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歴史とDNA

ヤンシャオ文化とDNA

作者: とびうお君

 あれから更に中国自身が調べたヤンシャオの古人骨調査があったのでそれについて絡めていろいろ書きたいと思う。黄河文明がシベリア集団の南下で始まったのは遺伝子の流れで分かっている。


 ただ、元居た人はどうなったのか?でハプロNの扱いがとんでもなく難しいのが分かった。ハプロN=東北シベリア人種と見てる感じがあるが、実はN1Bと言う中国に偏って多い系統は北方の少数民族で全くでない。以前も触れたがこれはおそらく南下ではない。場合によっては消えてしまったケースも考えられる。


 だがすでにNの北上について分岐の古いものは南方系で分岐の新しいものが北方系だとの推測が建てられている。N1Bは古い系統で南下じゃなくてその前に北上したNの南に残してきた系統だろうと思われる。よりによってその後のチベットビルマ族の南下と地域が重なってるので勘違いする。


 だが絶対これは南下じゃないという系統が雲南省にいる。mtハプロじゃなくてYハプロのFである。NとFには何の関係も無いが、古い系統が南下じゃなくてそのまま残っているという事実が1つあるならNもそうだという論法は十分に成立する。実際分岐が古くて、Nの北上の時残った系統だろうと見ている。


 通常消えてしまう場合他にも残る例が少ない。希少なハプロが残ってる場所は他のハプロも残りやすい。シベリアの極東地域は希少なハプロが残りやすい。そこにN1Bは無い。これで分かる。N1Bはシベリアから南下した集団のハプロではない。


 前置きが長いがやや後期だがヤンシャオで不明だったNOがN1Bと出た。過去に調査されたものとは違うと思う。これはかなりやや死鋳物になる。おそらくだがNだがウラル民族じゃないと思う。過去の環境からあの辺りはO2がいたとされる中国西方と良く似たステップ草原地帯になる。N1Aが居た中国東北部と全く環境が違う。


 移動型狩猟民と定住型狩猟採集民ぐらい違う。石器から文化が微妙に違うのは分かっている。


 新石器時代とともに寒冷適応の人骨が出るようになる。これは農業が人口を増やすため見つかりやすくなっただけで、私はこれらの住人は移住してきたと見てるんだ。だが地元の狩猟民と混血したと見ていて、それがO2だと思い込んでいたが、NでもN1bの系統じゃないか?と今は思いなおしている。


 一番すっきりするのは、黄河流域で寒冷適応したである。だが核DNAからシベリア中国東北部からの北方民の南下は確認されている。全くの偶然だがNとNが混血してまた父系Nになったって事じゃないか?と見ている。しかも母系も黄河と中国東北部Dだらけで移動したのか?がさっぱり分からない。


 黄河流域で寒冷適応したさえ否定できれば、私の考えでほぼ間違いないと思う。普通に考えて何故分岐が出来るのか?で長期間住む地域が分かれるからになる。それにとても都合の良い環境になっている。


 ちなみに予言していたように主流じゃないならO2も見つかるはずが当たっていた。O2も見つかった。でも後の中国と較べると明らかにO2の割合が少ない。移動型狩猟民なのできちっとN1BとO2が分かれるとは思って無かった。


 そこでややこしいのは、シナチベット語はNも話していたのじゃないか?である。元々は近い系統なので似たような言語だったのじゃないか?と。どうしてウラル語が消えてしまったのか?でそもそもN1AじゃなくてN1Bだったからじゃないか?と考えるように変化したためになる。


 じゃ北方から移動してきた住民は誰だったのか?でまあNに限定する必要は無いと思う。NとC2が候補だと思う。Qはどうも中央アジアから来たようなので考えにくい。むしろQとO2は中国のイラン農耕民と近い関係にある西方のつながりだと思う。ウイグルのせんもあるが、個の辺りなんとも言えない。


 さてこれで終りじゃない。ヤンシャオのある河南省の調査でO1B1が出てきた。過去に河南省で米が新石器時代に栽培していた事が分かっているが、南方系の遺伝子が無かった。だがついに出た。ただロンシャンと言うヤンシャオの次の時代に当たる時代になる。そのため良渚文化の滅亡と重なるのでは?と見たのだがややロンシャンの方が早い。


 ちなみに良渚文化の滅亡は寒冷化が原因じゃないか?と言われてるため、O1系の移動が活発になる時期と重なるため一文化の崩壊だけの事象ではない。O1系はこれ以前から北部に移住していたと私は推測しててそのとおりの結果がやっと出た。


 ただこれ問題が生じる。黄河流域の土器は南方系なのか?北方系なのか?またはオリジナルなのか?全く分からなくなった。さらに問題が出るのは、北部民が始めた農耕じゃなくて、南部民が米から北方に適した作物に切り替えたためじゃないか?と言う疑いが出てきた。


 黄河流域にシベリアから南下した寒冷適応の集団がいたのは間違いない。


 ただその遺伝子が黄河流域で適応的に広がったのか?これを私は無いと思っている。だが、黄河集団の主流のNはN1Bと言う南部系統だと分かると、その可能性もないとはいえなくなる。おまけに彼らが寒冷適応したのなら遺伝子をもたらした北部系統は少なくてすむ。ただ明確に北部からの南下の痕跡がDNAにあるとあったので、多分その集団がそれなりに多かったと見ている。


 どういう理屈か?は明確には分からないが特定の地域に限られるが、定住型狩猟採集民は移動型狩猟民と較べて人口が増えやすいとアメリカ先住民がモンゴロイド系が多かった点から見ている。そのため北部の形質が強くなったと見ている。


 混血後に農業が開始されたならシナチベット語が新石器初期に分岐増加したのが上手く説明がつく。北方のウラルアルタイではなく、シナチベットになった理由がすっきりする。


 はっきり分かってるのは誰かがシベリアや東北部から黄河流域に寒冷適応遺伝子を持ち込んだのは確か。ただそれが適応的に黄河流域で増えたのか?または混血して変化したのか?は分からない。


 今回明らかになったハプロが難解すぎる。Nの下位系統が分からなかった時は、Nが東北部から南下したで片付いていた。明確にユーラシア北部には存在し無いN1Bが出てしまったことで、黄河流域の大半のNはN1Bである可能性が高い。ちなみに近い時代のうち蒙古の辺りの紅山文化はN1A1と言うもろウラル系のNが出ている。これが河南省だと大きく変わってしまうから難解だ。


 おそらく遼河文明と繋がりが深い山東省で出たNもN1A1かN1A2だと思い込んでいたが、N1Bなんじゃないか?と見ている。これに南部の長江文明も絡んでくるし、O2も一応居たという事は彼らの言語がそのままシナチベット語になったのか?などもう分からない事が増えてしまった。下位系統で考えないとこんなにも問題があると分かってしまった。


 最近は下位系統で考えるようにしてたから良いけど、古いエッセイとか見直してみても良いかもしれない。下位系統で考えてないものはとんでもない話をしてる可能性がある。


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