍勢は強く、ひとり、またひとりと倒れてゆく。

(エイハメイ、みんな……!)

 ビケは、城内にいるエイハメイたちに想いを馳せた。

(私に勇気を、勇気を与えてくれ)

 怖い。戦争は、正直怖い。しかし、そんなことでは、誰も守れない。

 守るべき者たちを思い起こし、自身を鼓舞して、勇気を振り絞って、ビケは戦っていた。

 己は騎士ではないかと、自分に言い聞かせた。

 だが……。

 ビケの足に、剣が貫き通された。

「……!」

 声にもならぬ声を上げて、落馬した。

 首を獲ろうと、スニセンの兵たちが、ビケに群がった。

「エイハメイ!」

 無念の叫びがこだました。

(あなたたちを残して逝く私を、どうか許してください)

 涙がひとつぶこぼれ落ち、地にしみこんだ。その上に、赤い血が、しみこんでいった。


「引け、引け」

 かなわぬ、と引けの号令が下り、城兵たちはみんな一目散に城に逃げ込んだ。

 篭城戦となった。

 負傷兵がぞくぞくと中庭に運ばれてくる。

 エイハメイは城兵たちを見回すが、ビケの姿がないことが気がかりになって、城兵のひとりにビケのことを尋ねてみれば。

「彼は、討たれた」

 という、無情なこたえ。

 城兵もつらそうにして、エイハメイに背を向けて持ち場にもどってゆく。

 エイハメイは、放心状態になって、立ちすくんだ。子供たちが心配そうにして見ているのも、お構いない。

 次から次へと、戦争は、どれほどの命を奪い去ってゆけば気が済むのだろうか。

 中庭に運ばれた負傷兵も、傷が重いものは、次々と死んでゆく。

 避難民も、病人や怪我人は、ろくな手当てもされないまま死んでゆく。

 生き残っている者は、そんな風にして死に囲まれて、希望を持てなかった。

 自分たちは、これからどうなるのだろう。いつ、順番が回ってくるのだろう。

 ふと、目にとまったもの。

 母の乳にすがる赤ん坊だった。

 赤ん坊は、しきりに母の乳を求めているが、母親はうわの空でぴくりとも動かない。

 放心したままそのもとまで来てみれば。母親は、すでに息絶えていて、赤ん坊はそのことを知らずに、乳を求めていたのだった。

 周囲が奇異の目で見ているのもお構いなく、エイハメイは、赤ん坊を自分の胸元に抱き寄せ。子守唄を口ずさみはじめた。

 子供のころ、母がうたってくれた子守唄を、子供たちにうたってあげた子守唄を、しずかにうたいはじめた。

 子供たちは、そんなエイハメイを、たたじっと見つめていた。

 赤ん坊は、子守唄に心癒されたのか、いつのまにかすやすやと眠っていた。

 その優しげなうた声は、心を優しくなでてゆく。

 でも、ほんとうなら、誰が赤ん坊に子守唄をうたってあげなければならないのだろう。

 どこからか、すすり泣きの声が聞こえてくる。

 エイハメイのうたう子守唄を聞き、避難民や負傷兵の中の何人かが、その昔母親に同じように子守唄を聞かせてもらったことを思い出して。

 母をしのび、泣いているようだった。

 子守唄を聞いているころ、今のようなことなど考えたこともなかった、このままずっと、子守唄を聞かせてもらえると思っていた。

 それが、今、現実では……。

「かあさん、かあさん」

 負傷した少年兵が、そういいながら、息を引き取った。そうかと思えば。

 戦争で亡くなった我が子を思い出して、涙を流していた女性。

「ぼうや……」

 我が子のありし日の姿が思い起こされて仕方なかった。しばらく泣くと、我が子をしのび、エイハメイと一緒に子守唄をうたいはじめた。

 そして、次から次へと、人々は子守唄をうたいはじめていた。

 子供たちも、子守唄をうたいはじめていた。

 この絶望の中で、エイハメイのうたう子守唄が、みんなの心に優しく触れたようで。

 せめてもの慰めになったのだろう。同じ死ぬにしても、絶望と恐怖に苛まれるより、子守唄をうたい、聞きながら、子供のように眠りながら死んでいきたかった。

 中庭はいつしか、子守唄の合唱祭の様相を呈していた。

 この異変に最初驚いていた城兵たちだったが、彼らも、いつの間にか一緒に子守唄を聞き、うたうようになって、子守唄は城中に響き渡るようになっていた。

「これは」

 城主フィムは、子守唄を耳にして、城内の絶望の様をまざまざと思い知らされる気持ちだった。

(もはやこれまでなのか)

 皆、戦意を失い、うたをうたうことしか出来なくなってしまったのだろうか。

 城中に響き渡る子守唄は、お迎えのうたなのだろうか。


 その子守唄は、城の外にまで響き。城を囲むスニセンの兵の耳にも聞こえた。

「なんだ?」

 雑兵がひとり、聞き耳を立てていた。しかし、聞き耳を立てるうちに、その優しげなうた声に、知らず知らず涙を流していた。

「かあさん」

 ぽそりとつぶやいた。

 残虐なスニセンの軍勢とはいえ、その中には被支配者として戦争にいやいや駆り出されているものもいた。

 子守唄をきいているころ、故国がスニセンに支配されるなど考えもしなかったし、挙句に戦争に駆り出されようなどとは。

 殺し合いなど、誰も望んではいない。それなのに、どうして無駄な殺し合いをして、買わなくてもいい恨みを買うようなことをさせられているのだろうか。

「もういやだ!」

 誰かが叫んだ。

「もう、戦争なんかいやだ。ふるさとに帰りたい。ふるさとで静かに暮らせれば、それでいいんだ」

「お前たち、何をしているのだ。敵は怖気づいているのだぞ、今こそ城を攻め落とす絶好の機会ではないか」

 城からの子守唄に涙を流す雑兵たちに、上官が怒鳴りつけ、はっぱをかける。

「ゆけ、ゆかぬか。ゆかねば斬るぞ」

 と剣を振り回す。

 しかし、これがいけなかった。

「そうか、行くも引くも、結局は死か。そうなるくらいなら……」

 何の恨みもないエヌスクスのものたちではなく、恨み重なるスニセンのものたちを道連れにしてやる。と、被支配国から駆り出された雑兵たちは上官に斬りかかった。

 これをきっかけにして、反乱が起こった。

 突然のことに、軍勢の動きとまとまりが乱れだした。スニセンを恨むものは、外だけでなく、内にもたくさんいたということだった。

「何事だ」

 軍勢を率いる将軍は、この突然の反乱に驚き、なすすべもなくせっかくの勝機をふいにして。

「引け」

 と号令を下すよりほかなかった。


「これは一体……」

 城の最上階の窓から、スニセンの軍勢の様子のおかしさが見えた。

 何事であろうか。

「城主様、フィム様!」

 城兵が息せき切ってフィムのもとまで駆け寄り、事態を告げた。

「敵は突然の反乱により、後退を始めた模様」

「なに!」

 まさか、そんな顔をしてフィムは報告を聞いた。

「敵は勝っているのだぞ。それでなんで、反乱なぞ」

「おそらく……」

「おそらく、なんじゃ」

「敵軍の雑兵たちが子守唄を聞き泣いているところが見えた、というものもあります。我が城より聞こえる子守唄を聞き、一部のものたちがふるさとを思い出して、反乱を起こしたのではないかと」

「ふむ……。スニセンの軍は強いが寄せ集めであるということであったが、なるほど……」

 途中でことばを区切り、フィムはしばらく考えて。

「いや、ふるさとより先に母を思い出したのであろう。それから、ふるさとが恋しゅうなったのであろう。いずこの国にあっても、子の母を想う気持ちは、同じであるということか」

 と、しみじみと語った。

 子守唄は、敵軍勢のことなどお構いなく、うたわれ続けた。

 エイハメイは、赤ん坊を胸に抱いて、空を見上げていた。

 自分たちを残して逝った騎士のことをしのびながら、子守唄をうたい続けた。

 戦争が終わっても、逝ったものたちは、帰ってこない。

 それが、ただ悲しかった。


子守唄 おわり

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