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朝もまだ早い時間。
普段人などめったに訪れることのない自宅に、ノックの音が響き渡る。
念のためケイには隠れておくよう指示を出し、そっと玄関の扉を開けると、そこにいたのは思いがけない人物だった。
「よお」
扉の前に立つマモリは片手を上げてそう言うと、「少し上がらせてもらえるか?」と尋ねた。
「ええ、もちろん」
マモリを家の中へと招き入れ、二人分のティーカップと茶菓子をテーブルに並べると、マモリは目元を和らげて「わざわざ悪いな」と言う。
「傷の具合はもういいの?」
「ああ。おかげさまで、馬に乗ってここまで来れるくらいには回復したさ」
「連絡をくれれば、こちらから出向いたのに」
「お忙しい勇者さまに、そんなことはさせられねえよ。その点俺は隠居の身だからな。時間はたっぷりある」
マモリはそう言って笑ったけれども、利き手ではない左手でカップを持っていることからも、まだまだ傷は完治していないのだろう。
「……でも、メグにはここに俺が来たことを言うなよ? あいつ、怒ったら怖いんだ」
冗談めかして発せられた言葉ではあったが、おそらく彼女がこのことを知れば怒るどころではすまないはずだ。
そう思っても仕方がないくらいに、ヤソの集落での戦いにおけるマモリの状態は酷いものだったのだ。
あの日、ケイに少女を任せて小屋へと戻った私の目飛び込んできたのは、身体中から血を流すマモリの姿だった。
血が出ているだけではない。右腕はぐちゃぐちゃに潰されて手の形を有してはおらず、切りつけられた左足からは骨であろうものが覗いていた。
「助かったぜ。あまりに辛すぎて、もうすぐで『早く死んでしまいたい』と思うところだった」
マモリはその場に現れた私を見て力なく笑ったが、おそらくあれは彼の本心だったのだろう。
結局その後、ユウ達も魔人との戦いに合流することになり、我々は魔人を倒すことに成功した。
しかしどういう訳だか、魔人は最期までマモリだけを執拗に攻撃し続けた。
そのせいもあってか、すぐにメグから回復魔法を施されたマモリだったが、彼は三日間目覚めることはなかったという。
「ヤソの集落では、本当にすまなかったな。おまえがいなければ、俺は今ここに存在してないだろう」
「いいえ、あなたが無事で本当によかったわ。でも、パーティーを脱退するって本気なの? ユウ達は『マモリが回復するまで待つ』と言ってくれているんでしょう?」
「ああ。だが俺のせいで、あいつらの足を止めさせるわけにはいかないからな」
なんてことないふうに答えるマモリに対して、私の口からは「もったいない」という言葉が出かかる。
『LOJ』とは違ってマモリは死を免れたのだから、道半ばで諦めることはせずに身体の回復を待って復帰し、ユウ達と共にハッピーエンドを目指せばいいのに……との思いからだった。
しかし私の言葉を押し止めたのは、他でもないマモリだった。
「それに俺は、ヤソの集落で魔人と戦っている時にはもう、パーティーを脱退することを決めていたからな」
マモリの思いがけない発言に、私の口からは「え?」という言葉が漏れる。
「情けねえ話だが、俺は自分の死を覚悟して、これまでの自分の生き方を後悔したんだ。俺がすべきだったのは〝その他大勢〟を救うことじゃなくて、自分の家族を大切にすることなんじゃねえか……ってな」
マモリはそこで一旦言葉を区切ると、服の上から左胸の辺りを手で押さえる。
その行動の理由はいまいちわからないけれど、満ち足りたようなマモリの表情を見るに、きっと彼にとっては特別な意味が込められた動きなのだろう。
「ユウ達には迷惑を掛けることになっちまったが、それでも俺は悔いのない人生を送りたいんだ。批判もあるかもしれねえ。だが、俺の幸せは赤の他人に決められるものではないからな」
そう言い切ったマモリは晴れ晴れとした顔をしており、それ以上口を挟むことなどできなかった。
なんとなく居心地の悪さを感じてしまい、私はティーカップへと手を伸ばす。
今ではすっかり慣れ親しんだハーブティーの味に一息つくと、「うまいな」という呟きが耳に入った。
「今まで飲んだことがない味だが、特別な茶葉を使っているのか?」
「ええ、同居人が育てたハーブで作られたお茶なのよ。植物の栽培が得意な子で。でもまさか、ハーブティーまで手作りしちゃうなんて驚くわよね」
少し前から、ケイは自家製の薬草でポーションまで作ってくれるようになった。
そんな彼の最近のマイブームの一つが、〝ケイの畑〟で採れたハーブを使ったハーブティー作りらしい。
マモリに出した「日常用」のリーフの他に、ケイが「アイ用」と呼ぶものも数種類ある。
それらは「アイ用」であるにもかかわらず、「『日常用』以外のものは僕が入れるから、勝手に飲まないで」と言われており、ケイなりに何かこだわりがあるようだ。
他にも、部屋に籠って実験のようなことをしている姿を見かけることもある。
机の上に放置された紙に書き記された様々な数式は、私にとってはただの数字と記号の羅列なのだけれど、時折「なるほど!」という声が聞こえてきたりもして、私はそのたびに嬉しい気持ちになる。
子どもにとって、夢中になれるものがあるというのは良いことだ。
そんなことを考えていたせいで、すぐ前にいるマモリの目がすうっと細められたことに、その時の私は気がつかなかった。
「……実は、俺が今日ここに来たのには、近況報告以外にも用があってな」
私達の他に誰がいるわけでもないのに、マモリは内緒話をするかのように声をひそめると、「ヤソの集落の生贄だった子ども、今この家にいるんだろ?」と言った。
……どうしてそれを、マモリが知っているのだろう?
あの日、私から少女を託されたケイは、そのまま彼女を家まで連れ帰って来たらしい。
私が帰宅した時にはすでに、少女は意識を取り戻していたものの、魔人との対面があまりに衝撃的なものだったからか、彼女は一切の記憶を失ってしまっていた。
「この子、ここで面倒を見ようよ。アイに迷惑はかけないようにするから」
ケイにそう懇願されたこともあり、あの少女は〈メテ〉と呼ばれることとなり、今はこの家で生活をしている。
しかしそのことは誰にも口外していないし、念のためにメテは外にも出ていない。
おそらく私の動揺がマモリに伝わったのだろう。
彼は口元を引き上げて「ふっ」と笑うと、「確証はなかったが、その様子だとどうやら当たりみたいだな」と言う。
「おまえ、隠し事下手なんだな」
「うるさいわね。……それで、あの子がここにいたらなんだって言うの? ヤソの集落に帰らせろとでも言うつもり?」
マモリへの問い掛けは、自分で予想していたよりも随分と刺々しい言い方になってしまった。
しかしいくらマモリに反対されようとも、ヤソの集落での生活どころか、自分の本来の名前すらも覚えていない彼女を、このままの状態でヤソの集落に送り返すつもりはない。
「あの子を集落に帰したって、彼女に待つのは死だけよ。ヤソの集落で教祖も言っていたでしょう? 『今回助かったとしても、次の生贄はこの子だ』って。記憶のないあの子を、ただ次回の生贄にするためだけに集落に帰すのが正しいことだって、あなたはそう言いたいの?」
保護者である教祖に許可も得ず、メテを匿っていることについて、後ろ暗い気持ちがあることは事実だ。
だからこそ私のこの発言は、ただの八つ当たりにすぎない。
こうして無関係な人間を攻撃してしまうのも、自分の中に燻る不安の表れなのだと思う。
しかしマモリは私を責めることはしなかった。
「落ち着け。俺はそんなこと、一言も言ってない」
いつの間にか立ち上がってしまっていた私が腰を下ろすのを見届けると、彼は私を正面から見据えて「俺はむしろ、おまえの意見に賛成だ」と言った。
「おまえの行動が正しいものかどうかは、正直なところわからねえ。だが、俺はどんな形であれ、あの子には生きていてほしいと思っている」
静かに語るマモリの目線の先には、朝食時に使ったマグカップが三つ並べて置いてある。
「……あの子にとっても、あの場におまえがいてくれたのは、幸福なことだったみたいだな」
マモリはそう呟くと、目の前に置かれたティーカップに残っていたお茶を、一気に口へと流し込んだ。
「長居しちまって悪かったな。もしも困ったことがあれば、いつでも頼ってくれればいい」
彼はそう言って、手元にある紙に自宅の住所を書き記した。
「おまえさえよければ、同居人とあの子にも伝えておいてくれ。『俺はおまえ達の味方だ』ってな」
それだけ言い残して去って行くマモリの背中を、私は見えなくなるまで視線で追う。
結局私は、マモリをユウ達の元に留めることはできなかった。
いくつかある選択肢の中から彼が選んだのは、私が思い描いていたハッピーエンドとは違う道。
それでも、吹っ切れたような表情を浮かべるマモリの姿を思い出し、私は心の中で彼の幸せをそっと願うのだった。




