あやまちを繰り返す。
昔、知人がこぼした言葉がある。
「なんで人は、あやまちを繰り返すのだろうね?」
3ヶ月ぶりに、電話口で聞いた声は、泣きそうにも思えたが、元々少しか細い声だったんじゃないかと思い返していた。
眠る前の雨が降っているようなしっとりとした夜の静寂さには、丁度よい音量と声色だった気もする。
まぁ、それでもそんなことを口に出さない程度には、成長していたし、そんなことを口に出す必要性もなかった。
ただ、聞いてもらいたいだけという事もあるだろう。
テレビでご意見番を気取っている女性コメンテーターの口を借りれば、女性はそう言う生き物だと。
それに追随するかのように、女性アナウンサーは頷き理解を示す。
それが道理であるかのように。
一年に三回程はテレビの画面で、見たことがある。
その都度、正解はこうだと示されているのだ。
つまりは、これだけ言われてきているのに、僕は、彼女の言うところのあやまちを犯そうとしているのだ。
「それが、性分というやつだ」
自分の声はいつも通りの音量で、夜だとか昼だとか、関係なく、慰めるわけでもなく、励ますわけでもなく、どちらかと言えば、正論
いや、バカにしたような物言いだった。
「考えてもみろよ、同じ状況なら、同じ人物ならさ、そう言う行動をとるという可能性が高いのは、当たり前だろ、そうやって日々暮らして、退屈な日常ってのがあるわけだ、誰かが正しいなら誰かは間違っている、その押し付けあいに、泣いたり笑ったりしているわけだ、そう考えると理不尽すぎるな世界」
電話口だというのに、肩をすくめるような動きをしていた。
世界とは大きくでたのか、出てないのかわからないけど、ふっと息を吐く知人は、何を思ったのかはわからない。
「相変わらず、屁理屈だね」
だって、聞こえてくる声色は、やっぱり夜中に相応しいもののように思えてくる。
「うん、やっぱり、人はあやまちを繰り返すものだね、君に聞いたのが間違っていたよ、どうした? とか 何かあったか?とかないわけ?」
「聞いたってどうしようもないからさ、そういうのは聞かないほうがいいんだよ、経験上」
「それもそうだね、うん、説得力だけはあるね無駄に。本当昔からそこだけは感心している」
「もう寝るからきるぞ、今度から用件ならメールにしろよ」
「電話の方がいい気分なんだよ、あやまちと分かっていてもね、お休み、ありがとう、悪かったね、元気でね、またかけるよ。」
一方的に、流れるように、どんな締めの挨拶だよと、ツッコミを入れる前に、唐突に電話は切れてしまった。
聞いたってどうしようもないからさ。
何の力もないからだと、思っていた。
話ぐらいは、聞いてあげれるなんて事もしなかった。
あやまちを繰り返すのは、性分なんだろう。
正解だと思って進んで、不正解だって思い知らされる。
なんて理不尽な世界だろう。
いやまぁ世界が変わっても理不尽さを目の当たりにしているこだから、世界と言うのは言い過ぎなのかもしれない。
まぁ、それでも何かしないといけない。
もどかしいような、もやっとしたような、手足をばたつかせるような気持ちだ。
確かこっちの言葉で。
「壊れた桶は水を汲めず、でもたまには幸運は汲めるかもな」
たまにしか汲めない幸運。
それは本当に幸せに繋がるのだろうか?
そう思う事がある。




