16
メグを探し始めてから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
道端の小石に蹴躓いた私は、膝に手をついて立ち止まる。
……こんなことなら、この街のことをもっと調べておくべきだった。
魔獣の大襲来の舞台となるこの街は、王都に隣接していることもあり、とても広く栄えている街らしい。
大通りから一筋中に入ってしまえば、似通った住宅が所狭しと立ち並んでおり、道自体も入り組んでいる。
この街に馴染みのない私にとっては、メグを探すだけでも一苦労だ。
しかし、今さら後悔したところでどうにもならない。
私はとにかく前を向いて、どこにあるかもわからないゴールに向かって走った。
このところ家に篭りきりだったこともあって、足ががくがく震えているのがわかる。
脇腹は痛いし、喉の奥からは血の味だってする。
こんな時に、回復魔法やポーションは無力だ。
消耗した魔力や体力を回復することはできても、身体が感じる苦痛自体を取り除くことはできないのだから。
目の前に現れる敵を倒し、怪我人にはポーションを使い、道に転がる遺体はそれ以上に損壊されないよう端に寄せ……。
そんなことを繰り返しながら、ようやくメグの姿を視界にとらえた時には、私は息も絶え絶えだった。
「…………よかった、いた」
メグのところまではまだ少し距離があるものの、一際大きな瓦礫の山の上に立つ私のところからは、彼女の姿がよく見える。
上から下まで真っ白な衣服に身を包んだメグは、内側から発光しているかのようで、まるで天使みたいだ。
そしてそんなメグの近くには、その家の住民であろう若い男性と幼い子どもが寝かせられている。
轟音が鳴る中でぴくりとも動かない二人は、『LOJ』の内容と同様、メグがここに到着した時にはすでに亡くなっていたのだろう。
しかしメグの腕の中にいる女性の口元は動いており、まだ生きていることが見て取れた。
私の位置からでは、女性が何を言っているのかまでは聞き取れない。
こちらに背を向けるメグがどんな表情をしているのかも見えないが、おそらく私は間に合ったのだろう。
後はポーションをメグに手渡すだけ。
そうすれば彼女は回復魔法を使えるようになるし、腕の中の女性も助かる。
それどころか、魔力が回復したメグの力で、より多くの人が救われるかもしれない。
「マオ達のハッピーエンドに一歩近づけたわ……」
その時の私は、そう安心しきっていた。
けれども「そんなに簡単な話ではない」と気づかされたのは、それからすぐのことだった。
最初に「おかしい」と思ったのは、メグがゆっくりと自身の両手を女性の首へと伸ばした時。
女性は抵抗することもなく、むしろ僅かに首を持ち上げて、メグの行為を受け入れたように見えた。
メグの目から、大粒の涙が零れ落ちる。
涙を流しながらも、メグは両手に力を込めたのだろう。女性は一瞬眉を顰めて、しかしすぐに何かを呟いた。
その声が私の耳に届くことはなかったが、女性の口は「ありがとう」と動いたように思われた。
…………メグが女性を殺そうとしている?
そう気がついたと同時に、私は地面を蹴ってメグの元へと駆け出す。
瓦礫に足を取られて転んでしまったせいで、ぶつけた膝がじんじんと痛むが、それを気にしている場合ではない。
自分でも「どこにこんな力が残っていたのだろう」と不思議に思うのだけれども、とにかく私はメグを目掛けて精一杯足を動かした。
必死の思いで走り続け、ようやくメグのところまで辿り着いた私の耳に届いたのは、掠れるメグの声。
「本当に、これでいいのですか?」
その声は僅かに震えており、メグの心の揺らぎが感じられる。
そんなメグとは対照的に、「はい」と答える女性は随分と落ち着いているようだ。
それこそ、今まさに殺されようとしているとは思えないくらいに。
「ありがとうございます。私にとって、あなたは神様です」
「……神様? あなたを殺そうとしているのに?」
「私の苦痛を取り除こうとしてくださっているからです」
言葉の内容とはそぐわない柔らかな笑みを浮かべる女性を見て、おそらくメグは覚悟を決めたのだと思う。
両手に力を込めようとするメグに向かって、私は慌てて手を伸ばす。
「だめ!!」
そう叫んでメグの肩を強く引くと、メグの手は予想していたよりも簡単に、するりと女性の首から離れた。
「殺しちゃだめよ、メグ。あなたは自らの手で人の息の根を止めて、それでも正気を保っていられるような人間ではないでしょう?」
私の言葉を聞いて、メグの瞳からは大粒の涙が溢れる。
「ううっ……、ぐすっ」
そのまま嗚咽を漏らしてしゃがみ込むメグの背中に、私はそっと手を添える。
するとそんな私に向かって、「邪魔しないで」という声が飛んできた。
声のする方向へと視線を向けると、先ほどまでメグの腕の中にいた女性が私を睨みつけているのがわかった。
怪我人とは思えないほどの鋭い視線に、私は思わず怯みそうになる。
「……何言ってるのよ。目の前で知り合いが人を殺めようとしていて、邪魔しない人間がいると思う?」
そう言いながらヒップバッグからポーションを取り出すと、目の前の女性は口を強く引き結んだ。
おそらく「飲まない」という意思表示なのだと思う。
けれどもここで「はいそうですか」と諦めるつもりもない。
彼女の気持ちには気づかないふりをして女性の鼻を摘むと、数十秒ともたずに口から息が吐き出される。
「ごほっ……、げふっ」
開いた口の隙間からポーションを流し込み、吐き出させないように咽せる彼女の口元を手で塞ぐ私は、事情を知らない人間からすれば酷いことをしているように見えるのだろう。
少なくとも目の前の女性からは、私に対する憎しみのようなものを感じる。
力なく首を振り私の手から逃れようとする彼女の視線を真正面から受け止めて、私は彼女が薬を飲み込むのをじっと待った。
しばらくそうしているうちに、女性は私が引かないことを悟ったのだろう。
彼女は口の中のポーションを飲み下すと、そのまま目を閉じて「どうして死なせてくれないの……」と力なく呟いた。
「ただでさえ痛くて苦しいの。この苦痛を乗り越えたって、私にはもう何もない。夫も息子も失った私に、もう生きる意味なんてないのよ」
涙ながらに訴える女性は本当に辛そうで、メグが彼女の希望を叶えようとしたことにも納得がいく。
「お願い、楽にして」
そう願う女性を前に、私ですら何が正しいのかわからなくなってしまっているのだから。
つい先程まで辺りに響き渡っていた破壊音は、いつの間にか聞こえなくなっている。
人族側があらかたの魔獣を倒したのだろう。
もう少しすればユウとマオも、この場所にやってくるはずだ。
まるでここだけが切り取られたのかと思うくらいの静寂の中。
私の耳に届くのはメグの嗚咽と、自身の死を望む女性の声。
「私は助けてほしいなんて言っていないわ。こんな世界で生きていたくなんてない。早く夫と息子のいる世界に行きたいの」
「死んでしまいたい」と譫言のように繰り返される女性の言葉を聞いているうちに、足元がぐらぐらと揺れるような心地がする。
おそらくこの揺らぎは、疲労からくるものではない。
……本人の気持ちを無視して彼女の命を救うことが、本当に彼女自身のためになるのだろうか?
不意に、心の中にそんな疑問が湧き上がる。
少し前の私であれば、「なる」と即答していたはずだ。
救える命は救わねばならないと、そう考えていたと思う。
けれども今、私はその疑問に対して答えることができないでいる。
「生きていたくない」と言いながら涙を流す女性を前に、私は一人途方に暮れるのだった。




