第3章 森の宿り場とプスプスブレス
森の中を歩いていると、木の幹に小さな看板が掛かっていた。
「──休みたい方はこちら。小さな宿り場があります」
その横には、簡単な案内図まで描かれている。
案内通りに進むと、やがて大きな木が見えてきた。
中をのぞくと、落ち葉がふかふかに敷き詰められた小さな空間がある。
入ると空気はひんやりしていて、思わず肩をすくめた。
「mia、寒いのだ?」
ちびドラが心配そうに見上げる。
小さな首をかしげて考えたあと、ぱっと顔を上げた。
「オレ、火、出せるのだ!」
胸を張る姿に、思わず笑ってしまう。
「ありがとう。でも、森で火を出したら危ないから……」
そう言ってスプーンを両手で包み込む。
指先が、ほんのり温かい。
「……もしかして、スプーンも何かできるのかな」
スプーンがかすかに光を帯び、レシピブックがふわりと揺れた。
「……そうか。スキルって、スプーンを通して出せるんだったよね」
自然とそんな言葉がこぼれた。
スプーンを掲げ、小さくつぶやく。
「《プスプスブレス》」
次の瞬間、光が小さな粒となって宙に舞う。
それは星の欠片がひとつに集まるように形を取り、
やがて木目調の小さなドライヤーとなって私の前に降り立った。
表面に残る光の粒がゆっくり動き、淡い線を描きながら言葉を形づくる。
──《プスプスブレス》
「……これが、スキルの具現化……」
光はやわらかく消え、側面のスイッチがかすかにきらめいた。
おそるおそる押してみると、「ぷすっ」と可愛い音。
あたたかな風がふわりと広がり、空間を包み込んだ。
「……あったかい」
「ぎゃぅふふ! 便利なのだ!」
ちびドラが尻尾を振り、二人で顔を見合わせて笑う。
その夜は安心して眠りについた。
⸻
──朝。
木々の隙間から射し込む柔らかな光が、森の地面をきらきらと照らしていた。
目を覚ますと、ちびドラのお腹が「ぐぅ〜……」と鳴る。
「……朝ごはん、探そうか」
「ぎゃぅ! 食べものなのだ!」
意気込むちびドラの背中を追いながら、森の奥へと進む。
木漏れ日の中、ふと風の流れが変わった。
森の奥は息をひそめたように静まり返り、木々の葉は黒ずみ、草は萎れている。
空気は冷たく、どこか重かった。
耳を澄ますと、“もふっ、もふっ”という小さな息づかい。
茂みをかき分けると──
地面に丸まって震える、黒い毛玉のような生き物がいた。
「……ひつじ……モフル……?」
ちびドラが小さくつぶやく。
本来は白くてふわふわな毛を持つはずのモフル。
けれど今は闇に侵され、黒いもやが体を覆っていた。
私はスプーンを握り、プスプスブレスを呼び出した。
吹き出し口を向けてスイッチを押す。
「ぷすっ」
ふわりとあたたかな風が流れ出る。
けれど、闇に包まれた草は揺れるだけで変化はない。
モフルも怯えたまま、かすかに鳴き声を漏らした。
(……あれ? どこかに切り替えが……)
手元を見ると、柄の根元に小さな刻印がある。
指でなぞると、カチリと音がした。
風は止まり、静けさが戻る。
プスプスブレスの先が淡く光を帯びていた。
息を整え、スイッチにそっと指を添える。
「ぷすっ」
風が舞い、やわらかな光の粒が闇に触れる。
黒ずんだ草が少しずつ色を取り戻し、
倒れていた小枝の先に、小さな芽が顔を出した。
やがて光は怯えるモフルにも届いた。
もやがふるりと揺れ、毛並みの奥から白が滲むように広がっていく。
「……怖くないよ。大丈夫」
モフルの体がびくんと震え、荒い呼吸が少しずつ静まっていった。
瞳の奥に、ほんのわずか金色の光が戻る。
それは涙のようにきらめき、
まるで“思い出した”ような、やさしい光だった。
私はレシピブックを開いた。
ふわりと光がこぼれ、焼きたてのミルクパンが現れる。
「……パン……?」
思わず息をのむ。
ほんのり甘くて、どこか懐かしい香りがあたりに広がっていく。
パンの香りに気づいたのか、モフルの瞳がとろんと揺れた。
怯えの色が消え、ふらりと近づいてくる。
前足でパンを抱き寄せ、そのまま小さく息を吐いた。
モフルはパンを抱きしめたまま、静かに眠りについた。
私は白いスプーンを差し出す。
黒いもやがすうっと浮かび、光に導かれるようにスプーンへ吸い込まれていく。
モフルの毛並みは白く戻り、安らかな寝息を立てはじめた。
スプーンには新しい文字が浮かび上がる。
──【やすらぎのセーブまくら 記録完了】
やがて目を覚ましたモフルは、穏やかな表情を取り戻していた。
その瞳には、もう闇の影はなかった。
「……もう大丈夫だね」
やさしく微笑むと、モフルは小さく「もふ」と鳴いてお辞儀をした。
その足元に、小さな瓶が二つ、ころんと転がる。
「ぎゃぅっ! ソルミア名物のミルクなのだ!」
ちびドラが誇らしげに胸を張る。
モフルはもう一度短く鳴くと、森の奥へと歩き出した。
その姿はやがて木々の向こうに溶けていき、静かな風だけが残った。
「ソルミアミルク……ほかほかにして飲みたいのだ!」
ちびドラの声がはねるように響く。
思わず笑みがこぼれる。
「じゃあ、ホットミルクにしようか」
スプーンを掲げると、淡い光とともに《プスプスブレス》が現れた。
小さな木目調のドライヤーは「ぷすっ」と息を吹きかけ、器をあたためる。
ふわりと立ちのぼる白い湯気に、甘い香りが重なった。
二人の鼻先をくすぐるやさしい香り。
ひと口飲むと、ほんのり甘く、やわらかな温かさが胸の奥に広がる。
隣でちびドラも幸せそうに目を細め、尻尾を小さく揺らした。
ミルクの香りが森に溶けていく。
けれど同時に、胸の奥で小さなざわめきが残った。




