冬目前は夜だって寒い2
前の続きです
玄関マットの上で靴を乱暴に脱ぎ捨て、スリッパに足を突っ込むと、カーディガンを脱ぎ、壁のハンガーにガチャンと音を鳴らしてかける。一足先に室内に足を踏み入れた邦彦は玄関入ってすぐ右にあるいつぞやと同じ鏡の中に籠ごと収穫物を収納していた。
「んな怒んなよ。何、生理前なnゴフッ」
からかう言葉を遮り完璧なボディーブローを腹に撃ち込み口を止める。
「手加減プリーズ…」
腹をさすり潤んだ瞳で訴える友に「玉は狙ってないんだから手加減してる」とジト目で流し見、そのまま背後を通り竈キッチンへ立つ。竈の鍋には昨晩作った残りのポトフが鍋半分ほどある。今夜もこれがメインだ。それに合わせて食べたいのはバゲット。キッチン横の『レーゾーコ』に近づき扉を左右に開く。『レーゾーコ』はまさに前世の『冷蔵庫』。歴代生け贄娘の誰かが作ったと聞いたが…名前は忘れた。歴代生け贄娘多すぎて覚えられない。しかもDIYの域越えるクオリティで神。ま、なんにせよありがたや。冷蔵庫から冷えたバゲットを取り出し扉を閉める。その間に腹痛から復活した邦彦が腹を擦りながら、竈に火を入れ、鍋をお玉でかき混ぜていた。
こういう気のきくやつだから憎めない。
キッチンのひらけた作業スペースにバゲットを置き適当な大きさに切る。
あ、斜めった。
「おい、まな板使えよ。台が傷つくだろ。あ、ほら!包丁!んな握りしめんな!」
オカン風の小言を右耳から左耳へ。
切ったバゲットを片腕に抱え、竈の中にちょこんと網を引っ掻け、バゲットを並べる。俺の態度に小言ワンコはため息をつき、俺がバゲットを切り散らかしたスペースをパンクズは布巾で拭い、使った包丁はさっと洗い元あった場所に戻した。
「サンキュー」
へらりと笑い、手をあげ感謝を伝えると『まったく』と肩をおとしながら部屋の奥の暖炉へと向かう。どうやら暖炉に火を入れてくれるようだ。本当、そういうところオカン。
鍋がぐつぐつといくつも泡を立てながら食欲をそそる良い香りを漂わせる。
俺は所有者を失ったお玉を手に取りぐるりと鍋底をなぞると、ひょこっと竈の中を覗き込みバゲットが焦げ始める前に一つ一つひっくり返す。
そこへ木製の食器を手に持った邦彦が隣へ来て、ナデシコと同じようにしゃがみ竈を覗き込む。うんと1人で頷いたかと思えば、すぐにまた立ち上がり、食器を台の上に置き、布をしいた籠を「ほい」と差し出した。「ん」と言って受け取るとホカホカに温まったバゲットをのせていく。冷たい時には感じなかった小麦の香りが湯気と共に溢れる。
またしゃがんだ邦彦は竈の火をならし消えるように火を弱めた。
あれ?そういえば玄関で靴揃えたっけ?
振り返り確認すると投げ捨てた靴は丁寧に爪先を揃えて下駄箱に収まっていた。
木製の器に豪快にポトフをよそった邦彦が目の前を通りすぎる。
手に持った籠をしっかり持ち直すと俺も立ち上がりその後を追い暖炉前のテーブルへと向かう。
左右の向かい合った席の前に置かれたポトフと木製のスプーン。その間にバゲットを籠ごと置くとそれぞれ席に着いた。
鼻腔いっぱいに幸せな薫りが入り込み腹が空腹を訴える。示し合わせた訳でもなく、互いに手を合わせ食事開始の言葉を告げる。
「「いただきます!」」
流石は2日目のポトフ。ジャガイモは角がとれ溶けて小さくなり、玉ねぎは完全に溶けきってとろとろスープとマリアージュ。ニンジンはあまり姿を変えていないがスープの味をしっかりと吸い込み口の中でホクホクと転がる。パンパンに膨れたウインナーはとても肉々しく歯と歯で挟むとプリッと弾けてスパイシーな香りが鼻を抜ける。
ガツガツと男子高校生さながらに具材を口へ運び、息継ぎにバゲットにかじりつく。
残すはスープのみと言う時、外でドスンと音がした。
ノンストップだった手も思わず止まる。
モロことクティカさんが帰ってきた音のようだ。きっと今はいつもの場所で胴を横たえ丸くなっていることだろう。
そんな考えから現実に戻ると目の前で微笑む邦彦と目が合う。彼の目の前の皿は空だ。
「何笑ってんだよ」
皿に両手をそえ、なぜか少し熱くなった顔を隠すようにスープを飲む。
「いや、いい食いっぷりだなと。昔の部活帰りを思い出すなぁ。」
最後の1滴まで飲み干すと空になった木皿の底を眺めポツリと昔を思い出す。
「部活帰りと言えば、駅前の肉屋のメンチカツ旨かったなぁ」
部活でしこたま走りまくってクッタクタの帰り道、家まで待てぬ胃袋を肉汁まみれのホカホカメンチカツで満たし、数人の仲間とくだらない話をしながら帰った日々は忘れられない。おばちゃん元気かなぁ。またあれ食いたいなぁ。…作れないだろうか…
『クタクタの帰り道』…クティカさんもクタクタだったりするのだろうか…
あ。
そだ。これにしよう。
音高らかに手を合わせ「ご馳走さまでした!」と叫ぶと空の食器を持ちシンクの中へと放りこむ。鍋の蓋を開けスープの残量を確認すると少し大きめのボウルを引っ張り出し鍋を傾けよそりきる。スプーンをボウルに突っ込み、テーブルに戻ってバゲットを1切れ残して2切れボウルに突き刺すと「ちょっと行ってくる」と言い残し、靴に履き替えボウルを抱えて外へ飛び出した。
残された邦彦はナデシコの髪についたパン屑をとってやろうと伸ばしていた手で置いてきぼりのバゲットを掴み、はぁーと腹の底から息を吐く。
「風呂沸かしといてやるか」
バゲットを口に押し込み立ち上がった。
あっという間に薄暗くなってしまった空気にほんのり白い息が吐き出されてはかき消える。いつもベッドのある窓の下に来て休むクティカさんを目指し、家を出て左側からくるりと外壁をなぞり歩く。ボウルからのぼり出る湯気の向こうに月明かりで照らされ白銀に光る獣を見つけた。その獣はこちらに気付いたようで耳をピクリと動かし、背を丸め伏せていた顔をこちらへ向けた。
話しかけるにはまだ少し遠い気がして、もう少し近づいてから声をかけた。
「こんばんは」
あと3歩歩けば触れられそうな距離で立ち止まる。
クティカさんは1度開きかけた口をモゴモゴと動かし、ふぃと顔をそらし目を伏せた。
「寒いぞ。冷える。」
ああ、確かに寒いかも。ボウルを持つ手の甲から熱が少しずつ奪われる。家を出る前に何か羽織れば良かったか。
「すぐ戻るから大丈夫です。あの、よかったらこれ食べませんか?」
2歩前に進みボウルをクティカさんの顔の前に差し出すと湿り気を持った鼻がひくりと動き耳がピンと立ち上がった。
「この前助けてくれましたよね?そのお礼まだしてなかったなと思いまして…」
上がった耳が下がり、目が泳ぎ、髭も下がる。
その様子は嫌がっているのかもと突発的に行動してしまったことを少し反省する。
「迷惑でしたよね。突然すみません。」
へらりと笑ってボウルを引っ込める。
「いや、そんなことはない」
そう言ってクティカさんは体を起こし近づき、目の前に座り直しボウルに顔を近づける。
「ありがたく、いただこう」
スープをペロリと舌先でなめると「うまい」と言って目を細めた。
その姿に安心し嬉しくなり「どうぞ」とボウルをまた差し出す。小さくころっとした具材を器用に一つ一つ口の中に転がして、ほころんだ口の端からほわほわと湯気を吐きながら美味しそうに食べている。
器はこれでは少し小さかったかもしれない。
と少し反省をしながら軽くなったボウルを片手で支え、さっと邪魔になってしまったスプーンをボウルから取り出した。
用意したスープもバゲットもあっという間に無くなり、物足りなかったのかボウルを丁寧になめとったクティカさんは口の周りもペロリとひとなめして「おいしかった。ご馳走さま」と柔らかな表情で告げた。
「お粗末様で…へっくし!」
やべ、おっさんくさいくしゃみ出た。鼻は流石にたれて…ないと思う。
急いで戻るかと考えながら『あ゛ー』と鼻をすする。
すると、ふわりと暖かさが体を包んだ。目下にほわほわの白い毛並みが現れる。クティカさんが自分を軸にくるりと円を描いて立ち寒い風から身を守る。
「すまない。寒かったな。」
横を見るとしゅんと耳を下げた頭が見えた。突然の行動に戸惑いつつ「いえ、ありがとうございます。」と返し、レアで可愛い姿を心の瞳で激写する。
ああ、この両手がふさがってなければ!頭を撫でることが出来たのに!
悔しさ半分ボウルを抱え持ち、嬉しさ半分全身で柔らかな暖かさを味わう。
しっぽが心なしかユサユサと動き、素肌のふくらはぎをゆったり撫で少しこそばゆい。
少し暖まってきた俺は「あの」と声をかけた。
「良かったら。またご飯持ってきてもいいですか?」
クティカさんの耳がピクリと動き、大きく開かれた瞳に嬉しそうに微笑む俺が映る。が、すぐにその微笑みは不安に歪み、うつむく。
「あ、でも迷惑ですよね。すみま」
「いや、迷惑ではない。…良ければまた食べさせて欲しい。」
謝罪の言葉を遮るように受け入れる言葉が告げられ真意を測るように「本当?」と言って再び顔をあげると暖かな目線と交わる。
「じゃあ、明日!明日持ってきます!」
足元に巻き付く尻尾を踏まぬように跨ぐとクルリとその場で回ってクティカさんの顔をみて伝える。
「暖めてくれてありがとうございます!また明日!おやすみなさい」
振り返った背中に「あぁ、おやすみ」と返された言葉は暖かく、じんわりと胸の奥を暖めた。
読んでくださりありがとうございましたm(_ _)m