小さな女の子が好きな男の話
その男の家には小さな女の子がいる。だが彼女は男の娘ではない。そもそも男には妻はおろか、生まれてこの方恋人がいたことすらなかったが、男はその女の子をまるで娘のように愛していた。
小さな女の子は毎朝男を起こすことを日課としている。男を起こすために身体を震わせながら大きな声で叫ぶ。男の住んでいるワンルームのアパートの薄い壁ではこの声を防ぐことができず、隣にもこの声は聞こえてしまっているだろう。
「朝だよ~! 起きて~!」
男は布団から這い出ると、枕元で騒いでいた彼女を撫でる。男が彼女に触れると、途端に彼女は大人しくなる。
「おはよう」
男は寝起きで浮腫んだ顔で彼女に笑顔を向けその体を抱きしめる。彼女の身体は小さく、そして男の身体は大きい。男が彼女を抱きしめると男の身体で彼女の身体はすっぽり隠れてしまう。
しばらくそうした後、男は名残惜しそうに彼女を離す。その間彼女は何も言わず、身じろぎ一つせず、男にされるがままになっていた。
その朝の儀式が終わると男は仕事に行くための準備に取り掛かる。雑にひげを剃り、トーストだけの朝食を取る。
男が朝の準備をしている間、テレビはつけっぱなしになっている。何か目当ての番組があるわけではなく、ただのBGMのようなものだ。
男はいつの間にかよれたスーツに着替えていた。男が「そろそろ出るか」と独り言を言いながらテレビを消そうとしたところ、画面上には憔悴しきった表情の男女の姿が写っていた。男はテレビを消すのをやめ、画面を見つめる。
「あの子が一日も早く帰ってきて欲しい。今言いたいのはただそれだけです」
テレビに映る男が弱々しい声で俯きながら言った後、
「お願いです。どんな些細な情報でも構いません。あの子につながる情報があれば……」
女の方も男に負けないくらい弱々しい声で言った。
その男女の映像はVTRだったようで、朝のニュース番組のスタジオに画面が切り替わる。画面上には真剣な表情をした男性キャスターの姿が映し出される。
「どんな些細な情報でも構いません。……ちゃん発見の手がかりになりそうな情報があれば、こちらまでお願いします」
男性キャスターがそう言った後、画面の下側に警察への連絡先などのテロップが表示された。行方不明になった子供は9歳の女の子のようだ。
「……ちゃんね。キラキラネームってやつか」
男はテレビ画面に向かって殆ど口を動かさず独りごちた。女の子の名前はかなり特殊で、キャスターが名前を読み上げた段階では男はその名前を脳で認識することができず、テロップとして名前が表示されて初めて何という名前なのかを認識することができた。
「あ、しまった! 遅刻する! じゃ、行ってくるね」
テレビの画面の左上に映し出される時刻を見て、男はこのままだと遅刻してしまうことに気づいた。 男は手早くテレビを消して彼女に声をかけると家を飛び出した。
男が女の子が行方不明になっているというニュースを見てから数日後。その日は休日だった。
しかし男は連日の残業疲れでもうすぐ午後になろうという時間になっても未だに布団の中にいた。もちろんずっと寝ていたわけではない。最初はすっかり身体に染み付いた習慣からか平日に起きる時間に目を覚ました。しかし即目を閉じて二度寝をすることに決め、1時間後に再び目を覚ました。一度トイレに行くために布団から出たがトイレを済ませると再び布団に入り三度寝をする。再び1時間後に空腹で目を覚まし、布団から出ずに手が届く距離に置いてあるスナック菓子を朝食代わりに食べる。そしてその粉がついた指を舐めて空の袋を投げ捨て四度寝をする。そして四度寝から目を覚まして今に至る。
「流石に起きるか……いや、でももう少しだけ寝たいな」
1時間後と寝すぎたことを考えて2時間後にアラームをセットして再び目を閉じる。だが五度寝に入ることは出来なかった。12時間近く寝れば流石に眠気も無くなってしまう。さらに窓からの強い日差しが眠りを妨げる。
温かい布団が恋しいが、男は起きることにした。
男は少し肌寒さを感じたが、一度布団から出てしまうと布団に戻る気にはなれなかった。
男は基本的に彼女を外に連れ出すことはない。しかしその日は快晴ということもあり、男も彼女を外に連れ出したい気分になった。
男は何年も前に買ったサイズも合わず流行遅れの服で自分なりにオシャレをすると、彼女を外に連れ出した。
「そういえば、外に出るのは久しぶりだね。前は毎日のように一緒に歩いてたのにね」
男が笑顔で彼女に話しかけていると、急に彼女が騒ぎ出した。
男は必死で彼女を静かにさせようとするが、彼女は大人しくなる気配がない。たまたま近くを歩いていた通行人も怪訝な表情で男を見る。
男は焦りから顔を真っ赤にして額から汗を流しながら走って家に逃げ帰った。
家に着いてからも彼女は騒ぎ続けた。
彼女が静かになると男は彼女を抱えながら安堵のため息をついた。
「もう、そろそろ限界かな……?」
そんなこともあり、結局男は出かけるのを諦めて自分の家で過ごすことにした。読みかけの本を読んでいると男の部屋のインターホンが鳴った。
男は「Amazonで何か買った記憶は無いんだがな」と独り言を言いながらインターホンのカメラで外を確認する。外には短く切った髪をジェルで雑に固め、黒いスーツの上に灰色のコートを着た男が立っていた。顔つきからはどことなく威圧感を感じさせる。年齢は40歳くらいだろう。
男にはこのような知り合いはいない。男は警戒しながら「はい」と短くインターホン越しに黒いスーツを着た男に応答する。
すると黒いスーツを着た男は表情を一転させ柔和な笑みを浮かべた。しかし目は笑っていない。
「お休みのところすみません、私、……県警の工藤、と申します。この辺でちょっと聞き込みをさせてもらってまして。お時間は取らせません。少しお話を聞かせていただけませんかね?」
「すみません、本当にお巡りさんなんですか? 警察手帳を見せてもらえますか?」
最近は警察と称して詐欺行為を行う輩もいる。警察と名乗ったからと言ってドアを開けることは不用心だ。
「これで見えますか?」
工藤と名乗った黒いスーツを着た男はインターホンのカメラの前に警察手帳をかざした。
男は手に持ったスマートフォンで警察手帳の偽物のと本物の見分け方を調べ、じっとインターホンのディスプレイに表示されている警察手帳を見つめる。おそらく本物だろう。それに何より警察手帳を持った黒いスーツを着た男の堂々としている態度が偽物とは到底思えなかった。
男はチェーンをかけた状態でドアを開け、外を覗き込む。外から靴音が聞こえ、工藤が男の前に現れた。
「いやあ、ホントお休みのところすみませんね。あ、念の為もう一度お見せしますよ」
工藤はもう一度男に警察手帳を見せた。
「あ、もう大丈夫です」
「そうですか。最近は詐欺事件もあったりするでしょ。だから疑り深い人が多くて」
工藤は胸ポケットに警察手帳を仕舞うと、地面に置いていたカバンからタブレットを取り出した。そして男に画面を見せないようにしながら何度かタブレットの画面を操作した後、タブレットの画面を男に見せた。そこには男が以前ニュースで見かけた行方不明になった9歳の女の子の写真が写っていた。
「この子、ご存知ですか? 最近ニュースでも報道されてるんですけど。この子、実はこの近くに住んでるんですよ」
「あ、そうなんですね。ニュースで見たことはありますけど近所だったのは知らなかったです」
何か悪いことをしたわけでは無いとはいえ、警察と話すのは緊張する。男は緊張を悟られないため、意識して愛想よく答える。
「ええ、そうなんですよ。それで、近所で聞き込みを行ってまして。最近怪しい人を見たとか何でもいいので何かありませんでしたか?」
「そうですねえ、私は朝早くて帰るのも遅いですし、休日も今日みたいに遅くまで寝てて家から殆ど出ないこともザラなので。むしろ私が怪しいですよね。最近風呂も入ってませんし」
そう言って笑いながら男は寝癖で乱れた白髪交じりの頭を擦った。フケが地面に落ちる。男の風貌は一昔前のステレオタイプの『おたく』そのものだ。人の良さそうな顔つきだが、身だしなみに無頓着な感じがどことなく怪しさを漂わせている。
工藤は笑いながら男の自虐をスルーして「まあ、もし何かあればこちらまで連絡をください」と男に名刺を渡して帰っていった。
工藤が帰っていった直後、男の部屋で静かにしていた彼女が再び騒ぎ始めた。
男はすぐさま彼女を大人しくさせようとしたが、彼女は一向に静かになる気配はない。男はそんな彼女にカッとなってしまい、彼女を壁に叩きつけた。しかしすぐに自分がしでかしたことに対して冷静になり「あ、あー! ごめんよごめんよ……」と弱々しい声で彼女に謝りながら再び彼女を大人しくさせようとした。
一向に大人しくなる気配のない彼女、そして彼女を壁に叩きつけた音。男の住む壁の薄いアパートではそれらの音が隣の部屋に筒抜けだ。壁を拳で叩く音と「うるせー!」という乱暴な声が男の隣の部屋から聞こえた。男は隣の住人を何度か見かけたことがある。肌は黒く焼け、ライオンのたてがみのように金髪を立たせた、見るからに粗暴な感じの男だった。
「す、すみません!」
男は青い顔で隣の部屋に向かって謝りながら彼女を静かにさせようとする。何度か隣の部屋から壁を拳で叩く男が聞こえた後ようやく彼女は静かになった。
「やはり、もうダメかな。バラすしか無いかな……」
次の日。その日は平日だったが、男は仕事を休むことにした。上司にメッセージアプリで『すみません、今日は休みます』と送った後上司から何通かメッセージが来ていたが男はそれを無視した。メッセージを無視していたためかしばらくして上司から電話がかかってきたが、男はそれも無視をした。
仕事を休んだ男はホームセンターへ向かった。しばらく店内の商品を物色したあと、小型のナイフを購入した。
家に帰った男はナイフの入ったパッケージを開封すると、彼女の元へ向かう。その時、アパートの外から何人かが小走りをしているような足音が聞こえた。だが男は意に介さずナイフを逆手で持ち彼女が身動きがとれないようにテーブルに押し付けると彼女の身体の側部にナイフを突き立てた。
「警察だ!」
ドアを蹴破る音とともに何人かの足音が玄関から聞こえてきた。男は彼女にナイフを突き立てたまま玄関に向かう。そしてそのままサンダルを履いて外へ出る。
男は外に出て隣の部屋の開け放たれたドアから中を覗き込む。中では昨日部屋の壁を叩いていた隣の住人が警察官数人に押さえつけられていた。一瞬、隣の住人と目が合う。その目からは「何見てんだテメー!」と言わんばかりの憎悪の念が感じられた。
男はなにも見なかったことにして自分の部屋に戻る。相変わらず隣の部屋がうるさいのでイヤホンをつける。そしてイヤホンが繋がっている音楽プレイヤーを操作し、一昔前に流行ったアニメソングを再生する。イヤホンから当時流行った、今聴くと時代を感じさせるメロディーが流れ始める。
男はそのアニメソングに合わせて鼻歌を歌い始めた。そして彼女に突き立てたナイフを上下前後に動かし、彼女を二つに分解する。彼女の中身には小さい文字がびっしりと書かれた黒いバッテリーと、細かいパーツがはんだ付けされた基盤が詰まっていた。
「ああ、やっぱりそうだ。ボリュームボタンが効かなくなったと思ったらここが折れてる……。タッチパネルの交換は初めてだから上手くやれるかな……。まあ最悪失敗してもアキバでいくらでも売ってるしな……。あ、最初からそうすればよかったのか」
男は独り言をつぶやきながら彼女を分解していく。ヒートガンを当てて液晶を外そうとしたところで男の風呂場から消え入るような声が聞こえた。
「おね……がい……たす……けて……」