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「ただいま」
ユウ達の『LOJ』前半における最後のボス戦を見届けて、私が最初にしたのは里帰りだった。
黄色の瓦屋根が特徴的な我が家の玄関の扉をくぐると、奥からはばたばたと慌ただしい足音が聞こえてくる。
すぐにその場に姿を現した母は、一年ぶりに会うにもかかわらず私の記憶と寸分たりとも変わらない。
「アイ! あんた『勇者になる』って言って家を出て以来、一年以上連絡も寄越さないで! どれだけ心配したと思ってるの!」
怒りを露わにする母に「ごめんね」と軽く謝ると、母は下唇をぎゅっと噛んで私を抱きしめた。
「無事ならそれでいいけれど、もう少し親の気持ちも考えてちょうだい」
「そうだよね、ごめん。次からは気をつける」
「……ところで、その子は?」
母は不思議そうな表情で、ちらりとケイへと視線を向ける。
「ああ、この子はケイって言うの。頼るあてがないって言うから、一緒に住んでるのよ」
私がそう紹介すると、ケイは母に「はじめまして」と言って軽く頭を下げた。
頭に被ったフードから手を離そうとしないケイは、どうやらかなり緊張しているらしい。
ここに来るまでにも、何度「本当に僕も行って大丈夫なの?」と尋ねられたことか。
「一泊だけとはいえ、アイの実家に泊まるんでしょ? 隠し通せるわけないよ。僕、アイにもアイの家族にも迷惑は掛けたくないんだ」
今まで半魔人であることを理由に理不尽な目に合ってきたのであろうケイは、泣きそうな顔で何度も私にそう訴えてきた。
けれどもケイの心配は、私の予想通り杞憂に終わったようだ。
母はケイの言葉を聞いて「あら、随分と礼儀正しい子ねえ」とだけ言うと、被ったままのフードに言及することなく、くるりと私に向き直った。
「ところであんた、ちゃんと生活できてるの? 家では手伝いすらなーんにもしてなかったでしょう?」
「うっ……、まあ、それなりには。家事はケイにも手伝ってもらってる」
「こんな小さい子に家事をさせてるの!? はあ……情けない……」
母はわざとらしく溜息を吐くと、ケイに対して申し訳なさそうな顔をする。
「うちの子がごめんなさいね。ここにいる間は何も気にせず、ゆっくり休むんだよ。アイの部屋の隣が空いてるから、自由に使ってね」
そう言って母は、それ以上ケイについて詮索することはなかった。
◇◇◇
「アイのお母さん、良い人だね」
指定された部屋に荷物を運んだ後、家を出るなりケイはそう言った。
「一年以上音沙汰のなかった娘が、知らない子どもを連れて帰ったら、普通はもっと動揺するもんじゃない? 僕、こんなにすんなり家に入れてもらえると思ってなかったんだけど」
ケイは周囲に顔を見られたくないのか、私にぴったりとくっつきながらぽそぽそと話をする。
しかしその距離はあまりにも不自然で、どうやら逆に目立ってしまっているようだ。
赤い三輪自転車に乗った青果店の主人が、すれ違いざまに興味津々と言った様子でこちらに視線を向けるのを、私は苦笑いでやり過ごす。
「だから大丈夫だって言ったじゃん。うちの親、そのへんはわりと大雑把だから」
「……まあ、アイも僕のことすんなり受け入れてくれたもんね。今だから言うけど、最初はあまりの警戒心のなさに『この人大丈夫かな?』と思ったくらい」
「何それ、悪口?」
「悪口ではないよ。ただ、『僕がしっかり見ておかないと』とは思ってる」
「それは悪口だよー」
そんな会話をしているうちに、褐色のレンガ造りの家が見えてくる。
その角を曲がってすぐのところにある目的地を「ここだよ」と手で指し示すと、ケイからは「……祠?」という質問が返ってきた。
「うん、祠。村人の心の拠り所になっているの。特別何かを祀っているってわけではないんだろうけど、毎朝手を合わせに来る人もいるみたいよ」
そう説明をしながら、私は周囲に人がいないことを確認する。
そして西洋風のその祠の土台部分、石が緩んだ箇所をそっと持ち上げた。
「それは何? 宝石?」
土台の隙間に隠していたそれらを取り出すと、ケイは「こんなキレイなもの初めて見たかも」と言った。
「ケイは〈守護のターコイズ〉と〈増幅のクォーツ〉って、聞いたことある?」
「もちろん。三種の魔道具でしょ? 母さんが話してくれる神話の中によく出てきた」
「そう、それ。こっちの水色の鉱物が守護のターコイズで、こっちの透明のが増幅のクォーツよ」
私の言葉を聞いて、ケイは「小さい子じゃあるまいし、騙されるわけないじゃん」と言って笑った。
ケイもどうやら三種の魔道具を実在のものとは考えていないらしい。
けれども、いつまで経ってもなんの反応も返さない私に、次第にケイの顔が強張っていくのがわかった。
「……え、本当に?」
「本当よ。私が手に入れてここに移動させたの」
「……一応聞くけど、なんのために?」
「この村を守るためよ。この二つを併せて置いておくことで、村全体に守護の効力が及ぶことがわかったから」
私の答えを聞いて、ケイが複雑な表情を浮かべるのがわかった。
神話では、守護のターコイズは〝所有者に対する攻撃が無効化される道具〟、増幅のクォーツは〝所有者の能力を飛躍的にアップさせる道具〟だと説明されており、全ての神々が欲しがるくらいに価値のあるものと言われている。
ケイの反応が示すように、なんの変哲もない小さな村に置いておくような代物ではないのだ。
けれども私は、『LOJ』内では後半開始早々に壊滅させられるこの村を、どうしても守りたかった。
たとえゲームの内容を大きく変える結果になるとしても。
「……他の人にとっては〝この程度〟と思われる村であっても、私にとっては何に代えることもできない大切なものなのよ」
そう言いながら、私はここに来るまでに目にしたぬいぐるみのことを思い出す。
少女の手の中に大事そうに抱えられていた緑色のそのうさぎは、少しくたびれていて何度も手直しされているようだった。
きっと、私達にとってはただのぬいぐるみに見えるけれど、あの少女にとっては大切な宝物なのだろう。
私の行動によって、おそらくこの世界は『LOJ』の内容からは大きく逸れてしまった。
ここから私は、前世での記憶に頼ることなくこの世界を生きていかないといけなくなる。
しかし、後悔はしていない。
そもそも、マオの闇落ちを防ぐという目標を達成するためには、いずれかの段階でゲームストーリーの改変は避けられないのだから。
「……ごめん、変なこと言って。アイの大切なものを軽んじるつもりはなかったんだ」
「ううん、わかってる。私こそ驚かせてごめんね」
「それはそう。まさかこんなところから三種の魔道具が出てくるなんて思わないよ。盗まれたりしないの?」
「それは大丈夫。よくわからないけど『そこにそれがある』ことを明確に意識しないと知覚できないようになってるんだって」
「へえ、すごいんだね」
私は二つの鉱石を元の位置に戻すと、持ち上げた石をもう一度元に戻す。
念のため周囲に馴染ませるように土を隙間に埋めておいたので、これでよほど注意深く観察しなければ石が緩んでいることにすら気づかれないはずだ。
「どうかこれからもこの村をお守りください」
そう言って頭を下げる私は、たとえ見られていたとしても祠に向かって手を合わせているとしか思われないだろう。
「……さあ、帰ろうか。途中でパン屋さんに寄らない? 『B’s ベーカリー』っていう、昔からよく行くパン屋があるの」
「いいけど。僕、パン屋に行くの初めてだ」
「そうなの!? じゃあ、ケイにとっての〝パン屋デビュー記念〟だね!」
「なにそれ」
そんな会話をしながら、私達は帰路につく。
舗装された石畳の歩道には、私とケイの影が長く伸びているのだった。




