芥川小説『ニムロッド』からみる歴史認識
コンピューター用語を見ただけで拒否反応を示す私は、最初の数ページで挫折しました。しかし立派な先生が選んだ作品なので、きっと立派な小説なのだと思います。小説の中身について、ここでは触れないことにします。
この本の中に書かれた特攻機「桜花」について。
ここでは、駄目な飛行機コレクションNo.9として書かれています。この「桜花」の記述にあまりに間違いが多いので、それについて書きたいと思います。
気になった部分。
『僕はニムロッド。…「桜花」…そのコクピットの中に僕はいる。』
------ニムロッドの想像の場面。
『駄目な飛行機の中から一機を選び、それに乗り込んで、飛び立ったのだ。』
------ダメ押しをして「桜花」に乗り込んだことになっています。
『帰りの燃料を積むことができないこの駄目な飛行機ならば、あの太陽までたどり着くことができるだろうか?
僕は太陽に近づいているはずなんだけどさ、』
ここで間違いを指摘します。
桜花は、親機の下にコバンザメのように付けられたグライダーです。敵の船を発見した時に上空3000メートルで親機から桜花のコクピットにパイロットが乗り移り、親機と切り離します。爆弾を積んだ桜花は約3分で落下、体当たりするように設計されています。つまり落っこちるのであって、飛び立つことはできません。積んであるのは加速をつけるためのジェット燃料だけで、その噴射時間は9秒。帰りの燃料どころか、燃料タンクすら設計されていません。親機から切り離された後は落下するだけなので、太陽からは近づくのではなく、遠ざかっていきます。
ここはニムロッドの想像の世界なので、そう想像したといえば、それで良いのかもしれません。
さらに気になる部分は、桜花に対する説明の部分。
『プロジェクトへの志願を募ってみたら、大勢の兵士が志願した。』
-------ここは戦後、問題になっている事です。生き残った特攻兵の証言では、志願とは名目だけ。当時の軍隊では「希望しない」と言えない状況でした。中には「飛行機を運べ」と言われて運んだら、着いた先で「特攻に行け」と言われた兵もいます。
敗戦になって特攻の責任を追及される事を恐れた上級将校だけが、喜んで志願したように証言しています。靖国神社の中に展示された特攻隊員の遺書「国のために死ぬことができてうれしい」というのも、検閲があって本当の気持ちは書けませんでした。実際は特攻兵の間で「次はアメリカに生まれたい」という話も出ていたという証言もあります。
『当初の攻撃はうまくいっていた。』
-------これは完全に桜花と、ゼロ戦による神風特攻隊と混同しています。桜花は最も効率の悪い特攻でした。
確実とされる桜花の戦果は駆逐艦一隻の撃沈のみ。桜花の死者は55名。親機の死者は375名です。親機はもともと戦闘機ではないので、速度が遅い。そこに重い爆弾を積んだ桜花を付けているので、さらに遅くなります。桜花を積んで特攻に行っても、敵の船に到着する前にアメリカのレーダーに発見され、グラマンによって特攻する前に親機と一緒に撃ち落されています。
当初、うまくいったのは、神風特攻隊です。これは速度の速いゼロ戦に優秀なパイロットが乗り、相手も特攻を想定していなかったため、戦果がありました。それは最初の特攻です。
ゼロ戦による特攻は、まだ恵まれていました。出撃していって敵艦が見つからなかった場合、引き返すことができます。実際に敵がいなかった、エンジン不調などの原因で引き返した人が何人もいます。それに対して桜花と人間魚雷・回天は、もっとも残酷な兵器です。発射された場合、100パーセントの死を意味します。
ここで、この芥川賞作家のあら捜しをしたいのではありません。新しい作家にはどんどん活躍してもらって、多くの人に小説は面白いと思ってもらいたいです。
問題なのは、芥川賞になるほどの作品は、まず出版する時点で出版社の校正が入っているはず。芥川賞の審査に於いて、多くの審査員が読んだはず。文芸春秋に載せる時点でも、一応チェックされているはず。
小説として世に出る以前に、普通以上に多くの人の目に触れているはず。その中で、誰も疑問を持たなかったのだろうか。
桜花の認識はその程度なのだろうか。
たかが何十年前、同じ日本人の若者が無理に行かされた特攻。その中でも最も非人道的な兵器・桜花。それを現在の人は、ほとんどその正しい認識が無い。誰もこの小説の中の、おかしい部分について気が付かない。
あの特攻は何だったのだろう。
参考資料
*「太平洋戦争・最後の証言・第一部」門田隆将 小学館
*「特攻と日本人」保阪正康 講談社現代新書
*「不死身の特攻兵」鴻上尚志 講談社現代新書
*「特攻 知られざる内幕」戸高一成 PHP新書
*「人間爆弾 桜花 発進」「丸」編集部 光人社NF文庫
*「伏龍 海底の少年特攻兵」阿井文瓶 講談社文庫
*「最後の震洋特攻」林えいだい 光人社NF文庫
*「回天特攻」小島光造 光人社NF文庫
*「特攻隊振武寮」大貫健一郎 朝日文庫
*「予科練特攻秘話」高塚篤 原書房
*「船舶特攻の沖縄戦と捕虜記」深沢敬次郎 元就出版社
*「知覧からの手紙」水口文乃 新潮文庫




