4話 守られてわかること
俺は満面の笑みを浮かべて立っていた。
神の困惑した気配がしっかりと伝わってきている。
相変わらず姿は見えないが、相当自信があったのだろう。
徐々に気配に怯えが混ざってきているというのに隠そうともしない。
いや、厳密には出来ないのだろう。
俺だって殺す気でひっぱたいたミジンコが、死ぬどころか無傷で笑顔を向けてくれば怖いし、茫然自失としてしまうだろう。
神は今それ程の衝撃を受けているのだろう。
俺は笑顔を絶やさずに、頭の中で神についての認識を改めていた。
さっきの一幕、返事と同時の不意打ち。
なかなか人間臭いことをする神だと感じた。
不意を打つ行為は、本来弱者が強者に対して行うものだろう。
俺を見下しつつも卑怯な手段を厭わない神がいる。
それは神全てが絶対強者然とした存在、そう思うことが危険だと教えてくれた。
神に対する不信感から対策を考え始めていた俺は、既にこの空間の神のことなど眼中になかった。
◆
兵藤家の教えに常在戦場という言葉がある。
数ある教訓の中で、争いのない世界であっても消えることのなかった教えである。
どこにいても、誰が相手でも最低限の警戒を失わない。
俺は修行をしている時に、神を相手に戦うことも想定していた。
想定では、超常の力による予想出来ない攻撃をしてくると想像していた。
つまり反撃の可能性が見えてくるまでひたすら耐えるしかない。
だから俺は気の修行を積極的に行い、物質化を成功させてからは様々な工夫をしていた。
ただ纏うだけならすぐに出来たが、目で見てわかってしまう。
見てわからないように無色透明にしたが、肌に直接纏った時には服に違和感が出た。
肌に直接纏っても違和感が出ないように出来たが、強度が落ちれば意味はなかった。
厚さに関わらず一定の強度を維持できるようになったが、気が感知される場合があるかもしれないと考えた。
気を物質化して纏っていても存在を漏らさないようになった頃、一応の完成としたこの技を『錬鎧』と名付けた。
◆
常時発動技である錬鎧は、俺が今出せる最大硬度を保っている。
神の一撃すら防ぎきる盾ではあるが、攻撃することは出来ない。
流石に存在しかわからない相手に攻撃する手段は生み出せていなかった。
何かいい方法は無いかと考えようとしたが、思考を遮るように声が響いた。
「お前はただの人間だろう? 確か魔法やスキルについて認知されていない世界のはずだ。レベルの概念もなく、人間の限界値はかなり低く設定されていたはずだ」
「いくら理由見つけて不条理を嘆いたところで意味が無いって分かんないかな、神様のくせに。人間の子どもにだって分かることだぞ?」
この神様はかなりのお子様らしい。
少し馬鹿にしただけで気配に怒りが混ざった途端に攻撃に移る。
さっきの攻撃は威力を加減しすぎたと自分を納得させたのか、今度は眼球目掛けて貫通力と威力を増した攻撃を放って来た。
威力を高めて急所を狙った攻撃。
最初の不意打ちといい、倒すこと、勝つことだけを目的とした戦闘スタイルのようだ。
神にしてはなかなかアウトローな感じが漂っている。
神同士で潰し合うようなことが起きているのだろうか。
それとも神にろくな奴はいないだけなのか。
俺の体感としては欠伸が出るほど遅い攻撃。
迫力なんか微塵も感じられない。
このまま放置すれば目に当たるんだが、わざわざ受けてやって驚かしても大して面白くないだろう。
力の差をわかりやすく示すため、人差し指で止めることにした。
待つのも面倒だったので、遅い攻撃にわざわざ歩み寄って叩き落としてやった。
あんなに遅い攻撃に気付かないとでも思っていたのか、それとも防がれると思っていなかったのか、驚愕の気配が伝わってくる。
驚愕してくれた神には申し訳ないが、俺は表情豊かな気配の出し方が気になって仕方が無かった。
「·····どのようにして防いだ?」
「は? なんだって?」
「どのようにして防いだのだ!」
「神が人に聞いてんじゃねぇよバーカ」
敵に技の解説を求めるバカがいた。
そのせいで遠慮なくバカにしてしまった。
「くっ、神に対して·····」
「偉ぶってれば敬われるとでも思ってんのか? 田舎のお年寄りの方がまだ敬われると思うが?」
「この·····言わせておけば·····」
「それよかさー、いい加減俺のこと何とかしてくれよ。ここからいなくなればお前も落ち着けんだろ?」
「私には関係ない」
そう言うと拗ねたような気配を放ちつつ、遠ざかっていった。
ガキみたいな神がいなくなるのはいいが、このまま放って置かれるのも困る。
だからあのお子様と根気強く話してたというのに、これだから子どもは。
とりあえず俺をこの空間から出してくれる神と話がしたい。
幸いなことにこの白い空間には複数の気配が感じられたので、とりあえず大声で話しかけてみることにした。
ただ呼びかけるだけでは話の通じなさそうなやつが来る気がしたので、俺は気を勢いよく放出しながら叫んだ。
「偉くて話が通じる神様ー! どうか俺の話を聞いて下さいー!」
「呼んだ?」
「·····どこから現れました?」
「君と同じ座標に転移してみました!」
「後遺症残さないでくださいね·····?」
「偉い人、不祥事一発、即退場! 私、失敗しない!」
叫んだ瞬間やって来た神様は、俺の体内から全身を引っ張り出した。
一々どこかに引っかかるような動作をとるせいで、体内に何かが残っていないか心配にさせる。
大道芸人のようなことをする神様である。
恐らくウィットに富んだ神様なのだろうが、その芸を素直に面白がることが出来ない。
マネキンがやけに人間臭い動作をすると言えば伝わるだろうか。
行動や様子がハッキリとわかるのに、身体的な特徴が全くわからないのである。
かなり不気味だが、それが神という種族なのだろうと割り切ることにした。
「あのー、すいません。お願いがあるのですが·····」
「いいよ!」
即答した神様は、俺が瞬きするタイミングに合わせて、見慣れぬ景色の森へと転移を済ませていた。
周りは木の葉によって陽光が遮られて暗く閉ざされているのに対して、俺のいる場所だけが木漏れ日によって明るく照らし出されていた。
耳を澄ましてみれば、動物の動く音、鳥や虫の声、風によって動かされる葉の音。
踏みしめた土は足に地面の凹凸を伝えてくれ、俺は久々に生命が溢れた空間に帰ってきて感極まっていた。
「生きてるんだな。実はもうとっくに死んでるかと思ってた」
孤独に修行を続けた時間は、脳の寿命を軽く超えていたはずだ。
実は転移の時点で死んでいて、俺は無駄な努力を続けた死霊ではないのかと何度か悩んだこともあった。
「完全に死んでる人のお願いを聞いてあげる程、私は暇じゃないよー! もう一つのお願いの方も今叶えるね!」
ぺちっ、っとフィンガースナップが失敗したような音がすると、目の前に俺が現れた。
いきなり俺と同じ姿をした人物が現れたことに少しは驚いたが、妙に納得してしまった。
神様はもう一つのお願いと言っていた。
つまりこいつは俺の望んだ奴に違いないだろう。
念願の出会いを果たした俺は、言いたいことが多すぎて、逆に言葉に詰まってしまった。
急な転移で状況が理解出来ずに慌てる俺のニセモノは、神様が平坦な口調で一言だけ発した声を聞かされた。
「平伏せ」
その瞬間、隣にいた神様から形容し難い気配を感じた。
言霊のようなものだったのか、俺に向けられたわけでもないのに頭を下げたくなってくる。
ただ一言放っただけでこの空間を支配する神様に、さっきまでのおちゃらけた雰囲気は微塵も感じられなかった。
言葉を直接向けられた俺のニセモノは冷や汗を流しながら、土下座して体を震えさせていた。
「この者の記憶、全て見させてもらったぞ。何か言うことはあるか?」
しかし俺のニセモノはその言葉に希望を感じたのか、気配から必死さが消え、体の震えが止まっていた。
自分と同じ姿をした者が土下座する様など見ていたいものではないが、こうもあからさまな態度を見せられると、言いようのない怒りがこみ上げてくる。
しかも弁明のために顔を上げる最中に、俺にだけ見えるように醜く笑って見せた。
どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むのか。
俺はクソ女神が言葉を発する前に、気を集めた右手を心臓めがけて突き刺した。
◇
私は訳が分かりませんでした。
どうでもいい世界に湧いた異分子がなぜあの方の隣に立っているのでしょう。
女神の私が反応もできない速度でどうして動けるのでしょう。
どうしてただの抜き手で心臓を貫かれているのでしょう。
私は仕事通りに異分子を排除したはずだった。
異世界の精神体が死ねば、元々持っていた体に入り込み異世界に行くことで、発見までに時間がかかるはずだった。
バレてしまってもただ注意を受けてまた元の生活に戻るはずだった。
私は一体何を間違えてしまったのでしょう。
あぁ、時間さえあれば答えを見つけられるのに、残された時間はもうないわ。
永遠に続くはずの命も、散り際は呆気ないものなのね。
初めて知ったわ··········。
◇
幕引きは呆気なかった。
神話等に出てくる人間たちは、神と戦おうとするだけでも死を覚悟していたというのに、全く気負うことなく心臓を貫けてしまった。
昨今の物語では、ボスは変身し、雑魚はしぶとく生き延びるものだが、この手で直接殺してわかった。
クソ女神はたしかに死んだ。
「やっぱり転移ができるただの美女だったな」
「いやいやー、普通は女神相手には何も出来ない筈なんだよ?」
そう言った神様に先程までの鋭さはなかった。
話を遮ってぶっ殺してしまったから、流石に何か言われるかと思っていたが、俺の想像以上にいい神様のようだ。
俺の記憶から、情状酌量の余地があると思ったのだろうか。
ニセモノの俺の体ごと後始末を請け負ってくれた。
その体を眺め、俺は自分の行いを悔いていた。
兵藤家の人間として、攻撃を目的とした力の行使は禁忌とされていた。
その教えを律儀に守る必要など無いのだが、俺はどこまで行っても兵藤練鬼だった。
「君は君自身をようやく守ることが出来たね!」
おもむろに神様はそう言った。
「あぁ、そう考えることも出来るから殺すのを止めなかったのか」
神様の言葉を反芻する。
「流石に無益な殺生なら止めてたよー! けど、今回君はずっと被害者だったから!」
神様はあくまで俺に非が無いと言う。
「ありがとう」
自然と感謝の言葉が出た。
この神様は俺の心を守ってくれた。
私怨で女神を殺した俺を罪悪感から救い上げてくれたのだ。
微弱だが感じていた言霊の気配に気付かぬ振りをして、真摯に頭を下げた。
本当の意味で誰かを守るならば、この神様のように心身の強さが必要だと心から思った。