『猫は笑う』
前からやってみたかった『読者への挑戦』ものです。
良ければ一読とともに謎解きに挑戦してみてください。
※第7回ネット小説大賞一次審査に通過しました。
《登場人物》
・鶴島朋子 ・・・劇団座長、演出家、脚本家
・宍戸エリカ ・・・看板女優
・霜山零士 ・・・看板男優、舞台監督
・津村冬子 ・・・女優
・志水悠 ・・・男優
・深谷静音 ・・・女優
・飯島譲二 ・・・照明係
・桐生櫻子 ・・・警視庁捜査一課警部
・鬼頭宗一郎 ・・・推理作家
・九重千紘 ・・・男子高校生、助手
開幕
千代田区にあるここ『プリンスドリームホール・東京』は、3ヶ月前に出来たばかりの劇場である。
客席数は約700人と決して大きくはないものの音楽・演劇・歌劇などの芸術文化に富んだ催しが行われている。最近では日本文化に興味を持った海外からの観光客向けに能や狂言も上演されており多大な人気を呼んでいる。
チケットボックス付近に展示されているポスターを見るとどれを観劇するか迷ってしまうが、残念なことにこれから殺人事件の捜査が始まるのだ。
「ようやくのお出ましね。遅いじゃない。きりきり動きなさいよね」
私達を出迎えてくれたのは先生の義姉であり、警視庁捜査一課の桐生櫻子警部だ。キリッとした猫目が印象的な敏腕警部でこれまでに何度もお世話になっている。
「わざわざ呼び出しやがって。せっかくの優雅なティータイムが台無しだ。あとでここまでの移動費、俺を外に無理やり連れ出した慰謝料、手間賃、諸々を含めてたっぷり請求してやるから覚悟しておけよ。なぁ、九重」
あーだこーだと文句を言うぼさぼさ髪の男性は鬼頭宗一郎、35歳、職業はミステリーを書く推理作家。
彼は相談役と称して警察から捜査協力を依頼されることがある。その殆どが今回のように桐生警部からだが、彼の推理力が評され噂を耳にした他の警察署からもしばしばお声がかかるのだ。(出不精なので本人は嫌がっているが)
紹介ついでに言うと九重とは私のことだ。九重千紘、15歳。どこにでもいるごく普通の男子高校生で、とある事情から先生のもとで助手としてお世話になっている。
まぁ助手とは名ばかりで、ようは面倒臭がり屋な彼の代わりに身の回りの世話や執筆に必要な資料を集める所謂ただのパシリである。
「ちょっとの距離でぐちぐち言わないでくれる?元はと言えばいつまでたっても免許を取らないあんたが悪いんでしょう」
「はあ?外に出る予定もないのになんでわざわざ免許を取る必要があるってんだ」
「この筋金入りの万年引きこもり妄想作家」
「黙れ行き遅れの万年仕事中毒厚化粧女」
この義姉弟は頗る仲が悪く顔を合わせるとすぐに悪口合戦が始まる。いつものように私は仲裁に入った。
「まぁまぁ、お2人とも落ち着いてください。それで桐生警部、今回の事件はどういったものなんですか?」
「あらやだ、失礼」
こほんと小さく咳払いをして桐生警部は警察手帳を開いた。
「ところで2人とも、劇団|『白薔薇の庭』って知っているかしら?来月末ここで『アリス・ローズ・ラブ』という演劇をする予定なのだけど、そこの看板女優で主役のアリスを演じていた宍戸エリカさんが毒殺されたのよ」
確か不思議の国のアリスをモチーフにしたアリスといかれ帽子屋の切ないラブストーリーだったかな?ワイドショーや駅の壁に貼られたポスターを思い出す。
「いま毒殺と断言したが服毒自殺の可能性はないんだな?」
「ないわ。彼女は自分で命を絶つような人間じゃないと全員口を揃えているし、主役を任され大いに張り切っていたと聞いているわ。そうでなくても上演が目前に迫っていたのよ」
「殺害に使われた毒は特定できたんですか?」
「彼女が使用した紙コップと体内からトリカブトの毒成分であるアコニチンが検出されたわ。死因はそれを嚥下したことによる薬物中毒よ」
アコニチンはジテルペン系アルカロイドで嘔吐・呼吸困難・臓器不全などを引き起こし、経口摂取後たった数秒で死に至る即効性が売りの劇薬だと説明してくれた。
「そんな恐ろしいもの、やっぱり非公式なサイトから入手したんですかね?」
「いや、そうとは限らんぞ。ニュースでたまーにやってんだろ。山菜と間違えて有毒植物を誤食して死んじまったってやつ。その気になりゃ人殺しの道具が無料で手に入るってわけだ。はっはーお得だねぇ」
そんな商店街のくじ引きで温泉旅行が当たったみたいな感覚で言われても困るのだが。不謹慎極まりない先生はあとできちんと叱るとして、だ。
「容疑者はその劇団の方々なんですか?」
「えぇ、その場にいた座長と照明係を含めた計6人が当面の容疑者よ。動機についてだけど、被害者の宍戸さんは製薬会社の社長令嬢で幼い頃から甘やかされて育てられた為かプライドが人一倍高く、我が儘でメンバーとは衝突が絶えなかったみたいなの」
「ほう」
興味ありげに先生の口角が上がった。他人には全く関心を示さないくせしてゴシップや嫌味、嫉みなどの負の感情はこの人の大好物なのだ。
「聞き込みによると、座長と演出と脚本を担当している鶴島朋子さんは横暴な振る舞いが目立つ宍戸さんに苛立っていて、舞台監督も兼任している看板俳優の霜山零士さんは言い寄ってくる彼女を大変毛嫌いしていた。女優の津村冬子さんも霜山さんに熱を上げていたから恋敵同士かなり熾烈な争いがあったそうよ。同じく女優の深谷静音さんは劇団の中で一番歳若く大人しい性格なためいつも下僕同然の扱いを受け一人で泣いている姿を目撃されていたし、俳優の志水悠さんはグズだのノロマだの酷い暴言を吐かれていた。照明係の飯島譲二さんは宍戸さんに100万近い借金をしていたのだけれど博打好きなせいでいつまで経っても返済できずついには裁判沙汰一歩手前になっていたそうよ」
そりゃまた立派なもんを皆様お持ちで、と皮肉げに鼻を鳴らすと彼は自身のくたくたなネクタイで眼鏡を拭った。
「これからあんた達を加えてもう一度容疑者の面々に話を聞くけど、その前にざっと事件の概要だけ伝えておくわね。午後3時まで2階のホールで通し稽古をしていた7名は1階にある第2リハーサル室へと移動して軽いミーティングを行っていた。そのあと休憩もとることになり深谷さんがクッキーを、志水さんがドーナッツを差し入れとして提供した。津村さんが全員分の紅茶をいれ、それを飲んで間もなく宍戸さんが唸り声を上げて倒れてしまい、救急車を呼ぶも息を引き取った。そして私たち警察が到着したって流れよ。死亡時刻は午後3時半頃」
「確認しておくが毒はガイシャが使用していた紙コップにしか混入されていなかったんだな?」
「えぇ、他の6つは無傷よ。もちろんクッキーとドーナッツ、劇団員が共有で使用しているスティックシュガー、ガムシロップ、ティーパックタイプの紅茶、冷蔵庫に入っていた食材も調べてもらったけど見事に空振りだったわ」
あれ?それってつまり…。
「まだ犯人が毒、もしくは毒を入れていた容器を所持している可能性がある、ってことでしょうか?」
「良いところに気づいたわ九重くん。そう、そこなのよ!」
桐生警部が拗ねたように唇を尖らせる。
「犯人は毒を何かしらの容器に入れて持ち込んだはずよ。だからあんた達が来る前に容疑者の身体検査と持ち物検査を入念に行ったのだけど怪しいものは全く出なかったわ。外に投げ捨てた可能性も視野に入れて近辺を捜索させているけどいまだ発見の報告を受けていないのが現状よ」
宍戸さんを確実に狙った殺人か。無差別による殺人か。
いずれにしてもそんな恐ろしいものを事前に用意していたということは犯人は確固たる殺意によっておこなった計画殺人であることに間違いない。
『これから顔を合わせる6名の中に殺人犯がいる』
先生や桐生警部がいるとはいえ自覚した途端、ぞわりとした恐怖が体中を這い回った。
「あ、そうそう言い忘れていたわ。体内からアコニチンの他にゼラチンカプセルも一緒に検出されたのよ」
「ゼラチンカプセルぅ?」素っ頓狂な声で義姉に怪訝な視線を投げた。
「宍戸さんのお父上が製薬会社の社長ってのは話したわよね。その自社製品のサプリなんですって。糖や脂肪の吸収を促す優れものでドーナッツとクッキーを食べる前に服用したものなのよ」
そう言って取り出した現場写真には4色に着色されたサプリが入ったスチール製のネジ瓶が写っていた。それを見て唐突に閃く。
「でしたらそのサプリの中に毒を仕込んだ可能性がありますね!」
「いえ、それはないわ」桐生警部にきっぱりと否定されてしまった。
「さっきも言ったように毒は飲み残した紅茶から出ているし、なによりこいつは即効性でしょう。宍戸さんが持っていたサプリも精査してもらったけれどごく普通のものだったから事件とは無関係ね」
毒が入ったサプリを故意に選ばせるようにしない限りこの方法は無理があるか。残念ながら私の推理は脆くも崩れ去った。
いやいや、まだホールに来ただけじゃないか。まだ名誉挽回のチャンスは残されているはずだ。
よし、と気合を入れ直した私と移動を始める桐生警部をよそに先生は誰に言うともなく小さく呟いた。
「アリスが毒殺、か。素敵な『気違い』のお茶会に招待されたものだな」
第二幕
容疑者たちが集まる第2リハーサル室は70平方メートルほどの広々とした空間で、壁にはテレビや映画で見たことがある全身がうつる巨大な鏡が貼られていて一際目につく。防音設備も充実しているようなので奥にグランドピアノやプロジェクターも完備されており、なんとも至れり尽せりだ。
「あの、まだ取り調べは続くんですか?徹夜で自主練をしていたので早く帰って寝たいんですけど」
入ってすぐ眠そうな目をした眼鏡の男性が詰め寄ってきた。ここまでの移動中に桐生警部から彼らの風貌を聞いていたので多分、この人が志水さんだろう。
「すみませんがもう暫くお付合い願います。私たち警察の相談役をお呼びしましたのでもう一度最初から皆さんの行動を説明していただきます」
「相談役?」
一挙に好奇の視線が私たちに集まった。あまりの威圧的なオーラに体が竦み情けないと思いながらも先生の後ろに隠れる。それ程の威力だったのだ。
「あぁもう面倒臭いわね!そんなの時間の無駄よ警部さん。どうせ犯人は冬子なんですもの」
赤いロングスカートを召した中年女性が憤慨する。座長の鶴島さんだ。
「座長、ですから私はエリカを殺してなんかいません!ねぇ、零士さんからも何か言ってちょうだいな」
「あははそうだなぁ。紅茶を運んだのは津村さんだし、素人が余計なことを言って警察の手を煩わせるのもアレだし、僕からはノーコメントってことで。あ!ねえ深谷さんはどう思う?」
黒髪の美人が縋るように隣にいた男性の腕に自身の腕を艶かしく絡めた。
同性の私が言うのもなんだがかなりの美青年だ。この人が霜山さんで間違いない。
しかし、同じ劇団の仲間が目の前で死んだというのに何故か彼は自分は関係ないと言わんばかりににこにこと笑っている。不謹慎ではないかと嫌悪感を抱いた。
「なに言い淀んでいるのよ静音。まさかあんたも私がエリカを殺したとか思ってるんじゃないでしょうね?」
「そ、そんな…私はそんなこと…」
おろおろと視線を泳がせ小さく縮こまってしまっている女性がおそらく深谷さんだろう。ということは先程の黒髪美人が津村さんか。
そんなやりとりを少し離れた位置から煙草を吸った中年男性が薄ら笑いを浮かべ見つめていた。照明係の飯島さんだ。
「皆さん、少し落ち着いてください」桐生警部や他の警察官が容疑者たちを宥めているなか、傍観していた私はそっと先生に耳打ちをした。彼らを見ていて気付いたことがあったのだ。
「先生、先生。僕ある共通点を見つけちゃったんですけど」
「ははぁ奇遇だな九重。俺も見つけたぜ、その共通点」
目配せをしながらせーので「「不思議の国のアリスの登場人物!」」見事にシンクロした。
つまりはこうである。
怒りっぽい鶴島さんがハートの女王、何故か楽しそうに笑う霜山さんがいかれ帽子屋、その霜山さんに色目を使っている津村さんが三月うさぎ(作中ではオスだが)、落ち着きがない深谷さんが時計うさぎ、眠そうにしている志水さんが眠りねずみ、煙草をふかしている飯島さんがイモムシ、といった具合だ。
本件には全く関係のない共通点だが彼らの演じる劇もまた不思議の国のアリスを参考にしたものでありなんだか運命的というか数奇的なものを感じる。
そうなるとさしずめ犯人はチェシャ猫、あたりが妥当だろうか。自分の体を自由に消したり出現させたり出来る神出鬼没の猫。まさにこの事件にはおあつらえ向きだ。
*
「では始めましょうか」
桐生警部の声を合図に容疑者たちの表情が緊張で強ばった。先生は事態を静観するため壁際へと移動し、トレンチコートのポケットからいつものように棒つき飴を取り出した。
彼は何か考え事をする際に飴を舐める癖(本人は糖分補給作業と呼ぶ)があるのだ。
「3時過ぎにホールでの稽古のあと皆さんは3時15分頃、第2リハーサル室へ入ってミーティングを行った。間違いないですか?」
「間違いありません。それから休憩をとることになったんですけどちょうど小腹も空いていたので飯島さんにリハーサル室の脇に置いてある簡易テーブルを持ってきてもらったんです」
「そ、それで私がクッキーを志水さんがドーナッツを出して皆で食べました」
「当番でも決めているのですか?」
「いえ、いつもお菓子は誰かが何かしら持ち寄るので特に決めてはいません」
「食う前に宍戸はサプリを飲んだんだよな?」
同意する津村さんと深谷さんに先生が質問する。
「エリカだけじゃなく私、零士さん、志水さん、静音も同じものを持っているので飲みました。エリカの両親…ってところが気に食わないけれどサプリ自体は優良品なので重宝しています」
そう言うと彼女はリハーサル室の端に集められた荷物の中から自身のショルダーバッグを見つけ出し、現場写真で見たネジ瓶を取り出す。黄、赤、青、桃、紫に着色されたサプリは一見するとお菓子のゼリービーンズに見えてとても可愛らしい。女性をターゲットにした商品だというのが良く分かる。しかし、現役舞台女優が太鼓判を押す商品ならば糖分を摂りすぎる先生の為にも購入すべきか、と捜査に関係ないことを考えた。
「鶴島さんと飯島さんは持っていないのですか?」
「裏方の照明だし今更体型を気にするような歳でもないんでね」
「私はエステや食事療法でアンチエイジングに励んでいるから必要ありませんわ」
飯島さんはともかく鶴島さんは先程の発言からして自分にも他人にも厳しいイメージがある。きっと風邪を引いた人に対して「自己管理がなってないからよ!」と怒鳴るタイプだ。
「荷物はずっとこの第2リハーサル室に置いていたのですか?」
「えぇ、劇団員には貴重品だけ持つように言っていたので。それ以外の荷物は稽古に邪魔なので全てこの部屋にまとめて置いてありましたし、鍵に関しては代表して私が持っていました」
鶴島さん本人か、鶴島さんの隙をついて盗み出せば出入り可能だったわけか。ますます内部犯行の説が濃厚となる。
「そのあとクッキーとドーナッツだけじゃ喉に詰まるからと志水さんが津村さんに紅茶をいれてくれと頼んだんですよ。ねえ志水さん」
「…あぁ、まぁ津村さんがドア近くにいたので…」
いかれ帽子屋が同意を求めたが眠りねずみはとても気怠気に会話を流した。
どことなく顔色が悪いようにも見える。お節介な私はいてもたってもいられず声をかけた。
「志水さん大丈夫ですか?とてもつらそうですが」
「本番が近いから最近寝不足で体が怠いんだ。大丈夫さ、ありがとう」
まだまだ聴取は続くのだ。敏腕警部と性格に難がある推理作家の猛攻はさぞ不調の体に堪えるだろうが頑張ってもらいたい。
「それにしても女性1人で7名分の紅茶を?誰かに手伝ってもらおうとは思わなかったんですか?」
「い、いえ。給湯室はすぐ隣ですしトレイで運んだので苦ではありませんでした」
桐生警部の目が光る。その視線から逃げるように津村さんはさっと目を逸らして答えた。彼女にとってなにか気まずい質問だったのだろうか。
「いやぁそれにしてもあの紅茶は美味かったな。名前なんだっけ?」
「アンブレですよ。誰が買ってきてくれたのか分かりませんが趣味が良いですよね。凄くお洒落だと思います」
「おや、深谷ちゃんは紅茶に詳しい男がタイプかい?だったら俺もちっとは勉強してみるかね」
「似合わないし無駄だからやめておきなさい飯島」
「座長は手厳しいねぇ。俺だって若い頃はたくさんの女を囲んでだな――――」
話が脱線し始めたのを察知した警部が大きく咳払いし軌道修正する。
「続けます。給湯室から戻ったあなたは紙コップをどう置いたんですか?」
「どうって、普通にトレイごとテーブルに置きましたよ。それを皆が自由に取っていきました」
その数分後に宍戸さんが苦しみだし、倒れたと。
「飯島がすぐに駆け寄ってくれたけれどもう殆ど意識もなかったわね」
「すぐに、ですか」
揚げ足を取るような言い方に飯島さんの眉に癇癖の影が差した。
「だったらなんですか。隣にいたんだから当然でしょう。それとも一番最初に近寄っちゃいけねぇって法律でもあるんですかい?」
「あぁ、いえ。粗探しをするのが私たちの仕事みたいなものですので、他意はありませんのでお気になさらず」
いつも難事件に関わっているからか先生と罵り合っているからか、眼をつける照明係に対し手慣れた様子で躱す桐生警部は賞賛に値する。
「ハッ、俺に難癖つけるんだったら志水を疑ったらどうですかい?宍戸ちゃんが倒れたときビビってたのかずっと後ろでおろおろしてたんだぜ。助けようとしなかった証拠だろう」
桐生警部に口で敵わなかったのでターゲットを志水さんに変え噛み付いた。傍から見れば完全な八つ当たりである。
「…仕方ないじゃないですか、突然のことで処理が追いつかなかったんですよ」
「そんなんだから宍戸ちゃんにいつもノロマだって言われんだよ。仮にも男ならもっと堂々としろよな。情けねぇ」
「へぇ、女性から金を借りているくせしてギャンブルに無駄金を費やした挙句返済に困りヘコヘコ平謝りすることがあなたの言う「男らしく堂々と」になるのなら俺には到底真似できませんね」
「…なんだと」
「あなたたち静かになさい!」
まさに一触即発だ。鶴島さんが仲裁に入ったまさにその瞬間。ノックとともに警察官が神妙な面持ちで桐生警部に声をかけた。探していた毒物か容器でも発見したのか?
「霜山さん、これはどういうことですか?」
「え?」
彼女の手には手紙らしきものが握られていた。ずっと傍観していた先生も気になったらしく近付き凝視する。
「えーと何々?『ルージュに彩られた唇から紡がれる声はまさに天使そのもの。僕の心はハートの女王の庭に咲き誇る薔薇のように激しく燃え上がる。いつも情熱的な眼で君を見つめているよ 霜山』と。へぇ、随分と熱烈な口説き文句じゃねぇか。あんたみたいな色男にそこまで言われたんじゃ落ちない女はそうはいないんじゃねぇか?」
「これは宍戸さんの荷物から出てきました。あなたと宍戸さんは恋人同士だった、ということですか?」
飯島さんがヒュウッと楽しげに口笛を鳴らす。
「深谷ちゃんにあれだけしつこくちょっかい出して、津村ちゃんともよろしくやってたくせに宍戸ちゃんにまで手を出していたとはね。いやはや、モテモテで実に羨ましい限りですなぁ霜山くん」
「ち、違いますよ!誰があんな女、恋人なわけないでしょう!その手紙だってなんのことだかさっぱりです。何かの間違いだ!」
「だが現に霜山くんの名前で宍戸ちゃん宛の手紙があるんだからこれ以上の証拠はないだろう」
悪意のある茶々を入れる。基本的にこの人は誰かを揶揄うことが好きな性分らしい。
「ではその件は後ほどゆっくり聞くことにしましょう。それで、宍戸さんが亡くなったあとは皆さんどうしましたか?」
「座長に言われるがままリハーサル室から出て廊下で救急車と警察を待っていました。現場保存が大事だからって」
「昔、推理劇で刑事役を演じたことがあったんです。役作りも兼ねて色々と調べていた知識がまさかこんなところで役に立つなんて、複雑だわ」
「そのとき誰か1人になったり怪しい行動をとっていた人物はいませんでしたか?」
「いませんでしたわ。ハッキリと断言できます」
これで一連の流れは掴めた。さて、一体誰が、どうやって、その毒を持ち込み、被害者の紙コップに入った紅茶に入れたのか。一見するとやはりその紅茶を入れた津村さんにしか犯行は不可能に見える。が、そんなバレバレな方法で殺すだろうか?
「先生、どうですか?」
私の問いに小説家は無言のまま顎でドアの方をしゃくって指した。「外に出ようぜ」と言いたいらしい。
聴取はまだ終わっていないのに抜け出してしまって大丈夫なんだろうかという心配をよそにさっさと歩き出してしまった。彼が向かったのは隣の給湯室だった。
そこまで広くないスペースに、ウォーターサーバーや給茶機、電子レンジに冷蔵庫と必要なものはしっかりと備わっている。さすが新設設備だ。
私はさっそく斜めがけの鞄からお得用で買ったシリコン製の手袋をはめ捜査を開始する。既に警察が調べ尽くした後だが、サスペンスドラマでもこういった場合何か重要な手がかりが見つかることが多い。
とりあえず近くの戸棚を開けてみると容疑者たちが飲んでいた件のティーパックタイプの紅茶を発見した。見たことがないパッケージにふつりと興味がわく。
「アンブレ、の他にバイカルっていうのもありますね。どちらも初めて聞く名前の紅茶だなぁ。一体どんな味がするんですかね」
「分かっていると思うが、飲むんじゃねえぞ九重」
冷蔵庫をあさっていた先生がじとり目で言う。誰が飲むか。
戸棚を閉め、今度はシンク下の扉を開ける。こちらは使い捨ての紙皿や食器類が置かれているだけで特にめぼしいものはない。
粗方探り終えたタイミングでぐうと軽快にお腹が鳴った。そういえば小腹が空いたな。
「先生、僕も糖分補給したいので飴もらいますね」
「やだね。これは俺のだ」
ポケットを押さえフンっとそっぽを向いてしまった。おっと聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ。
「あのですね、お言葉ですがあなたの飴を常に補充しているのは僕なんですよ。そんな働き者の助手に飴の1つや2つくれたってバチは当たりませんよ。むしろくれないと当たるんですからね」
「だからどうした。確かに補充しているのはお前だがその金を出しているのはこの俺だ。よってお前にやる飴はない。お前はこれでもしゃぶってろ」
冷蔵庫からスライスレモンを手で掴みひらひらと揺らす。全くこの人は、食べ物で遊んじゃいけないって何度も―――――
「ちょっと先生、素手!素手じゃないですか!き、貴重な事件の証拠品をよりにもよって素手で触るなんて、どうするんですか馬鹿!」
「馬鹿とは何だ失礼な。心配せんでもこれは事件とは全く関係ない。安心しろ」
そういう問題でもないだろう「でも」と続ける私にむっとした様子でぼさぼさの頭を掻き出した。
「ごちゃごちゃうるせえな。よし、ならこうしよう。お前が真に迫る推理や何かヒントになるような発言をしたら褒美として飴をくれてやる。しかも今ならなんと出血大サービスで2つやろう。もってけ泥棒!」
もう飴どころの騒ぎではないのだが。しかし私の目の前でVサインをする35歳独身男性に自然と溜め息が溢れる。
「それ、旨味が少ないと思うんですけど」
「いいから、気になることや気づいたことを言ってみろよ。働き者の九重くん」
にやりと笑いながら見せつけるように飴を舐め始めた。おのれ必ずやギャフンと言わせてやる。そして飴を全て没収してやる。いつもの下手な鉄砲数撃ちゃ当たる作戦だ。
「犯人は誰かというのは勿論のこと、僕が気になっているのは宍戸さんの殺害方法です。犯人はどうやって毒を持ち歩き、且つ宍戸さんの紙コップだけに誰にも見られず忍ばせることができたのか。それが分かれば犯人も自ずと分かると思うんです」
「ほう、その言い種だとお前は絶賛疑われ中の津村は犯人ではないと考えているんだな?」
「はい。確かに紅茶を入れて運んだのは彼女だけです。ですがそんな分かりやすい方法で殺すでしょうか?僕なら絶対にしません。そこから導き出される答えは1つ」
「犯人は津村に罪を着せようとした、か。一理あるな。じゃあ毒についてはどうだ」
そこはまだ謎である。液体にしろ個体にしろ容器は必要不可欠なのに全く思い浮かばない。犯人だって同じ人間なのだから、それこそチェシャ猫のように消えるわけがない。言い淀んだまま無意識に給湯室をぐるりと見渡してみる。ん?まてよ。冷蔵庫、個体、持ち運ぶ…あ!
「氷じゃないですか?真ん中にトリカブトを仕込んだ氷を予め用意しておいてこの冷蔵庫に隠しておいたんですよ。頃合いを見て毒入り氷を回収して、皆がみていないベストなタイミングでスッと紙コップに投入した!」
これなら毒をどのように持ち込み、持ち運んだという謎は解ける。確かそんなトリックを使った有名な推理小説があった筈だ。しかし、すぐに自分の言った発言が支離滅裂だと気づく。
「これじゃあますます津村さんの犯人説が強くなるじゃないか…」
氷を持っていたらすぐに溶けるし魔法瓶やタンブラーはすぐに分かる。やはり犯人は津村さんなのか。いや、そもそも皆が見ていないベストなタイミングでスッと投入するってなんだよ。阿呆か。
黙り込んでしまった私に「もう降参か?」先生が尋ねる。悔しいが凡人の頭では限度がある。仕方ない、ここはひとつ探偵に教えを乞うことにしよう。
「一旦僕は休憩で。次は先生の番ですよ」
「そうだな…」いつも無駄に自信満々な先生にしてはやけに歯切れが悪い。ガリガリと飴を噛み砕き新しい飴に手を出す。
「漠然となら事件の全容が掴めてきたし犯人もなんとなく分かった。だが、殺害方法がいまいちなんだ。あともうひと押しが欲しいところだな」
それでも十分だ。少なくとも情報が0よりずっと良い。苦い顔の先生には悪いが、その漠然とした全容を聞こうと口を開いたとき――――――控えめなノックが響いた。志水さんと鶴島さんだった。
「お取り込み中すみませんが、警部さんがあなた方を呼んでいましたよ」
「ふふ、彼女かなりご立腹だったわよ?仲直り頑張ってくださいねホームズさん」
こっそり抜け出したのがバレてしまった。まぁ私は無事だろうが先生はこっぴどく叱られること間違いなしだ。ははは、ざまあみろ。
「ふふん、素直に飴を譲ってくれなかったバチが早速当たりましたね。たっぷりと桐生警部に怒られてください」
「お前は俺の助手だろう。ならばお前と俺は一心同体。つまり、1人だけ逃げられると思うなよ九重」
私の肩をぐっと抱き寄せ笑顔で圧をかける。彼の言い方だと一心同体というよりも死なば諸共が適切ではないだろうか、と激しく思う。(叩かれるので絶対に言わないが)
「それで、犯人は分かったのかしら。早く私を解放して欲しいのだけど」
『私たち』ではなく『私』ね。いや、こんなに長々と拘束されては精神的に参るだろう。刺激しないよう今は慎重に捜査をしている旨を伝えた
「あなたはちゃんと目上の人に対して敬語が使えるお利口さんなのね。私の子供もあなたみたいに良い子だったらよかったのに」
だったら?とはどういうことだろう。頭上に疑問符を浮かべた私に志水さんが小声で助け舟を出してくれた。
「座長の息子さん、ちょっとした不良だったんだよ。残念なことに数年前バイク事故で亡くなってしまってね。歳も君とそんなに変わらないから多分息子さんと重ねているんじゃないかな」
勝気なハートの女王にそんなつらい過去があったなんて。捜査に私情は持ち込んではならいのだが、どうも私はこの手の話にてんで弱い。彼女が犯人でないことを祈るばかりだ。
「そうそう九重くん、だったかしら。あなた飴が欲しいのよね?生憎と若い子が好きそうなものは持っていないけれど黒糖でよければあげるわ。ほら、あんたも持っていたでしょう。ケチケチしないで出してあげなさいよ」
「座長はせっかちだなぁ。あげないなんて一言も言ってないじゃないですか。ほら、オレンジの飴だけどいいかい?」
飢えている私にとって2人が聖人と聖母に見えた。どこかのドケチ作家とは大違いだ。
さっそくご厚意に甘えるとしよう。オーバーヒートした脳内を鎮めるにはやはり甘い黒糖か、いやフルーティーなオレンジも捨てがたい。チョコレートを食べたあとに蜜柑を食べると酸っぱく感じるようにこういうのは食べ合わせや順序が大切なのだ。
「うだうだ考えてんじゃねえよ。んなもん、まとめて食っちまえば良いだけの話じゃねえか」
「もう、嫌に決まっているじゃないですか。同じものならともかく、違うものを一緒に食べたら味が混ざっちゃって訳が分からなくなるし美味しくなくなっちゃうでしょう」
優柔不断な私にイラついた甘党の先生が斬新な食べ方を提案する。さすがにその食べ合わせは有り得ない、と考えつつフルーツが乗ったあんみつを思い出しもしかしたら意外といけるのではと思い直す。
ふむ、これは試してみる価値ありか、と提案者に視線を向けると「一緒に食べたら、味が混ざる…」唇に手を当てぶつぶつと同じ言葉を繰り返していた。
どうやら彼の脳内では事件の終幕を迎えたらしい。鶴島さんと志水さんも彼の異常な様子にただ目を丸くする。
「――――ともかくあいつがこれ以上キレると始末が悪いから言われた通り戻るとしよう。わざわざありがとうよ」
胡散臭い笑顔の先生は呼びに来た2人ときつく握手を交わし、給湯室を飛び出した。あとを追うようにリハーサル室へ戻ると彼は桐生警部に何かを頼んでいるようだった。「それ本当に必要なものなの?分かったわよ。聞いてみるわ」近くにいた警察官と話す彼女をすり抜け駆け寄った私に、変にご機嫌な先生が鼻歌交じりに頭をぐしゃりと掻き乱す。
「九重、犯人もトリックも分かったぞ。お前にしちゃお手柄じゃねえか」
約束だ、と無理矢理私に握らせたのは2本の棒つき飴だった。
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【読者への挑戦】
誰がアリスを殺したのか?
いかにして犯人は被害者に毒を飲ませることができたのか。
事件に関する重要なデータは全て揃った。鬼頭宗一郎が導き出した答え、トリックは古今東西ありとあらゆるミステリーに精通した聡明たる読者にとってはあまりに稚拙で噴飯ものだろう。
だが、是非ともこの謎に挑戦し、あなた方の手で解決していただきたい。
【ヒント】
紅茶に詳しい者ならば、あるいは…
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第三幕
第2リハーサル室の小窓から西日が差し込み辺り一面に黄金色が訪れる。
血塗られた物語の登場人物たちは自分たちとは異なる配役を持った男の唇から罪状が読み上げられるのをただ静かに待っていた。
「プロのあんた達からしたら俺の簡素な推理劇なんざ退屈で仕方ないだろうが、まぁ我慢して聞いてくれや」
「つまり犯人が分かったってことですか?」
「勿論だ」
確信に満ちた先生の声が彼らを鋭く射抜く。
「そんな勿体ぶらなくても犯人は冬子で決まりでしょう。時間の無駄じゃないかしら?」
戸惑いに満ちた彼らのざわめきが響く中、ただ1人、鶴島さんだけは津村さんを横目に冷たく言い放った。
「…どうしても座長は私を犯人にしたいんですね」
「何が言いたいのかしら、冬子」
「あら、言葉にしないと分からないのかしら?」
2人の間に激しい火花が散る。尚も続けようとする津村さんに静止をかけたのは意外にも気弱な深谷さんだった。彼女は顔を俯かせたまま鶴島さんを庇う形で割り込む。しかしその行動が津村さんの逆鱗に触れ、火に油を注ぐ結果となってしまった。
「なによ静音、邪魔しないでちょうだい。あんたは黙ってピーピー泣いてりゃいいのよ!」
「つ、津村さんは興奮しすぎです。皆さんも困っていますし少し落ち着いてください」
「それこそあんたに関係ないわ。そこの勘違い女には言ってやんなきゃ気がすまないのよ!」
「…座長は演技の才がない私を見捨てず役まで与えてくれた大恩人です。わ、悪く言うのはやめてください」
「いい子ぶってんじゃないわよ。いい?私が黙れって言ってんだからあんたは命令通りに黙ればいいのよ!」
「だ、黙りません!絶対に黙りません!」
半べそをかきながらも必死に対峙する深谷さんに怒りが頂点に達した津村さんが大きく手を上げる。「津村さん」温度のない桐生警部の一声に彼女の肩がビクリと揺れた。
「深谷さんを叩きたいのでしたら私は構いません。そちらの個人的ないざこざですからね。ですが、これ以上捜査の邪魔をするのは公務執行妨害も視野に入れることになりますが、どうしますか?」
どうしますかと言われて続けられるわけもなく、毒気を抜かれた津村さんはゆっくりと腕をおろし悔しそうに壁際へと移動した。
「おーこわ。女ってのはおっかないもんだぜ」
態とらしく両腕で体を抱くような仕草をする先生に向かって大人気なかったわ、と鶴島さんが咳払いをする。
「大変失礼しました。では鬼頭先生、教えてくださいな。いったい誰がエリカの紙コップに毒を盛って殺した殺人鬼なのかを」
「紙コップに毒を、ね」含みのある言い方だ。
探偵は小さく深呼吸をすると粛々と真相を語りだした。
「そもそも俺たちは大きな勘違いをしていたんだ。毒は紙コップじゃない、宍戸が服用したサプリに仕込まれていたんだ。そう考えれば辻褄が合う」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよあんた」
聞き捨てならないと桐生警部がすぐさま反論する。
「毒は確かに紙コップに入っていた紅茶から検出されたのよ。それなのにサプリに仕込まれていたって…全く辻褄が合わないじゃない」
それは私も同意見だ。トリカブトは即効性の毒薬であることは先生も知っているだろうに。
「話は最後まで聞け阿呆。いいか、正確には宍戸はサプリに入った毒で殺され、それを隠すために犯人があとから毒を紙コップに入っていた紅茶に入れたんだ。あたかも最初から紙コップの方に毒が入っていてそれで宍戸が死んだんだと俺たちに錯覚させる為にな。つまり毒は2度、仕掛けられたんだ」
皆、呆気にとられ先生をまじまじと見つめる。だが気にせず彼は言い続けた。
「犯人はまず第2リハーサル室に荷物を置きに来たとき誰も見ていない隙をついて毒入りサプリが入った自分の瓶と宍戸のサプリの瓶を入れ替えておいた。何か食う前は必ずサプリを常飲すると知っていたからな」
この推理によりサプリを持っていない飯島さん、鶴島さんが捜査線上から外れることになる。残りは津村さん、霜山さん、志水さん、深谷さんの4人だ。しかし、駄目だ。無理がある。
「でも毒は他のサプリからは検出されていないんですよね。それはどう説明するつもりなんですか?」
不貞腐れたように霜山さんが突っかかる。
「そりゃそうだ。毒は1粒しか入れてなかったんだからな」
「はぁ、たった1粒?ちょっと冗談でしょう」
あまりにも突拍子のない推理に困惑した桐生警部の目がまじろぐ。
「冗談じゃねえよ。犯人には宍戸がその毒入りサプリをかなりの高確率で選ぶだろうと分かっていたんだ」
「一体どうやってですか?魔法でも使わない限り無理ですよ。ありえない」
「いいや、出来たんだよ。魔法なんぞ使わなくたって、宍戸に自ら死を選ばせることがな。それにこれはたった1粒だからこそできたトリックだ。――――いや、むしろ1粒でなくてはならなかった」
「どういうことなんですか先生?」
さっきから彼の言うことに理解が及んでいない私はすぐさま答えを聞こうとする。
「あの熱烈なラブレターさ」
その言葉を合図にドア付近にいた警察官が先生にあの霜山さんが書いたと思われるメモを手渡した。
「もう1度読み返すぞ。『ルージュに彩られた唇から紡がれる声はまさに天使そのもの。僕の心はハートの女王の庭に咲き誇る薔薇のように激しく燃え上がる。いつも情熱的な眼で君を見つめているよ』…妙に赤を連想する言葉ばかり並べ立てていると思わないか?」
言われてみると確かに。
『ルージュに彩られた唇』『ハートの女王の庭で咲き誇る薔薇』『激しく燃え上がる』『情熱的な眼』どれもこれも無意識に赤と結びつきそうなものばかりだ。
「それを踏まえて、お次はこいつだ」
突然一番手近にあったリュックサックを彼は乱暴にあさり出す。「わ、私のリュック…」小さく不満を零した深谷さんに私は心の中で土下座をした。すみません深谷さん。彼は横暴が服を着て歩いているようなものなんです。漸く目当てのモノを探し当てた先生は今度は宍戸さんのサプリの瓶をもらい、その2つが見えるように自身の胸の前へと持ってきた。
「宍戸のサプリの瓶とあんたらが持っている瓶だ。よく見ろ、明らかにおかしいだろう」
一斉に近寄りじっと観察する。すぐさま異変に気づく。
「宍戸さんの瓶だけ、赤色のサプリが入っていない?」
ひっくり返してみても赤色は入っておらず黄、青、桃、紫の4色だけ詰められている。
「そう、犯人は瓶をただ交換するだけじゃない。予め赤色だけを全て抜いておき、代わりに毒が入った赤色のサプリを1粒だけ入れたんだ。この手紙はバッグに入れておいたのか、直接「霜山さんからだ」と言って渡したものなのかは知らねえが、読ませればこっちのもの。これで下準備はバッチリだ。宍戸の潜在意識の中に『赤』が無意識に刻まれた」
これが先生の書く推理小説なら犯人は心理トリックを使ったのだ。しかし気に食わない。確かに宍戸さんの性格は決して実直なものではなかったとはいえ、彼女の恋心を殺人のトリックに利用するなんて。非道な犯行に自然と憤る。
「そして運命の時が訪れた。休憩時間、クッキーとドーナッツを食う直前、習慣だったサプリを飲むため宍戸は瓶を自分の鞄から取り出す。見ると瓶の中に赤色のサプリが1粒だけ入っていることに気づく。ふと先程の霜山からの情熱的なラブレターが脳裏をよぎる。…どうだ、不可能な話ではなくなってきただろう」
「ありえる」鶴島さんが賛同した。「エリカならきっと「運命だわ」と言って喜んで選んだわ」
座長のお墨付きをもらい俄然真実味を増した。
「もし誰も食べ物を持ってこなかったらどうするんですか?」
「話によると休憩の際に出る食い物は各自自由に持ち寄るらしいから仮に誰も持ってこなかったという展開になったとしても自分が買いに行くか買いに行かせればそこまで問題じゃない」
津村さんの異論を涼しい顔ではねのけた。
「このトリックは時間配分がとても重要だ。犯人はかなりの実験量を積んだんだろう。カプセルが溶ける時間、毒が効き始める時間。実験に実験を重ね綿密に算出した時間に基づいて行動し、そして津村に罪を着せようと彼女に紅茶を持ってこさせることが出来た人物」
皆の不審げな眼差しが志水さんへと一身に降り注ぐ。彼は小馬鹿にしたように鼻を鳴らしギッと睨みつけた。
「俺が犯人だって?言いがかりも甚だしいですよ、鬼頭先生」
「言いがかりじゃないさ。根拠がある」
「根拠だって?ふざけるなよ。さっきからあんたが話しているのはあくまで可能性の話だろう。俺が犯人だって証拠にはならない。そもそも俺が犯人だとしたら毒が入っていた容器は何処にいってしまったんですか?容器無くして毒を持ち運ぶことは難しいでしょう」
「容器についても分かっているさ。言っただろう、根拠があるって。あんたはミステリーでよく使われる常套手段、溶ける容器で毒を持ち運んだんだ」
「溶ける容器、だって?」
いつの間に持ち出したのだろうか。彼はポケットから給湯室に置いてあった紅茶のティーパックを取り出し、私たちに提示した。
「ここに名も知らぬ誰かが置いていったバイカルとアンブレの紅茶がある。実はこいつらにはある共通点があるんだ」
共通点だって?紅茶にはとんと疎い私は早々にリタイアを決め込み皆の意見に耳を傾けることにした。
「原産国とか?」
「紅茶の色の違い?」
各々これだと思った意見を口に出すが探偵はなかなか首を縦に振ってはくれない。
「オレンジ、かしらね」
桐生警部だった。正解とばかりにパチンと指を鳴らした。
「バイカルはベルガモットの香りとオレンジ果汁が、アンブレは蜂蜜とオレンジが入ったものだからどちらにも共通するとしたらオレンジね。でも、それが何だというのかしら。事件に何の関係があるの?」
溜め息混じりに義弟を指差す。他の面々も分からず首を傾げるばかりで――――――あ。
「気づいたな九重。そうさ、毒は志水が持っていたオレンジの飴の中に入っていたんだ。計画通り毒入りサプリを飲み、死にかけになっている宍戸のもとにメンバーの全視線が集中したそのどさくさに紛れて後ろにいたお前は宍戸の紅茶の中に毒が入ったオレンジの飴を入れたんだ。おそらくすぐに溶けるよう小さめに砕いたものだろう。警察に調べられてもオレンジが含まれている紅茶にオレンジや水飴が多少入ったところでそこまで重要視されないだろうと踏んだうえでな」
へぇ、と男は不敵に笑ってみせた。
「逞しい想像力ですね。さすが作家先生様だ。ですがあなたはさっきから「トリックはこうだ。だから犯人はあなただ」と単に決め付けているだけで物的証拠がないじゃないですか。妄想だけで犯人にされちゃたまったもんじゃないですよ。それこそ津村さんが逆に俺を貶めようとした罠かもしれないじゃないですか」
攻撃的な発言に絶句する津村さんには構わず、先生は全く臆することなく言ってのけた。
「物的証拠だぁ?あるに決まってんだろうが」
確固たる口調に初めて男の表情に僅かばかりの亀裂が走った。
「実は凶器に使われたトリカブトには一般的には知られていない『ある変わった特性』があるんだが、知っていたか?」
「…なに?」
小説の資料集めの一環として植物図鑑を目にする機会はあるが、そんなマイナーな情報など記載されていただろうか?初耳だった。
「トリカブトの毒は浸透性が非常に高く、たとえ手袋をして作業をしてもほんの少量が溢れればたちまち手袋を介して体内に染み込んでしまうんだ。まぁ、手術に使用する高性能な手袋なら二重にして使えば問題ないだろうが。さて、あんたは飴の中に毒を匙で詰めたのか注射器で入れたのか直接詰め込んだのか…どうやったんだろうな?」
心当たりがあるのか志水さんの顔が瞬時に青褪める。その変化を逃すはずなく先生は一気に捲し立てた。
「心配すんなよ。勿論死ぬまでの毒性には至らん。精々数日間、体が怠くなったり頭痛に悩まされたり軽めの風邪を引いたぐらいの軽度の症状が続くだけだ。――――そういや志水、あんた最近怠くて寝不足だとか言ってなかったか?おいおい、また一段と顔色が悪いじゃねえか。具合が悪いのか?」
悪口に関しては先生が圧倒的有利だ。言い返さないのをいいことに敵を煽る口調で更に追い詰めていく。
「嘘だ…あんたは嘘をついて俺がボロを出すのを待っているんだ。卑しいやつめ。やっぱり証拠なんてないんだな。いいだろう、そこまで言い切るなら検査でもなんでもしてくれよ」
「あぁ、いいぜ」
「え?」
ハッタリだと絶対の自信があったのだろう。しかしそれに反してあっさりと言う先生に志水さんは面食らう。「お願いします」と桐生警部の言葉を合図に鑑識が液体の入った瓶を持って登場した。
「毒素に反応して色が変化する特殊な試薬です。あなたの手から毒が検出されれば試薬は黄色に変わります」
口をパクパクさせ激しく動揺している。だが、もう遅い。鑑識は遠慮なく綿棒で彼の手を丹念に撫ぜた。次に持っていたシャーレに試薬を移し、撫ぜた綿部分だけを切り落とし試薬に浸す。結果は、
「黄色になった…」
試薬は鮮やかな黄色に染まり彼が犯した罪を白日の下に曝け出した。こうなってしまってはもう、志水さんに言い逃れは許されない。
がっくりと肩を落としくそっ、と大きく舌打ちをした。罪を認めたのだ。
「どうして志水が…」
鶴島さんは痛々しそうに体を掻き抱く。だが座長の言葉など意に介さず、真っ直ぐ、深谷さんを見つめた。
「それは勿論、君の為だよ。静音」
「え?」
とろりと恍惚の表情を浮かべた志水さんが甘ったるい声で愛おしそうに深谷さんの名を呼ぶ。先程の彼とはまるで別人だ。見知らぬ男がそこに立っていた。
「俺には最初から分かっていた。君こそが真の女優であり、主役であり、アリスを演じるべき女性であると。清純で無垢な心を持った君こそが僕の理想とするアリスそのものなんだ。それにひきかえ、あの女はクズで耐え難かった。傲慢で烏滸がましく清廉さの欠片もない。下衆女にアリスは相応しくないんだよ。だから舞台から降りてもらったのさ。あぁ、それはお前にだって言えることだぞ津村。顔が良ければ誰彼構わず媚を売る尻軽の発情女にだってアリス役は不適任だ」
「な、なんですって」
「吠えるな黙れ。殺されなかっただけありがたいと思えアバズレが。あぁ、やっぱり君だけ、君だけなんだ静音。俺だけの愛しいアリス」
忘我の境地に入った彼に私たちの声は一切届かない。
自身の理想とする女性像のアリスに想いを馳せた志水さんは夢から醒めることなくいまだ彷徨い続けていた。純粋な愛情か、それ故の狂気か。
男はただ愛する麗しの姫君に睦言を吐き続け、恭しく傅いたのだった。
《終幕》
それから数日後。
犯人の自供に加え、家宅捜索で押収したパソコンから毒物の購入履歴を復元したことが決め手となり志水さんの有罪は確定した。
かくして『不思議の国のアリス殺人事件』は解決の一途をたどった。
桐生警部からの吉報を受けた私たちは先生の好きなスイーツをずらりと囲み、自宅で細やかな祝賀会を開いていた。
いつも辛辣な彼女には珍しくしぶしぶながらも称賛の言葉が伝えられ、ご満悦な名探偵を尻目に、私の心中は複雑な思いを抱いていた。
今回の先生の推理でどうしても許せないことがあったからだ。
「まさか先生が『嘘』をつくなんて思いませんでしたよ。完全に騙されました。酷いです」
『トリカブトには手袋や体内にまで浸透する特性がある』
そんな出鱈目な嘘を堂々とつき、犯人どころかその場にいた全員を騙した。
通常ならばもっと冷静に対処していたかもしれない志水さんだったが、警察までも先生に同調したことにより正常な判断ができなくなった。それが彼の敗因だ。
「はじめは俺だってそんなつもりはなかったさ。だがたまたまあの冷蔵庫に入っていたスライスレモンを掴んでいたわけだし、これはもう利用しない手はないだろうと考えたんだ。お前も化学の授業でBTB溶液の実験ぐらいやっただろう。酸性ならば黄色に、中性ならば緑色に、アルカリ性なら青色に変わるってやつ。あとは桐生に言って鑑識にBTB溶液を持ってこさせ一芝居うったのさ」
日頃の行いが功を奏したな、と上機嫌にブルーベリータルトに手を伸ばす先生にやれやれと首を振る。
「それでも助手の僕にだけは一言いっておいて欲しかったですよ。やっぱり酷いと思いませんか?深谷さん」
目の前のソファーに座る女性、深谷静音さんは「ふふ、そうだね」ふわりと微笑んだ。『アリス・ローズ・ラブ』の再公演が決定し、お礼も兼ねてわざわざ会いに来てくれたのだ。
私は今朝方コンビニで購入した週刊誌を開く。『白薔薇の庭の美人女優、仲間の死を乗り越え主役抜擢!!』世間は今、この話題でひっきりなしだ。
「私なんかで良いのかなって凄く悩んだけれど、せっかく座長が私の為に新しく脚本を書き直してくれたんだもの。亡くなった宍戸さん、辞めてしまった津村さんと霜山さん、そして座長のためにも彼女の期待に応えて私なりの理想のアリスを演じてみせるわ」
鶴島さんとそりが合わなくなった津村さんは頻繁に言い争うようになり、大喧嘩を起こしたその日に退団。霜山さんも女性問題が尾を引き劇団に居ずらくなったようで逃げるように抜けていったそうだ。
―――――――――――彼女の計画通りに。
「うまくやったもんだな、深谷」
先生がついに核心に触れる言葉を発した。
「…なんのことでしょうか鬼頭先生」
「謙遜するなよ。俺は褒めているんだぜ?」
「あなたの言い方はまるで誉めているように聞こえませんが」
警戒態勢に入った深谷さんに、今度は私が続く。
「宍戸さんが亡くなれば主役の座に空きができ、主役候補の津村さんが逮捕されるもしくは座長さんの信用を失えば自分が主役になれる可能性が高まり、ことあるごとに口説いてくる邪魔な霜山さんにも制裁を加えられる。そしてあなたの思惑通り。いえ、ここは演者らしく筋書き通りと言った方が正しいですかね。深谷さんに恋心を抱いていたを志水さんを心酔させ、しかし自分は一切手を汚すことなく欲しいものを全て手中に収めたんです」
反問もなくただ聞き入る深谷さんに私は段々と不安が募る。無表情でありながら目だけは爛々と鈍い光を放っている彼女からまるで心情が読み取れないのだ。陽炎のように存在が朧げで輪郭がはっきりしない、何か別の生き物とさえ思ってしまう。
私は一体誰と話しているのだろうか?
「尋問する口調があの時の鬼頭先生とそっくりね。九重くんに話させて先生は私がボロを出すか窺っているのでしょうが、残念ですが無駄ですよ。だってそんなものないんですから」
バレていたか。横目でちらりと先生を見やると無言のままフォークをくわえていた。暫しの沈黙のあと、深谷さんは小さく微笑んだ。
「――――今の話、証明することはできるんですか?」
「できない」
苦しそうに先生は零す。
「あそこまで盲信的に崇拝している志水はあんたの名を死ぬまで吐露することはないだろう。それどころかこの殺人計画こそがあんたと交わした甘い蜜事とさえ思っているのかもしれん。だったらもう俺たちに打つ手はない。志水を人形のように操った証拠も裏で糸を引いていた痕跡も、本当に何もかもがないんだ。だから言ったのさ、うまくやったもんだ、と」
投げ捨てるようにフォークを空の皿に置く。無機的なカチャンという音を勝利の鐘の音と捉えた深谷さんは顔をほころばせ、ふふ、とこらえきれない笑いが華奢な肩を揺らした。
「私、必ず公演を成功させてみせます。ですから、ねぇお2人とも。絶対に舞台、お越しになってくださいね?」
アリスの唇が妖しく光る三日月に見えたのは、私の錯覚か、それとも―――――――――――
《猫は笑う 完》
探偵が嘘をついて犯人にボロを出させる、犯人は捕まるが真犯人は逃げきる、童話をテーマにした殺人事件。
書きたいものを詰め込んでみました。楽しかった^^