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悪意に満ちて  作者: イル
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胡乱な商人

 辺りに漂うのは微かな熱と硝煙、そして生臭い鉄の香り。転がっているのは拉げた一人の騎士と血に塗れた大狼。

満身創痍の男は静かに騎士を見下ろしているが、そんな彼の背後からどこか気の抜けたような声が聞こえた。


「おやおやおや。まさかと思い来てみれば……彼の大狼が遂に敗れましたか」


 アルズグが振り向くと、此方に歩いて来る一人の男がいた。男は大きな袋を担ぎ、薄汚れたぼろぼろのローブを纏った何とも怪しげな風貌をしている。頭部よりも遥かに大きなフードを深々と被る男の顔は拝む事ができない。


「貴方様がこの大狼を?」


 男はアルズグに問い掛ける。武器を持ち、この場に立っているのは彼一人なのだから確認するまでもない事だ。それでも男は静かに、しかしどこか期待のこもった様子でアルズグの返答を律義に待つ。


「……そうだ。俺一人の力ではないが……」


「何と! 素晴らしい!」


 彼の答えを聞くや否や男は嬉しそうに手を合わせる。パンッ、という軽い音が悲惨な景色に響いた。


「いや、私もこの大狼にはほとほと困っておりまして。何せトラニスタニア南部への唯一の道を通れなくしていたものですから——おや。そちらの方はソドレームの騎士ですね。調査隊が編成されたとは聞いておりましたが、まさかこんな場所にまで——」


「そんな事はどうでもいい。アンタは何者だ?」


 一人でに語り出した男の言葉を無理矢理遮り、アルズグは剣を向ける。すると男は飄々とした態度を崩すことなく、謝罪と共に自己紹介をした。


「これはこれは……失礼致しました。(わたくし)はしがない旅商人でございます。どうぞ、御贔屓に」


 アルズグは恭しく礼をする商人の様子に目を細めた。彼の様子を見るに敵対する気がない事は確かなようだが、どこか只ならぬ雰囲気をアルズグは感じ取っていた。そもそもこんな世界を一人で旅している以上、少なくとも尋常ではないだろう。アルズグは抜身のまま剣を下した。


「商人だと? こんな世界で何が売れる?」


「様々なものに需要はございますよ。武具は勿論の事、食材や財宝の類に情報といった形ないものまで。人や化け物の死体も立派な商品でございます」


 商人は転がる騎士の死体へ目を向けた。それから喜々として「何か買われていきますか?」とアルズグに問う。

 胡散臭い商人を前にアルズグは思案する。彼を素直に信用する事は出来ないが、情報に関しては幾らあっても困るものではない。星に関係するものなら尚更だ。取り敢えず商品を見てみる事にしたが、アルズグには対価として払えるものがなかった。その事を商人に告げると彼は問題ないと答える。


「ご安心下さい。金銭などは求めません。今となっては価値のない金属片……武具に加工した方が余程有意義ですから」


「では何を求める?」


「それは勿論、商品と釣り合う物品、あるいは情報です。私が求めているものであればその価値は更に上がりますよ」


 商人は客引きをする露天商よろしく手振りを交えながら答える。

 それから徐にローブの下から小さな硝子瓶を取り出すとアルズグに手渡した。瓶の中には美しい小さな花と、粘性の高い半透明の液体が入っている。


「その前に、まずはこちらを」


「これは何だ?」


 アルズグは受け取った瓶を眺めながら問い掛ける。ささやかながらも繊細な瓶の意匠が赤い光に煌めいた。


「大賢者トリシャンドルの遺物でございます。死が蔓延る地、満月の夜に一輪だけ咲き、高い治癒効果のある蜜を溢す『死喰らいの花』。その花に恒久の魔術を施したものとなります」


 彼は商人らしく品物の説明を流暢にこなす。

 大賢者トリシャンドル。伝説に語られる人物であり、数多くの厄災を退き人類の存続に大きく貢献した偉大な人格者である。魔術に長け、どの国家にも属さずに世界中を旅した彼女はその道中で人々の為に幾つもの魔道具を生み出してきたという。

 そんな人物が遺した遺物。それは世界中の王族貴族や収集家達が人生を賭けてまで手に入れたがる代物で、どれも言葉通りに値千金であり、中には国庫を揺るがす程の価値が付く品もある。


「要するに傷が治るのか?」


 しかし記憶のないアルズグにそんな名声は関係ない。この世界では知らぬ者は居ない賢者の名前すらも、彼の記憶には刻まれていないのだ。

 眉一つ動かさない彼の淡々とした様子に思う所があったのか、商人は僅かに目を細めた。


「……ええ。病や毒、ある程度の欠損すら治せます。貴方様は随分と酷い怪我をしていらっしゃるので、取引の前に癒して頂けたらと」


「これに見合うものは持っていない」


「大狼討伐のお礼ですから、お代は頂きません。流石にそれ自体を差し上げる事はできませんがね」


 商人は不敵に笑い、アルズグに蜜を飲むよう催促をする。毒も癒せる蜜に毒を混ぜても意味はないと商人は言うが、アルズグは一度彼に毒見をさせた。「用心深いのは良い事です」と彼は蜜を僅かに指に垂らしフードを上げると、アルズグに口元を見せながらそれを舐め取る。その顔は何も変哲の無い人間のものだった。


「さあ、貴方様もどうぞ」


 アルズグは逡巡した後、蜜を少しだけ口に含んだ。それから蜜特有の甘さを感じながら飲み込む。すると体中の怪我が瞬く間に癒え、それと同時に身体の内から正体の判らない不思議な力が湧くような感覚に襲われた。


「これは……」


「どうですか? 夥しい程の命の味は」


「成程……死喰らいとはそういう……」


 アルズグは小瓶を商人に返しながら呟いた。


「ふふ……さて、では改めて取引と致しましょうか」




 商人が言うにはアルズグの『所有物』はかなり価値のあるものらしい。


「貴方様が討伐なされた大狼の死体、そして貴方様の仲間であったそちらの騎士はどちらも貴方様の所有物でございます」


 商人はそう告げたがこれはあくまで彼独自の規律に則った判断であり、他の商人はもっと強欲で意地汚いのだそうだ。彼は多少の利益を犠牲に安全と信頼を取っているのである。

 そして彼の商品には等級が定められていた。一から四までの等級は数字が小さくなる程価値が高く希少な品になる。大狼の死体は丸ごとなら二等級分。騎士は鎧含めても四等級分の価値があるという。


「俺が欲しいのは情報だ。この世界の現状と——」


 アルズグは星に視線を移す。


「あの星に関するものだ」


「星……ですか」


 商人は静かに反芻した。彼の纏う雰囲気が先程のまでのものと一変し、重たいものとなる。それは一瞬の事でありすぐに元の飄々としたものへと戻ったが、アルズグはその変化に気付いていた。しかし敢えて指摘はせず、泳がせる事を選んだ。


「星の情報はどれも一等級となりますので、今回はお教えする事はできません。ですがもう一つの方でしたら殆どは四から三等級ですので、問題はありませんよ」


 それから彼は先程の雰囲気を誤魔化すかのように言葉を紡ぎ出す。


「大狼に関しましては、牙、爪、骨、毛皮に高い価値がございます。炎を宿した爪牙は武器に。骨も同様ですが呪術に用いるなど多少用途の幅は広がります。毛皮は外套——おそらく耐火に優れたものになるでしょう。如何なさいますか?」


「それは教えない方が良かったのではないか?」


「いえいえ。本当に必要のないものだけを売って頂かなければ蟠りが生まれてしまいます。私、腕っ節にはあまり自身がないものですから……」


 商人は気恥ずかしそうに頭を押さえた。


「では爪牙は半分。毛皮は外套分だけ。それ以外はお前にやろう」


「ありがとうございます。しかしそうなりますと大狼は三等級まで価値が下がりますが、よろしいですか?」


「それでも情報は買えるのだろう? なら構わん」


「騎士の方はどうされますか?」


 商人に言われ、アルズグは口を噤んだ。暫く沈黙が続いた後、彼は静かに口を開く。


「兜と剣だけ残してくれ」


「かしこまりました。では取引成立という事で、お客様の知りたいことをお教えしましょう」




 アルズグが商人から買った情報は『今現在』の世界の在り様。

 まず欲求の欠如は人によって差異があり、アルズグのようにほぼ全ての欲が無くなるのは稀有な例であるらしい。

 更に怪物が居ることは今も変わらず、星に近づくにつれより多く、より強くなるという。

 そしてソドレームの調査隊が編成されてから、既に十余年が経過しているとのこと。

 それ程の時間が経てば、人は嫌が応でも環境に適応していく。『赤の厄災』と呼ばれるようになったあの日、確かに多くの犠牲者が出た。しかし、それでも人々は未だ生き残っているのだそうだ。

 というのも厄災以前から存在していた『皓星(こうせい)の徒』と呼ばれる宗教団体。彼らが民の保護を買って出たのだ。白き巨星を神と崇める彼ら曰く、赤くなったのは人々の行いに星が激怒したからであると。その為、人々を保護し、改心させる事で星の怒りを鎮めようと奮闘している。しかし、教会内で赤い星を信仰する新たな信徒が現れ内部分裂を起こした。結果として晧星の徒は教会本部から追い出されたが、今でも人々の保護をし続けているのだという。

 そして新たに生まれた『赫星(かくせい)の徒』は赤き巨星こそ真の神だと崇め、赤く染まった新たな世界を神が新しく作った理想郷であると謳う。更に赫星の徒は己が欲望の為に星を目指す者——『星追い』を狩ることもしている。彼らにとって星追いは不用意に神に近づく不届き者であり、理想郷を壊そうとする侵略者だからだ。

 最後に『星呑み』と呼ばれる者達。彼らは願いを叶える星の力を取り込み、自らが神に近しい存在になろうと企む存在。未だに謎が多く、全貌は明らかになっていないのだそうだ。

『晧星の徒』と『赫星の徒』。

『星追い』と『星呑み』。

 今の世界は大まかにこの四つの勢力で分けられている。


「とまあ、一先ずはこのくらいでしょうか。ご満足頂けましたか?」


「ああ」


 アルズグは短く答え、得た情報を整理する。

 何を願う訳でもないが、星を目指す以上彼は星追いに属する事となる。となれば赫星の徒に狙われるのは必然であり、星呑みや他の星追い達も決して味方という訳ではない。それに加えて怪物達を相手取る事もこの先増えるだろう。アルズグは敵の多さに内心辟易する。

 それからふと手元の直剣へ視線を下した。大狼の体液と黒い水に塗れた直剣。このままでも毒性の武器としては優秀かも知れないが、長い間まともな手入れをされていないその刀身は刃毀れが目立たないといえば嘘になる。廃村で拾ったナイフもやけに綺麗な状態を保っていたが、この先いつまで使えるかは不明瞭だ。

 そうして彼の中で目下の目標は定まった。


「情報はまだ買えるか? 鍛冶師の居場所を知りたいのだが」


「ふーむ……鍛冶師ですか……」


 商人はフードで隠れた顎に手を当て、何かを考える素振りをした。


「この情報を買われるとお客様の残りの『価値』を使いきってしいますが……」


「構わない」


 アルズグの了承を得た商人は「それでは」と話し出した——。




 アルズグはスヴィルノームを離れ一度廃教会へ戻った。折れた剣と兜を携えた彼は合図もなしに扉を開ける。

 彼は歩きながら変化の無い教会内部を眺める。左右対称に並べられ埃すら積もっていない長椅子。壁に積まれた大量の木板。赤い光を浴びる女神像。そして——心を壊した騎士のルグレ。

 ルグレの元へ歩み寄るアルズグはふと視線を落とす。すると彼の近くの長椅子に置かれた一枚の板を見つけた。板にはルグレに対する謝罪と感謝が刻まれている。

 アルズグは板の傍らに折れた剣と兜を置き、静かにその場を後にした。




 再びスヴィルノームを訪れたアルズグの眼前には解体され見る影もない大狼が居た。毛皮と肉、骨と内蔵、そして眼球。それらは布の上で綺麗に仕分けられている。

 商人はアルズグの姿に気が付くと布の包みを差し出した。


「こちらがお客様の分でございます」


「……この短時間で解体を?」


 包みを受け取りながらアルズグは純粋な疑問を投げかける。アルズグが廃教会に戻ると告げてから左程時間は経っていない。その間に人よりも遥かに巨大な狼をここまで綺麗に解体できるとは思えなかった。

商人は少しの間を置いてから人差し指をフード越しに口元で立てる。


「それは秘密でございます」


「そうか。では俺はもう行くぞ」


「あ、少々お待ちを」


 現状得られるものを得て早々にこの場を去ろうとするアルズグを商人が引き留める。振り返るアルズグに彼はある物を手渡した。それはアルズグの傷を癒した小さな硝子瓶だった。


「それはお客様に差し上げます」


「何故だ? 貴重なものなのだろう?」


「ええ。ですがお客様が持っていた方がよろしいかと思いまして。貴方様はきっと、私が望むものを見つけてくださる……そんな気がするのです」


 商人の言葉にアルズグは沈黙を返した。彼の望むものなど毛頭知り得ないからだ。表情の見えない商人が何を企んでいるのかは判らない。しかし、この小瓶には商人の言葉に騙されるだけの価値がある。アルズグはそう判断を下した。


「くれるというのなら有難く貰うとしよう」


「ええ。そうしてください」


 遠のいていくアルズグの背を、胡乱な商人は静かに見守っていた。




 アルズグの姿が見えなくなった頃、商人は一人呟く。


「お客様の詮索はしない。そのつもりだったのですが——」


 商人は顎に手を当て唸る。

 下らない情報を欲しがり、誰もが知る偉人を知らない。気味が悪い程に淡々とし、空虚さすら感じさせる謎の男。


「——楽しみですね」


 商人は見えない笑みを浮かべ、星を見上げた。


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