嘘のつけない世の中で
「それでは、君が連続殺人事件の犯人で間違いないんだな?」
「もちろんですよ、刑事さん。こんな世の中で、嘘を言っても仕方ないじゃないですか」
目の前の容疑者は、どこか投げやり気味にそう答えた。男前なのだが、荒んだ生活をしているのがうかがえた。刑事は取調室のデスクを挟み、容疑者と対峙していた。
世界中で奇妙なウィルスが流行し始めて三年。無闇に感染力のあるウィルスによるパンデミックは地球の隅々まで行き渡り、もはや地球上のどこにも逃げ場はないと言っていい。世界各地で研究は進んでいるらしいが、未だどの国も有効な対策は打てていなかった。
潜伏型のウィルスなので、発症しない限り感染しているかどうかはわからないが、スーパーコンピュータの試算では、既に地球上の全人類が感染していると予想されている。
気をつけていれば普通の生活が送れるので、表立ったパニックは起こっていない。しかし、実態は誰もが時限爆弾を抱えて生きているようなもので、そのストレスから犯罪を犯す者も多い。この男もその一人なのだろうか。
「一体、どうしてこういうことをしたんだ」
「あいつらが嘘つきだからです」
容疑者はきっぱりと言った。
「嘘つき? ……しかし、今の状況では……」
「そうですね。今この世界では嘘はつけないことになっている。……オネストウィルスのおかげでね」
オネストウィルス。世界中に蔓延するこのウィルスの最大にして一番奇妙な特徴は「感染した人間が嘘をついたら急激に発症し、呼吸困難を起こして死に至る」ということだ。そのメカニズムはよくわかっていないが、嘘をつく時のわずかな緊張や脳波の乱れなどが引き金になっているらしい。有効な対策が取れないのもこの特徴のせいで、動物実験が非常に困難なのだ。
世界から嘘が消えた。だが、良いことばかりではなかった。人間関係を丸く収めるための方便や、娯楽としての嘘まで影響が出た。人間、真実ばかりだとささくれ立ってしまう。刑事の仕事は増えつつあった。
「刑事さん、本当の嘘つきって知ってますか? 根っから嘘つきの奴は、オネストウィルスなんてものともしない。あいつらは、自分でついた嘘を自分で信じ込んでしまうんです。オネストウィルスは嘘をついた奴が『これは嘘だ』と自覚した時点で発症するんでしょ? だから、嘘を嘘だと思わない奴にはオネストウィルスも効きやしないんです。それに、こういう奴は自分の嘘を絶対に嘘だと認めない。認めたら死んじまいますからね」
刑事は被害者リストを思い浮かべた。彼が殺したのは、新興宗教の勧誘者、胡散臭い健康食品の業者、政治家やその秘書などといった面々だ。
「あんな奴らがのうのうと生きて、いい暮らししてるなんて間違ってる。俺は舞台にも立てなくなったというのに」
容疑者は舞台俳優だった。ただし「あまり売れない」という言葉がつく類の。芸能人もこのパンデミックの影響を被った職業の一つだ。「嘘」と「演技」を心の中で区別して、何とかこなしている者も多いが、彼はそこまで器用な俳優ではなかったようだ。
「このパンデミックで、かえって本当の嘘つきが炙り出されたようなもんです。嘘のつけなくなったこの世の中で、真の嘘つきこそ悪ですよ。俺は正義を行ったんです」
そう言う彼こそが狂信者の目をしているように、刑事には思えた。実際、ネットの一部では彼を持ち上げるような言説も見かける。そういう書き込みなどを目にして、ますます自分の正義を信じてしまったのだろう。エコーチェンバー現象という奴だ。
(しかし……)
刑事はそんな容疑者を見ながら考えていた。
彼が殺した人々は、確かにいわゆる「嘘つき」な連中が大半だ。だが、そのうち、ただ一人だけ嘘と無縁な被害者がいたことに、彼は気づいていない。
その被害者は、彼が本来狙っていた人物が住むマンションの一つ下の階の住人だ。本来狙われた人物とは無縁の、至極善良な人物だった。誰も嘘をつけない世の中でも、間違いや勘違いは存在する。ただ、関係ない人物を手にかけてしまった時点で、彼の「正義」は根底から崩れ去ってしまう。「嘘」になってしまうのだ。
嬉々として自分の武勇伝を語る容疑者を前に、刑事は今はこのことを胸にしまっておくことに決めた。いずれ裁判になれば明らかになることだ。嘘はつけなくても、真実を言わないことなら出来る。
(問題は、その時こいつがどうするかだな)
裁判で真実が明らかになった時、彼は自らの正義が嘘になったことを認めてオネストウィルスを発症させるか、嘘を認めずに自分が言うところの「嘘つき」に堕ちるか。
嘘のつけなくなった世の中で、これからはこういうタイプの「嘘つき」が増えて来るんだろうな。
「俺は正しいんだ。絶対に正しいんだ」
容疑者は熱に浮かされたように、そう繰り返していた。