11・依頼
「明日、彼女はもう一度来てくれる。おそらく、問題の友達も連れてな。今回、お前らは見学だから、よく見ておくんだぞ。」
会議室らしいところに戻ると、カルマは何かを飲みながら、私たちに言った。
甘い匂いがするが、何の匂いだろうか。
「なんか、後輩が出来たみたいで嬉しいです。今までは、私が説明や見本をすることがなかったので。人に教えるのは、なんだか楽しいです。」
臨野の横に座り、同じく、甘い匂いを漂わせたものを飲んでいる。
やけにキラキラした笑顔で夏維がいうものだから、カルマたちは微笑ましげに見ていた。
ということは、この中で(私と冰津千を除けて)、一番最後に月詠荘に入ったのは夏維ということか。それにしては、しっかりしている。人に何かを教えることが、彼女に合っているのかもしれない。
「ほい。」
「・・・・ありがとう。」
出が私たちの前に、甘い香りのする飲み物を置いた。おそらく、彼女たちが飲んでいるものと一緒なものだろう。
しかし、これは何という飲み物なのだろう。茶色で、ものすごく甘い匂いがする。
初めて見るので、躊躇しながらもおそるおそる口に運んだ。
少し、熱いかもしれない。
あまりにもおいしくて、熱さなんか忘れて飲む。
おいしい。何ていうんだろう。この飲み物は。
「ごちそうさま。」
今度、冰津千に作ってもらおう。
おいしい。
「明日、ほんとにちゃんと見ておけよ。」
カルマが含み笑いを浮かべながら、私の隣を通って部屋をでていく。
笑みの中に何が含まれていたのかは分からなかったが、悪いものではなかった。と思う。
カルマのコップは、机の上に置きっぱなしにされていて、「自分が使ったものくらい、自分で片付けろよ。」と出がブツブツ言いながら、そのコップを持って、部屋を出て行った。
「おかわりいかがですか?」と、夏維が聞いてきて、その言葉に甘えてもう一杯貰うことにした。横を見ると、冰津千が、いつもと変わりない顔(無表情)で飲んでいた。いや、少し嫌そうな顔をしていた。
・・・・・そういや、甘いものは嫌いだったな。
「こんにちは。」
次の日、祭という女性が来た。出来るだけ、明るく笑顔で挨拶したつもりなのだが、彼女は、軽い会釈しかしてくれなかった。
やっぱり、まだ笑顔が引きつっていたのだろうか。もっと練習しないといけないな。
「すみませんが、今回、この二人が仕事を見学させていただきます。入ったばかりなので、今後の参考に、と。」
すみませんね、なんか。本当にすみません。
お邪魔でしょうが、私たちのことは、空気と思ってくださればけっこうです。
心の中で、つぶやいた。
向こうの祭という女性も、やはり心なしかこちらを観察するように見てくる。
そういう目を向けられるのは別にかまわないが、少しソワソワする。
本当は、私たちは空気だと思ってください。そして、こちらを見ないでください。
この言葉も声に出せるはずがなく、心の中でつぶやいた。
「私の友達は香奈穂といいます。今、部屋で閉じこもっているらしいので、ついて来てください。」
祭は夏維に視線を戻し、そう言って背を向けて歩きだした。
夏維の後ろに私たちも続く。
閉じこもっているって・・・。どんな状況なのだろうか。
初めて人に憑いた悪魔を見るので、緊張と楽しみな気持ちが混ざってゴチャゴチャになる。
不安もあるかもしれない。
何に対する不安か、定かではないけど、何だか違和感を感じる。不安を感じる。
どうやら、香奈穂という女性の(名前からして女性だと思う。男性かもしれないけど。)家はここから近いらしく、すぐに足が止まった。
祭はポケットから鍵を取り出し、目の前の、家の扉を開けた。
何の音もしない。誰もいないようだ。それでも、祭は家に入っていく。
「お邪魔します。」小さくそうつぶやき、夏維が入っていったので、それに習い、私も小さく「お邪魔します。」とつぶやき、入る。冰津千は無言で入った。
人の家なのだから、何か言って入るものだろうのに。
シ・・・・・ン・・・・・・・・・
としていて、本当に人がいるのだろうか。私たちが歩く音だけが私には聞こえる。
私にはここには誰もいないように感じられた。
階段を上がる。
ミシッ・・・・・・・ミシッ・・・・
小さく木の軋む音だけが聞こえる。
何だか怖い。家の中だからかどうか分からないけど、風がないし、風の音もしない。
この次元で、今までこんなに無音のところに来た事がない。
創造されて創られた空間などのようだ。まるで、この次元のものじゃないみたい。
怖い。
「香奈穂?祭だけど、入るね。」
祭は一つの部屋の前で止まり、ドアを開けた。
この中に悪魔がいると思うと緊張する。
「香奈穂?あれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・どこ?」
だけど、扉の先には何も、誰もいなかった。
でも、いままで通ってきたところと一つだけ違うところがあった。
心地よい風が顔に当たる。カーテンがサラサラとゆれ、涼しそうだ。
そう、窓が開いていた。
それに気がついた祭が、急いで窓から顔を出した。
後に続き、私も下を見たが、逃げ出してからしばらくたっているのか、誰も見えなかった。
植木の上に落ちたらしく、割れた植木が何個か転がっていた。
怪我はしていないのだろうか。部屋の中にいたのだからきっと裸足なはずだ。
裸足で植木の上に落ちたとしたら・・・・・・・・・・。
怪我がないはずがない。
「血の匂いがします。」
やはり怪我をしたのか、冰津千が私の耳元でボソッと言った。
よく見ると、地面にしみがあるように見える。
それを言おうと夏維を見ると、いつもニコニコしている笑顔がなかった。
何だか様子が違う。いつもよりトゲトゲしている空気を纏っている。
こんな夏維を見たことがない。別人みたい。
薄く笑っているように見えた。
「・・・・・・夏維?」
「どうかしましたか?」
話しかけたときには、いつもの夏維に戻っていた。
ほっとする。あのままだと、私が殺されそうな感じがした。
「私、香奈穂が行きそうなところを知っています。行きましょう!!」
祭が、慌てて下に下りていく。
悪魔に憑かれている人はどんなのかは知らないけど、閉じ込めていたということは、人に会えるような状態ではないということだろう。
もっと私たちは焦るべきなのだ。のんびりと夏維を見ている暇じゃない。
私たちは今日見学ということを忘れて、急いで祭の後を追いかける。
依頼してきた祭が焦っているのだから、こちらも真剣にならなければならない。
まだ、仕事をしたことはないけど、そう思った。
後ろに冰津千が付いてきている事から、少し落ち着くことができる。
焦ってはいけない。焦ったら何も出来なくなるんだ。
家を出た。
「・・・・・あれ?皆はどこに行ったのでしょう?」
はっとする。
長い間意識がなかったように感じられた。阿修羅ちゃんが私の名を呼んだような気がするが・・・・・。
それにしても皆どこに行ったのだろうか。
たしか、祭さんにこの部屋につれて来てもらって、窓が開いていることに気づいた。
外から薄っすらと血の匂いがして・・・・・。
ああ、そっか。また私は血に惑わされていた。血が私を操っていた。
血なんて嫌いだ。
窓から、ほのかに血が香る地面を見つめる。
よく見ると、地面にしみがあるように見えた。
「・・・・・血なんて嫌いだ・・・・・。」
「なんだここ・・・。」
祭の後をついていくと、大きな建物の前に着いた。門があって、何人かの人が出入りしている。どこだろうここは。
出入りする人たちに好奇な目で見られるが、気にならないほど、この場所のことが気になっていた。
祭は門の辺りで、周りをキョロキョロと見渡した後、何かを見つけたのか、門の中に走って入っていった。これって、私たちも入っていいものなのだろうか。
分からないから、その場に踏みとどまる。
きっと、祭はここに戻ってきてくれるだろう。戻ってきてくれることを望む。
呆然と立ちすくむように門の前で立っている私は、出入りする人たちや車にとって邪魔ならしく、怪訝な顔で見られた。おそらく、理由はそれだけではないのだろうが、私たちは脇によった。
目の前を通っていく人たちを見ていると、大きなことに気がついた。
ここでは、私のような服を着ている人がいない。皆、洋服を着ている。
いまさらながら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・恥ずかしい。
私が好奇の目で見られていたのは、これが理由か・・・・・。
今更恥ずかしくなってきて、赤くなった顔を隠すように下を向く。
でも、皆は露出が多いと思う。あんなに胸元を開いて、恥ずかしくないのだろうか。
自分は肩や太ももをだしているというのに、それを忘れて、他の人の服を見て恥ずかしくなる。ここにカルマがいたならば、「お前も十分露出してるぞ。」と突っ込まれそうだ。
「主。」
恥ずかしさで死ねそうなとき、冰津千に呼ばれ、ハッと顔を上げる。
そこに暴れる誰かを引きずってやって来る祭が見えた。口論をしているようだ。
何を言っているのかは分からないが、激しい口論なのは分かった。
・・・・・・・そういや、勢いあまって行動したのはいいが、私たち、今日は見学だった。
今になって思い出した。
どうしよう。夏維は置いてきてしまったし、このままいくと私たちが倒さないといけないことになりそうだ。悪魔の倒し方なんて知らないぞ。
ああ、馬鹿な私を呪いたい。
夏維が移動した私たちを見つけ、私たちの前に引きずっていた誰かを押し出す。
・・・・・・彼女が香奈穂か?
血の匂いがすごくする。目の下はすごい隈で、唇が荒れている。
悪魔に取り付かれると、こうなってしまうのか?見た目的には、ただの寝不足の人だ。
香奈穂は、私たちと目が合うと、ニタリと笑った。
思わず、鳥肌がたってしまった。なんだか、“歌姫”の力が奪われて、おぞましい奴が産まれてきていたのを思い出されるような笑みだ。
思わず、体が固まってしまった。
「・・・・・夏維さんは?」
祭が今気づいたらしく、私たちの後ろを見る。どうやら、だいぶ向こうまでいなかったらしく、落胆したような表情が読み取れた。
それはそうだろう。逃げ出したのを捕まえたのに、いるのは悪魔を倒したことがない素人だけだ。それに、夏維が自分のスピードについて来れなかったせいもあるのだろう。
期待して損した、みたいな。
ドンッ
「えっ?」
いきなり来た衝撃に耐え切れず、後ろにいた冰津千に、もたれ掛かる姿勢になる。
前を見直したとき、何が起こったのか分かった。
突き飛ばされたのだ。香奈穂に。
香奈穂は祭の手から逃れ、前にいた邪魔な私を突き飛ばすことで、逃げたのだ。
いち早く今起こったことを理解した祭は私よりも早く、香奈穂を追いかけていった。
私たちも追いかけなくては。
走り出したとき、思った。
私たちが追いかけていても夏維がいなければ意味がないのでは、と。もし捕まえたとしても、夏維が来るまで待たなくてはならない。
それに、夏維は私たちが行くところが分かるのか。
心配だ。
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