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悪意に満ちて  作者: イル
3/5

二人の騎士

 異形との戦闘を終えたアルズグはその後も星を目指して歩き続けた。左手側に見えていた森はいつの間にか途絶え、地平線の先まで続く荒野へと変わっている。周囲もその様相をがらりと変え、萎れた低木や雑草の茂る見晴らしの良い景色へとなった。それでも生物が見当たらないのは相変わらずであり、あの戦闘以来、彼の目に異形の姿は映っていない。

 視界が良くなった事で彼は視線の先、星のある方角から少し左にずれた位置に一つの建物がある事に気が付いた。遠目からでも廃村にあった建物との違いが分かる程に立派なそれは荒野のなかで静かに佇んでおり、殺風景な赤の景色しか知らないアルズグの目を引く。そして彼は迷うことなくその建物へと進路を変えた。




 それは寂れた小さな教会だった。例に漏れず既に廃墟と化した教会は、神の加護も空しく風化し、罅割れ、崩れかけていた。しかし両開きの木製扉は厳と閉ざされ、窓は目張りされ、崩壊し穴の開いた壁には木の平板で施された簡素な修復の痕跡が見て取れる。


「敬虔な信徒でも居たか……神といえどこうなってしまってはな」


 アルズグが手の届く距離にあった修復跡を徐に手でなぞると、使用されている板が本来の教会を形作る石材の風化具合と比べてかなり新しいものだと気が付く。吹き曝しの荒野の中、石よりも長持ちする木材など考え難く、そこから導き出されるのはこの教会が廃墟となったその後に何者かが廃教会で活動していたという可能性。

 アルズグは警戒を怠る事なく、まずは教会周囲を調べる事にした。彼が教会の裏手に回ると、そこには六つの粗末な墓が並んでいた。その大きさや墓同士の感覚を見るに、死体はなく、形だけの墓である。土を盛り、枝で組んだ十字架を刺しただけの代物ではあるが、最近まで手入れされていたであろう事は明らかだった。

 廃教会に人がいるという事を確信したアルズグは名前も素性も分からない墓を横目に教会を一周し、入り口の扉まで戻ると一瞬の躊躇いも見せずに扉へと手を当てる。軋む音を聞きながらゆっくりと開け、自分一人が入れるほどの隙間を作ると中へと足を踏み入れた。

 信徒が祈りを捧げる為だけの小さな教会の中は、この赤く荒んだ世界からは考えられない程に整っていた。長椅子は左右対称に並べられ、埃一つも積もっていない。天井は所々に崩落した穴が見受けられるが、瓦礫は全て撤去されている。正面奥に佇む女神像は天井の穴から降り注ぐ赤い光に照らされ、鮮血に塗れたかのような風貌でこちらを睥睨していた。壁際には木板が大量に積まれているが、それをさえ無視すれば至って普通の教会だ。

 アルズグは椅子の間に設けられた通路を堂々と歩き、女神像の元へと向かった。両腕を広げ信徒を包み込まんと自愛に満ちた笑みを湛える名の分らぬ女神は、素人目で見ても腕の立つ職人が造り上げたのだと判る出来栄えだった。美術品としても高い価値を有するであろう女神像。

 アルズグは興味なさげに視線を逸らす。彼にとって神や宗教、芸術の類は価値のない路傍の石であった。しかし、女神に魅了されなかったが為に、彼は像の傍らから見えるものにいち早く気付くことができた。

 それは力なく垂れた鎧の一部、手甲だった。まさかと思い近付くと、そこには彼の予想通りに鈍色を放つ騎士が女神像の土台部分に凭れ掛かっていた。顔は甲冑に隠れ見る事はできないが、微かに呼吸音が聞こえてくる。


「おい。あんたは何者だ?」


 アルズグは無遠慮に声をかけるが、騎士はほんの僅かに頭を動かしアルズグを見ると、一言も発さずに再び項垂れてしまった。鎧が動き擦れる音が小さく響き、騎士は沈黙を貫く。騎士からはひとひらの生気も感じられず、まるで死体か精巧な人形のようだった。その後もアルズグは二度声をかけたが、騎士は首を動かす事すらせず、ただの鎧の置物と化した。

 謎の老爺を除き、この世界で初めて見つけた人間が意思疎通の取れない状態だと知り、アルズグは静かに落胆した。それは自分以外の人間に会えた喜びからではなく、この世界についての情報が得られないという無利益からである。

 溜息を吐いたアルズグは騎士の側を離れ、壁際に積まれている木板の元へと向かった。そして上から何枚かの板を手に取り、その両面へと交互に目を通す。小さなタリーマークが両の面全体に刻まれた板と、泥や何かの液体、もしくは刃傷で得体の知れないものが描かれた板の二種類があった。前者は何かを数えていた事が明確に読み取れるが、後者の絵は一体何を表しているのかはアルズグには理解が出来なかった。

 彼は手に取った板を元の場所に戻し、改めて積まれた板の山を見る。軽く見積もっても百や二百では到底足りない量の板で作られたその山は、これを作った人物がかなりの時間をこの教会で過ごしてきたという事実を淡々と示していた。

 アルズグは動かない騎士へと視線を移す。これ程の時間を孤独に過ごしたのなら心を壊し、ああなってもおかしくはない。そう心の内で呟いた時——ふと、自身の指が濡れている事に気が付いた。指で擦るとその液体は妙に滑り気を帯び、遅れて漂うのは鉄錆の臭い。

 そしてアルズグがその事実に気付いた時、何者かの足音が既に教会のすぐ傍まで近付いて来ていた。

 




 近付いて来る足音は鎧を纏った人間のそれだった。同時に何かを引き摺る音も聞こえてくる。

 塗料に気を取られ足音に気付くのが遅れたアルズグは、咄嗟に隠れられそうな場所を探す。しかし、信徒が祈りを捧げる為だけの小さな教会には身を潜められる場所はなかった。仕方が無いと彼は赤い女神の前で武器を構え、足音の主を正面から迎える事にした。

 その足音はアルズグが僅かに開けたままの扉の前で一度止まると、引き摺っていた何かをどさりと地面に降ろした。それから何かが擦れる音が聞こえ、扉がゆっくりと開かれた。

 扉の向こうに居たのは女神像の側で項垂れていた騎士と同じ鎧を纏ったもう一人の騎士。直剣を構え強く警戒しているが、幸いな事に騎士はアルズグの姿を捉えてもすぐに襲い掛かるような事はしなかった。同様にアルズグもその場に留まり、膠着にも似た時間が流れる。


「……もしかして、人間なのか?」


先に沈黙を破ったのは騎士の方だった。兜越しに聞こえるくぐもった声は男のものだ。その小さな呟きはアルズグに対する問いというよりかはつい口から零れ出た言葉のようだった。

 騎士の言葉を聞き、アルズグの脳裏には自分が今までに見て来た外の光景が浮かび上がった。まともな生物すら見当たらないのだから、人間が珍しいのはおかしな事ではない。


「ああ、人間だ。少なくとも、あの人擬きに比べればな。そういうアンタはどうなんだ?」


 アルズグの返答が若干曖昧なのは彼に記憶がないからだ。自分がどのような顔をしているのかも判らないアルズグには、自身の事を人間だと断言する事ができなかった。

 それでも、騎士にとっては充分過ぎる程に望んでいた答えだったようだ。騎士の手からするりと剣が落ち、それに続いて彼自身も両の膝を床についた。兜越しにその顔を両手で押さえ、静かに肩を震わせている。


「私も人間だ……ああ……私は人間だとも…………まだ私達以外にも居たのだな……」


 それから騎士は落とした剣を鞘に納めると、よろめきながら立ち上がり、アルズグの元へと歩み寄る。そして徐に兜を脱いだ。無精髭を携えた壮年の騎士は、兜を小脇に抱えアルズグへ握手を求める。


「私はオーネスト。ソドレーム王国の騎士だ。会えて嬉しいよ」


「……アルズグだ」


 彼が簡潔に答え差し出された手を取ると、オーネストは満足気な笑みを浮かべアルズグの手を強く握り返した。


「アルズグ殿、申し訳ないが少し待っていてくれないか」


 共に自己紹介を終え早速この世界の事を聞こうと口を開きかけたアルズグだったが、オーネストはそう告げると踵を返し教会の外へと出ていった。何事かと思いアルズグが後を追うと、オーネストは横たわる一頭の猪の解体作業に取り掛かっていた。彼が引き摺っていたのはこの猪だったようだ。解体といっても猪は既に腹を裂かれ内臓を抜かれた状態である為、オーネストは鉈を使い猪の肉を適当な大きさに削いでいく。


「この世界にはもう、まともな生き物はいないのかと思っていた」


「この辺りにはいないさ。少し離れた森に行けば、こうしてたまに見かける。狂暴だし、数は少ないがね」


「何故獣を狩る? もう食事の必要はないだろう」


「勿論、食べる為だ。確かに食事を摂る必要はないが、それでも何かを食べると満たされるものがある」


「そういうものか」


「ああ。それに、私はただ人間らしくありたいのだ。食事も睡眠も不要なのは確かに楽ではあるが、それを続けていたらいよいよ人間ではなくなってしまう気がしてな」


「教会にある大量の絵、あれも人間らしくある為か?」


「おお! 見てくれたのか。どうだった? 中々どうして上手くかけているとは思わないか?」


 オーネストは喜々としてアルズグに問い掛けたが、当のアルズグは返答に困った。幾つか見た絵を思い出したが、そのどれもが何を描いているのか、彼には皆目見当もつかない。それよりもアルズグが気にしている事は別にあった。


「悪いが、俺はその道には疎くてな……こうして狩った獣の血を使うのか?」


「ん? ……ああ! すまない、驚かせてしまったかな。アルズグ殿の言う通り、たまに獣の血を使う事もある。今の世界ではまともな塗料も手に入らないからな。だから様々なものを使って描いている」


「そうか。なら俺が塗料にされる心配はしなくてよさそうだな」


「はっはっはっ! ようやく出会えた同胞だ。誓って、そのような事はしない」


 オーネストは快活に笑うと切り取った肉を次々と枝に刺し、教会の壁に空いた小さな穴に差し込むと、アルズグと共に教会の中へと戻った。彼は適当な椅子に兜を置くと、動かない騎士の元へ向かう。


「戻ったぞ」


 帰りを告げられた騎士はアルズグの時と同様に顔だけをオーネストへと向けると、言葉を発する事なく項垂れた。アルズグが静かに二人の様子を見ていると、オーネストは目を伏せながら彼の事を語る。


「彼はルグレ。私が率いていた団の一員だ。此処に来るまでに色々あってな。彼は心を壊してしまったのだ」


「では、外に並んでいるあの墓は——」


「ああ、私の団員たちのものだ」


 オーネストは沈痛な面持ちで答える。


「正義感に溢れ、忠義に厚い良い騎士たちだった。私についてきたばかりに皆命を落とした。私が殺したも同然だ…………私は、団長に相応しくなかったのだ」


 固く拳を握る彼の手は悔恨により震えていた。

 部下や親しい者を亡くした悲しみ。上に立つ者としての責任の重さ。オーネストが感じているそれら全てはアルズグには到底理解の出来ない類のものだ。彼には沈黙を貫く事しかできなかった。そして、記憶を失くし人間性というものが希薄になっているアルズグにはそれらしい慰めの言葉すら浮かんでは来ない。


「アルズグ殿、すまない。このような話をするつもりはなかったのだがな」


「別に構わない。そういう事もあるだろう」


「そう言って貰えると助かるよ。……もし良かったら、君の事も教えてくれないか?」


オーネストは改めてアルズグの方へ目を向けた。


「実は初め見た時から気になっていたのだ。君は妙に血に塗れているだろう?」


 指摘され、アルズグは己の身体を見る。彼は確かに怪物たちの血を浴びはしたが、星の齎す赤い光によってどの程度血で汚れているのかは詳しく認識できない。


「分かるのか?」


「分かるとも。こうも赤い光を見続ければ、多少なりとも慣れるものだ。そうでなくとも、血の匂いまでは消えないさ」


「それもそうか。……この血は外で怪物共を殺した時に着いたものだ。知っているのではないか? 人に似た姿をした化け物だ」 


「ああ、何度も戦った事があるよ。成程、だから人擬きか。……まさか、異様に頑丈なアレをそのナイフだけで?」


 オーネストは目を丸くしてナイフへと視線を向ける。


「そうだ。苦戦はしたが、奴らに仲間意識がなかったおかげでどうにかなった」


「……これはとんだ傑物だな。さぞ名のある戦士とお見受けするが……」


「分からない。俺には記憶がなくてな。名前しか覚えていない。星の反対側にある廃村で目覚め、知らん老爺にあの星を目指せと言われた。今は他に目的もないからそれに従っている」


「記憶が……?」


 彼は顎を擦りながら訝しげに眉を顰めた。

 しかし、そんな彼の様子を気にも留めずアルズグは話を続ける。


「俺にとっては自分の事も、この世界の事も、全てが未知だ。だからこうしてあんたに会えたのは僥倖だった。教えてくれないか? この赤い世界の事を」


 アルズグは鋭い眼差しでオーネストの瞳を捉える。その威圧的なまでの眼光と、この出会って間もない内に垣間見たアルズグの人柄から、オーネストはアルズグが嘘や冗談を吐くような人物ではないと冷静に判断した。


「分かった。私が知っている限りの事を話そう」


 彼は適当な椅子に座るようアルズグを促し、自身も長椅子へ腰かけると静かに話し始めた。

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