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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

頭の中身

作者: スリーS

 痛覚神経のない場所に痛みは起きない。

 閃光のような記憶が巡る中、私はメスを振るう。既に賽は振られたのだ。今更後戻りをする必要もない。そもそも出来ない。

 私はこの疑問を少しでも考えると何時も頭に酷い掻痒感を覚えてしまう。肉に爪が食い込むほどに掻き毟ろうとも衰えない痒さだ。それも無意識にするものだから、気付かぬ内に手が血塗れになったこともある。だがこの感覚に苛まれるのは最後だろう。もう少しで私は解答を得られるのだから。

 この選択がどのような結果を招こうとも後悔はしない。私の命が失われようとも一向に構わない。むしろ長年追い続けてきた問題が解けることに、この永遠とも一瞬とも思える時間を限りない期待と共に楽しんでいた。正にこの身に晒す躍動感は、まるで今まで感じたことない幼少時代の輝きを表現しているかのようだった。


 果たして、私に少年時代というものがあっただろうか。意識を獲得した頃には私の精神は早熟していたように思う。周りより聡い子供だった。無知で無邪気なことが子供だと私は認識しているが、振り返ってみれば無知でも無邪気でもなかった当時の私は子供という枠組みを既に食み出していただろう。少なくとも同年代の他の少年少女達とは絶対的に異とすることは、子供ながらにひしひしと感じていた。老成していたと言っても過言ではない。一時期は『普通の子供』なる感覚を自分で想定し、環境と擦り合わせようと試みたこともあったのだが、上手くいきはしなかった。結局は決定的な違和感を抱えたまま、それを埋めることが出来ない私に他の子供と溶け込めるはずもなく、読書という手段を以って一日の大半を費やしていた。

 私は学校から家に帰った足で図書館に向い、そこで閉館時間まで居座るという生活を続けていた。普通の子供なら友人と外へ遊びに行き、自然や他者との関係から知識を学びとるのだろうが、私は本からだった。その点では方向性が違っていただけで、幼少期に見られる貪欲な知識欲は他の子供と何ら変わらなかったと、今になって思う。

 図書館通いしていることに両親は少しも咎めなかった。寧ろ勉強熱心だということで、母から小遣を貰って本を買うようなこともあった。好んで読むのはどれをとっても児童向けのものはなく、専らハードカバーの分厚い書籍に傾倒していた。

 私は購入、あるいは図書館から借りた書籍を舐めるように読み漁った。最初は一目で分かる図解が挿入されたものが多かったが、次第に難しい専門用語が乱立するものに移り変わっていた。もちろん、それらを読むには当時の私には分不相応の知識が必要であったし、一つの書籍を読むのに幾何級数的に本を読む必要になってくるということもあった。だが私には苦痛はなく、むしろ脳内に蓄えられる知識の増加に一種の快感を見出していた。いつしか傑出した知識を所有していることを誇りに持つようになってきた。

 だが、それが致命的だった。最初にして最大の過ちを幼少期に犯したことが決定的だった。もう少し大人だったなら、或いはもう少し愚かであったならば気付かない振りするという選択もあっただろうが、若すぎた私は学問を少し齧っただけで全てを知った気になっていた。人間は誰しも有頂天になることはある。だが、思い上がったまま傲慢であることを自覚せずに、その場面に遭遇してしまった私は、目を瞑って素通りすることは出来なかった。

 私の一生を大きく左右したであろう原体験は正に雷の一撃に等しかった。全身に渡る強い衝撃と催される酷い頭痛をもたらし、その後の人生を苦悩と衝動を耐える彩られた日々に変えたのは、あの光景を見たに他ならない。

 そう、図書館から家に帰る道程、あれに遭遇してしまったのだ。

 死体だ。

 余りに非現実的な場面に、精巧に作られた人形をそこに設置している錯覚を起こしたが、空気に混ざる血臭がそれを否定した。

 死体はコンクリートの地面に咲くように設置されていた。当時の私でも、それが高所から人間が飛び降りた末に待つ結果だということが分かった。

 衝突地点を中心に、こんなにも人体は血液を有していたかと思うほどに赤は広がり続け、外周に行くにつれて酸化しているのか黒ずんでグラデーションを見せている。手足はあり得ない方向に捻じれ捩り、本来関節でないところまで歪み折れていた。恐らく衝撃で裂かれた腹からは、はみ出るように小腸や肝臓などの内臓器官がはみ出ており、特に小腸は絡まってしまったミミズを連想させた。血液の他にも汚物やらが混じっているのか、黄色や茶色を混ぜて穢れた絵具を作っている。そして極めつけは頭部だった。首が屈折しているのはもちろんのこと、鼻や唇や頬は判別出来なくなるほどにひしゃげ、左右の眼球が収まっている場所は空虚になり、左の方は行方不明、右の方は辛うじて視神経で繋がっていた。頭蓋骨は髪や頭皮ごと引き剥がされ、そこからは当然のごとく脳髄が零れていた。零れていただけではなく、既に形は醜く潰れて破片がそこらじゅうに散らばり、それら一つ一つの表面には脳漿と血が混じった桃色のマーブル模様でコーティングされていた。

 私は吐いた。

 その場で人目も顧みず、内から込み上げる嫌悪感に耐えきれずぼたぼたと胃の内容物を戻し、それでも足りずに胃液が空になるまで吐きだした。

 これほどの酸鼻極まるものを目にしたからではない。

 頭の中を実際に見たからだ。

 頭の中は脳が隙間なく敷き詰められていた。それ以外には何もない。血管が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、豆腐のように柔らかく脆弱で、あんなグロテスクで醜い吐き気を催す物体が、頭の中の全てを占めていたのだ。

 私はあんなものに支配されているのか。あんな器官によって操られているのか。脳という物質的な器官が人間の本質であり、思考の中枢であり、正体だったのか。

 それを認識してしまった途端に気絶し、次に私が意識を獲得したのは自分の家だった。

 私の視界には母と父がいた。同年代の子供たちは私を避けてさえいたが、両親は無条件で受け入れてくれる存在だった。だが優しい母や、勇ましい父でさえも脳という下らないものに支配されているなどとは思いたくはなかった。そして自分でさえその穢わらしいものに操作されているなどと想像もしたくなかった。私にはそれが耐えられなかった。悍しい器官が自分という個人、精神、人格を司っていることが許せなかった。

 私は脳が人間を支配している事実を否定したかった。人間はもっと綺麗で、高潔で、純真でなければならない。私の理想が現実であることを確認するために、図書館を訪れた。

 図書館には様々な知識が収められている。ここなら私の求める答えがあるはずだと踏んだのだ。

 だが、存在しなかった。

『脳は身体の各器官を制御しているだけでなく、意識や精神活動をも司っている。しかしその活動は脳の質量の一割だけで行っており、それ以外の九割は栄養を送るなどの機能を果たしている。そして、その一割だけで脳全体で全てを動かしている訳ではなく、曖昧であるが領域ごとに制御する部分が決定されている。

 そして、脳以外には中枢器官はない』

 このような図書館で知り得た情報は私の希望を否定する資料でしかなく、絶望をもたらすものだった。

 本は心の拠り所ではなくなってしまった。勝手に自分の希望を圧しつけておいて勝手に失望したのが私の我儘だということは、分別のつく歳になって自覚したが、当時の私は裏切られた気分だった。

 本という確固たる地盤があったことで辛うじて保たれていた均衡が崩れ、頼れるものを失った私は精神のバランスを欠いてしまった。不眠、酷い頭痛に食欲不振を患ってしまう。

 両親は心配したが、私は理由を言わなかった。体調を崩したことを私があの死体を目撃してしまったことだと断じたが、それはある意味間違っていない。だがそれはただの切っ掛けに過ぎない。

 私はこの時から、自らの人生を脳が人間を支配していないことを証明するためのものと定めた。方向性を決めることで表面上は平静を取り戻した私だったが、心の内では常に酷い状態にあった。

 常に言い聞かせていないと自分の頭の中身が気になってしまう。一番手近なのは自分の頭だ。そこを切り開こうとして刃物を無意識のまま手に取り、こめかみに突き付けてしまったこともある。その時は少し刺してしまった痛みで我を取り戻して事なきを得たが、また今度同じことをやらかしてしまうか気が気でならなかった。

 だから私はその感情を他のものに向けることにした。私の他人からは狂気に見えるだろう。自分がマイノリティに属し、社会正義に反することを行ってきたことすら承知している。しかし、私自身を支えるためにその狂気に頼らねば、本当に気が狂ってしまいそうだった。

 どうしても認めたくないのだ、脳が精神を形作っていることを。私の頭の中にもあんな醜い物体が入って私を束縛していることを許容したくはなかった。

 私は脳が精神の実態でないことを証明するために、まずは動物に目を付けた。彼らは人間ではない。しかし目的を達するために人間を解剖するにはリスクが大き過ぎた。

 まずは野良犬や野良猫を捕まえ、頭蓋を切り開く。頭の中には脳以外に精神を司る器官――例えば真珠のような一目で美しいものがあると理想した。私はあの時、それを見逃してしまっただけなのだ。それを発見さえ出来れば私は安心することが出来る。

 私は解剖に使用する動物を捕獲するために、ホームセンターで購入した農薬を混ぜた餌を用意した。頭部を切開して頭蓋骨を丁寧に割るための道具として、糸鋸やピンバイス、剃刀、厚手のカッターナイフ、ピンセット、その他子供が夏休みの工作に使うような道具を用意した。

 最初は毒の種類が分からずに失敗してしまった。農薬で小動物を殺傷するには結構な量を混ぜなければならないことも判明した。餌を設置する場所にも注意した。近所では怪しまれるのは明白だったから、人の近寄らなそうな林に罠を仕掛けた。

 実際の解剖に移り、私の満足のいくスキルが身に付くまでに多大な犠牲を要した。幾多の試行錯誤があったのは言うまでもない。何も頭をかち割って中身をぶちまければいいというものではない。体毛を剃り、皮膚をカッターナイフで切開、ピンセットで剥がし、頭蓋骨が晒されたところでピンバイスを用いて穴を開け、そこを足がかりに糸鋸で切り開く。

 その手順で露出した脳は体積や形は異なるものの、それ以外は人間の同じだった。だが、頭の中に私の想定した器官はどこにもなかった。どこを探しても赤黒いグロテスクなもので埋め尽くされているだけで、美しいものなど何一つ存在していなかった。

 捕獲したサンプルが悪かったのか。鮮度が悪いのか。死んでいてはいけないのか。そう思った私は生きた動物を解剖することを決心した。

 農薬を睡眠薬に変えて最初に捕獲したのは猫だった。

 首輪を付けていない雑種。毛はぼさぼさで針金のように硬く、薄汚れた猫。やせ細り、ガリガリの体躯を晒している。しかし、それでも生きている。腹を上下に動かし呼吸している。

 用意した餌は、この猫にとって天からの贈り物とでも思ったのかもしれない。しかしそれは恵みでも施しでもなく死への誘いだなどと、当時の私は考えもしなかった。私にとって餌はただの罠であり、目的のための手段の一つでしかなかった。

 もっと猫を観察する。瞼の下からでも眼球を動かしているのが分かる。レム睡眠の特徴だった。人間に限らず哺乳類はレム睡眠を摂る。つまり、この猫の意識は今まさに夢を見ているのだ。

 これなら、私の目的とするものが発見出来るはずだ。

 心臓の鼓動を打つ動物の頭を切り裂いた。

 私は探した。体を痙攣させる猫の頭を掻き回した。しかし、やがて猫は動かなくなった。

 答えは何も得られなかった。犬でも、そして何十匹やっても同じ結果だった。

 当然、私はもっと良いサンプルが欲しくなってくる。犬でもない、猫でもない、もっと高等な動物を。答えが出ないのは技術云々ではなく、解剖に使用した対象が悪いと決めつけて。

 だから人間の頭を合法的に覗ける職業に就こうと決めた。医者――それも出来ることなら脳外科医。それが私の当面の目的になった。頭部を解体して、その中身を観察するというサイコキラーにならなかったのは、ほんの匙加減だったのだろう。

 私はそのために猛勉強を開始した。人間の頭を切り開きたい衝動を誤魔化す、或いは一時的にでも忘れ去るために勉強は良い手段になった。勉学という現実逃避は良い方向に働いたようで、医大への進学はとんとん拍子に決まった。

 私が最初に人間の頭を切り開いたのは献体された遺体であり、解剖学の授業の実習としてだった。

 薬品の臭いが鼻に付きながらも、人間一体を解体していった。浅黒くなった皮膚、鮮やかな皮膚脂肪の黄色、隈なく張り巡らされた赤い血管、けばけばしい彩色の内臓をかき分けていく。そして私が開頭作業に差し掛かった時、不覚にも手が震えてしまった。期待の武者震いなのか。それを押さえて私は作業に取り掛かった。

 頭部の皮膚を切開し、それを捲り上げる。その下の組織を剥がし、頭蓋骨はドリルと電動ノコギリで大きく窓を開ける。これは私が動物で行ったものと似た要領だ。頭蓋骨を取り外した下には脳を守る硬膜、クモ膜、軟膜がある。それらを良く観察を行いながらハサミで切り開く。

 脳が露出した。灰色で艶はなかった。実物を見たことがある私には、ただの蛋白質の塊に見えた。脳を根元から切り離し、本体から外した。錘で測ってみると一・五キログラム程あった。

 脳の中に、人間の精神を司る器官があるはずだ。

 私は正に解体していった。左脳右脳に真っ二つにし、前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉、大脳皮質、脳下垂体、辺縁系、小脳――切り刻み、切り分け、分解分別し、パーツにそれぞれ分割し、そして精査した。人間の尊厳を探したのだ。人間が自らを人間と定義する証拠。脳に依存しない人間の精神を。

 だがない。なかったのだ。

 脳を一センチメートル以下に細分しても発見出来なかった。

 いよいよ私は『生きている人間』にのみ、それが存在することを夢想するようになった。

 十年後、希望通りに脳外科医になっていた。それも患者が自分から願って来るような天才と謳われるような。今まで何人の人間を助けただろうか。数に関心はない。それで得られる金や名声にも興味はなかった。度々、助けたとされる患者の感謝の言葉が手紙として送られているが、全て捨てている。何故なら、彼らの頭には脳しか入っていなかったのだから。そんな彼らから「有難う」などと貰っても吐き気がするだけだった。

 私は脳外科医として患者を手術してきた。生きている人間の頭の中から探し続けてきた。だが、それも限界に近い。サンプルをもっと多く舞い込ませるために我慢してきたのだが、今まで切り開いた頭の中にはグロテスクなピンク色の物体だけしか詰まっていなかった。精神が脳に依存しているという実態を見続けて、私は発狂しそうになっていた。

 自分のガリガリと頭を爪で削った。爪の隙間に毛髪と肉片が挟まった。

 今まで全てのサンプルで行った結果、否定的な証拠しか得られなかった。もう他人の頭を切り開くことに希望は見えない。

 もう四十年間とっておいた最後の手段を使うことにしよう。今に今まで大切に保存しておいたもの。即ち、自分の頭の中身を見てみるのだ。何で考えているのか確かめたい。

 己の頭を使えば、どこに精神があるかも容易に見つけられるだろう。

 私は銀色に輝くメスを確固たる意志で手に取り、こめかみに突き付けた。

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[一言] 初めまして。今回「無言ダンテ杯」に参加させていただいた「しょう」というものです。 「頭の中身」拝読させていただきました。 とても暗い物語ですね。黒い背景の効果もプラスされて、作品がとても暗…
[一言] 人はどこかパラノイア的な思考が存在していて、『道徳』とか『良心』と言われるものと常に攻めぎあい均衡を保っているんだなと、なんだか考えてしまいました。 この主人公がなぜだか他人とは思えな…
[一言] 好奇心と執着心が恐ろしい結果を産み出してしまう。 彼の好奇心と執着心は病的と言っても良いほどでした。 やはり子供時代は将来を大きく変えてしまうものなのですね。 私もまともな子供…
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