若気の至りが異世界転移
「世界は俺を、待っている……っっ!!」
思念を込め、俺は一歩を踏み出した。
此処は某F県、基本的にはマイナーな山中だが、知る人ぞ知る『ハードなスポット』として極一部で有名な場所である。
すなわち、其の名を『犬神峠』と云う。
オカルトを少しでも齧った事が有れば、名前だけで『ピン』とくるだろう。
例の業界雑誌で特集が組まれる事も度々の定番ロケーション。
夏場のシーズン盛りともなれば誘蛾灯の如く近隣からDQNを大量召喚。
其処彼処に溢れる妖しいオーラと、不可思議なパワーを是非とも感じて欲しい。
ゆえに期待を込め、俺はさらなる一歩を踏みしめる。
ここは、名前こそ『峠』が付いているが、実際にスポットとして有名なのは其処に在る『トンネル』だ。
その暗いトンネルの中を、一歩一歩進んでゆく。
正直、少し不気味で不安であるが、それでも構わず進む、ひたすら進む。
この場所は昔から、『でる』ということで有名であるが、実はそれだけでは無い。
分かる人には分かってもらえるハズだ、此処には『もう一つの伝説』がある。
そう、『神隠し』の伝説である。
と、ここまで言えば、今の俺の『目的』についても理解してもらえただろう。
そう、アレだ、あれなのだよ、君。
其の方面では有名なパワースポット、きっと特殊なエネルギーが集まるはず。
集まったエネルギーはその行く先を求め、やがては次元をも捻じ曲げるだろう。
俺には分かる、この場所にはかつて無い程の『気』が満ち溢れている!
さあ! 行き場の無いエネルギーの奔流よ、俺を誘え!
未だ見ぬ『異世界』よ、俺を招くのだ!
……そして、定番の『チート能力』を我に授け給え!
この一歩を踏み出せば、きっと自分は光に包まれ、神だか超越者だかの声が……!
…………することは無かった。
トンネルの先に出てみれば、其処は暗がりのみが広がる。
虫の声、風の音、樹の葉がガサガサいって、闇のみが在る。
トンネルを抜けても、やはり森の中、山の中だった。
「……ふぅ……」
間抜けな音がすると、それは自分のため息だ。
分かっていたのだ、それは分かっていたはずなのだ。
こんなこと、『何も起こりはしない』のだと。
暗い穴を抜けて呆然とする姿は、正しく『今の自分』だ。
逃げて逃げて逃げのびようとしても、行く先全てに『現実』は付いて回る。
分かっていたのだ、それは分かっていたはずなのだ。
結局俺は、そこから逃げられないのだと。
「…………帰るか」
虚しさが、やたらと俺を冷静な気分にさせる。
自分で自分に呟き、俺は振り返って、来た道を戻り始めた。
道は相変わらず暗いから、足元には注意しないと。
帰ったら宿題を片付けようか、もうすぐ定期考査も近い。
気楽な学生の身といえど、相応の日常は常に付いて回る。
そろそろトンネルの真ん中ぐらいかなと思っていると、『それ』に行き当たった。
「あれ? 何でこんな所で……」
暗がりなので、手を先に出していると感触があった。
堅い、つっかえる、何かある……先に進めない。
「……え……どうし……て……?」
果たして、そこには『壁』があった。
さっき、確かにここを通って来たはずなのに。
「は……はは……何だ…よ……これ」
……トンネルの先は、『行き止まり』になっていた。
こんなとき、パニックに陥りそうなものだが何故かそんなことは無かった。
妙に冷静で、達観したような気分ですらある。
「とりあえず、明るくなるまではじっとしていよう」
傍観者的目線でそう判断し、その場に座り込む。
とにかく、暗い中動き回るのは感心出来ない。
俺は改めて、トンネルの『出口』を見てみる。
虫の声、風の音、樹の枝が騒々いって、闇のみが在る。
じっとしていると、退屈して瞼が重くなってゆくような。
「…………zzzz」
まずいと思ったときには、既に意識が遠くなっていくところだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……##$$%!」
ふと気が付いたとき、俺は強引に肩を揺さぶられていた。
何か、訳の分からないことを言われている、ような気がする。
何だ何だ、何事だよ? 俺は眠いんだ、もう少し寝かせて……
「……!!」
と、そこまで来て昨晩のことを思い出す。
そうだ、あれはいったい……!
「……&&##!」
目を開けてみると、知らない男の顔があった。
見た感じ、『ガイジン』か何かのようだ。
彫りが深く、見慣れない顔立ち、肌は白っぽくて繊弱な印象。
ケープかローブか、ゆったりした衣装を纏っている。
ファンタジーでよくある、『魔法使い』っぽいアレだ。
彼は何かを喋っている。
口から出るのはやっぱり『よく分からない』言葉だ。
はてさて、何を言っているのやら。
俺は『よく聞こう』として、それに『意識を集中』した。すると……
「……」
「…………」
「……おい、大丈夫か?」
……『それ』が、意味のある『言語』として響いてきた。
「あ……あぁ……ええと、大丈夫だ、問題ない」
俺は、努めて冷静を装いそう答える。
正直、問題ない訳が無いのだが、それどころではないだろう。
とにかく、分からないことだらけだ、対応は、慎重にしないと。
しかし……さっきの…そして今は言葉が通じる。
これは……いったい……??
それから暫く、俺は情報収集に努めていた。
まず、眼前に居る彼、彼の名は『ツヴァイル』、職業は『学士』とのこと。
ただし、この表現は元世界風に表すとそうなるというだけのものだ。
実際には少しニュアンスの異なるもののようである。
異文化間での語彙の融通というのは、それなりに困難が伴うものなのだ。
そうそう、大事なことを言い忘れていた。
『元』世界などと言っているからお分かり頂けるだろうが、やはりこの『世界』は俺が居た『現代日本』では無かった。
……俺は念願の『異世界』へと来ていたのである!
正直、内心では凄く興奮していた。
あんまり興奮しているから、自分から話し掛けたら妙な事を口走ってしまいそうだ。
それが怖いので、俺は努めて『聞き』に徹する。
話を戻すと、そもそも学士様がこんな所で何をしているかと言えば……
・最近になって、山の中で『遺跡』が発見された。
・調査のために、此処の領主に仕える『学士』が派遣されることになった。
・そして無人のはずの遺跡で、『怪しい奴』が寝ている。
簡潔にまとめるとそういう事になる。
ちなみにその『怪しい奴』というのが、他ならぬ俺のことである。
「……で、君は何者で、こんな所で何をしていたんだ……?」
最後に、ツヴァイル氏がそう尋ねてくる。
俺は、軽く咳払いをし、気持ちを落ち着けてから答えた。
「俺の名前は……『ユウ・ヒイロ』……!」
もちろん本名では無い。こんな時の為に考えていた『魂の名』である。
上手く説明出来ないのだが、お約束としてこういうときには本名を名乗るべきでは無いと思うのだ。
だって、それで噂とかされたら恥ずかしいですし……じゃなくて、
折角『異世界』なんですから、この位は羽目を外しても良いと考えるべきだ。
人生、杓子定規だとつまんないでしょ? やっぱりロマンが無いと!
「それから……ああっ頭が痛い! 何も思い出せないっっ!!」
……こういうときは、『記憶喪失』(のフリ)というのが、やはり定番だと俺は思う。
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『ツックバー山脈近郊、人工洞窟遺跡調査に於いて』
領内で『遺跡』が発見されたというので、調査に赴いた。
到着してみると、既に誰かが居る。
余所の領地の『間者』かと思って一瞬身構えたが、そいつは呑気に寝ていやがった。
間抜けな面で、無防備な寝顔をさらしていやがる。
何故か無性に腹が立った。
蹴っ飛ばして起こしてやろうかとも思ったが、相手の姿を見て思い止まる。
そいつは、妙な服を着ていて、顔立ちも見ない感じだった。
『異国人』かもしれないと思ったからだ。
仮にスパイか何かだったとしても、異国の人間とトラブルは拙い。
最悪の場合、『もっと上』同士のもめ事に発展する可能性も否定出来ないからだ。
ましてや、自分は『領主お抱え』の存在であるのだし。
とりあえず適当に声を掛け、穏当に肩を揺すって起こしてやる。
そいつは暫くぶつぶつと訳の分からない事を呟いていたが、やがて応答があった。
よかった、異国人だとしても『言葉』は通じるようだ。
お抱え学士とはいっても、私は異国語は専門外だからな。
それから暫く取り留めの無い会話をする。
正直面倒な事この上無いが、あまりぞんざいにする訳にもいくまい。
こっちは、遺跡調査で忙しいのだが。
まったく、いまいましい事だ、やはり腹が立つ。
まあいい、こんな奴仮にスパイだとしても大した者ではあるまい。
さっさと『領主館』に連れて行って、領主様に引き渡すとしよう。
街まで着いて来るように言うと、そいつは素直に従った。
逃げ出すようなそぶりも見せやしない。
分かってんのかね、自分の立場が。
ま、あとの面倒事は、領主様に何とかしてもらおうじゃないか。
私は、そいつの間抜け面を横目にしながら、そう結論付けた。
◇トチギー辺境領お抱え学士、ツヴァイル・イントロディの回想録より引用
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「……ふむ、お前が話にあった『異国人』か」
目の前の、上等そうな衣装の男がそう言った。
「はい、『ユウ・ヒイロ』と申します」
さて、とりあえずお偉いさん相手だ、下手に出るのが正解だろう。
俺は、努めて低姿勢を取り、極力へりくだることにした。
せっかく異世界に来れたのだ、いきなり『無礼討ち』は回避したい。
いずれ『能力』で『チート』で『俺ツェー』するにしても、状況を把握してからだ。
「……うむ、まあよかろう。セバス、後は頼むぞ」
「仰せのままに」
眼前の『お偉いさん』は、しばらくこっちをじろじろ眺めた後そう言う。
『セバス』とか呼ばれてた人に、後を任せるようだ、どっかへ行ってしまった。
偉い人だから、多分忙しいんだろうな。
俺みたいなのにあまり関わってはいられないらしい。
「……それでは、ユウ様はこちらにて……」
「はい、お世話になります」
そんなこんなで、しばらくはまた聞き込みと状況確認だ。
分かったことは、ここは『王国』の辺境領、『トチギー』と呼ばれる土地と言う事。
で、さっきの上等そうな服の『お偉いさん』が此処の領主様。
ええと……『カルロス・クラウス・ゼーマン・オブ・ウッツノーミャ』だったか?
とにかく、無駄に長い名前だった。
後の細かいことは、そこにいる執事の『セバスチャン』氏が引き受けるそうだ。
王国だの辺境領だの領主だの執事だのと、いろいろ定番のアイテムも揃った。
いいねいいね、やはりここは中世欧州風ファンタジー世界のようだ。
胸が熱くなるな、萌えて来るじゃあないかい?
後は、『魔法』があれば言うことは無い、早速調査せねば。
そうそう、あれから例の『意識を集中』することについて色々と試してみた。
もしかしたらと思って"敢えて"意識を逸らしたら、途端に言葉が聞き取れなくなる。
すなわち、これは『異言語理解能力』というヤツのようだった。
この手の定番だな、俺はツいていたようだ。
いちいち集中しないといけないとは言え、これで会話に苦労することは無くなる。
とはいえ、これについては『もう一つ』確かめたい事がある。
俺は、セバス氏に頼んでみた。
「実は……『記憶喪失』の手懸かりになるかもしれないので、『書物』を幾つか読んでみたいのですが……」
「……ほぅ……それはそれは……ふむ」
少し、躊躇の色が見えたので「文字を見ると何か思い出すかも」とか何とか適当に理由をつけて押し込んでみる。
彼はしばらく迷っていたようだが、最後には了解してくれた。
「……では、こちらの部屋をお使い下さいませ」
思わず「ほぅ」と声が出た。
その『部屋』には、実に大量の『本』がひしめいていたからだ。
現代基準で見ても、なかなかの蔵書数の『図書室』だった。
俺は適当に何冊か見繕い、目を通して見る……。
不思議な感覚だ。
意味不明な記号のような羅列に意識が通ると、
それらは踊り出し、カタチを変える。
記号は文字に、文字は単語に、単語は文に
意味が有るとは思えなかったソレは
ワタシの前で姿を変え
一度バラバラにぶんかいされて
組合わされて、列を作り、並んで揃えて
そして変化してゆく。
ああこれは懐かしいキオクだ
一番最初に話したオトを、君は覚えているかい?
聞こえた音の真似をする
聞こえた音の真似をする
そうして僕らは、いつしか、言葉の主人でしもべになる。
……やはりそうだった、思った通りだった。
『意識を集中』すれば、異世界の『文章』だって、俺には理解出来た。
「よし……! これで勝つる!!」
俺は密かに、ガッツポーズをした。
もし突然異世界暮らしをするとしたら、一番大変なのは『言葉』だろう。
外国旅行などしたことがある人ならば、この意見には頷いてもらえるだろうか。
海外に行ったことが無い人でも、以下のような状況を想像して欲しい。
南のほうにある『某K県』を訪れたとしよう。
県庁所在地では無く、敢えて『山奥』の田舎のド田舎へ行くとする。
そこで、『古老』に話掛けてみると良い。
……相手の喋る言葉が『全っったく理解出来ない』ことに気が付くだろう。
あれは衝撃だった。
まさかこんなにも簡単に『手軽に外国行った気分を味わえる』とは思わなかった。
ファンタジーだ、センスオブワンダーだ。
世界とは、こんなにも驚きに満ちているものなのだ。
あのへんの方言はなまりがキツく、初見、いや初聞ではまず解読不可能である。
バベルの塔は、日本にも確かに存在していた。
世間には、こんなにも摩訶不思議が溢れているものなのだ。
流石は東方のまほろば、我等が日本である。
ディスカバリーでダイナマイトでエキゾチックジャパーーンなのである。
……ええと、何を話していたんだっけか?
そうそう、異世界の言語理解だ、今の俺の『能力』だ。
ともあれ、これで相互理解や知識の吸収には苦労しないで済む、俺は実に幸運だ。
とはいえ、実際にはここからが大変なのであろうが。
読み書きはどうにか可能、計算もそれなり、知識は……まぁ何とかなるだろう。
『チート』と呼ぶには少し心細いが、それでも工夫するしかない。
俺は乏しい知恵を総動員して、これからの展開を計画するのであった。
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『或る執事氏の証言』
ええ、『あのとき』のことはよく覚えていますとも。
何しろ、とにかく印象深い出来事で御座いましたから。
お抱えの学士殿が、なにやら奇妙な『ゲスト』を連れて来たので御座います。
何が奇妙かと申しますと、一切合財全てがそうだったのですよ。
黒髪の方というのはときどきお見受けしますが、それでもあのように色白で彫りが浅く、瞳も殆ど黒となれば、何処のお出でいらっしゃるのやら。
とにかく、見慣れない印象の御仁でした。
それにお召し物がこれまた、何と言いますか奇妙奇天烈この上無いこと!
上等そうな生地でツギも御座いませんから、ご身分いやしからざるのは間違いないのでしょうが、それにしても珍妙な風体で御座いました。
異国人というのは、皆あのように奇妙なご衣装なのでしょうか?
わたくしなどには、なかなか理解のし難いものに御座います。
それで、お館様をこのような得体の知れない者に引き合わすのは、不安で御座いましたが、当のお館様ご本人がお望みですのでやむなく、といいましょうか。
尤も、一見なされると興味がお失せになったのか、「後は任せる」と仰られました。
お客人のほうも、奇妙なお成りの割りに『しっかりした』受け答えをなさっておりましたので、こちらも一安心で御座いました。
ともあれ、これで御用も済んだことですし、後はお客人に適当にお部屋を宛がって……など考えておりましたら、さらに驚かされたので御座います。
何やら急に、「書物が読みたい」など仰られたので御座いますよ!
確かに、当館には自慢の『蔵書』など御座いますが、それとて知る者は限られております。
異国より来られたと思しきお客人が、如何にしてご存知とお成りになったのか。
はてさて成る程、お抱え学士殿が「不審な点有り」と申されるのも道理と言うもの。
わたくしと致しましても、俄かにはどうして良いやら。
暫くは逡巡致しましたが、どうにもお客人がご執心でいらっしゃいました。
それに、どうせ集めるばかりで、中身に何が書いてあるやらちんぷんかんぷんな代物で御座います。
大した事にはなりますまい、という考えに至りまして、結局お望みのままとさせて頂いたので御座いました。
……しかしながら、本当に不思議な縁というのは在るものなのですね。
当家にとっても、思いがけない運命が此れより始まったので御座います。
◇某辺境領在住の執事の回顧録より引用
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さて、それからの俺の運命の転変といったらちょっとしたものだった。
俺自身としては、先ずは読み書き計算その他が出来ることを売り込んで、小金を貯めたのち独立なり冒険なり始めようと思っていたのだ。
お誂え向きに、あの『図書室』では魔法の本なんかも見付けられたしね。
ところがどっこい、アピールのつもりで図書室にあった分厚い本を読んでみせたら、直ぐに『大騒ぎ』になってしまった。
何と、これは今では読める人がいない『神代語』の写本であるのだとか!
いつぞやのお抱え学士ツヴァイル氏や、その知り合いの何とか氏やら、とにかく色々な奴らがやって来てあーだこーだとなる。
大仰な百家争鳴の様には、正直戸惑いが隠せない。
「……シェン九百九十イクス年、チーキュはカックゥの炎に包まれた……」
手渡された薄っぺらい本、もちろん神代語だ…をすらすらと読んで見せる。
「間違い無い! 『聖句』と完全に一致している!」
目の前の学者が興奮気味に言った。
どうやら、これで俺の『才能』が正式に実証されたようだった。
後で事情を聞くと、さっきの『聖句』とやらだけについては現代語訳が伝わっており、文章の内容が一致することで『翻訳能力』の証明になる、ということだった。
純粋な『論理的証明』を行うには少々あやふや過ぎる条件のようにも思うが、まあいいのだろう。
とりあえず、当座の生計の途については苦労しないで済みそうだった。
そしてしばらくは、求められるままひたすら『翻訳』の日々が続く。
ハールカ・チホカタ作、『危ない二人組』
デユーキ・キクチヒ作、『吸血鬼の狩人・泥』
ヲルカ・クトリモ作、『偶印の叙事詩』
ヨーシキ・ナカタ作、『銀の河の列伝』
ミルイ・アライズ作、『滅殺者たち』
シオ・ザワミ・フカ作、『幸運なる冒険譚』
ボルノ・マヤグーチ作、『零能力者に使役されるもの』
サキオカ・ユマ作、『髑髏天使の撲殺魔』
……などなど、何れも伝説に名を残す『のみ』だった名作たちだ。
これらは、文献に『名前だけ』は残っていた有名な作品たち。
しかし、神代語で書かれた文章は、原典を読み解く手がかりが存在しなかった。
その為詳しい内容が不明で、後世の文学者たちは永いこと論争を続けていた。
それらが、『俺』という異分子の働きで一気に解決する。
特に大した名物も無い片田舎の辺境領が、一躍脚光を浴びたのだった。
俺としては、領主様に褒められたし褒美も沢山頂けたので、それで十分だったのだが。
ともあれ、これがきっかけで俺は王都に招かれることになる。
そのときには、『何故か』俺はトチギー領の庇護の下、専門教育を受けた学士という触れ込みになっていて、正直苦笑するしかなかった。
まあ、世話になったのは事実だから、文句を言う程のものでもないか。
王都は王国の首都で、相応に刺激的な場所であった。
行き交う人々は、階層、年齢、職業それに種族も様々。
かつて元世界で見たファンタジーものアニメのような、そうでないような。
ごった煮のような群集の様子は、確かに『坩堝』と表現するのが相応しかった。
異分子である俺は、そんな中に放り込まれた一つの触媒か。
求められるまま、数々の書物を片っ端から翻訳してゆく。
まさしく、PからPまで、哲学(Philosophy)からポルノ(Pornography)までだ。
哲学はともかく、ポルノなんかあったのかって?
あったんだよ、これが……ちなみに『翻訳料』は割り増しがもらえたぞ。
しかし、神代語というのは下手をすると時代が『一万年』ぐらい遡れるのだが、そんな昔の文献で『巨乳好き』と『貧乳好き』との論争が十万文字ほどに渡って繰り広げられているのを見た。
なんと言うか……ヒトの営みというのは変わることが無いのだとしみじみ感じる。
ちなみに、俺が『翻訳』出来るのは別に神代語に限らず、凡そ人間の言語なら何でも可能のようだ。
王国語、それ以外の『外国語』、結構ポピュラーな古代帝国語、変わったところでは古エルフ語などなど。
これもこの世界の『魔法』の一種なのだろうか、便利なものではある。
ただ、調べた限りでは自分以外にこんな『能力』を持つ者はいないようだった。
何にしても、当座どころか一生『食いっぱぐれる』心配はしないで済みそうだ。
実にありがたいことだ、感謝しよう、神様だか何だかよく分からない相手だが。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
『変化への胎動』
さて、大いなる変化というものは、必ずやそれに先立つ『前兆』を伴うものである。
すなわち此の時代、来るべき『大いなる変革』を待ち望む時期、彼の地にもその前兆と呼ぶべき動きは確かに存在した。
当時、王国に於いて『古典の翻訳』が俄かに活発化し、それに伴って神代期、古代期の文献の研究・検証が一気に進んだことは論を待たない。
しかし、そのきっかけが何であったのかは、今では判然としない。
只一つ確かな事は、これら古典研究の活発化が、学問、思想、芸術についての『再検証』の流れを生み出し、それらが『次の変化』への地殻変動を引き起こした、ということだけだ。
古典思想や哲学の研究は、所謂『ソクラトン・ソサイエティー』が各地に発足するのを促し、やがてこれらが後の『人文主義』の成立へと繋がってゆく。
流れの中心に位置付けられるのは、一大叙事詩『神聖喜劇』を著した『デイント・アライン』と、古代語の文法を整理し、人間の本質を主要な研究テーマとした『フランク・ペトラッコ』。
彼らは、まさしく時代の『魁』であった。
そして、のちに云う『文芸復興』は、この二人を以って嚆矢と為すことが多い。
◇『歴史学:中世編』より引用
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さて、王都は人口も多いので娯楽もそれなりに充実している。
俺の場合、最近は『芝居』を見ることが多いだろうか。
もともと、仕事の合間に頭を休める程度のつもりだった。
しかし自分の場合、『翻訳』などその気になれば通常の読書並みのスピードで出来てしまう。書き写す手間のほうが大きいぐらいだ。
となると、与えられた『締め切り』まで時間が余ること余ること。
仕方無しに『暇つぶし』のつもりでしょっちゅう通っていたら、小屋主や座長たちにすっかり顔を覚えられてしまった。
「……旦那、芝居にハマって身代食い潰した『お大尽』てのも居るんですぜ」
「大丈夫だ、問題無い」
仕事はちゃんとこなしている、問題無い……はずだ。
そんなこんなで、彼らともすっかり馴染みの関係となった。
そして俺が『学士』(ということになっている)と知られると、一つ相談を受ける。
「……実は……最近は台本のほうがマンネリ気味でして」
成る程、確かにそれは自分も感じた。
王都の芝居は人気があり、格式は無いがそれなりの伝統を誇っている。
だが、伝統とはときに固定化、硬直化と同義であり、エンターテインメントとしての『堕落』を招くことも少なくないのだ。
定番の台本、定番の演出、安定の展開は、常連にはウケてもいつしか飽きが来る。
「ふむ、ならば……俺が『革命』を起こしてやろう……!!」
俺は、エンターテインメントの世界に身を投ずる決意をするのであった。
さて、幸いにして翻訳仕事をやっていた関係で、『ネタ元』となる『お話』については大量のストックが存在している。
これを『パクり』と言うなかれ、神代語・古代語のものならば『とうの昔』に著作権など切れている。
云わばこれは『名作の復刻』なのである、再評価である、資源の有効活用なのである。
それにな、ネタが古過ぎてアレンジするのも結構大変なんだぞ。
固有名詞を変換するだけでも、かなりの苦労が伴ったし。
ともあれ、いにしえの名作たちに、一般庶民ももっと親しんでもらおうじゃないか。
大衆よ、これが『教養』というものだ。
それはともかく、芝居の台本というので古典劇の作品などでネタ探しをしてみた。
すると面白い記述が見つかった。
『デウス・エクス・マーキナー』という言葉をご存知だろうか?
これは直訳及び意味を補うと、『機械仕掛けより現れる神』となる。
すなわち……
錯綜し、混乱する情勢、愛憎合い半ばし、入り乱れたシナリオ。
そんな混沌とした舞台に『そのとき神が!』
ゴンドラ仕掛けから降りて来た『神』が、強引に話の決着を付けてしまうのである。
何と言うか、無理矢理なオチも何もあったものである。
しかし、古代の有名な作者、例えばオイロパイドなどは好んでコレを使っており、実に八割近くの作品でコレを愛用する有様だ。
……当然、『同時代人』の批評家に既に批判されていたりもするのだが。
どうやらそれなりの伝統と格式?を持つ定番のプロットらしい。
ならば俺としては、それに挑戦してやろうではないか。
……錯綜し、混乱する情勢、愛憎合い半ばし、入り乱れた筋立て。
そんな混沌とした舞台に、そのとき神が!
ゴンドラ仕掛けから降りて来た神は、『耳が遠かった』
「あなたが神か?」
「はい? とんでもない、わたしは神様だよ」
混沌とした物語は、よりいっそう混乱し、話の収拾が付かなくなる。
舞台はグダグダのまま、フェードアウト……
……庶民の観客には大受けしたが、三日で上演禁止をくらった。
やはり、『少し早過ぎた』らしい。
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『賢しさと愚かしさと』
『千の格言』『対話集』『自由意志論』の著作で知られ、文芸復興期最高の人文主義者と云われる『ディサイド・オイラムス』は、その一方で或る『問題作』の作者としてもつとに著名である。
すなわち、その書こそ悪名高き『痴愚神の賛歌』。
……この世に降り立った痴愚の神『モエライ』は宣う。
自らが司る『愚かさ』こそが人間の本性であると。
人は賢さの仮面を脱ぎ捨て、"愚か"という我が本質に立ち返ることこそ真理に至る道であると。
賢者も聖人も愚者も罪人も王も貴族も平民も老いも若きも、全てが皆"愚か"の下、等しく愛し愛されるべき存在なのであると。
そしてモエライは、舌鋒鋭く、だが巧みな諧謔を交えて『この世の全ての賢きもの』への批判を開始した……
『関係各方面』からは大変に激烈な『反響』があったという。
……勿論好意的なものでは無い。
さて、今日に於いては体制批判、権威批判の観点からのみ兎角評価されがちな当書であるが、これをむしろ同時代の文脈の中で整理し、一つの文学作品の観点から捉え直そうという動きが近年現れている。
すなわち、ボッキアゲの『デカパイン』や、ナジェの『ガーガントゥワの生涯』といった、『中世滑稽文学』の系譜に連なるものとしての取り扱いである。
例えば、近年の研究により、オイラムスが当書を着想する元となったものとして、当時隆盛にあった『大衆演劇』『小屋芝居』の影響が指摘されている。
当時はまさに、リナシメント盛期とでも呼べる時勢であり、古典の復古・研究が盛んに行われていた時期にあたる。
しかも、驚くべきことにこの『流れ』は、単にアカデミズムのみならず、大衆演劇のような庶民文化の領域にまで影響を及ぼしていたのだ。
すなわち、古代帝国や、神代時代の『古典劇』の翻案が、それらの演目として一大ムーブメントを成すに至っていたと云う。
現在かろうじて残るそれらの貴重な『テクスト』の検証からは、意外な発見も得られている。
何と、これらは単なる古典の『翻案』に留まらず、プロットを生かしつつも『大衆演劇』のコンテクストに沿った再構成まで行われていたのであった。
大衆受けし易い『誇張』や『猥雑』を巧みに取り入れつつ、元の主題を可能な限り継承し、その上で時勢に応じた『風刺』までやってのけている。
これらは何れも、『痴愚神の賛歌』でも主要なテーゼを為すものばかりである。
恐らく、これら『時代と共に生み出された文芸』による芳香を、当時王都に居たオイラムスは確かに嗅ぎ取ったのであろう。
中道を標榜し、バランス感覚に優れた論評を常とするオイラムスではあるが、彼は一方で優れた『時代感覚』も持っていた。
彼の研ぎ澄まされた感性は、その空気を胸奥深く吸収し、エッセンスを抽出したのちに、『一つの文学作品』として結実させたに違いない。
それは、洗練されつつも、猥雑で、逞しい生命力に溢れ、鋭い風刺の棘を持つ『滑稽文学』だったのだ。
文を締めくくるにあたり、作中の痴愚神の台詞を拝借しよう。
それが、恐らくは彼の最も言いたかったことであろうから。
「ええそうですとも! 笑いです、笑いこそが最も自由で、全てを等しく吹き飛ばす! 至尊の存在も、至高の玉座も、不朽の誉れも! さあ、全てを、笑うのです!」
◇『リナシメント研究 ~理性と情念の間に~』より引用
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さて、最近は仕事のほうはすっかり『落ち着いて』しまった。
早い話が依頼が減ったということだ。
やはり、求められるまま『辞書』や『文法書』を翻訳したのはマズかっただろうか?
おかげですっかり、商売敵を育てる結果となってしまった。
まあ、それまでに随分稼げたし、(自称他称を問わず)弟子と称する人間も増えたからいいかなとも思っているが。
ちなみに、劇作家のほうは思い切り下火になってしまっている。
こっちは、もともと『道楽』のようなものだったとはいえ。
これの場合、『ウケた時』と『ウケなかった時』の落差が激し過ぎた。
俺の場合、センスの違いのせいで『斬新なプロット』とか『新しい感覚』とか褒められるときは褒められるのだが、駄目なときはとことん酷評される。
なかなか、安定して生計の手段とするには大きな関門が存在するらしい。
あと、この時代の連中は『著作権』の概念とか皆無だから、ちょっと売れると堂々と他所で『パクり』やがる。
正直、これには大変に『ムカついた』。
いっそ興行ギルドごとまとめて訴えてやろうかと思ったが、奴らも少しは『配慮』して俺については芝居の見料を永久無料にしてくれることになったので、とりあえず妥協している。
決して女優さんの綺麗どころに『濃厚な接待』を受けたからとか、そういう下世話な理由では無い、決して無い。
まあとにかく、稼げるうちは適当に稼いでおくとしよう、今後のためにも。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
なんだかんだで俺もすっかり歳を取った。
世間的には『小金持ち』程度には財産も出来たし、結婚して子供も出来て、ついでに子供たちも『ほぼ』独り立ちしていった。
そこまでは良いが……娘よ、お前このまま親のすねを齧り続ける気マンマンだろ、ちったぁ後先のことは自分で何とかしてみせろよ……まったく……。
そんなこんなで何とかやっている。
最近は集中があまり続けられなくなったせいで、『仕事』もキツくなって来た。
そろそろ潮時だろうか、いい加減、田舎に引っ込むのも良いかも知れないな。
そう思っていたら、折り良くトチギー辺境領にて『家庭教師』のお誘いがあった。
『アライン家』とかいう、没落貴族だが商売がそこそこ上手くいって金は持っているという家のようだ、条件は申し分無い。
渡りに船ということで、俺は流れる葦に身を任せることにした。
そこの坊ちゃん、『ディントリアス・アライン』というのが生徒のようである。
素直な子だと、よいのだけれど。
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『先生の思い出』
私の名は、『ディントリアス・アライン』、親しいものは『デイント』と呼ぶ。
『先生』のことをここに記そう。
あの日、少年の頃、彼は我が家にやって来た。
教養高く博識な学士様であると聞いていたので、私は、どれ程気難しい人間かと戦々恐々としていたものだ。
だが、君がディントリアスだね何と呼べば良いのかな、とやさしく親しげに声を掛けてくれたのを覚えている。
差し出された先生の手は、とても暖かいものだった。
彼は、実にいろいろなことを教えてくれた。
語学、算術、社会のしくみ、文学、詩文、教養、そして物語。
集中力の途切れがちな私は、良く『くだらない』質問をして彼を困らせようとしたものだ。
だが、そんなときも先生は、暫くじっと考え込むと、その答えを探してくれた。
空の蒼い訳や、世界の果て、海の向こう、星空の彼方、そんな今の偉い学者も知らないようなこと様々、彼は答えを探して、示してくれたのだった。
今でも思いだす、あのとき彼が言っていた言葉。
そのとき、私は落ち込み、悩んでいた。
まるで、世界にたった独り置き去りにされたような気持ち。
孤独、疎外感、無力感、どうにもならない感情、不安、苦悩、生きるということ。
先生は私を連れ出すと、夜空を見上げた。
「……見えるかい、デイント?」
「空のあの星々にも『世界』があるんだ、今こうして私たちがいるのと同じような」
「そこには、きっと君と同じように、誰かが、独り悩んで、こうして星を見上げているんだよ……」
「……だから、君は……」
先生はそう言って夜空を見上げる。
それ以上は、何も言わなかった。
私も、何も言わなかった。
私も、夜空を見上げた。
先生があのとき、何と言おうとしたのか。
今では、それは分かるような気がする、分からないような気もする。
私は、時々、問いかける……
一人、夜空を見上げたとき、私は先生のことを思い出す。
今では、それは、追憶の遠い彼方。
感謝してもしきれない、暖かい思い出と、少しの苦いもの。
今でもときどき思いだす、あのとき先生が言っていた言葉
今も私に問いかけて、暖かい光を示してくれる
言葉にならない、言葉には出来ない、言葉では表せない。
だから、私は、文を綴る。
何かを残したくて、文を綴る。
あのときの、先生の言葉が、私を、突き動かすのだ。
ちなみに、後になって先生の『作品』を読んでみたが、失礼ながら余り出来が良いとは言い難い代物に思えた、残念ながら。
私にとって、先生の『最高傑作』とは、あのときの言葉に他ならない。
◇デイント・アライン作、『神聖喜劇』あとがきより引用