12・本能
「待ちなさい、香奈穂!!」
祭が走りながら、前を走る香奈穂に叫ぶ。
いや、祭さん。逃げているのに待てと言われて待つ人はいませんよ。
心の中で突っ込む。
祭は冰津千に呼んできてもらうことにした。彼なら夏維の影を追いかけることができるし、(影を追いかけることができる距離は決まっている)それと同様に、私たちの位置も分かる。
最初からそうすればよかったのだが、そこまで頭が回っていなかった。
冰津千も言ってくれればいいのに、彼は正に忠犬だ。私に害が出るときだけ、自分から動く。感情というものがあるのだから、自分で考えて行動すればいいのに。
まったく、めんどくさい奴だ。
しかし、それにしても祭という人は体力がある。しばらく走っているというのに、叫ぶことが出来るほど体力がある。普通の人でもそれが出来る人は少ない。
何か運動、それもきつい運動をやっていたことがあるのだろうか。
私はまだ走れるが、息切れはしている。すぐに息切れするが、それから長く持つタイプなのだ。
そんなこと、どうでもいいが。
ここで言いたいのは、祭は能力者に負けず劣らずの体力を持っている、ということだ。
すさまじい。というか羨ましい。
私はどちらかというと、体力は少ない。月詠荘を一周してこいと言われたら、それだけで、息切れはもちろんのこと、へたばっている。
話は戻るが、香奈穂は速かった。
うん。人間か?と疑いたくなるほど速かった。元々あんなに速かったのかどうかは分からないが、もし、あれがいつも通りの速さならば・・・・・・・・。
人間か?
私と香奈穂の間は、50mくらいある。この距離は縮まることがなく、逆に広まっていっているような気が・・・。これは確実に広がっていっている。
捕まえないといけないのに、このままでは無理だ。
祭と香奈穂の間は、40mくらいある。私の前を走っており、彼女と私の間は縮まりもせず、離れもせず。
人が多いところなので、よく人にぶつかりそうになるが、前の二人は軽々しく避けている。
私は香奈穂を見失わないように、人ごみを掻き分けるのに精一杯だ。
フッと私の前を横切る男がやけに目についた。
何故か私は彼から目を離せなくなり・・・・・・・・・
そのたった少しの時間で見事に二人を見失った。
これは完全なる私の落ち度だ。香奈穂から目をそらすなんて。
辺りを見回しても二人を見つけることができなかったので、道の端に寄っていく。
それにしても。
本能が何かを彼に感じた。
その何かは分からないけれど、一目ぼれとかではない。絶対に。
だけどなんだか、誰かに似ているような気がした。
おそらく私に害なす人ではないのだろうが、彼のことが頭から離れない。
でも、すれ違っただけの、ましてやこれから会うことがないだろう人のことを考えてもしかたがない。彼のことを頭から追い出すよう、軽く頭を振る。
今考えなくてはならないのは二人がどこにいったかだ。
あいにく道は一本道なので、行った方角は分かる。しかい、この道の先は二本に、三本に、それ以上に分かれていたら、そこから先はどこへ行ったのか分からない。
おそらく、祭は私が今、後ろにいないことに気づいていないだろう。
まあ、とにかくこの一本道の終わりまで行こう。その先が分かれているのなら、その時考えよう。
二人が走っていった方向に走り出す。
人とぶつかるたび「ごめんなさい。」とあやまり、そのたびにあたった人に「すみません。」と言われる。ああ、走りにくくてたまらない。
人に当たらないように走っているつもりなのに、所詮“つもり”だ。だいぶ、人に当たっている。
急に前に人が出てくた。
走っている途中にそう簡単にすぐに止まれるわけもなく、ぶつかった。
「大丈夫か?」
私は尻餅をついたが、相手のほうは無事だったらしく、そう言って手を差し出してくれた。
それに甘えて相手の手を借りたとき、相手の顔が見えた。
「ありがとうございます。」
さっきはよく見えなかったが、けっこう整った顔をしている。
肌は色黒で、銀髪。優しげな水色の瞳が印象的だ。
「すみません。ぶつかってしまったうえに手を貸してくださって。」
「いや、こちらも周りを見ていなかったからな。」
立ち止まった私たちを避けるように人は進んでいく。
まるでここだけの時間が止まっているように私たちは動かなかった。否、動けなかった。
互いに互いの目を離さない。逸らさない。まるで、こうなることが運命のように。
彼はどうして目が逸らすことができないのだろうかと困ったように笑った。
そこで分かった。彼は私に似ている。
何かに囚われていて、本当に欲しいものは手に入らない。だから、生きることをあきらめてしまったような。そんな濁った目をしていた。
前の、月詠荘に来る前の私を見ているようだ。
この人に自分を重ね、ほおっておけなくなる。
だけど、
先に目を逸らしたのは私だった。
「また。」
この人とは近いうちにまた会う、そんな気がする。
この人は簡単には死なない。いくら生きることをあきらめていたとしても、心の奥では、誰かに生きていてほしいと思ってもらいたがっている。誰かの温かさを求めている。
私が彼とすれ違う時、彼は微笑んでいた。
「俺とそっくりだ。」
そうつぶやいていたのが、後ろから聞こえた気がした。
「主?」
俺は主に言われ、さっき行った家に戻ると丁度家から出ようとしている夏維に会った。
今まで家の中で何をしていたのかは分からないが、おそらく、それまで血に酔っていたのだろう。
彼女は血に敏感だ。前に、俺が倒れていて、主にあの方が乗り移っていた時にいつもと様子が違っていたのはそのせいだろう。
人間なのに血に酔うのは、異質だ。能力を持っていることも異質だが、それとはまた違う。血に酔うという行為は“人間”というより、我々“悪魔”が持つもの。
だから、異質なのだ。
悪魔特有の行為を人間がしているということが。
まあ、いい。
俺は主の命令を聞けばいいだけ。
夏維を香奈穂とかいう女の前に持っていけばいいだけだ。
家からフラフラと出て来る夏維の腕を掴む。
「今からお前を香奈穂とかいう女の前に連れて行く。離れるなよ。」
夏維がうなずく前に香奈穂とかいう女の影を捕まえ、影に沈みだす。
なんでこんな月詠荘で一番危険だと思う奴と一緒に影を渡らなくてはいけないのだ。
主の命令だから仕方がないが。
欲を言えば主と一緒に影を渡りたかった。
影から体が出る。
目の前に女がいたのでそっちの方へ夏維を追いやり、次は主の影を探す。
後ろに祭の気配は感じたが、肝心の主の気配がしない。
迷ったのだろうか。それとも、敵に連れ去られたのか。
奴らは人が多いところでは行動しないはずだからおそらく前者だろうが、心配せずにはいられない。
いた。
遠くはない所にいるが、あの人の多さからして逸れたのだろう。
全く、しかたがない人だ。
人ごみの中でいきなり目の前に人が出てきたら驚くだろうから、少し離れたところの電柱の影を固定する。
祭が俺の後ろに立ったと同時に影の中を移動した。
そこで冒頭に戻る。
移動した電柱からは主の姿が確認できたが、知らぬ男と見詰め合っていた。
周りの人は皆動いているのにそこだけ時間が止まっているように。
あれは、誰だ。
こちらからは後ろ姿しか見えない。銀髪が特徴的でかろうじて見える手が黒めなことから色黒ということが分かる。それは、生まれつきかどうかは分からないが。
二人は声をかけることを戸惑わせるような、間に入ることができない空気を作っていた。
おそらく相手は人間だ。これは確実。
しかし、能力者かどうかは分からない。能力者も人間だから。
それにしても主とあのような雰囲気になれるとはあの人間はただものじゃない。
ただでさえ、主警戒心が強いのに。
まあ、主に害はなさそうだから手はださない。
主が男と別れた。
まったく、心配はしていないが(少しだけした)、はぐれて男と話しているとはどういうことだ。あれだけ気配を探れるように鍛えたのに。
このごろぬるま湯につかりすぎて、感覚がにぶったか。
俺はもちろん主が心配だ。彼女は常にねらわれている。だから、今まで、月詠荘に来るまでは、なるべく自分の身は自分で守れるようにするため、鍛えた。
それなのに、目標を見失うとは何事か。
かすかにため息をつきながら、主に近づいていく。
「遅かったですね。」
私が冰津千と合流し、祭たちのところについたときに、夏維に言われた言葉がこれ。
彼女はただ単に気になっただけで深い意味は込められていないのだろうが、私からしたら、あなたも遅かったですよ。なにトロトロと家に残ってたんですか。
心の中では毒を吐きながらもニコニコとしておく。
このごろ、自分の言葉使いとかがひねくれていっているのが分かる。
「香奈穂さんは、人目につかないところに連れて行きました。そこに着いてから悪魔を消滅させるのを見せます。」
また逃げられていないのだろうか。心配だ。
祭がここにいないということから、彼女が香奈穂を押さえているのだろう。
夏維が早歩きで進むことから、おそらく彼女も香奈穂が逃げ出していないか不安なのだ。
そうやって着いたのは細道の奥、いかにも怪しげなところに扉があった。
ギィ・・・・・・・・・・・・
古めかしい音を出して扉が開く。
もちろんひとりでに開いたのではない。夏維が開けたのだ。
電気は向こうらへんに点いているらしく、ポツリと光っている。
こんなところによく香奈穂を閉じ込めたな。
手前の方は真っ暗で、ほとんど足元が見えない。
コツ・・・・・コツ・・・・・・
どうやら床はコンクリートらしく、靴と床が当たる無機質な音が響く。
まったく、怖いじゃないか。それらしい雰囲気も漂っていることだし。
無言だとなお怖い。
誰か話してくれ。そして、この場を盛り上げてこの恐怖を取り除いてくれ。
コツ・・・・・コツ・・・・・・
明かりに段々近づくにつれて、足音に混じった音が聞こえてくる。
なになのか聞き取れないが、何か音がする!!みたいな。
他の音に気づいたときに肩がビクッと反応してしまい、それが後ろの冰津千に見られ、おそらく笑われている。
いや、絶対笑っているだろ。口元隠して笑いを堪えても、かすかに声が漏れているのが聞こえているんだよ!!
まったくドSな奴め。暗闇が怖くて悪いのか!!
開き直って、心の中では冰津千に文句を言っていると前の夏維が止まった。
どうやら夏維の前には扉がない部屋があるようだ。
夏維で中が見えないので、顔を横から出すと中が見えた。
つばを飲み込む
その行為は警戒からか緊張からか、もしくは恐怖からのものなのか分からない。
唖然とした。いいや違う。この感情が、気持ちが言葉では表すことができるのだろうか。
私の視線の先には香奈穂がいた。
首から上だけの。
「さあ、始めましょうか。」
夏維が言った。
私は
恐怖する
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