09・序章
何なんだろうこの道は。
とても暖かく、月詠荘で過ごしたことを思いださせられる。
さあ、はやく
とでも言うようにかぜが私の背を押していく。
私はそれに抗うことはしない。何かが私を導いてくれているのだ。月詠荘まで。
速く行かないと。歌姫の力がなくなってしまう。
私だけでは歌姫は続いていかない。あの“聖地”と呼ばれる場所があるからこそ、歌姫は続いていくの
だろう。
あの力を渡してしまう訳にはいかないのだ。
私のためにも、これからのためにも。
その時、遠くのほうから歌が聞こえた。とても私にそっくりな声の。
その歌に吸い寄せられるように、足がどんどんと速くなっていく。
この歌だ。この歌は私に助けを求めている。
だけれども、この歌は“歌姫”の歌だ。私以外に歌える人がいるのだろうか。
私しか“歌姫”はいないのに。
頭が割れるような歌が聞こえる。なんなんだ、この歌は。
さっきまで歌っていた人とは違う人が歌っているのだろう。
この歌も“歌姫”の歌であり、たとえるなら、先程の歌が癒す力を持っており、今の歌は傷つける力を持っている。
後者は歌姫にとって、使用してはいけない力であり、今までの歌姫に最も多く使われてきた力。
私の口が自然に歌をうたいだす。
歌わないといけない気がして、頭の中の歌詞を探し出そうとするが、それは無意味。
覚えているのだ。その歌を体全体で。
・・・気持ちがいい。
何でこんなにも気持ちが晴れ渡っていくんだろう
目の前に目を閉じてしまうほどのまぶしい光。
私は戸惑いもなく、その中に一歩踏み出す。
その中に私に助けを求めたもう一人の私が見えた。
そして、その奥にカルマ、出、臨野。もう一人の私のそばで、私を威嚇するおぞましい物。
きっとそれは歌姫の力から生まれてきたもの。
やっぱりここにつながっていたか。
もう一人の私に歩みだす。
グア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
雄叫びを上げ、私をもう一人の私に近づけさせないようにするが、そんなもので私が止まるわけがない。
それが私に飛び掛ってくるが、おそらく冰津千が追いついてきたのだろう、光のむこうから撃たれた。
しかし、そんなことで、それは簡単に壊れない。
地面でしばらく暴れ、再び立ち上がろうとする。
私はそれを視界の隅に入れただけで、真っ直ぐともう一人の私の元へ進む。
互いに手を伸ばすが、今度は掴むことが出来た。
もう一人の私は、微笑みながら、段々と消えていった。
私の力がわきあがってくる。
後ろからあれが飛び掛ってきたが、頭を何度も打ちぬかれる。
私はそれの頭を掴み、肩に顔をうずめる。
“もの”の血を吸っているのだ。
これで、歌姫の力を奪い返すことが出来る。
悲痛な声を上げるが、そんなもの気にもならない。
ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
最後はあっけなかった。そんな声を上げて消えていった。
いくら邪悪なものだからと言っても、あれは私の力から、“歌姫”の力から生まれてきたもの。わが子同然なのだ。
生まれたばかりの子を殺してしまうのは心が痛んだが、仕方がない。
歌姫の力を悪用させることは、絶対してはいけない。
たとえ、相手がわが子だとしても。
さあ、歌おう。
邪悪な空気も見えない壁も蜘蛛の巣も、光も草花も樹木も、元々なかったものは消え、元々あったものが再び顔を出してくる。
歌うのってこんなにも気持ちがいいものなんだ。
目が覚めたら知らない部屋で寝ていた。
体を起こし、窓の外をのぞくが、まるで時間が止まっているように何も動いていなかった。
殴られた後の記憶がない。
私は敵に捕らわれてしまったのでしょうか。しかし、私は阿修羅ちゃんとは違って利用価値がない。
床に足を下ろすと、かすかに頭が痛かったが、気にするほどではない。
ここはどこなのだろうか。その一心で、扉を開けた。扉の向こうにはよく分からない世界が広がっていて、ここはどこだろうという疑問は一層深まった。
道の向こうに何があるのか分からないが、とにかくここを行くしかなさそうだ。
ここはどこか、この道を進んでいったらわかる気がする。
よく分からないものが道の周りにあって、ついそっちに目が行ってしまうが、そんな場合じゃない。これじゃあ、だめだ。
走り出す。
ここはどこだろう。
今、月詠荘はどうなっているのだろう。
心配でしかたがない。私がどのくらい気を失っていたのか分からないが、あの三人が月詠荘を守りきれているのか不安だ。
彼らを信じていないわけではない。自分のいないところで、何かが変わっていないか怖い。
考えを振り払うように頭を振ると、歌がかすかに聞こえてきた。
これは歌姫の歌だ。
ということは、この先に阿修羅ちゃんがいる。
私をここに連れてきたのは阿修羅ちゃんなのだろうか。
そういや、阿修羅ちゃんはここに来るって言ってましたね。
何で、それを忘れていたんだろう。
まあいい。これ以上難しいことを考える必要はない。ただ、己の本能に忠実になればいい。
そういうことも必要なのだ。
だから、ひたすら走り続ける。
やっと手が届いた。
この先に何が持っていたとしても私は立ち向かう。“歌姫”の力は守りきって見せるのだ。
だけど、その先は全て終わった後だった。
どうなったのか分からないけど、阿修羅ちゃんが助けてくれたのだろう。
彼女の歌が胸に染みた。
「なあ、阿修羅。本当にここに残る気はないのか?」
そうは言われても。
ここに“歌姫”の力があると聞いてからは、ほっとけないと思えだしたが、私がここにいることで、ここの人たちは今以上に傷つく。
しかし、私がいない間にここの力を奪われては元も子もない。
どうすればいいのか分からなくて、冰津千の方を見るが、彼は何も言わず、助けてはくれなかった。当たり前だ。私が決めないといけないことを他人に任せることはできない。
「今すぐ決める必要はないんだぜ。だからな、お試し一週間っていうのはどうだ。」
カルマの後ろから出が顔を出して言う。彼も私たちにいてほしそうだが、強制はしないようだ。お試しと言っているのだからきっとそうだろう。きっと。
「そうそう、阿修羅ちゃん。お試しをしてから考えては?」
今は逆に強制されたほうがよかった。自分で決めなければいけないと思っているのだが、決めきれない。
時間がかかるほど決めにくいものだ。
「俺はここにいたほうがいいと思う。」
ぽつりと臨野が言った。あの“臨野”がだ。
皆目を丸くし、彼を見つめるが、気まずそうに頭をかく。
まるで出のクセが移ったようだ。
「ここの力はあんたのものだ。それに、あんたはここで一日過ごし、今さっき俺らを助けてくれた。あんたと俺らは縁があるんだよ。
あんたはこの場所と同じような空気をまとって、まるで、聖母のようだ。」
皆、臨野の“聖母のようだ。”のとこで笑い出す。
恥ずかしいのか臨野はそっぽを向いた。
私は聖母がどのようなものかしらない。でも、まるで母のようだと誰かが言っていたような気がする。
私は母を知らない。
「主、あなたは幸せになれるのです。」
でもそれなら、冰津千も幸せになるできではないのだろうか。
“私”という名の鎖から解き放たれ、自由になるべきだ。
私は幸せになりたい。だけど、冰津千も幸せになるべきだ。
「・・・・これから、よろしくお願いします。」
この決断がどういう結果を導き出すのかは分からない。
だけど、私は暖かいこの場所で生きていきたい。
「どうやら“歌姫”は“月詠荘”にとどまることになったらしい・・・・・。」
真っ暗な部屋で誰に言うわけでもなく、つぶやく男がいる。
じっと前にあるガラスをみつめていた。
「お前もそろそろ観念するときではないか?」
ガラスの中には水が溜まっている。
その中にはたくさんのチューブを体につなげている男がいた。
その男は目を閉じたまま。
――――――――物語は始まったばかり
止まることは許されない・・・・――――――