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ある日、私は気がついた。
この世界がゲームの世界だということに。
この世に生を受けて十七年。
そもそも〈はじまりの村〉だなんてふざけた名前のこの村に、どうして疑問を抱かなかったのか。
今となっては不思議でならない。
ほんのりと脳裏に蘇る前世の記憶の中の私は、ごくごく平凡な家庭に生まれた、ごくごく普通の日本人だった。
生活感溢れるリビングのソファーで、ゲーム好きの兄の横に並んで座り、兄がプレイするゲーム画面を眺めていたことだけを、なぜだか鮮明に思い出す。
あの光景は絶対に、この世界のものではない。
……そうか私、ゲームの世界に転生したのか。
それほど人口が多い訳でもないこの村で、今の私は「アイ」と呼ばれている。
「エイ」や「ビイ」と呼ばれる知人がいることを考えると、〈村人I〉ということなのだろう。
日本人としての記憶を持つ身からすると、かなり〝当たり〟な響きの名前だと思う。
しかし、ここがなんという題名のゲームの世界なのかについては、一生知ることができないかもしれない。
それは、いわゆる〝異世界転生〟という非現実的な出来事を早々に受け入れた理由でもあるのだが、私は現在死の瀬戸際に立たされているからだ。
正直、この森には見覚えがある。絶対に知っているゲームなんだと思う。なんなら、ゲームのタイトルだって喉の辺りまで出かかっている。
けれども今は、そちらに意識を向けるだけの余裕がない。
丸腰の私の目の前にいるのは、グルグルと唸り声をあげる三匹の魔獣。
中型犬と似たような見た目でありながらも、彼らの額に生えた角は見るからに鋭く、あれで刺されたらひとたまりもないであろうことは容易に想像がつく。
この森に魔獣が出るなんて聞いたこともないし、もちろん今まで出会ったことだってない。
「どうして」という思いもあるけれど、とりあえず今は目の前の相手に集中しないと。
魔獣を倒す方法など微塵も知らない私は、とにかく彼らを刺激しないようにと、目線を合わせたままじりじりと後ろに下がる。
しかし、私が後退したのと同じ距離だけこちらににじり寄る魔獣達との距離は、一向に縮まらない。
距離が〝縮まらない〟のではなく、わざと〝縮めない〟というのが正しいのかもしれない。
魔獣に知能はないと言われているが、それでも彼らは圧倒的に非力な存在である私が抵抗している様を見て、楽しんでいるように思われた。
絶望、としか言いようのない状況。
あまりにも対抗策がなさすぎて、むしろ冷静になってしまっているくらいだ。
「もうどうしようもない。せめて苦しくないように、ひとおもいに殺してくれ」
心の中でそう呟いた私の諦めの気持ちを感じ取ったかのように、魔獣達が一斉にこちらに飛び掛かってきたその瞬間だった。
「あそこだ! ユウ!」
「任せろ、マオ!」
少し低めの青年の声が聞こえたかと思うと、それに呼応したのは溌溂とした少年の声。
ぎゅっと目を瞑った私の五感に届いたのは、空間を切り裂くような音と風、その後に続く「ぎゃうん」という魔獣達の断末魔。そして、じっとりとした鉄分の臭いだった。
助かった……?
期待を込めてそろりと目を開くと、先程まで私を狙っていた魔獣達が腰の辺りで真っ二つになっているのが目に入る。
「ひいいいっ!」
別に、怖いとか気持ちが悪いとか、そういう感情からの悲鳴ではなかった。
眼下に広がる衝撃的な光景に対して、反射的に声が漏れ出てしまったにすぎない。
しかしどうやら、その声は非難として受け取られてしまったようで、私のすぐ後ろから不機嫌そうな声が聞こえた。
「……他に方法がなかったんだから、仕方がねえだろ」
振り向けばそこにはオレンジ髪の少年が立っており、手には木の伐採を行う際に使われるような、よくある小型の斧が握られている。
刃の部分に赤黒い液体が付着しているので、きっと彼が私の命の恩人なのだろう。
彼は勘違いしているようだが、彼の行いを非難するつもりは毛頭ないし、彼には感謝してもしきれない。
だから、一刻も早く彼の誤解を解いてお礼を告げたい……とは思っている。
けれども、死を免れたことに対する安堵と、目の前に広がる衝撃的な光景のせいで、上手く言葉が紡げない。
なんなら、視界だって少し揺れている気がする。
「あ、あの……ひうっ……」
「……もういいから。びびらせちまって悪かったな」
少年はそう言って顔をぷいと背けるが、その唇は強く噛み締められていた。
ちらりと見えた深緑色の瞳には悲しげな影が宿っており、胸の奥がぎゅうっと掴まれるような気持ちになる。
何度も言うが、彼を傷つけるつもりはこれっぽっちもなかったのだ。
「ちがっ……」
全身の震えを気合で押し込めてなんとか絞り出した否定の言葉は、しかしすぐに別の声によって掻き消されてしまった。
「ユウ、落ち着きなよ」
そんな言葉と共に姿を現したのは、美しいシルバーの髪が目を惹く、背の高い美青年だった。
ユウと呼ばれる少年よりも僅かに年上かと思われるその青年を目にして、私は世界がスローモーションになるのを感じる。
本来であれば、青年の彫刻のように整った顔立ちとか、「大丈夫? 立てるかい?」と言いながら差し出される手の滑らかさとか、全てを包み込むような優しさの中に見え隠れする色っぽさとか、そんなことにどぎまぎさせられる場面なのだろう。
しかし今は、それどころではないのだ。
――――まさか、そんな、彼が。
死を免れたことに対する安堵と、目の前に広がる衝撃的な光景。
それに加えて、目の前にいるのが彼らであることに対する興奮と、これから彼らが辿る未来に対する絶望。
それら全てが一丸となって私に襲いかかってくる。
「……ああ、もう無理」
考えることは山ほどある。お礼だって、まだ言えていない。
けれども、あまりの情報量の多さに耐えきれなくなった私は、口の中で小さくそう呟いて、そのまま意識を手放したのだった。




