口が裂けても
「……わたし、きれい?」
1980年代には社会問題にもなった都市伝説「口裂け女」。
しかし、2010年を超えた現代に至っては、その都市伝説を覚えている者は少ない。
魔法の森の入口に、森近霖之助と名乗る半人半妖が営む古道具屋があった。そこには古今東西のありとあらゆる道具が揃っていると言われ、その大半が非売品であることでよく知られていた。
屋号は「香霖堂」であり、店員にして店主である霖之助は今日も今日とて水煙草で一服しながら、手元の本を読み進めていた。
この店に客が来ることはあまりない。本人は至って真面目に接客をしているつもりだが、他人からはそうは見られていなかったりする。明らかに趣味でやっていると言われる香霖堂。
そこに来る人物もまた客でないことが多いのは、ここが暇つぶしをするのに最適だからか。
玄関まではみ出た商品の数々は幻想郷では珍しいマジックアイテムだけでなく、冥界魔界天界だけでなく外界の道具まで混じっていた。ブラウン管テレビ、ストーブ、道路標識、狸の置物、骨董ものの壺など、その種類はまさに玉石混淆、色んな意味で宝の山だと言える。
――からんからん。
「……いらっしゃい」
「……」
ドアベルが凛とした音で来客を報せるも、霖之助は本から目を離さなかった。来客がごそごそと商品を手に取って眺めていようとも、霖之助は自分の読書を優先した。
やがて来客は、物で溢れ返っている商品棚の中から袋を一つ、霖之助の前にまで持ってきた。そこで霖之助は本から目を離し、初めて来客の姿を目で捉えた。
来客の背は2mを優に超えており、しだれた長い黒髪は腰にまで届いていた。全身が真っ赤な衣装で包まれていて、口元を覆うマスクまでもが血のように赤い色で統一されているのが、酷く印象的だ。
マスクの端からは裂傷と思しき傷痕が覗けており、傷口の荒々しさからおぞましい傷痕であることはすぐに察せられた。目はまるで狐のように吊り上がっていて、「あ、の」とかけられた声は猫の鳴き声にくりそつであった。
腕にはこれまた赤い洋傘がかけられており、あまり整備がなされていないのか、何本かの骨が折れ曲がっていた。愛用はしているが整備まで手が回らない、そんな感じだった。それが少しだけもどかしかったが、自分が言うことではないと考え直す。
来客をそこまで観察した霖之助は、手元に転がる来客の欲しがる商品に着目した。名称:べっこう飴の文字が視界に躍り出てくる。袋に入れられたそれは、本来ならここにやってくる妹分たちのお菓子にするつもりの物だったのだが、これを来客が商品として欲しがるのならば致し方ないと、霖之助は考えた。
「これが欲しいのかい?」
「……えぇ」
「これなら、そうだね……3銭ぐらいでいいよ」
「……さん、せん?」
首を直角に曲げる来客の姿を見て、霖之助は眉を寄せた。なお、彼の店にはお金を支払わずに商品だけを持っていく客じゃない泥棒がいたりするので、自然と目付きがきつくなった。
「そう、3銭だ。まさか持っていないのか? なら……」
「せん……は持っていな、いけど、円な、ら……」
帰ってもらおうか、と続くはずの言葉は、ちゃりんちゃりんっという金属音にかき消されてしまった。霖之助が肘を乗せている木製のカウンターの上に、銀色と銅色をした小さなコインがいくつも音を立てて落ちた。目を見張った霖之助は、それが外の世界の硬貨であることにすぐに気付いた。そしてそれがとてつもなく貴重であることにも。
「……君はもしかして、外の世界から来た妖怪なのか?」
「そ、と? いえ、わたし、は、気付いたらこ、こに」
「あぁ、そうか……それなら、僕から説明させてもらうよ」
表に様々な文様が刻み込まれたそれらを鑑定しながら、霖之助は幻想郷のことを来客に説明した。外の世界から忘れ去られたものが集う、妖怪たちの楽園のことを。
来客は手身近にあった椅子に座りながら、時折相槌ちをしては疑問に思ったことを聞き返してきた。頬まで裂けているせいか、随分とたどたどしい喋り方をしていたが、頭の方は聡明であり、所作などからは貴族のような上品さを見出すこともできた。
「ふむ……これは随分と珍しい品物だね。これだったらお釣りが来るくらいだよ」
経験と能力を使って硬貨を鑑定した霖之助は、一つ一つ手に取って名称を確かめた。
名称:「五百円白銅貨」
名称:「青函トンネル開通記念500円白銅貨」
名称:「天皇陛下御在位60年記念500円白銅貨」
これらの硬貨も外の世界では使われなくなったのかと思うと、少しばかり切なくなった。霖之助の道具に対する愛は氷河のクレパスのように深く穿っており、「道具の名前と用途が判る程度の能力」もその愛ゆえに得たのだと、本人は思っていた。
「そ、う……じゃあ、これからもこれ、を、買いに来るか、ら」
「あぁ、好きに持っていくといい」
精巧にできた珍しい硬貨にすっかり気を良くした霖之助。表情は変わっていなかったが、声の調子には陽気な響きが混じっていた。
来客は立ち上がり、埃を払ってから店を出ようとして――ドアの一歩前で立ち止まった。
「……ねぇ、店主、さん」
正気を失わせるほど艶めいた猫なで声が霖之助の耳朶を撫でてきた。あまりにも滑らかに発せられたその声が来客のものだと、霖之助は始め、分からなかった。
ピンッと糸が張るような緊迫感が店内に漂う。しかし、それを感じていないように、霖之助は普通に受け答えする。慣れ切っているのか、あるいは本当に何も感じていないのか。
「何だい?」
「わたし、きれい?」
「……ふむ」
霖之助は何秒か考えた後、来客の熊より大きな背を見ながら静かに答えた。
「僕はきれいだと思うよ」
淡々とした声が店内に木霊する。川の流れのように綺麗な響きだった。
答えを聞いた来客は、マスクの紐に手をかけ、それを外しながら振り返り、
「……これでも?」
――にたぁ、っと笑いながら尋ねた。
「あぁ、綺麗だよ」
参考
「口裂け女」Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%A3%82%E3%81%91%E5%A5%B3 2012年12月27日現在)。