1話 兵藤家
兵藤家。
とあるやんごとない身分の方々に先祖代々寄り添い、支え、守ってきた一族。
兵藤家の者は全員がその方々に仕えることになる。
性別による仕事の違いはなく、幼い頃から英才教育を施され育てられる。
護身術に関しては、護身の域を大幅に超えた新たな武術と化していた。
それは開祖が求めた理想が正しく引き継がれてきた証でもあった。
◇
かつてシークレットサービスやセキュリティポリスと言った要人警護が職として成立していた時代、テレビやドラマで度々取り上げられる題材として有名になった。
『誰かを守る』ための仕事に憧れを感じた兵藤家開祖は、中学生の頃に将来を決めた。
SPはその身を盾に依頼主を守る。
そんな姿をドラマで見て、自己犠牲が迷わず出来ることに心を打たれた。
幼心にとても高潔な職業に感じていたのだ。
決心してすぐ行動に移した開祖は、まず今までの自分が積み重ねてきた土台を改めて作り直すところから始めた。
わかりやすく言えば中学生までに習うことの総復習である。
学力に関しては義務教育の内容や、礼儀作法と言った日常で学ぶことについても積極的に取り組んだ。
また中学生に到達しうる限界を目標とした、肉体の鍛錬も同時に開始した。
ただの中学生にはそのようなことはとても不可能だっただろう。
しかし開祖には不可能を可能にする異常なまでの精神力が備わっていた。
鋼の精神を持って意欲を極限まで引き出した状態で学習するとどうなるか。
元はただの中学生だった開祖が天才ともてはやされるまでにそう時間はかからなかった。
高校に進学すると、学習の幅を広げた。
学び方のコツを掴んだのか、一つの範囲にかかる時間が極端に減り、余裕が生まれたのだ。
また肉体の成長から体力面においても上限が拡大され、スポーツにおいてはプロのアスリートと競えるほどには完成されていた。
開祖の努力は留まることを知らず、高校卒業までには大学を卒業出来るだけの知識を備えていた。
しかしどれだけ精神が強靭であっても、人間としての欠点は無くすことが出来ない。
ふと集中が途切れた時に別のことを考えてしまうのは仕方のないことだろう。
加えて今の開祖は学習を重ね様々な知識の引き出しを備えた。
子ども心に描いた夢の違和感に気付くのも時間の問題だった。
その違和感を明確に意識することになったのは、大学院を卒業する直前、護身術の修行をしていた時だった。
幾度となく繰り返した技をなぞりつつ、イメージトレーニングをしていると、外を歩く学生の会話がやけに気になった。
『死んだらそこでおしまいだろ、残された人はどうするんだよ』
前後の内容は全く分からないが、この言葉だけがハッキリと聞こえた。
開祖の抱く理想のSPの仕事は、究極的にその身を犠牲にして依頼主を守るれること。
逆を返せば、敵の排除もできずに依頼主を残して逝く無能なのではないかと感じてしまった。
『1度しか使えない盾に価値はあるのだろうか』
これは開祖が生涯を掛けて臨むんだ難題、『守りの矛盾』と言い伝えられるものだった。
大学院卒業後も鍛錬を欠かさなかった開祖であったが、疑問に対して明確な答えを得ることは出来ず、35歳になって国の最重要人物に仕えることが決まってしまった。
その頃には既に一流の枠を超えた人間であったのだが、向上心は全く衰えてはいなかった。
来る日も来る日も鍛錬を重ね続け、45歳になった開祖は、人の限界に至った者として『全能』と称される存在に至っていた。
しかし、人の頂に立った開祖は実際にSPとして活躍したかと聞かれれば、否と答えるしかなかった。
開祖が40歳の誕生を迎える年、国対国の事件が起きた。
武力を振りかざして様々な国に脅迫を繰り返してきた小国が、近隣大国に全力を持って滅ぼされた。
行ったことはたった一つ、ミサイルが数発打ち込まれただけだった。
弾速は遅く数は少なかったが、国を滅ぼすのにただのミサイルで済むはずがなかった。
着弾点から広範囲を焦土に変え放射能で汚染する核ミサイルが何のためらいもなく使われた。
核を使われれば壊滅的被害を受けるのは必定。
奇跡的に生き延びる国民も居るだろうが、国としては成り立たない。
小国は数時間で滅びた。
その光景は世界の破滅を体現したかのようなひどい有様だった。
各国代表としては、災いの種を取り除くことが出来、これで平穏な世界が戻ると思っていた。
核使用に関してサミットを開く事になったのは、ミサイルを打ち込んでから2週間後だった。
各国代表を集めて会議を行う以上、調整には時間がかかるものだが、早急に行う必要があった。
核の雨を降らせた結果、各国の国民が反乱を起こしたのだ。
圧倒的破壊力への恐れから半ば恐慌状態に陥った国民は、その使用をためらわなかった責任者の非情さを責めた。
予想外の事態を受けて早急な対応が必要となった各国代表は、すぐに武力放棄の仕方について話し合うことになった。
どの国も武力を保持していては国民が納得しない所まで追い詰めてしまっていたために、武力放棄については既に決定事項として扱われその方法について議論された。
国益を考え様々な意見が飛び交うも、有意義な案は発表されず、一番有力なものでも全部の国が一斉に武力放棄すると言う実現不可能なものであった。
結局は会議の終了時間までに結論が出ず、半日に及ぶ議論の末、各国代表は連帯責任の名の元にある一つの発表を持って全員が辞職した。
『全世界統一国家成立』
国益どころか国を失わせた各国代表はこれ以外の道を選ぶことが出来なかった。
問題しかないような状態で決まったことではあったが、武力放棄が明言されたため反乱は沈静化した。
そうして出来た新しい超巨大国家は一応の平和を迎え、闘争を好まない様子を国民に見せ続ける世界になった。
争う相手を失い、闘争が禁忌とされる社会は、武術の存在すらも抑圧し、衰退の一途を辿らせた。
同時に戦うものから守る行為も必要なくなり、いつしかSPという仕事は過去の物となった。
開祖がSPとして活躍する場は失われたのであった。
その後侍従として主に仕えた開祖は、死の間際に代々仕えることを主に約束した。
そして守りの矛盾についての答えを兵藤式護身術として残し、後の世に伝えたのだった。
◇
世間一般的に夜中と言われる時間、兵藤家のとある一室で、俺は見知らぬ美女と対面していた。
絶世の美女と言える女性が、ベッドから体を起こした俺の瞳を覗き込んでいた。
その目はまるで俺の本質を見抜こうとしているような真剣な眼差しだった。
夜中見知らぬ人間が部屋にいる時点で怪しいのは確定だが、不思議なことに、そこにいることに違和感を全く感じていなかった。
「今の夢はあんたが?」
「そうです。夢ではなく記憶をあなたの脳に直接刷り込みました。その整理を夢で行っていたのでしょう。御先祖様の心に触れる経験なんて普通できることではありませんよ?」
「夢とは言え、いきなり先祖の経験を頭に叩き込まれてどう反応しろと。喜んで見せればいいのか、真面目に悩んで見せればいいのか」
「私の思惑としては、ルーツを知ることであなたの深層意識の改革を行おうかと思っていました。ですがあなたには変化が見られませんね」
「御先祖様の就活体験と時代の移り変わりを知ったところで俺は俺でしかない。深層意識ってのが何を意味してるかハッキリとは分からんが、簡単に変わるとは思えないな」
「あなたは兵藤家の者とは価値観が異なり過ぎています。出来ることなら軌道修正したかったんですが、上手くいかないものですね」
少し悲しげな顔をした美女は、そう言って部屋を見回した。
俺の深層意識を変えると言うが、何故そんなことしようとしているのか。
そもそも俺は兵藤家の一員であることを蔑ろにしている訳では無い。
必要な技術は修め、その分修行にかかる時間が減って出来た自由時間を趣味に費やす、ごく普通の少年と呼べるはずだ。
趣味に励んだ結果二次元に傾倒し、部屋中にフィギュアやポスターだらけ──なんてことも無く、せいぜい本棚の一つがライトノベルで埋まっている程度だった。
「俺の部屋になんか変なところあるか?」
「内装には何の問題もありませんよ」
「なら何で俺の深層意識を変える必要があると思ったんだ? どんな判断材料があっての事か全く検討がつかないんだが」
「それはあなたの心の動きを見ていたからですよ、兵藤 練鬼さん。女神として世界に影響を与えるほどの異常は見過ごせませんからね」
いつの間にか立ち上がっていた美女は、俺を見下ろしながら自身を女神だと言った。
いきなりこいつは何を言っているんだ。
俺は訝しる気持ちを隠さず表情に出してしまっていた。
女神はそれを見ているにも関わらず、全く気にした様子が見られない。
「練鬼さん、あなたは将来この国のトップ──つまりは世界のトップに君臨します。そんな人が破壊思想を持っていると迷惑なんですよ、折角世界平和がなったというのに」
「未来の俺の話ってか。真偽のわからんことを言いやがって。それに破壊思想ってなんだよ。兵藤家は守の一族だぞ」
「あなたも兵藤家の人間ならば知っているはずです。護身を超えた武術がなぜ生まれたのか。守りだけでは真の守りにならないと分かっているからでしょう?」
「開祖の記憶まで持ち出してきておいて白々しいことを言う」
「まぁそうですね、あの記憶を見せたら破壊思想が加速しましたから。どうですか? 兵藤式護身術の開祖の技をその身で学んだ感想は」
「······わかってて記憶を刷り込んだってことか」
いつの間にか女神は悪戯が成功した子どものような顔をしていた。
見た目は成熟した女性にも関わらず、子ども心を無くさない女神と言うのは不思議だった。
初めは俺の軌道修正が出来ず悲しげな顔すらしてい女神が、今では世界平和を望みつつも破壊思想の発展を喜ぶと言う矛盾した思考回路が全く理解できない。
神は人が測れる存在ではないということを実感させられた。
他にも女神が神たる確信の持てる事件が過去に起きていた。
これも開祖の経験として得た記憶である。
全世界統一国家が成立してすぐのこと、ある日を境に開祖を除く全ての人類から武具という概念が存在が消失した。
それと同時に道具を荒事に使うといった思考も出来なくなっていた。
世界は争うための牙を喪失し、戦いを認識出来なくなっていた。
まるで人間はそれこそが自然だと言うように。
そんな現代においてもまだ完璧な平和には至ってない。
女神は世界は平和になったと言うが、細かな犯罪は未だに増え続けている。
異なる文化を起源として持つ人間たちが一つの地に混在していれば当然であった。
そして開祖の記憶を得た俺だからこそ、その原因がが何だったのかがよく分かる。
目の前でニコニコしている女神が世界に介入したのだ。
「おい女神、一つ聞きたいことがある」
「どうぞ何なりと」
「お前の言う破壊思想ってのは、敵を排除することを目的とした兵藤式護身術の事なのか?」
「その通りです。攻撃は最大の防御ってことですね」
「何で俺にだけ武具の記憶があるんだ?」
「一つって言ったのに二つ目の質問ですね。まぁいいでしょう。あなたの記憶から武具が消えなかったのは、武具を武具として見ていなかったからです」
「俺の思う武具が守るための手段でしか無かったからか?」
「その通りです。生き物を害するために生まれた武具を、攻撃手段として見ていないまま使う者がいるとは思ってもいませんでした」
「神の御業にしては随分と雑なんだな」
俺はここまでの話を鑑みて、女神に対してまともに思考することをやめた。
人智を超えた存在に対して、人の身で出来ることは無いと悟ったのだ。
まともに取り合わなければ諦めてそのうちいなくなるだろうと打算もあった。
女神の要求は国のトップに相応しくないから排除したいとのことだったはず。
間違っても殺されたくはない。
ならば出来ることは、トップに立たず、まともな思想でいること。
そうすれば大人しく天界にでも帰ってくれるだろう、そう根拠もなく思っていた。
「では練鬼さん、そろそろ本題に入りたいと思います」
「俺がこの世界における異分子だってのは分かった。目立たないようひっそり生きてくから見逃してくれ」
「何を思って出た言葉か分かりませんが、とりあえず却下します。練鬼さんはこれから私と異世界に行ってもらうので、当然この世界には居られません」
「······あれか、物語によくある異世界転生的な?」
「物語の題材としてはありふれてますが、目的は大きく異なると言っていいでしょう。転生でもないですし。練鬼さん、どうして私が世界平和に拘るかわかりますか?」
「単純に平和がいいことだから、なんて言うつもりは無いよな?」
「それもありますね、平和なだけでいいことですし。ですがもう少し考えてみてください。問題が起きない世界に神は必要ですか?」
「つまり、神が必要ない世界を作ることが目的だった。そして必要が無くなれば異世界に行っても問題がない、と言うことか」
「概ねその通りです。練鬼さん、よろしくお願いしますね?」
そう言った女神は突然俺の前から姿を消した。
その後すぐに俺が世界から消えた。